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あんなに楽しい50分は久しぶりと言っても過言じゃないだろう。
結局彼女はスピードを出せないまま終わった。
あの後キャンセル待ちで1時間乗ったらしいけど、あの日の終了間際「失敗した…」と呟いていた。
『そんなに俺の指導恐かった?』
『そういう訳じゃないですけど、ただでさえ下手なのに今日は更に調子悪いみたいで…』
思い出しただけでも笑える。
そして今日の一時限目が香西薫、4回目の教習だ。
まー、前よりは上手くなっているだろう。
車に行くと彼女が後部座席でわたわたしている。
「おはようございます。運転席どうぞ」
「あっ、はい」
俺が乗った後に運転席に座った。何やら頭をさすっている。
「香西さん元気!?」
「え、まぁ」
彼女はそう言って教習原簿と仮免許証を渡す。
「さっき、」
彼女が口を開いた。彼女から話してくれるようになって自然な会話が続く。
「仮免許証忘れたと思って焦っちゃって」
その光景が想像できて思わず笑う。
「あった!と思ったら頭打っちゃって」
俺はきっと朝一発目から笑い死にするだろう。車が発進してないのにこれなんだから。
「喜びのあまり?」
「いや、普通に…出ようとしたら」
ツワモノだ。控え目とか可愛く見せようとか、そんな女の子はたくさん見て来た。もちろん面白い子もたくさんいたけど、彼女は笑わせようとしてるのかと思うくらい面白い。
「香西さん前の時間より上手くなってるね。スピード出てるし」
ホントですかー?と嬉しそうに言う。
「どこ住んでるんだっけ?」
「下山です」
「ああ、お姉ちゃんと住んでるんだっけ。
自転車で来たの?」
何だろう、つい意地悪を言いたくなる。
「地下鉄です」
「自転車買った?」
「昨日の今日で準備できる訳無いでしょう!」
「次の信号交差点を左に」
「はい」
…何て切り替えが早いんだ…。
と次の瞬間、ハンドル操作を手間取ってかなりふらついた。
「おおっと!」
慌ててハンドルを持つ彼女の手を持つ。
細くて長くて、そして冷たかった。
「すみません…」
「謝らなくて良いよ、悪いことしたんじゃないし」
とっさとはいえ、生徒の手を掴んだことはほとんどない。
何故だかドキッとした。
それをごまかすかのように話題を戻す。
「それにしてもホントに下山から三國大まで迷う要素ないって」
「皆おんなじ事言うんですよ。
でもねぇ、そう言われたってわからないものはわからないんです。地元でも迷うのに」
ちょっと待て。
「地元で迷うとかどんだけなんだよ!」
「…よく言われます…」
手のかかる子の方が可愛いか?
笑いの絶えない車内でそう思う。