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「はい、じゃあ準備が出来たら発車してください」


「はい」



まだ車にあまり慣れていないであろう女性が、少し緊張した面持ちで返事をした。


教員である男は教習原簿を手にして、しばらく眺めたあとへぇ、と言った。



「辻部さんって三國大なんだ」


「あ、はい」


「何か部活でもやってんの?」


「交響楽部に入ってます」


「へぇ」



男は教習原簿をバインダーにはさんで女性に微笑みかけた。


「俺の嫁もね、三國大の交響出身なんだよ」










あれから一年は経ったんだろうか。今日も変わらず教習所で仕事に励んでいる。


今日の担当の生徒は、どことなく彼女…いや、嫁に似ている。



「えっ?奥さん交響出身なんですか?」


「そうそう。今は楽器弾いてないけど、社会人になっても演奏会に出てたよ」


「へぇー…今は何されてるんですか?」


「車の会社で働いてんだけど、今は産休」




嫁はつい先日女の子を産んだ。無事に出産にも立ち合うことが出来て、今までにない感動をしたのを昨日の事のように覚えている。



「この前産まれたばっかりなんだけど、今日やっと退院するんだ」


それを考えただけでもつい頬が緩んでしまう。



待ちに待った子供…しかも可愛い可愛い女の子だ。絶対に結婚なんかさせたくないと今すでに思ってしまい、嫁に笑われたのは言うまでもない。


本当はお互いの名前の「新一」と「薫」に関連した名前を付けようとしたが、考えても考えても出て来ることはなく…結局意味から考えて「さくら」と名付けた。




俺の身の上話、というより嫁の話ばっかりだが、それもあって辻部さんが大分リラックスしてきたみたいだ。笑顔が増えてきた気がする。


「奥さんとはどうやって知り合ったんですか?」


「え?ここで」


「…え?」


信号停車したとき、辻部さんが少し怪訝な顔を向けた。それもそうだよなぁと思わず苦笑してしまう。


「俺が嫁と知り合ったのはまさにここ。俺を指名してた生徒だったんだよね…他の人には内緒な?」


営業スマイルもといウインクをお見舞いしてやった。辻部さんははぁ、と言いながら青信号になってからアクセルを踏んだ。


「ちなみに辻部さんって彼氏いるの?」


「…い、ません」


「へー…可愛いのにねぇ」


「そんなことないですよ」


顔を赤くしながら辻部さんが慌てて否定した。そんな仕草も嫁に何だか似ている。



「好きな人とかは」


「…」


「へー、いるんだ。大学の友達?」




冗談で言ったつもりが、事態は思わぬ方向へ行った。



「…っ、絶対他の人には言わないでくださいね?」


「うん」


「…杉本さんです…気になってるだけですけど…!」


辻部さんが耳まで赤くして小さくそう言った。






教習の終わりを告げるチャイムが鳴り、教習原簿と教習ノートを辻部さんに手渡した。


「はい、お疲れさまでした。忘れ物ないようにね」


「はい、ありがとうございました」



笑顔でスクールバスに向かう辻部さんを見送り、指導員室に戻ろうとしたとき、添乗員控え室から一人の若い男が出てきた。


杉本浩紀、23歳。今年の春に入社した少年のような元気いっぱいの奴で、その童顔と人懐っこい性格が人気みたいだ。今は指導員になるために勉強をしながら、スクールバスの運転手もしている。


「あ、内村さん!お疲れさまです!」


「お疲れ」


「どうしたんですか?何か良いことでもあったんですか?」



コイツの顔を見て思わず笑ってしまったんだろうか、それをごまかすようにスギの肩にぽん、と手を置いて笑顔を向けた。


「…お前も罪な男だな」




そうとだけ言って俺は指導員室へと戻った。この時きっと、スギは眉間にしわを寄せて一生懸命考えていたに違いない。


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