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風情のある街をぶらぶら散歩すると、必ずお店の人に言われるのが『素敵な旦那さんですね』という言葉だ。
気恥ずかしさを紛らわすために、わざとらしく笑い声をあげながら違いますよ、と言い続けた。
旅館に戻って来ると、彼が畳の上に寝そべった。彼の顔を覗き込むと、だるそうな、やる気のなさそうな顔をしていた。
「大丈夫ですか?」
彼がゆっくりと私の方へ視線を向け、しばらく動かなくなった。
心配するのも束の間、いきなり彼が右腕を引っ張って来た。あまりの力強さに体勢を崩し、彼の上に覆いかぶさる形になった。大きな手が私の肩を包む。
耳にはっきりと彼の胸の鼓動が届く。それを聞いてドキドキが増していくのがわかった。
とはいえ、今どういう状況で、今から何が起こるかなんて全くと言って良いほどわからない。恐る恐る彼に尋ねた。
「えーっと、どうしたんですか?」
彼がため息をつく。
「あのさぁ、こうやって二人で旅行に来てるわけじゃん。何とも思わないわけ?」
「え?楽しいですよ」
いかにも『楽しくないです』みたいな顔をしてしまったんだろうか。それで彼に嫌な思いをさせたんだろうか。
頭がぐるぐるしてきた。
「そうじゃなくて」
あれこれ考えている私をよそに、彼が私を強く抱き締め、次の瞬間には目の前に彼の顔があった。
数秒経ったあと、彼が私から離れた。彼が身体を起こしたので私もそれに続き、彼に寄り掛かるように座った。
「こっちの意味です。『奥さん』とか言われても意識しないわけ?」
顔が熱くなるのがわかる。意識しまくってるに決まってるじゃないか。
「ねえ、」
「だからっ、」
少し苛立ったような彼の口調に怯えつつ、それでも私の気持ちが伝わって欲しいと思う。私の頭の中は、いつも彼でいっぱいなのだ。
「意識しないように笑ってごまかしてただけです…」
彼は目を見開いてびっくりしていたけど、すぐにふっと笑い、私の額にそっと口付けた。
「ゴメンゴメン、本当に俺好かれてるのかなって不安になったからさ」
こんなに私を必要としてくれる人なんてそうはいない。そんな彼を好きにならない訳がないじゃないか。
彼の胸に飛び込んで、すがりつくかのように抱きついた。
「新一さん以外の人なんて好きになるわけないじゃないですか、バカ」
気付けば私はさっきとは真逆の体勢になっていた。