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ちょうど家に帰り着いた頃、彼女から着信があった。
「もしもし」
『あ、もしもしー。免許取れましたよ!』
これは何とも喜ばしいことだ。彼女が彼女なだけに…
「まさか取れるとは思わなかったよ。よく頑張ったね」
『当たり前でしょう、私を誰だと思ってるんですか』
「え?方向オンチの薫さま」
電話の向こうで彼女がむぅ、と唸った。今目の前にいたら面白かっただろうにと思う。
「あ、そうそう。今日交響の子に会ったよ」
『知ってます。聞きました』
あの子と彼女は仲が良いみたいだから、直接聞いていたのだろう。
「で、何て言ってた?」
『秘密です』
「何でよ」
彼女は答える様子もなく黙っている。
「ねえ」
『…すみませんね、まだ二十歳にもなってないのにオカンで』
それか、話されたのは。訂正するつもりはないが、彼女の機嫌を損ねたなら機嫌取りをしなくては。
「変な意味じゃないんだって。ほら、しっかりしてるじゃん、面倒見も良いらしいし」
『私まだ19ですよ?』
「老け顔?」
『さっ、いてー!もう口ききません』
本気で怒ってないとわかってるからこそ言えることであり、もちろん冗談に決まっている。
「いや、俺だって高校の時からずっとこの顔でさ、でもおかげで今は若く見られるよ」
彼女からの返答はない。今彼女が目の前にいないのがもったいないと思った。
「ごめんって、怒らないで?」
何か言いたげにうー、と唸り、口火を切った。
『じゃあ、今度ドライブに連れてって下さいよ。私が運転するから』
「は?やだよ、補助ブレーキないもん」
『…もう知らない』
完全にすねてしまったようだ。彼女があまりに面白くて、可愛くて、笑いがいっこうに止まらない。
「香西さんドMなんだもん、仕方ないじゃん」
『仕方なくない、このドS!』
彼女の精一杯の抵抗があまりにおかしい。3ヶ月前は赤の他人だったなんて信じ難い雰囲気だ。
「わかったわかった、今度俺連休取れるからさ、旅行にでも行こうよ。そしたら心置きなく乗れるし」
『…お金ないです』
「宿代だけで良いよ、車だし」
『むー…』
こんなせっかくのチャンスを逃してしまったら、男とこの名が廃る。
「まだ春休みでしょ?行こうよ。
行かないんだったらもう車乗せないから」
『セコい!良いです、レンタカー乗るから』
「薫」
この一言で、色々と抵抗していた彼女がついに折れた。
『っ、わかりましたよ…』
多少強引ではあったが、結果オーライだ。ツンデレな彼女はこうでもしないとOKをくれない。
「温泉行こうよ、癒されるし」
『格安でお願いします…!』
「はいはい、任せなさい」
パソコンを持ってない俺は、情報誌をぱらぱらとめくりながら笑った。
「ちなみに二泊三日で大丈夫?」
『三連休取れたんですか?』
「そうなんだよ、今まで頑張ってきたからね。月曜から三日間」
『今度ですよね?なら大丈夫です』
「了解。良い所調べとくから」
電話の向こうからやわらかな声が響く。
『お願いします。楽しみにしてますね』