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いつにないペースでどんどん会話を続ける。
「こき使われてる薫さま」
彼女は前を向いたまま笑っている。
下の名前を呼びだしてから、いつも以上に親密になって来た気がする。
そのせいか、時折ふらついたりした時、手助けはしないと決めていたのに、ついつい横からハンドル修正をしてあげてしまう。
…彼女にはめっきり弱いみたいだ。
「こき使われてんのにさま付けって凄いよね」
「ホントですよ」
「で、方向オンチの薫さまは道覚えたの?」
彼女が軽く笑う。答えなんて聞かなくてもわかる。
ついふっと笑ってしまう。
「どうせわかんないんでしょ。香西さんさ、めっちゃ頭良いのにぼけっとしてるよね」
「何を…」
そう言いつつも彼女は笑っている。
「でも友達にもギャップが凄いねって言われます。『しっかりしてそうなのに天然だよねー』って」
「天然っていうか考えが行動に伴ってないっていうか…実は何も考えてないでしょ?」
「失礼な!」
彼女が笑いながら反論してくる。
「何か俺、結構香西さんにひどい事言ってるよね」
一応自覚はある。他の女性にこんなに言ったことはない。
「ホントですよ、もー…」
だって仕方ないじゃないか。好きな子ほどいじめたくなるって言うし。
…俺はガキか。
「香西さんいじられキャラでしょ」
「そんな事ないですよ?」
右折待ちの彼女がちらっとこちらを向いた。
「友達に『教習所どう?』って聞かれたから『こうだよー』って話したら、『そんなにいじられるなんて珍しいよね』って」
「…あ、俺?」
会えないときでも話題にしてくれてるんだ、と思う。もしかしたらそれは悪口かもしれないけど…彼女に限ってそれはない。
「そうですよ」
「俺いじってないし」
「あ、そうなんですか?じゃあ今までのは気のせい?」
「うん、気のせい気のせい」
「へー、そっかー」
何か良い雰囲気になって来たところで、残念ながら5コースの終点に着いた。会話を中断せざるを得ない。
「はい、じゃあ安全な場所に駐車してください」
駐車措置を終えた後、彼女に検定の時の合図を出す。
「エンジン切って、車から下りて後ろの人と交代ね」
「はい」
確かに今日はただの教習だけど…一応模擬的にやっている。
それを知らないでか彼女には動く気配が全くない。
「いや、下りろよ!」
「あっ、はい!」
彼女が慌てて車から下りた。もー…この子は。笑いが止まらない。
彼女に勝てる人なんて俺の前には現れないだろう。きっと、一生。
小走りで車を一周し、再び戻って来てから発車措置を行う。
が、肝心な事もせずにシートベルトを着けようとしていた。
実は、彼女が車から離れてる隙にルームミラーをいじったのだ。
「ちょっと、何か忘れてない?」
彼女が不思議そうな顔をしてきょろきょろし、えーっと、と呟いた。
「これでしょうが」
「はぁ!」
彼女は俺が指差したルームミラーを見つめ、右手で口を覆った。
「ほら、後ろの車が見えるように調整して」
「はい…あ、れ?あれ?」
彼女がルームミラーに手をかけたまま動かなくなった。
「え?何?」
「いや、あれ?今…あれ?」
暫くこの状態が続き、結局俺がルームミラーを訂正してあげた。
「ホラ。どこで手間取るのさ」
「あ、あぁ…」
急いで発車措置を終えてエンジンをかけた。
…大丈夫だろうか。せめて検定試験は一発で合格させてあげたいのだが。