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彼女の仕事が終わるのは6時。だから7時を回った今、きっと谷原と会って話しているんだろう。
あまりに不安で、電話を切る前に終わったら俺に電話するよう伝えた。彼女は苦笑いをしてはい、と答えた。
それからというもの、彼女からは一切連絡がない。それもそうだよな、と溜め息を吐きつつこたつに潜り込む。
彼女には悪い気がするが、俺も明日仕事だし、こうやってだらだら家の中で何もせず過ごしてきたから、時間の使い方がもったいなかったなと思い、とりあえず今日は帰ることにした。
終わったら俺に電話するように言ったし、電話かかってきたら迎えに行こう。あ、彼女は車出勤か。
いろんな事を考えながら帰る支度をした。そうだ、せめて置き手紙でも…いや、迎えに行くなら置き手紙とか恥ずかしいな。待て、彼女車で出かけたから迎えに行かないのか。それなら…。
押しつぶされそうな不安と、うかれるような淡い気持ちで頭が訳のわからないことになっている。どうした俺、もう35になるのに…!
結局手紙に書くことも思いつかなかったので、何もしないまま帰ることにした。まあ気持ちは繋がってるからよし、と無理矢理正当化してみた。
車を走らせて俺の家に向かう。いつもより回りの景色に注意しながら…。
彼女は今どこにいるんだろう。谷原とどんな話をしているんだろう。今どんな雰囲気なんだろう。
「…重い男だな…」
自嘲気味に笑った。こんな姿彼女の前ではさらせない。いつもスマートで頼りがいのある男でいなければ。
つまり、偽りの自分で彼女と接するのか?いや、そんな大げさな話では…。
眉間にしわを寄せたまま信号停車した。ふと左手側に目をやってみると、スーツを着た見覚えのある男が通話をしながら歩き、そして立ち止まった。同性から見てもかっこいいと思う顔が険しく歪んだ。
名前は覚えていない。が、記憶が正しければ谷原の同僚か友達か…なんかその辺だ。彼女と再会したあの合コンの時に谷原と一緒にいたはずだ。イケメンが彼女に嬉しそうに話し掛けてたのを見てむっとした記憶があるから…確か。
さり気なく助手席側の窓を開ける。すると、少し大きめの男の声が聞こえた。
「何やってんだ!落ち着けよ!」
男の声が慌てたような怒っているような、そんな色を帯びていた。何があったのかよくわからないが、信号が変わったのでアクセルを踏んだその時だった。
「谷原ちゃん!」
俺の耳には、確実にそう届いた。
谷原?今彼女と一緒にいるはずだろ?
一気に血の気が引いた気がした。最悪彼女の身に何か起こっている。
慌てて近くに停車させ、彼女に電話を掛けた。電話は「電源が切られているか、電波の届かないところにいます」と告げた。
どこだ。どこにいるんだ。
どうせなら行き先を言わせておけば良かった。いや、そもそも彼女を谷原と二人っきりにさせるのがまずかったんだ。
携帯を助手席に放り込んで車を発進させた。ハンドルを切る手に力が入る。どうか無事でいてくれと願うように…。