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冬の魔女(二)

今朝の投稿が途中でした。続きです、中途半端で申し訳ない。

 グラスにはクリスタルのストローが刺さっていたが、それについてはさすがのジュリアナも文句をつむがず、飲み口を引き寄せる銀色の唇にただ見惚れた。


「──っ、ああ、美味しいねえ。お嬢ちゃんが離さないのもうなずける」

「ただのミルクセーキですよ」

「ミルクセーキ? この液体は、ミルクセーキというの」


 ジュリアナは目の色をミルクセーキに染めて輝かせた。色や濃度から栄養価の高さを物語るその液体は、深い味わいの代償のように舌だけでなく、歯や喉の奥にも膜を貼る。だがそこにわずらわしさはない。液体には細かく砕かれた氷が混ぜこまれており、飲みこむタイミングで爽やかに洗い流される。濃厚な舌触りからの爽快な喉ごし。


「これが、ミルクセーキ……!」


 ふたたび口にふくみ酔いしれる。まるで飲むスイーツだ。驚きと発見で怒りを忘れていたジュリアナは、ブランシェの次の言葉に耳を疑った。


「ああ、半年ぶりに補う水分は格別だ」

「半年ぶり……? 飲み物を、飲むことが」


 ブランシェは、コロコロと表情を変えるジュリアナを愛おしげにみつめた。


「私の名はブランシェ。あらゆる世界から恐れられる、冬を司る魔法使いさ」

「冬を? では、ブランシェ様は、冬の魔女……!? 彼女は、おとぎ話の悪役ではないのですか」


 ジュリアナは知っている。世界を凍らせる冬は、人々にとってもっとも恐ろしいもの。人々は冬を魔女に形容して、その恐ろしさをこどもたちの枕もとで語る。こどもたちは北風が吹けば空を見上げて魔女のローブを探し、吹雪けば魔女の足跡がないか振り返る。氷柱は彼女の涙。雪崩は彼女の怒り。


「私はたしかに居たのさ。千年前、勇者ユートが現れるまではね」


 ない手首を天に掲げ、まるで他人事のように話す。


「勇者は二度と魔法を使えぬようにと私の四肢を切り離し、冥界の炎へ投じた。冥界の炎は決して消えることのない、煉獄だ。どんな魔女でも冥界の炎に四肢を焼かれては死を待つしかなかった。だが私は違う。不死だから」

「不死……? ブランシェ様は、死なないのですか」

「死ねないのさ。勇者は私の体を森羅万象の礎である世界樹ユグドラシルへ封じた」

「再生の泉の源泉ですね」


 世界樹の核から湧き出る再生の泉は地脈を巡り、ダンジョンへ潜る冒険者たちの傷を今も癒している。


「泉に浸された私の体は延々と再生し続ける。そのため、切り離された手足は冥界で焼け焦げる熱と傷みを繰り返す。私は冬のあいだその苦しみを味わいながら、身動きひとつできずにいるんだ」

「千年、も」


 おとぎ話に遺るまで。あまりの長さに唖然とする。


「まあ、世界が冬を恐れぬ夏のあいだはこうして休暇が与えられるし、痛みもない」


 クロドはスーツケースをカウンターへのせると、紅い裏地の中身が見えるよう、開けてみせた。

 手袋と履き物の入っていた空洞のとなりに、酒を漬けるようなおおきなキャニスターがひとつ。酒ではなくクロド特製の防腐液に漬けられた、ブランシェの手足がガラス越しに透けてみえる。


「休暇中は手足もこうして、私が大切にお預かりしております」

「毎年美しく再生させては見せてくれるんだ。再びつながることなど、未来永劫ないというのに。律儀な男だろう」


 クロドがスーツケースを閉じると、ブランシェは自身の手足にお別れするように右手首を振った。炭が爆ぜるように黒い塵が弧を描く。

 前触れもなくジュリアナが、ぽそりとつぶやいた。


「なるほど。手足はハウスへ転移しても、切断面は冥界と結ばれているから繋げられないのだわ。義手をつけても腕の運動と連動して、燃えてしまう」


 ブランシェは三白眼を丸くさせた。


「驚いた、そのとおりさ。氷の義足は溶けて床を汚すだけ。今年は火の魔族の骨に、シマさんの炎の羽根をまとわせたのだよな」

「はい。一瞬で冥界の炎にまかれてしまいましたが」

「いいのさ。これは毎年決まったお遊戯だ」


 ミルクセーキを吸いあげながら、うっとりと言う。 


「そう悪くない人生さ。こうして可愛いお嬢ちゃんとも、お喋りできるしねえ」


 彼女は冬の魔女。

 勇者に封じられ千年経った今も、世界という世界から恐れられる、永遠の悪役令嬢──。

 

 ジュリアナもまた同じようにグラスに口をつけ、最後の一滴を飲み干した。

 クロドはそのグラスを、はやく帰れとでも言うように瞬く間に下げ、背中越しに言った。


「このハウスは悪役を演じるものだけが訪れることができる、悪役令嬢の御用邸だ。物語の途中で挫けたり、次に進めぬほどの深手を負えば、ここで休息をとることができる」

「悪役……? わたくしが」

「闇を司る魔法使いの血胤であるグレイ公爵家の長女。出生だけは申し分ない」


 含みのある言い方で振りかえる。

 クロドの言葉どおり、グレイ公爵家は庶民に語り継がれるおとぎ話のなかで、もっとも残忍で恐ろしい悪役として名を馳せている。

 もっとも、当の本人の与り知るところではないが。

 クロドは、笑った。

 不健康な顔色、されど雄々しく。


「ブランシェのように、とはいかずとも──。女に生まれたからには、したたかであれ」


 ジュリアナはごくりと生唾を飲んだ。

 舌に残っていたミルクセーキの残り香が、消えてしまった。


「私、帰る」

「では靴を──」

「適当に見繕ったものなんていらないわ」


 それから子どものようなわがままを言いこぼすと、扉の向こうへと突き進んで行った。





 残されたふたりに妙な間が生まれる。


「ブフッ」

「うわっ、ブランシェ! おしぼり使えよ!」

「だって、あの女が、あんなちんちくりんでっ、婚約破棄ですって、笑っちゃうっ」


 ミルクセーキを吹きこぼしカウンターテーブルへ、ない拳を打ちつける。


「はなから氷のマンドラゴラなんて、あの女には必要なかったじゃあないか!」

「ああ、そうだな。よかった。ほんとうに」


 クロドは心底ホッとした顔をして胸ポケットから煙草を取り出し、指先から火をつけそのまま一服、


「だが──」


 溜め息混じりの煙を吐いた。


「あいつが聖女にひっかけられたという水、皮肉なことにすべての生物の水分を奪う枯渇の水だった。聖女の持ち物だろうか。あんなレアアイテム、どこから……」

「だからミルクセーキを出したのか。お優しいことで」


 クロド特製のミルクセーキは、不死鳥の卵とシマさん《♀》の乳、それから凍らせて細かく砕いた回復薬ポーションを混ぜて作られている。細胞という細胞から水分を奪われ、内から枯れ果てていくだけのジュリアナの体を、たった一杯で甦らせたのだった。


「マンドラゴラといい、ミルクセーキといい、最初プロローグから甘やかして大丈夫なのか」

「グレイ公爵家は、冥界とつながる闇の魔法使いの家系だ。純血主義でありながら子孫を盾のない駒に使う連中。婚約破棄されて逃げ出すばかりか、手ぶらで帰れば拷問が待っている。あいつはそれを知っていて、帰ったんだ。根性はあるんじゃないか」

「ふぅん」


 ブランシェは自身の手首の断面をみつめた。冥界の炎は、闇を司る魔法使いがその灯りを点し続けている。その家系が潰えねば消えない。


「それにしてもクロド、まさかお前がたかが婚約者あてうまのプレゼントを捨ててしまうほど、ヤキモチ焼きだったとはな」


 今度は、クロドが煙草の煙に咽せる番だった。


「やだねぇ、元魔王ともあろう御方が」

「うるさいよ」


 ゴホゴホと乾いた男の咳払いが、ハウスの穏やかな午後をとおり抜けていった。


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