ループ一度目の私は、溺愛ルートを開拓してしまったらしい。……え?
「……一体、どうなってるのこれ」
困惑を隠し切れなかった。
確かに、私────クラリス・ビューラーは命を落とした筈だった。
なのに、端から滲むように視界が黒に覆われ、意識を手放した私の視界には見慣れた天井があった。
紛れもなく、ここは私の実家であるビューラー侯爵家にある私の私室。
一瞬、助けられたのかと思い至ってしまうが、それはないとすぐに思考を振り払う。
婚約者であるノヴァ・バーネットが多方面に恨みを買っていた事もあり、その皺寄せで婚約者であった私にまで害が及んだ。
結果、私は意図的な事故を引き起こされ、命を確実に落とした筈だった。
「うん?」
上体を起こす。
何というか、筆舌に尽くし難い違和感があった。取り敢えず、事情を誰かに聞こう。
そう思って立ち上がった私だったが、その拍子に部屋に設られた鏡が視界に映り込む。
そこには当然だが、私の姿が映っていた。
ただし、私の記憶通りの20歳の私ではなく、12、3歳だった頃の私の姿だったが。
「……。は……?」
大声で叫んで現実逃避しなかった私は褒められて然るべきだろう。
私の理解の範疇を超えた現実に、ここは夢の中かと思って頬を摘む。
……痛い。
私の私物を漁ってみる。
そこには、ずっと昔に処分したものなどが、過去の頃のままの状態で納められていた。
何か新手のドッキリだろうか。
そんな事を思ってしまうが、直後、ドアをノックする音と共に聞こえてきた3年前に辞めた筈の使用人の声。
程なく映り込む齢20程のその姿。
それらもあって、これが現実で、私は過去に戻ってきてしまったのだと漸く理解をした。
否、理解をせざるを得なかった。
「お嬢様。良い加減、観念なさって下さい」
呆れるように青髪の彼女────リュカは私に告げる。
ベッドに横たわっていたから、つい寝起きだと錯覚してしまったが、よくよく見れば私の服装は外出時によく着ていたものだ。
「城に赴く事に気が乗らないのは承知しておりますが、旦那様もお待ちですから」
過去の記憶を掘り返し、漸く繋がる。
昔の私は、誇れる事ではないけれど大の引っ込み思案で人が苦手な人間だった。
顔を広くする為、父に時折城に連れて行かれる事もあったが、その日は決まって、憂鬱過ぎて最後の最後まで抵抗して私は部屋に引き篭もっていた。
「……よ、よりにもよってこの日か」
ならば、部屋着でない事にも説明がつく。
「??」
使用人のリュカは、私の独り言に疑問符を浮かべていたけれど、申し訳ないが疑問を解消している余裕は今の私にはなかった。
どうする。
どうすればいいのだろうかと思考を巡らせる。
このまま行動をしていても、過去の二の舞になるだけ。あんな人生をもう一度歩むなんて御免だ。
だからこそ、何かしらの行動を起こし、私は自分の未来を変えなくてはいけない。
ただ、下手に行動を起こしてそれが新たな悲惨過ぎる結果に繋がらないとも限らない。
そして私が貴族令嬢である以上、どうしても実家に振り回される未来から完全に逃れる事は無理だ。
だったら────。
(……味方を作ろう)
もしもの時、私を庇ってくれるような味方を作ろう。関係値はこの際どうでもいい。
かつて私がノヴァとの婚約を破棄しようとした時、実家の都合で阻まれてしまったあの時に、手を差し伸べてくれる友人を作ろう。
私の行動で仮に未来が変わってしまったとしても、その時に助けてくれるような友人を。
となれば、引っ込み思案だとか言ってる場合ではない。
父の言う通り、城に出向き、顔を広くしなくてはならない。
そうと決まれば、私のこれからの行動は最早決まったようなものだ。
「ううん。何でもない。お父様を待たせてしまってるし、行こっかリュカ」
最悪、引き摺ってでも連れて行こう。
そう思っていたであろうリュカは、ぽかんと目を丸くしていた。
事実、以前の私は確かここでリュカに無理矢理連れて行かれていた筈だ。
だが、何の悪戯か。
過去に遡ってしまったというならば、私はあの悲惨な未来を変える為に奔走するまで。
馬車に乗り込むや否や、リュカを始めとした使用人。父上から怪しまれる事になったが、私もそろそろこの引っ込み思案な性格を直さなくちゃいけないと思いまして。
と言ってみると父や使用人達は、そうかそうかと本気で泣き出しでもしそうな様子で感動を始めてしまった。
父上達に上手く誤魔化せた事を喜ぶべきか。
どんだけ私、不安視されてたんだと悲しむべきか。
色々と複雑な心境に私は陥る羽目になった。
†
「しまった」
数時間掛けて城にたどり着いた私は、早々に父と別れる事になっていた。
どうにも、政務で忙しいらしい。
治安が良い事もあり、リュカと共に行動する分には好きにして構わないとお言葉もいただいた。
が、私は致命的な事を見落としていた。
私の計画は完璧だ。
同じ未来を辿らないようにする為には、私が思い描く通りに行動すれば問題はなくなる。
ただ。
(……どうやって繋がりを作ればいいんだ)
これから起こるであろう出来事の知識を利用して恩を売る。
それが一番の近道である事は分かってる。
でも、急にそんな事を言っても、出鱈目か。
はたまた、とち狂った人間としか認識されない筈だ。
しかも、それならまだ良い。
最悪、その出来事を引き起こした張本人としていらぬ恨みを買いかねない。そうなれば、繋がりを作るどころか、距離を置かれるだろう。
何より、元々私自身が引っ込み思案だった事もあり、知ってる知識は虫食いだ。
加えて、ノヴァの婚約者だった頃は人目を気にして出来る限り表に出ないようにしていたから、やはり持ち得ている情報はわずか。
名前と顔が一致しない人も数多くいる。
「……いや、この際、味方云々は置いておいてノヴァのあの性格を直す方向にシフトすべき……?」
傍若無人で、悪評しか聞こえてこなかったノヴァの性格をどうにかした方がよっぽど簡単な気がしてきた。
仮に私がノヴァとの婚約を避けたとして、第二、第三の私が生まれたとあっては色々と後味が悪いし。
ただ、私が知る限りノヴァは王城に赴くような人間ではない。
だから、この作戦も無理だろうな。
と、思いながら側にあった窓から私は顔を覗かせる。
視界に映り込む庭園。
そこには、忘れようにも忘れられない────
「……ノヴァ?」
ノヴァ・バーネットと思わしき赤髪の少年がいた。
しかも、二年近く婚約者として一緒にいながら、友達らしい友達の一人すらいなかったノヴァが、楽しげに白髪の少年と談笑していた。
一瞬、別人の線を疑いたくなったけど、あれはどこからどう見てもノヴァだった。
やはり、これは夢なんじゃないだろうか。
そう思って再び頰をつねると、相変わらず痛かった。
「ノヴァ様の事をご存知なんですか、お嬢様」
意外そうな様子で尋ねられる。
それもその筈。
私は今日この日まで引っ込み思案な令嬢でしかなかった。貴族の知り合いらしい知り合いは本来、現時点では一人としていない筈。
なのに、当然のように「ノヴァ」と呼んでしまった。
リュカが「知り合い」と勘違いするのも無理はなかった。なにせ私、自慢できることではないけど人の名前も殆ど覚えてないような人間だったから。
「ぇ、いや、その。えーと」
目が泳ぐ。
言い訳をしようにも、良い言い訳が見つからない。どう説明するのが正解だろうか。
悩んでるうちに、リュカは私の手を取っていた。
「リ、リュカ?」
「成る程。全て理解致しました。僭越ながらこのリュカ、お嬢様の恋路を応援させていただきたく」
そう言って、リュカは私の手を引き始める。
爛々と輝くその瞳。弾んだその声音は、余計な事をしようとしているようにしか思えなくて。
「ち、ちがう。リュカ勘違いしてる! 間違ってもそんな事はないから……!」
「いいんです。恥ずかしがらなくても。そうでもなければお嬢様がお会いした事もない筈の殿方のお名前をご存知な訳がありませんもの」
いや、そうなんだけど。
確かにそれは一理あるんだけど、違うんだってば……!!
目と口で必死に訴え掛ける私の努力虚しく、リュカにはそれが単に恥ずかしさからくるものとしか理解されなかった。
挙句、その為に今回城に赴く決断をしてくれたんですねと、飛躍に飛躍を重ねていた。
そしてあれよあれよという間に、私はノヴァと、見た事もない白髪の少年の下へとリュカに強制的に連れて来られる羽目になった。
「……お初にお目に掛かります。クラリス・ビューラーと申します」
強引に連れて来られたとはいえ、ノヴァはバーネット公爵家の嫡子。
顔を見せたからには挨拶をしなくてはならない。
お嬢様、ファイトです…!!
などと勝手に盛り上がるリュカに、家に戻ったら覚えてろ……! と心の中で告げながら、ロングスカートの裾を軽く上げ、私は挨拶をする。
突然の私の登場に、白髪の少年とノヴァはぽかんと目を丸くしていた。
しかし、それも刹那。
何かを察したのか、白髪の少年はにんまりとした笑顔を浮かべて私の下へと歩み寄ってくる。
「僕と同じ考えの子がもう一人いたとはね」
その言葉に、反射的に疑問符が浮かぶ。
同じ考えとはどういう事だろうか。
そもそも、彼は一体誰なのだろうか。
「要するに、キミもノヴァの奴を励ましに来たんだろう?」
「励まし、に?」
何を励ます事があるのだろうか。
そんな疑問を抱きながらノヴァへと視線を向けると、心なしか表情に影が落ちていた。
そして、思い出す。
この時期、ノヴァの身に何があったか。
殆ど会話すらしない冷え切った婚約関係ではあったけど、それでもノヴァの事は少なからず知っていた。
確かこの時期、ノヴァは己の生母を流行病で失って────。
「……ぁ、お母様が」
幾ら好意的な感情を抱いていない相手とはいえ、人の不幸を嬉しく思う趣味は持ち合わせていない。
でも、非情という二文字が服を着て歩いているような人間だったノヴァが、身内の死一つに、こうも感情を見せているのは意外だった。
そして、そんな彼を励まそうとしてくれる友人がいた事も、また。
「やっぱり」
反射的に口に出してしまった言葉を聞き、白髪の彼は完全に私がノヴァを励ましに来た人間と勘違いをしてしまう。
「だったら、丁度いいね。僕の名前はカルロス。ノヴァの奴を元気付ける為に、これから二人で出掛ける予定だったんだけど……クラリスさんもどう?」
「……なんで今初めて知ったようなこいつまで」
「良いじゃん、良いじゃん。ノヴァが落ち込んでるのを聞いてわざわざ訪ねて来てくれるような子だよ? 悪い子じゃないって。それに、同じ国の貴族同士だろ? ノヴァは僕以外知り合いいないし、少しくらい交友を増やしとけって」
クラリスさんもそう思うだろ?
なんて聞き返されたが、たった一人の友人もいない私が肯定していいものなのか。
そんな疑問に苛まれていたせいで、カルロスの言葉に対して私はぎこちない反応しか返せなかった。
(にしても、カルロスって名前、どこかで聞いた事があるんだよなあ)
王城にいて、ノヴァの知り合いなのだから貴族である事に間違いはない。
だけれど、カルロスという名前を、何処かで聞いた事があるような程度にしか思い出せなかった。
でも、今ここでその事を尋ねるのは不躾というか。明日あたりこそっとリュカに聞いておこうと決めて私はノヴァの知り合いの貴族として接する事にする。
「あぁ、でも。強制とかではないから。もし良かったら程度だから、勿論断ってくれても構わないよ」
人懐こい笑みと共に告げられる。
だけど、いくら私が知っているノヴァとは少し違うとはいえ、彼には苦手意識しかない。
カルロスがいるからといってその苦手意識が払拭される訳ではない。
だから、今回は断らせて貰おうと思った。
「誰が好き好んでロアル平原の花なんざ見に行くかよ」
ノヴァのその言葉を、聞くまでは。
「ロアル、平原……?」
特別そこは、王城から離れた場所ではない。
危険な場所でもない。
ただし、現時点ではという条件がつくが。
私の記憶が確かならば、ロアル平原で一人の王子が命を落としていた筈だ。
それも、私が丁度、今ぐらいの歳の頃の時に。
年代も近く、王子が命を落としたという事でお父様やお母様も慰安で弔問に王城へ向かっていたからよく覚えている。
当時はそれは不慮の事故と言われていたが、後々、水面下で起こっていた政争の背景もあり、意図的なものではないかとも言われていた。
命を落とした人物は、ここディガナ王国の第3王子。確か名を、
(カルロス・ディガナ)
「お。もしかして、クラリスさんもあの花畑を見に行った事がある? 綺麗だよねあそこ」
(間違い、ない。公爵家の公子であるノヴァと親しげに話してる理由も、それなら説明がつく)
どうする。
どうすればいい。
あの事件が起こったのが今日とは限らない。
だけど、その可能性は低くない。
止めるべきだろう。
でも、どうやって止める?
それらしい理由は、どこにもない。
馬鹿正直に死ぬかもしれないと告げても、私たちの間に信頼関係など皆無だ。
信用して貰える要素が何処にもない。
だったら、護衛をつけるか?
都合してくれる人間に心当たりはない上、カルロスは今日向かうと言っている。
無理だ。どうにもならない。
「い、え。見に行った事はありません。ただ少し、城の外ともなると怖い、と言いますか」
元より引っ込み思案の私だ。
臆病という印象を持たれようが構わない。
「ああ、そういう事か。それなら問題ないよ。こう見えて僕、魔法の才能があるから」
でも、私の発言虚しく、いざという時は二人とも守ってあげるから。そう締め括られる。
……言われるまでもなく知っていた。
陰謀で殺された可能性が浮上した理由は、カルロスが持つ魔法の才能故であったと聞いていたから。
だからこそ、そこに危機感を抱いた第一王子派閥がカルロスを事故に装って殺したなどと囁かれていた。
「でも、ここら辺は特に治安が良いし、魔物が出たって話も聞かないし無用な心配だと思うけどね」
常駐している騎士の数も相当だ。
何も知らなければ、カルロスの言葉を信じて疑わなかった事だろう。
「……というか、さっきから俺の事を見てるけど何か言いたい事でもあるのかよ」
悪い人に見えないし、助けられるなら助けたほうが良いに決まってる。
でもそもそも、カルロスとノヴァの関係は?
今日、カルロスが命を落とす日として、同行していた筈のノヴァはどうして生き残った?
私の記憶の中のノヴァと、今のノヴァの性格が違っている理由は?
……解決出来ない疑問を解消したく、ノヴァを時折見詰めていた事がバレてしまう。
「ぇ、えっと、その、バーネット公爵様はお許しになられるのかな、と」
咄嗟に出てきた言葉は、ノヴァの父がその行動を許すのか。という疑問だった。
「……あの父は俺達に興味などないさ。母の死に目にも会おうとしなかった父だからな」
忌々しそうにノヴァが言う。
あまり関係が良くない事は知っていたが、そこまでとは知らなかった。
婚約者だった頃は、そんな事はちっとも教えてくれないどころか、会話すら殆どしないような関係になっていたから。
「ま、そうでもなきゃ遠戚の僕がこうしてノヴァに世話を焼く事もなかっただろうしね」
「……俺は一度としてお前に頼んでないが」
「またまたあ。実は嬉しい癖に」
「……。帰る」
「待った!! ごめん! 僕が悪かった! ほら! 折角クラリスさんも一緒について来てくれるのに、ここでノヴァが帰っちゃアレだろう!?」
勝手に私もついていくメンバーに含まれてしまっていた事に一言、言いたくはあった。
でも、それ以上に誰かと楽しそうに戯れているノヴァの姿があまりに意外で、そっちに私は気を取られてしまう。
無愛想ではある。
だけど、今のノヴァは私の知るノヴァとは確実に違うと言えた。
現時点で結論を出すならば、ああなった理由として考えられる一番の可能性は、
(……カルロスさんの死が、ノヴァを変えた)
もしこのタイミングで本来、カルロスが死ぬのであるならば、ノヴァだけが生き残った事が強く関係しているに違いない。
だったら、同行の申し出は渡りに船、か。
(魔法はあまり、得意じゃないんだけどな)
守れるか、守れないか。
その点について確実な自信はない。
私の腕は所詮は平凡の域。
だけど、何かが起こると知っている人間がいるのといないのとではまるで違う筈。
ノヴァの性格をどうにかする為にも、この展開から逃げるべきではない。
そう結論づけて、私は彼らに同行する事に決めた。
「それにほら、美味い弁当も作って貰ったんだよ。三人で食いに行こうぜ」
バスケットに収められたお弁当を、カルロスさんがこれ見よがしに見せつける。
準備は万全、と言った様子を前にノヴァは溜息を吐いていた。
†
それから、2時間。
城を後にした私達は、何事もなく目的地へと辿り着いていた。
カルロスが言うだけあって、そこは見たことがない程に綺麗な赤の花が咲き誇る花畑だった。
持ってきてくれていたお弁当の中身も、王城の料理人が作ったものなのだろう。
物凄く美味しい。
「……もう手遅れではあるが、お前まで一緒に出てきて本当に良かったのかよ。メイドには一応、伝えていたみたいだが」
────お嬢様が「ご友人」とお出掛けなさるのです。私がどうしてそれを止められましょうか。旦那様もそれを聞いたら大喜びなさる事でしょう。
と、快く送り出されていた。
不幸中の幸いは、私が同行している事によってビューラー侯爵家の人間がこそこそと数名ほどついてきてくれている事だろうか。
「い、家が放任主義なので。私なんかより、カルロス殿下が供もつけずに外出なさってる事の方が心配すべき事柄だと思いますが」
「……ぎく」
あえて私の前では、カルロス・ディガナではなく、カルロスとしか名乗っていなかった。
第3王子である彼は、殆ど表舞台に顔を見せていなかった故に、私も名前を聞かなければその答えに至る事もなかっただろう。
「な、なんで知ってるのさ」
「風の噂で聞きまして。それに、公爵家の嫡子であるノヴァ様と対等に接している人間である事。遠戚。そこから予想がつきました」
嘘は言っていない。
だからか、喋り過ぎたかとカルロスさんは一人で己の失言を悔やみ始める。
「お前の失態だな」
「うるせー」
「でも、カルロスの事は問題ない。こいつもこいつも、俺みたいな立場にあるからな」
「ノヴァ様みたいな?」
「ああ。それと、そのノヴァ様ってのをやめろ。ノヴァでいい。代わりに俺もお前をクラリスって呼ぶ」
「お。いいねえ。じゃあ僕もクラリスって呼ぼう。僕の事はカルロスで良いよ」
自己嫌悪から復活したカルロスさんが、再び話に混ざる。
ノヴァのような立場、というと父親に好かれていないだとかそういう事だろうか。
「なぁに、簡単な話だよ。僕の場合は生まれつき魔力が高い事もあって兄弟からあんまりよく思われてなくてね。ほら、ディガナ王国って、魔法師の国だろう? だから、魔力が高い王子ってだけで色々と面倒事が起きててね」
やれ、未来の王様だ。
やれ、有力候補だ。
持ち上げる連中。勝手に目の敵にする兄弟。その実家。
苦労が絶えないとカルロスは言う。
「ま。ノヴァとは似てるけど、厳密には正反対の理由だねえ。ノヴァの場合は、ディガナ王国では珍しく、剣の家門であるバーネット公爵家にありながら、剣の才能が並だったからって理由で父親と仲違いしちゃってるからさ。もっとも、その代わり魔法の才能は人並み外れてるんだけどね」
カルロスが、ため息を一つ。
「公爵も公爵だ。ノヴァの髪の色からして、夫人が不貞を働いてない事なんて明白なのに、精神的に追い詰めてさ。死に目にも会わないなんて。だから、ノヴァは自分を責めてるんだ。自分のせいで、母が死んだんだって。自分に剣の才能があれば、母が衰弱して死ぬ事も、いない者のように扱われる事もなかったのにって」
「……おい、勝手に話すな」
悪いのは、頭の固い公爵であって、ノヴァじゃないって言うのにね。
そう言って、カルロスはノヴァの指摘を聞き流しながら苦笑いを浮かべる。
婚約関係にあっても、当時のノヴァは私に何一つとして教えてくれなかった。
だから、余計にカルロスとノヴァの仲の良さが分かってしまう。
「あの。カルロスでん────」
「カルロスで良いってば」
「……カルロスはどうして、私にそんな事を教えるんですか」
ノヴァは兎も角、カルロスは王子殿下。
呼び捨てなど無礼にも程があるからと敬称をつけようとしたら注意を受けてしまう。
「僕は色々としがらみがあるからね」
そして、勝手にノヴァの身の上話を私にべらべらと話した理由が語られる。
「それに、このままいくと王位継承権を危ぶんだ兄上の工作で、多分僕は何処かの国の入婿として飛ばされるだろうから。こうしてノヴァの助けになってやれるのも、きっと時間は限られてるから」
王位継承権をいかに本人が望んでいなくとも、他の人間がどう思うかは人それぞれ。
だから、カルロスの身の上を考えるならば、臣籍降下よりももっと確実に、他国に入婿として向かわせられるだろう。
私も、彼の意見に同意だった。
「だから、実は僕の代わりにノヴァを助けてくれるような人を探してたんだ。特に、こいつの場合は誰かを娶る気も一切ないから」
「娶る気、も?」
「うん。己が貴族である限り、第2の自分が生まれないとは限らないから。だから、誰かを娶る気はないらしいよ」
生来持ち得たもので、苦しまないとは限らないから。
そこで漸く、繋がった。
私がかつてノヴァに苦しめられてはいたが、あくまでそれは彼の悪評故だった。
彼から直接的な害は受けた事がないし、カルロスの言う通り、婚約者らしい事は一度として行われる事はなかった。
それが、彼にとって娶る気がなかった。
という決め事故の行動であるならば。
でも、じゃあどうして彼は私を婚約者として迎えた……?
「……喋り過ぎだ、カルロス。それに俺は何も困ってない」
カルロスの心配を、ノヴァは切って捨てる。
ただ、今回ばかりは私もノヴァの言葉に同意してしまう。
私はカルロスとノヴァの両者に対して初対面の人間だ。
「……素敵な友情だと思いますが、でも些か初対面の人間を信用し過ぎな気がします」
そんな人間に、身の上話をするのはいかがなものか。
「これでも、人を見る目には自信があるんだけどな。って言っても信じられないか」
カルロスが笑う。
そして、うーん、と悩んだのち。
「クラリスが、ちゃんとノヴァや僕を見てくれていたから、じゃ理由になってないかな」
「見ていた、ですか」
「そう。王子殿下としての僕ではなく、カルロスとして。公爵家の公子であるノヴァじゃなくて、ただのノヴァとして。だから、少なくとも悪い結果にはならないと思った」
言っている意味があまりよく分からなかった。
でも、カルロスがノヴァの事を考えたが故の行動だという事は理解出来た。
だけど、引っ掛かりを覚える部分がある。
この数時間で、カルロスとノヴァの仲の良さはよく分かった。
しかし、どうしてカルロスはそこまでノヴァに世話を焼こうとするのだろうか。
「まぁ、幼馴染でもある僕なりの恩返しって訳さ」
探るような私の視線から、何を言いたいのかを判断したのか。
カルロスの口からそんな言葉が聞こえてきた。
「昔ね、僕はノヴァに救われたんだ。本当に昔の話なんだけどさ────」
そして、私の知らない過去が語られようとしたその瞬間。がさりと葉擦れの音が鮮明に私達の鼓膜を揺らした。
次いで、重量感の感じられる足音。
木にとまっていた鳥達が、何かを察知してか一斉に飛び立ってゆく。
「……やっ、ぱり」
まるで、蜜に誘われた蜂のように。
明かりに集く虫達のように。
見覚えのある魔物の姿が視界に映り込む。
赤黒の肌を持った鬼の怪物。
────オーガ。
「……おいおい。なんでこんなところに、オーガが出てくるんだ……!?」
だが、本来オーガはこんな場所に現れる魔物ではない。何より、その視線は私達を一直線に射抜いている。
どうして。何故。
疑問が頭の中を埋め尽くす。
まるで誘われるようにオーガがやって来た事には理由がある筈だ。
なにか、オーガを引き寄せる何かが。
直後、私は吸い寄せられるようにカルロスさんが持って来ていたバスケットに視線が向いた。思うがまま。考えるがままにひっくり返し、中身を漁る。
「……何してるんだ、さっさと逃げるぞ!」
ノヴァが私の手を強引に取り、その場から逃げ出そうと試みる。
でも、それより先に私はバスケットの中からある物を見つけた。すぐには見つからないように、巧妙にバスケットの中に隠されていたそれは、〝魔香〟と呼ばれる魔物を引き寄せるお香の一種。
ただこれは、魔物にのみ有効なもので、人間からすれば無臭にしか感じられないもの。
だからこうしてオーガが出てくるまで気付けなかった。
「これを誰から貰いましたか……?」
「王城にいたメイドから貰ったが」
「……これは、〝魔香〟です。魔物を引き寄せる、特殊な香りを放つものです」
オーガがここに来た理由は、それ故。
私は〝魔香〟を手に取り、出来る限り遠くへとぶん投げる。
これで、少しの時間は稼げる筈。
だが、幾ら魔法の才に恵まれていようと、実際に魔物を目の前にして感じる悪寒。緊張感。
それらによる感覚が、否応なしに足を硬直させる。
時間を遡る前の私も、魔物と相対した経験はほぼ皆無。それでも、足を動かせたのはノヴァの助けがあったから。
加えて、同世代ではあるが、ノヴァやカルロスよりも精神的に年長者であるという自覚が私を動かした。
けれど。
「……何をしてるんですか、カルロス」
腕を取り、強引に引こうとする。
でも、カルロスは動こうとしなかった。
恐怖から動けない、というよりこれは。
「……すまない。これは、僕のせいだ。だから、僕が責任を持ってここは時間を稼ぐ」
〝魔香〟によって僅かな時間は稼げた。
だけど、それを仕組まれた張本人という自責と。背後からも迫る複数の魔物の存在がカルロスの足を止めさせる。
確実にノヴァや私を逃すには一人、捨て石になれる存在がいた方がいい。
そんな事は言われずとも分かってる。
分かってるけど、
「……ここでノヴァに、立て続けに十字架を背負わせる気ですか」
漸く理解した。
ノヴァが狂った理由が、漸く分かった。
己という存在のせいで、母を亡くし。
唯一の拠り所であったカルロス・ディガナという存在も、何者かの手によって殺された。
己の味方を失ったノヴァは、狂わずにはいられなかったんだ。
「……だとしても、それ以外に道はない。それに、これは僕の責だ。このまま逃げて、魔物を引き連れて帰ってもみなよ。僕だけ責任を取らされるならいい。でも、間違いなく君達まで巻き込まれる事になる。だからそうしない為にも、僕がここで責任を持って倒すか。死んでおくかするのが最善だ」
〝魔香〟によって仕組まれた事は最早明白。
だが、周囲はそう捉えてはくれない。
仮にこれがカルロスを邪魔に思う他の王子の仕業であるならば、根回しは済んでいる筈。
確かに、ここで魔物を引き連れて帰りでもすれば、カルロスの危惧した通りの展開に発展するだろう。
ただしそれは本当の最善には程遠い。
「違います。最善は三人で生きて帰る事です」
本当は、事前に防げたならばそれが一番だった。でも、私の信用的な問題でそれは無理だった。
「それが無理だから僕は、」
「無理かどうかを決めるには、早計に過ぎます。ノヴァも、そう思いませんか」
浅からぬ関係である事は見てれば分かる。
だからこそ、ノヴァも逡巡なく私の言葉に頷いた。
「……その通りだ。これは、お前のせいじゃない。お前が責任を取って死ぬ、なんて事をする必要はない」
「でも、ここからどうするつもりだよ」
策らしい策もなければ、秘密兵器と呼べる何かも持ち得ていない。
せめて1日、時間があれば今とは違っただろうが、今更何を言っても仕方がない。
「……リュカに行き先は告げてあります。恐らく、私が帰ってこないとあれば、お父様が何らかの策を講じてくれる筈です。だから、それまで耐えればいいんです」
「……確かに、あのメイドに行き先を告げていたか」
父との関係が破綻しているノヴァ。
嵌められたカルロスの二人だけならば、どうしようもなかっただろう。
でも、この場には私もいる。
今はまだ、実家であるビューラー侯爵家の力が衰退している訳ではない。
ある程度の繋がりもあれば、護衛の騎士もそれなりに連れて来ていた筈。
十分勝機はある。
「だから、逃げましょうカルロス」
びり、と思い切り身に付けていたロングスカートを裂き、走りやすいようにする。
次いで、裾の部分を少し破り、長く伸びた己の髪を結んでポニーテールに。
本当は城側の方角に逃げたかったが、魔物を引き連れたと冤罪を掛けられる可能性が無きにしも非ず。
だから、念には念をとそちら側には逃げない。
「────〝探知〟────」
これから五年後の未来に確立される魔法。
生物には誰しもに備わる魔力。
それを察知出来る魔法を、とある天才が生み出した。ノヴァの悪評のせいで、自衛目的で習得する羽目になった魔法だったが、覚えておいて良かったと今日この日ほど思った事はないだろう。
魔物がいない場所かつ、逃げられる場所。
「見つけた」
丁度、お誂え向きの場所があった。
「……にしても、流石、ですね」
魔物が追ってこれないよう、ぱきり、ぱきりと音を立てながら氷の障壁を作りつつ駆け出すカルロス。
ノヴァもそれを真似るように障害物を作りながら並走している。
カルロスの魔法の才が凄いとは聞いていたし、ノヴァの才能は言わずもがな知っていた。
私の魔法の才が並だからこそ、その突出した才能に感嘆せずにはいられない。
「でも、クラリスのそれもオリジナルだろう?」
大っぴらに知られておらず、己自身で改良して作り上げた魔法を、世間ではオリジナルと呼ぶ。
〝探知〟は、本来であれば五年後に作られる魔法だ。
だから、カルロスの言葉はある意味あっていた。
「え、えっと、その、まあ、そんなとこですかね?」
でも、人の魔法を使ってるだけなので、自分の魔法と口にするのは良心的にしんどいものがあった。なので、それとなくその場凌ぎで誤魔化しておく。
やがて、カルロスとノヴァの妨害もあって、私達は小さな洞窟に逃げ込む事に成功する。
お腹は、先程お弁当を食べていたし、このまま1日ほどなら過ごせるだろう。
後は本当に、リュカとお父様次第だ。
「……まさか、こんな方法に出てくるとは思わなかった」
カルロスが言う。
でも、散々悪意に晒され、果てに意図的な事故を引き起こされて命を落とした私に言わせれば、人の姿をしているだけの悪意持った貴族達ならば、このくらいはして当然。
そんな感想を思わず口にしてしまいそうになる。
「……僕のせいでこんな事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」
「顔を上げろ、カルロス。お前が意図的に起こした事なら兎も角、お前も被害者だ。謝る必要は何処にもない」
「そうです。それに、巻き込まれたとはいえ、私達はこうして無事ですし」
「いや、でも」
「しつこいぞ。俺達がいいって言ってるんだ。責める理由がどこにある」
「…………」
ノヴァの一言に、カルロスは口を真一文字に引き結ぶ。
その後、消え入りそうな声で「ありがとう」と感謝の言葉が聞こえた。
「……なあ。ずっと思ってたんだが、その敬語も何とかならないのか」
「へっ?」
ノヴァに指摘される。
「それは確かに。名前は呼んでくれてるのに、敬語ってのは違和感が凄いよね」
そして、カルロスからも指摘を受ける。
これで、2対1。
王子と、未来の公爵相手にタメ語で話すなんて、ちょっと恐れ多過ぎて嫌だ。
なんて言いたかったけど、それは認めないとカルロスとノヴァの目が口ほどに物を言っていた。
何より、話題が逸れた事でカルロスの罪悪感が僅かながら薄れている。
下手にゴネるのはよろしくない、か。
これはやむなしか。
「……わ、分かりました。じゃない、わかっ、た」
かくして、私はタメ語+名前呼びをさせられる羽目になってしまった。
「ところで、ふと思ったんだけどどうしてクラリスは僕達の下にやって来た……って言うか、連れて来られてたの?」
リュカに引っ張られていた事を思い出してか。カルロスに尋ねられる。
「……それはですね。その、偶然目に入ったと言いますか。引っ込み思案な私の事を想ったリュカの暴走といいますか」
本当は、勝手に私がノヴァに恋心を寄せている。なんて碌でもない勘違いをしたリュカが暴走した結果なのだけれど、あえて馬鹿正直にそう告げる必要もないだろう。
「ま、まぁ、友達……どころか、真面な知人の一人すらいない私が悪いんですけどね」
リュカの暴走はなるべくしてなったようなもの。城についていくと言っただけでお父様は泣きそうな勢いだったし、多分、私が一番悪い。
遠い目をしながら、過去の自分を責め立てるくらいしか出来なかった。
「友達、か。そういえば、俺達も友達いないな」
「僕とノヴァは、友達って言うより家族に近いからねえ。幼馴染でもあるけど、兄弟に近いかな? 勿論、その場合は僕が兄だけど」
「お前を兄と慕う気はない。却下だ」
どうにも、この二人も私と似たり寄ったりな状況であったらしい。
「……にしても、友達か」
ノヴァが考え込む。婚約者だった頃のノヴァならば、友達など願い下げであった。
というか、そもそも婚約者にならないようにすべきなのに距離を縮めてどうすると自分自身に言ってやりたい。
だけど、今のノヴァは不思議と嫌いにはなれなかった。
それに、かつてのノヴァにも、直接的な嫌がらせを私は受けたことは無い。
あくまで、ノヴァの悪評で私が被害を受けた事だけ。彼は私には無関心だったから、それ以上の事は特になかった。
だからなのかもしれない。
「じゃあ、折角だ。俺達三人、友達になってみるか」
ノヴァのその言葉に、私が嫌だと言わなかった理由というものは。
「良いね。他の鬱陶しい貴族なら兎も角、クラリスの友達ならぜひなりたい。でも、そういう事なら生きて帰らなくちゃいけないね」
「帰らなくちゃいけないじゃない。帰るんだよ、カルロス」
「悪い悪い」
素敵な友達が1人出来るっていうのに、死ぬのは勘弁願いたい。
カルロスはそんな事を口にし、ノヴァから怒られていた。
その様子に、私は笑わずにはいられなくて。
終始、仏頂面しか浮かべていなかった無愛想なあのノヴァが楽しそうにしている事。
そして、嫌いだった筈のノヴァと共にいるのに、嫌悪を殆ど抱いていない現状。
加えて、この状況を悪くないと思ってしまっている私がいる事を自覚して、笑わずにはいられなかった。
「でも、1日待つのも暇だな」
「外に出たら魔物と遭遇する危険もあるしね。ここで大人しくじてるのが一番だよ」
魔物に見つからないよう、魔法で色々といざ魔物と出会ってもどうにかなるようにカルロスとノヴァが準備を整えてくれている。
ここでじっとしておくのが正解だろう。
「それじゃあ、時間もあるし2人の事を知りたい」
だからこれ幸いと、私はノヴァとカルロスの事を聞こうと思った。
カルロスが生きているなら、あの時のようなノヴァが生まれる事はない。
そうは分かっているけど、もしもの時、事情を色々と知っておけば何とかなるかもしれない。
「お。いいねえ。それじゃあ、僕とノヴァの出会いから教えちゃおうか。あれは今は7年くらい前の事で、図書館でメソメソ泣いてる赤髪の────」
「わぁぁぁぁあ!?!? や、やめろ!! それは話すな!!」
「ちょ、大声出したら魔物に気付かれるからノヴァ!!」
「いやいや。友達に隠し事は良くないでしょ。で、話に戻るんだけど、しかもその時のノヴァは、なんと」
「やめろって言ってるだろうが、カルロスうううう!!!」
その後、強制的に口を塞がれるカルロスだったが、もごもごとさせながらも強引に語ろうとするなど、色々と一悶着がありながらも翌朝。
捜索に来てくれたお父様や、その護衛騎士達によって私達は無事、城へ戻る事が出来た────が。
「……まぁ、流石にこうなるよねえ」
私は城の中で謹慎を言い渡された。
1人でいなくなった訳ではなく、ノヴァやカルロスと一緒にいた事には驚かれたが、心配を掛けた、という事で城から出る事は厳禁とされてしまった。
見張りの使用人も複数人つけられてしまっているので、城から出る事は無理だろう。
ただ。
「てか、なんで2人ともここに居るの」
「いや、友達って一緒に遊んだりするもんだろ?」
「僕もそう聞いた」
お嬢様にご友人が……!!
まあ、なんて素敵な日なのでしょうか!
などと、押し掛けてきたノヴァとカルロスの姿を前に、監視要員の使用人達が勝手に感動していた。
どうにも、私が城から出る事はダメだが、友達と城で何かをするくらいは問題ないらしい。
むしろ、大歓迎であるらしい。
「俺達、暇な時は2人で図書館に篭って魔法を勉強してたんだけど……折角だからクラリスもどうかと思ってな」
ああ。道理で年齢に見合わない魔法の腕だった訳だ。
一瞬で納得してしまう。
「……あー、私はその、謹慎を食らってるというか」
「図書館であれば問題ありませんよ? 私達も同行いたしますし」
にこりと笑ってリュカが問題ないと言ってしまう。逃げ道が塞がれてしまった。
(……でも、魔法は覚えておいて損はない、か)
いざという時の為に覚えておいた〝探知〟が今回は役立った訳なのだし。
「決まりだね」
まだ返事をしてないのに、カルロスの中では私が同行する事が決定してしまっていた。
やがて、私はノヴァとカルロスから手を引かれ、図書館へと向かう事になった。
お父様の城での政務が思いの外、長引いた事もあり、約3ヶ月ほど私は城に滞在していた。
その間は、毎日のようにノヴァとカルロスと行動を共にしていた。
そして、時が過ぎること2年。
公子公女が通う学舎である魔法学園。
公女である私ももれなく通う羽目になったのだが、家を出る際にお父様が何故か執務室で1人、頭を悩ませていた。どうしたのだろうか。
そう思って足を踏み入れようとした直後、「クラリス」「縁談」「どうしたものか」というワードが聞こえてきた事で、私は踏み留まった。
距離があるせいで、全ては聞こえないが……これは私にとって碌でもない話題だ。
ノヴァとカルロスという友人が出来てからというもの。漸く、私も社交的になってくれたか。と、お父様が感激していたのも束の間。
自尊心しかない貴族や、その子女との付き合いがストレスでしかなく、結局、またしても引っ込み思案のような状態になった私にお父様やお母様が項垂れていたのは記憶に新しい。
それもあって、私の顔は広いとはいえず、貴族同士の繋がりも浅い。
だから、婚約をどうしたものか────などと考えているのだろう。
下手に首を突っ込むと面倒事にしかならないと分かっているので、私は聞こえなかったフリをしてその場を後にした。
この時、無理矢理にでも執務室に足を踏み入れて父と言葉を交わしておけば良かった。
と後悔する事になるとこの時の私は知る由もなかった。
「……しかし、どうしたものか。バーネット公爵家と、まさか王子殿下からの縁談がクラリスに舞い込んでくるとは」
2年の間に、あの時のように関係のない人間を巻き込む訳にはいかないから。
魔法の才で、兄や父を黙らせてしまおう。
そう考えたカルロスとノヴァがかつてない程魔法の勉強に没頭し、国一番の魔法師である宮廷魔法師と同等以上の実力をつけてしまった事を、私はまだ知らなかった。
加えて、お父様から持ち掛けられた縁談を私がお断りしたという噂を何処からか聞きつけ、知りもしない令嬢と縁を結ぶ事を嫌がった2人がだったらクラリスが良いと縁談を半ば強引に投げつけていた事実を私は全く知らなかった。