王子様は忙しい~僕の婚約者の悪役令嬢が邪神の依代だったそうです
「殿下、ディエシス殿下!」
魔法学校のサマーパーティーの賑わいの中……。
僕を後ろから呼び止めたのは一人の少女だった。
それほど深い付き合いではないが決して知らない顔というわけではない。
確か男爵家の令嬢……だったかな?
「君は?」
「私はリゼット・アル・デドルディアと申します。殿下のお耳に入れたいことがありまして」
「ふむ、何かな?」
「はい! 実は私、最近不思議な夢を見るのです」
「ほう……」
夢か……。
ふぅ、とため息をついて手元のグラスを傾ける。
「一つだけ確認しておくよ」
「はい」
「それは僕の婚約者のソフィアに関すること……ではないのかな?」
「!」
リゼ嬢の顔に驚愕が浮かぶ。やはり図星らしい。
「ふふ。それなら、もう間に合っているよ。ああ、十分にね」
「でも、でも……この国の未来に関わることなのです!」
必死の形相で食い下がる彼女に僕は苦笑する。
「僕がある人を好きになった結果、失意の底に沈んだソフィアが闇の魔術師ヴェイルに魂と心臓を捧げる」
「……は、はい」
「そして内に眠る邪神を覚醒させ、この王都を壊滅させる……というお話だね?」
"ある人"が誰なのかは敢えて言わないでおく。
僕はソフィアのことをこの世界の誰よりも深く愛している。
具体的な名を出してそれ以外の女性との噂が立つことはなるべく避けたいのだ。
「ついでに言うとこれは君の夢の話じゃない。前世で触れた物語の記憶……」
「――っ!?」
沈黙は時として雄弁に勝ることがある。
彼女の目に浮かんだ絶望の色がそれを物語っていた。
「僕は何も聞かなかったことにしておく。機会があればまた会おう」
そう言い残して立ち去ろうしたその時だった。
「殿下、お待ちください!」
背中に投げかけられた言葉は悲痛な響きを帯びていた。
「どうして、どうして……私に前世の記憶があることを……」
振り返った僕を見て彼女は怯えるような視線を向けた。
隠してきたはずなのに、誰にも言わなかったはずなのに。
そう言わんばかりの眼差しだが……。
「自分が特別な人間だと思わない方がいい。この話をしてきたのは君で三人目だ」
「!! さ、三人目……ですって!?」
「残念ながら君と同郷の人間、あと二人が誰なのか言うつもりはないがね……」
……実はこれは少々誤解を招く表現かもしれない。
リゼ嬢を含め、僕にこの話をしてきた転生者の女性は三人居る。
だが、この世界に転生者が三人しかいないとは一言も言ってない。
他にもそんな境遇の人物を僕はひとり知っている。
たまに城を抜け出して茶を交わす気の置けない友人だ。
それにこの国の第二王子……ディエシス・マクス・メルタニア。
つまり僕自身も"地球"からの転生者なのだ。
姉に勧められ、半ば無理やり遊ぶ事になった乙女ゲーム『ラスト・ラプソディ』
ソフィアと最初に出会ったのはその中だった。
女主人公エリスのライバル。
でも、メンタルが強く本質的に陽気で、光の神の加護まで受けているエリスと違い、ソフィアは悲観的で、臆病で、そして誰よりも不器用な少女だった。
それゆえに周囲の誤解を招くことを繰り返す。
やがてその歪みは次第にエスカレートし、遂には取り返しのつかないところまで行ってしまうのだ。
(ああ、似てたんだよ……あっちの俺と)
物語の最後に彼女を待っているのは婚約者である王子のキスではない。
『光の聖女エリスへの嫌がらせ』を断罪された彼女は処刑台に送られる。
もしくは闇に墜ちた末にヴェイルの手によって邪神の生贄となる展開か……。
いずれにせよ全てのルートで彼女は命を落とした。
――何度助けようとしても、何度ゲームクリアを果たしても一度たりともソフィアを救う道なんて見つけられなかった。その度ごとに僕は、まるで自分が彼女を見殺しにしてしまったかのような罪悪感を覚えたものだ。
(どうすれば、どうすれば攻略できる……? このクソゲーを攻略できる……!)
そんな僕だからこそ、事故で命を落とした後、こちらの世界でディエシスの体に転生したと気付いた時にはとても嬉しかった。
ああ、僕がソフィアを愛し続ければ、きっと彼女は闇に落ちることはない。
王妃としての未来を守るために彼女がエリスを、あるいは周りの他の人物を傷つけてしまうこともない。
そして、それはとても簡単なことだ。
僕は『ラスト・ラプソディ』に登場する全ての女性キャラクターの中でソフィアのことが一番好きで……。
そして、この想いは幼年期に彼女と出会った事でますます強くなったのだから。
「そういうことだ、これ以上ソフィアについて続けるのなら、その時は相応の措置を覚悟してほしい」
「分かりました……失礼致します」
頭を下げ、背を向けたリゼ嬢を見送った僕はグラスに残ったワインを飲み干す。
あまり身分を笠に着たやり方をしたくはない。
だから彼女の存外素直な反応に、内心ほっとしている自分に気付き苦笑する。
(さて、そろそろかな……)
花を摘む為と言い残し、ホールを出て行った許嫁はなかなか戻ってこない。
婦人用のトイレは混雑しているのだろう。
「ソフィア……」
早く会いたい。
そして一緒に踊りたい。
「あの……ディエシス殿下」
リゼ嬢とも、ソフィアとも違う別の人物が僕に声を掛けてきたのはその直後だった。
▽▽▽▽▽▽▽
「――ということが昨日あったんだ」
「ははっ、そりゃケッサクだ」
「全然傑作じゃない!」
手土産にした砂糖菓子をパクつきながら目の前で無邪気な笑みを浮かべる友人。
そんな彼に僕は思わず大声で反論した。
「おいおい、大声出すなよ王子様。隠れ家がバレちまう」
「ああ、悪い……」
そうだった。
そもそも僕と彼が交友していること自体、外に知られると困った事になるのだ。
「しかしだな、僕はもうこの世界のことがよく分からなくなったよ」
「ん?」
「何しろ昨晩だけで三人の人間から『ラスト・ラプソディ』の話を聞くことになったんだ……」
そう、リゼが去った直後、僕の前に現れたのは宰相の息子のトーマスだった。
そして彼からも同じ話を……。
更にリゼの時と似たようなやり取りを彼と交わした後……彼の妹のティーエからも同じ話を改めて聞かされたのだ。
(――転生者、多すぎるだろ!?)
いくら『ラスト・ラプソディ』が向こうの世界で人気のゲームだったとは言っても、物には限度というものがある。
この分でいくとゲーム内で名前のあったキャラクターの大半が転生者という疑惑すら浮かんでくるぞ……。
そして、僕にとってそれは致命的な意味を持っているのだ。
(まさかとは思うが、ソフィアも転生者などという事はあるまいな?)
もしそうならそれは由々しき事態だ。
何故なら彼女はソフィアの役割を持っていてもソフィアではない。
僕の推していた彼女とはまったくの別人ということになってしまうのだから。
頭の中で二つの世界で見かけたそれぞれの"ソフィア"のことを思い浮かべる。
重ね合わせて比較する。
……。
大丈夫だ、彼女は彼女のままだ。
中身が違う別人などということはない!
――そう思い込もうとするけれど、やはり不安は拭いきれない。
頭の中に浮かんだほんの少しの違和感。
それはすぐにとても大きな疑念に変わる。
そうして僕の心を蝕んでゆく。
「……いっそ、こんな世界、終わってしまったほうがいいのかな」
「おいおい、何を言い出すんだよ突然」
そんな僕の呟きを聞いた彼は呆れたように苦笑いをした。
「君の配役は最推しのソフィアちゃんと結婚してイチャイチャできる、最高のポジションじゃないか!」
「まあそうなんだけどさ。この分だと彼女の中身だってもう信じられないんだよ」
「ああ、なるほど。そういうこと……」
砂糖菓子を食べ終えた彼が、指についた粉を舐めながらニヤッと笑う。
「毎日楽しくテキトーに過ごしてる俺みたいなヤツには思いつかない悩みだわ、それは」
ああ、そうだな。
目の前にいるこの男は……。
きっとこの世界の誰よりも自由な生活を謳歌しているに違いない。
幻術を使ってカジノでイカサマを楽しみ、高級レストランで食い逃げを働く。
そして魅了の術でハーレム結成。
褒められたところなどまるでない子悪党ライフ。
でも、そんな彼のいい加減な暮らしっぷりでこの世界は破滅から守られている。
何故なら……なぜなら彼の本来の配役は……。
「まあ君に頼むつもりはない。もう少し頑張ってみるよ」
「ああ、それがいい。俺はこの世界が好きだ、滅ぼしたくはないからな」
――闇の魔術師ヴェイル。
僕がソフィアを守るために一番に接触し、そして互いの秘密を打ち明けて友人となったヤツだから。