1.卒業パーティーでの婚約破棄
ローレンス王国、王立ルピナス魔法学園の初夏に行われる、卒業式の次の日に開催される卒業パーティーも終盤。
卒業生である第二王子ディランが同じく卒業生で婚約者のシエンナ・ラッセル伯爵令嬢に婚約破棄を告げた。二人の間には、婚約破棄を申請する書類が一枚、床に落ちていた。勝ち誇っているディランに対し、シエンナは小首を傾げる。
そんなディランの隣には、子リスのような丸い顔で黒目が大きく、小さめの口を持つ、ピンクブラウンヘアの可愛らしいご令嬢が立っていた。シエンナは誰だっけと眉間にシワを寄せて、頭の中で名簿をめくる。
「聞いているのか、シエンナ?!」
「あぁ!ロゼッタ様ですわ!」
ディランとシエンナは同時に叫んだ。ディランはぽかんとシエンナを見つめ、彼女は喉のつかえが取れたような、晴れ晴れとした表情を浮かべる。
「スフェーン!私の有責で、ディラン殿下と婚約破棄しろと脅迫状を何通も送ってきた犯人だわ!えぇっと、確かベネット侯爵と後妻の娘で、本来の後継者であった異母姉のメイジー様を後妻と一緒にいじめ抜いて……メイジー様はエスメ女子修道院に逃げ込んだのよね?」
シエンナはロゼッタ・ベネット侯爵令嬢を指差してそう語ると、隣に立つスフェーン・ウッド伯爵令息を見上げた。二人は領地が隣同士の幼馴染だ。会場内の生徒たちは、あまりの情報量にぽかんと口を開けている。スフェーンは苦笑いを浮かべた。
「シエンナ。殿下からの婚約破棄の返事は?」
「え?あぁ!承りました。今までありがとうございました、ディラン様。至らぬ婚約者で大変申し訳ございませんでした」
スフェーンの言葉に、忘れてたわとシエンナは一息に話し終えると一礼する。ぽかんとしていたディランは、シエンナの言葉にハッと意識を取り戻すが、二人は楽しそうに談笑し始めていた。
「あぁ、良かったわ!ディラン様は婿入り先が我が伯爵家じゃ嫌だって、お茶会の度におっしゃってたから。侯爵家なら文句はないわよね?」
「そうなんだ?上級貴族級ギリギリの伯爵家は、お気に召さなかったんだね」
ラッセル伯爵家は代々火の魔法に長けた魔法使いを輩出する名家で、その辺の侯爵家よりも歴史は長い。
例に漏れず、シエンナも火の魔法使いで、その魔力コントロールは学園の教授たちも絶賛するほどだ。
シエンナとスフェーンの話に、他の伯爵家や下級貴族級の生徒たちは冷めた目でディランを見つめる。上級貴族級の生徒たちは何とも言えない視線を送り、準貴族級や魔力量の多い平民たちは不快感を顕にしていた。
風の魔法を使って、スフェーンは落ちていた婚約破棄申請書をシエンナの目の前に浮かせる。
「はい。さっさと書いちゃいなよ」
「ありがとう。用意がいいのね」
スフェーンに差し出されたペンを受け取り、シエンナは目の前の申請書に躊躇なく署名した。その下にある証人の署名欄を見て、当主である父親に頼まなければとシエンナが考えていると、スフェーンが彼女の手からペンを抜き取る。そして、証人の署名を済ませた。
「昨日、学園を卒業したから僕も成人だよ」
「そうだったわ。ありがとう」
ディランの保証人は王妃様だったなぁ。ありがとうございますとシエンナが考えていると、婚約破棄申請書は光り輝いて消えた。提出先に転送されたのだろうと、シエンナが考えていると、スフェーンが楽しそうに話しかけてきた。
「しかし、婚約解消ではなく破棄の申請書か。調査員がどちらに非があるのか、徹底的に調べてくれるらしいから、楽しみだね」
「そうね。痛くも痒くもないから、徹底的に調べてもらいましょう」
楽しそうに笑い合う二人の視線が、ディランに向けられる。彼は思わず後退りした。婚約破棄は、自分優位で簡単に行えるものではなかったことを、今更知った様子のディランに、シエンナは内心呆れたが、令嬢の笑顔を崩さず口を開く。
「皆様、お騒がせしました。スフェーン、卒業生代表の挨拶をどうぞ」
学年首席のスフェーンに卒業生代表の挨拶をさせ、シエンナはこの婚約破棄騒動に幕を引き、パーティーを閉会に持っていった。彼は口角を上げると、背筋を伸ばして壇上へ上がる。
スフェーンの挨拶を聞きながら、シエンナはロゼッタは火の魔法か光の魔法が使えたかしらと考える。最近、エヴェリーナ王女が、光の魔法の魔術コントロールができ始めたと聞いたから、新たな婚約者の魔法の属性は何でもいいのかしら?婿入するし。まあ、私に関係のないことだわ。それよりも、幼馴染の勇姿を目に焼き付けなきゃと、シエンナはスフェーンを見上げた。
領地に戻り、シエンナは父のラッセル伯爵から領地経営を学びながら、趣味のお菓子を焼いていた。勿論、自身の火の魔法を使って。
「やぁ、シエンナ」
卒業パーティーから一週間後、スフェーンがラッセル伯爵邸に訪れた。
「あら。いらっしゃい!スフェーン」
焼き上がったスティッククッキーの載った天板を持ったシエンナは微笑む。私設修道院に併設した孤児院の子どもたちに焼いたものだ。
「美味しそうだね。少し分けてよ」
「いいわよ!味見係さん」
クスクスと笑いながら、シエンナは天板を作業台の上に置く。スフェーンは対面の背もたれのない椅子に腰掛けた。チーズ入りのものと、ハーブ入りのものの2種類を焼いているようで、シエンナは生地の載った別の天板を持つと、オーブンの中に入れて火の様子を確認して扉を閉めた。スフェーンは頬杖を突いて、その後ろ姿を眺める。
「こっちがチーズ入りで、こっちがローズマリー入りなの」
振り返り、焼き上がったスティッククッキーについて、楽しそうに話すシエンナに、スフェーンは目を細める。
「シエンナ、好きだよ」
「へ?」
突然の告白に、手にミトンを付け、くすんだ黄赤の髪をひっつめ髪にしているシエンナは固まった。身につけているのは汚れてもいい室内用の簡素なドレス。更にエプロンには小麦粉やローズマリーの欠片がついていた。
「もう!スフェーン。こんな格好の時に告白しないでよ!」
「はは、ごめんね。あんまりにもシエンナが可愛いから」
「か、かわ?!」
横を向いて、真っ赤になったそばかすの浮かぶ両頬を、ミトンの付いた手で隠すシエンナを見て、頬杖を突いていたスフェーンは微笑む。
「ずっと、好きだったよ。シエンナのこと」
「えぇ〜?ほ、本当に?」
両頬を隠したまま、ちらりとシエンナはスフェーンを盗み見た。
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