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車に乗ったは良いけど、会話がない。
私から話し掛けることがほとんどないため、彼の口から言葉が出てくるのを待つしかない。
「この前はありがとね」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
これだけ。いつになく会話がない。
私は気恥ずかしさを感じているからなんだけど…彼はどうしていつものように話し掛けてくれないんだろう。
受け身の姿勢がいけないのかな、とか不思議な事を考えながら車を走らせる。
『女の人は受け身でも大丈夫だから良いよね…男はさ、行動しないと相手出来ないじゃん』
『…そうですか?』
『香西さん絶対受け身のタイプだね。わかる』
こんな会話があったのを思い出す。じゃあどうすれば良いんだ。
思考回路がショートする。
そんな私をよそに、彼がバインダーを開いた。数秒バインダーにある何かを見つめたあと、少しだけこちらを見て話し始めた。
「ねぇ、バレンタインにくれたケーキの箱にメッセージカード入れてたでしょ?」
「あぁ、<<Avec amour>>ですか?」
「あ、読み方そのまんまなんだ…とにかくさ、あれって何て意味?」
「えー、自分で考えてくださいよ」
どんな珍解答が出てくるだろう。想像だに出来なくてついつい笑ってしまう。
「わかるわけないじゃん、大学でやってたの中国語だし。
ねえ、何?教えてよ」
「あー…」
少し意地悪をしてみよう。どんな反応をするのかが気になる。
「『愛してます』って意味です」
彼がまるで錆びたロボットのような動きをしたあと、固まってしまった。
目を泳がせて口をぱくぱくしている彼が可笑しくて、笑わないようにするのが精一杯だった。
「うそ、だろ…?」
もうやめよう、彼をいじめるのは。そう思って軽く笑った。
「あ、よくわかりましたね」
彼が思いっきり脱力したのがわかった。彼は姿勢を崩して小さくため息をついた。いつもと真逆の状況が可笑しくて可笑しくて、運転の真っ最中だというのに笑いが止まらない。
「フェイントかよ!
あーあ、暫く会わないうちにいじわるになったもんだねぇ」
「まあまあ。でもあながち嘘でもないんですよ?」
全然違うけど、とはあえて言わない。
「amourっていうのは『愛』って意味です。で、avecは『〜と一緒に』って意味なんですよ」
「…てことは、愛と一緒に?」
見事な直訳だ。先生が言った単語の意味をそのまま使って、無理矢理訳す中学生みたいな彼があまりにも可笑しかった。
「まあ直訳取ったらそうですよね。
『愛を込めて』って意味です」
…ここまで言う人って絶対受け身タイプじゃないだろうと思う。
けど本意は伝わってないに違いない。伝わってたらむしろ冷や汗ものだ。
私は何度自分の首を絞めたら気が済むんだろう…やっぱり私はMなのかもしれない。