変態1
春の始まり。
彼女は三限目にある体育の授業を休んだ。
西島優子は確かに体が弱い方ではあるが、今日は休むほどではない。仮病である。
他の生徒はグラウンドへ向かい、教室には優子が一人、窓際で佇んでいた。
ブレザーの陰で揺れる赤のタイ。開いていた窓から入ってくる風は優しく彼女に触れる。
体育の授業を見学する場合は体操着には着替えず、制服のままで問題はないようだ。
すでに授業は始まっているが、優子は静かなその教室を出る様子はない。
そして何かに誘われるように、ゆっくりと歩き、ある女子生徒の机の前で立ち止まる。
机の上には“あの娘”の制服があった。
几帳面な性格なのか、他の生徒と違いキレイに折り畳まれたその制服に優子は手を伸ばす。
『……黒原さん』
静かに大きく息を吸い込み、ゆっくりと最小限に息を吐く。それを数回繰り返す。
にじんだ汗と火照る体。その瞳は少しずつ虚ろむ。
黒原愛花。
その制服の持ち主。
容姿端麗で学年問わず生徒達から人気があり成績も優秀。それでいて気取る事もなく常にクールな印象の女子生徒。
憧れ、それとは違う。優子は彼女に何か特別を感じていた。
それが何であるかは、今の優子にはわからない。
「西島さん……」
「――!」
それは少女の声だった。
教室の出入口から聞こえた声に優子の体は硬直した。
見る、ということを脳内で意識して視点を動かす。視野は関係ない。
――瞬間。少女と少女は視線を合わせた。
軽くウェーブをかけ、肩に触れる程度の黒髪のセミロング。赤いカチューシャに左目の下には泣きぼくろ。
体操着姿の黒原愛花がそこにいた。
教室の空気は急に重くなり、緊迫した雰囲気に息がつまる。
優子のかけている赤いフレームの眼鏡が、窓から射した太陽の逆光で光りだした。
その場で動けなくなっていた優子に歩み寄る愛花。
「なにをしているの……西島さん?」
「ぁ……、……」
それはまるで魔術の類。
誰に対しても強く主張できない性格の優子には、彼女の透き通るような声と同情のない瞳に、沈黙してしまうには十分であった。
「なにをしているのかを聞いてるのよ」
さらに一歩近づく――。
それに反応するかのように、
『どうしたらいいのかわからない』
そんな状態だった彼女は、ようやく足を動かせた。
逃げる。それが彼女のとった行動。
教室の扉に向かい、走り、目を背け、肩がぶつかろうとも、優子は逃げ出す。
廊下へ出る瞬間、視線を感じて一瞬だけ振り返るその瞳には、同じく振り返っていた愛花の姿が焼き付いた。
冷たくて儚い、不適な笑みを……。
優子はその日。早退届を提出して帰宅した。
――次の日。
やはりというべきか、学園に彼女の姿はない。