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真冬に比べれば暗くなる時間は遅くなったが、まだ6時ちょっと過ぎだというのにもう暗い。
土地勘も方向感覚もないので、今どこにいて、どこに向かっているのかすらわからない。でもまあ…彼に任せておけば大丈夫だろうと思った。
彼は前を向いたまま話しかけて来た。
「もうこれだけ行き来したんだから覚えたでしょ」
努力はしてみた。それでも自信はあるかと、言われるとすぐに答えることは出来ない。
彼がいつものように爆笑している。
「まー頑張りなさい」
「…はい」
頑張らなきゃ…彼は今、指導員として付き合ってくれているから、これから先は一人で運転しなくてはいけない。いつまでも彼に頼ることなんて出来ないのだ。
しばらく他愛もない会話を続けていると、アパートの入口前で車が停まった。
「ここ、どこと思う?」
「えぇ?」
突然の彼の質問にパニックになる。どこ、ここ。
横にあるアパートや建物から地名を探そうとするが見つからない。
教習所、私の家、三國大の三ヵ所から推測して、何となく間を取ってみた。
「えー…っと、吉…原?」
数秒彼が固まった後、今までにないくらいの爆笑が起こった。
彼が一生懸命笑いを堪えようとしている。
「俺の家」
「そっちですか!てっきり地理を聞かれるんだと…」
恥ずかしい…何を勘違いしてたんだろう。
断言しなかっただけまだマシか、と思う。
「違います。建物を聞いたんです」
彼が一呼吸置くために軽く息を吐いた。
「はー…やっぱ香西さんといると楽しいなぁ」
「むぅ…」
顔が熱くなって来ているのがわかったのでぱたぱたと扇いでみるが、それはもちろん徒労だった。
まだ軽くパニックになっている私とは対照的に、彼は落ち着いて話し始めた。
技能指導の時のようなそれは大人の魅力を感じさせる。彼の背景が夜景なら、なおさら。
「腹減ったし、晩飯食べに行こうよ。ご馳走する」
『ご馳走』。これが最近苦手な単語だ。
おごるのは嫌いじゃないが、おごられるのは苦手だ…何だか申し訳ない気持ちになる。
「いやいやいや!良いですよ!そんな私のわがままで検定コースとか走ってもらったのに…」
私の意見なんか聞かない、とでも言いたげに、こちらを見向きもせずに車を発車させた。
「良いの。楽しかったし」
「でも…」
彼はちらっとこっちを見て、少し強引な口調で喋った。
「あんまり言ってると地名もわからないここで降ろすよ?」
「ぐ…」
卑怯だ。大人しくご馳走されろと言うことか。
横目で彼を見ると、心なしか楽しそうに運転していた。
…もう、何考えてるのかわかんないよ…。