-213-
何だか気分が悪い。寝心地も悪いし、すごくけだるい。吐き気もするし…。
「う…ん…」
開けたくない目を懸命に開けた。周りは真っ暗で、前からだけ光が射している。
「んん…」
ゆっくり体を前に倒すと思わず吐きそうになって、とっさに右手で口をおさえた。
「新一さん!」
その時、聞こえるはずのない彼女の声が聞こえた。吐くのを我慢するために必死で顔を上げられず、彼女が本当にこの場にいるのか、それとも幻聴なのか、それは確認出来ない。
何で俺がこんな目に遭わなきゃいかんのだ。そう思った次の瞬間、右側から車のドアが開くような音がし、ふわりと温かいものが俺の体を包んだ。
心地いい心臓の音。苺のような甘い香り。
「新一さん」
そして、全てを包み込んでくれるようなやわらかい声。他の誰でもない、彼女だ。
「薫…」
惨めな姿を晒しながら彼女に体を預けた。彼女は俺にハンカチを差し出し、背中をゆっくりとさすってくれた。
「情けないな、俺…」
「そんなことないですよ」
小さくて柔らかい手が俺の手をそっと握る。
「たくさん飲んだんですね…疲れたでしょう?」
そして背中をさすっていた彼女の手が、俺の髪をそっと撫でた。
「帰ってゆっくりしましょう…ね?」
「薫…」
何故だか涙が滲み出てきた。彼女の胸に身を寄せ、そっと目を閉じた。
と、ここまでは良かった。
彼女に涙は見せまいと俯き、そっと目を開くと、何故か俺の膝に谷原の頭があった。思わずばっと左の方を見ると、どう考えても谷原に膝枕をしてやっていた。
「…何で…?」
ていうか、ここどこ?これは彼女の車じゃない、誰かの車…それも俺が乗ったことのない。
「あぁ、さすがに二人を横には出来なかったんで、まだ軽症のあなたに座ってもらいました」
運転席からひょこっと男が顔を出した。確か…電話で谷原の名前を呼んでた人だ。
「えーと…」
「岩本雄大です。谷原がお世話になってます」
岩本さんはそう言って軽く会釈した。言われてみれば合コンの時この人いた気がする…。
「えっと」
気分が悪いのを必死で我慢して喋ろうとすると、彼女がそっと背中に手を添えた。
「彼、内村新一って言います」
「あぁ、噂の内村さんですね」
誰が噂してんだ、誰が。そう言おうと思っても、気分が悪すぎてまともに喋れない。
「谷原から話は伺ってます」
「はぁ…」
「谷原とは香西さんのお話をしたんですか?」
不意を突くような質問に思わず身を前に出した。気分の悪さに口元をおさえると、彼女がすぐに手を背中に添えてくれた。
「…っ、だとしたら、何なんです?」
「いえ」
岩本さん…いや、なんか頭にきたから岩本でいいや。とにかく岩本がくすっと笑って前を向いて座った。
「その節は谷原がご迷惑お掛けしました」
コイツはどこまで知ってるんだろう。そう思いながら黙って耳を傾けた。
「香西さんはホントに素敵な女性です。真面目で、謙虚で、知的で、凛としていて、でも儚く脆い…そう谷原から伺ってます」
谷原は彼女のことを想っていただけあって、よく理解していた。谷原の言ってたとおり、彼女は誰よりも強く、誰よりも弱い。だからこそ、俺が傍にいて守ってあげなきゃいけないんだ。
「香西さんを幸せにしてあげてください。それが谷原と私からのお願いです」
「もちろんです…彼女は一生かけて幸せにします」
「香西さんをよろしくお願いします」
岩本がまたこっちに身を乗り出し、ドラマやCMでありそうな爽やかな笑顔を向けた。
そしてちょうどその時、膝の上の谷原が少し動きだした。