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昼休みに入って一息つく。窓の外を見れば雪が舞っていた。
『香西さんは雪景色が似合うよね』
『そうですか?』
『何ていうか…雪女みたい』
『何ですかそれ!』
雪を見るたびに思い出す光景。それに眉をひそめたこともあった。あの時は届くことがないと思い込んでいた想い…それが報われた今となっては雪も大切な思い出の一つだ。
携帯を開いて着信履歴を見て、ぎゅっと目を瞑ったままぱたんと閉じた。今日私には重要任務がある。谷原さんに会うという重要な任務が…。
内心どうしようと悩みつつ、たぶん家で私の帰りを待ってるだろう彼に電話を掛けた。数回コールが鳴った後、彼が電話に出た。
『もしもし、どうした?』
何故だか手汗がひどい。心拍数もあがってきた気がする。
「あ…今日帰るの遅くなるかもしれません」
『え?何で?』
「え、っと…その…」
別にやましい理由はどこにもない。だからこそここは彼の理解を求めるのが正解だ。
「今日谷原さんと会うことになりました」
『は?』
「で、今日会ってちゃんとお断りして、これからもご友人としてお付き合いいただければって伝えてきます」
彼からの返答には少し時間がかかった。
『大丈夫なわけ?』
「だぁーいじょうぶですよ」
『俺ついて行こうか?』
何でよ、と思わず突っ込みそうになる。この年になってまだ同伴が必要と思われるくらい頼りないのかな…。
「大丈夫ですって、変なこと言ったりしません」
『あのさ、俺が言いたいのは…』
「え?」
彼が数秒黙って盛大な溜め息を吐いた。何か変なことでも言っちゃったんだろうか。
『…何でもない…』
「何ですかそれ…とにかく!今日ちゃんと話してきます」
『気を付けて来いよ』
「気を付けるも何も…危険地帯に行くわけでもないのに」
…私どんな類の心配されてるんだろう…。私だって立派な大人なんだから、変なことは言わないし失礼なことだってしない。
そう言おうとして、今までの自分を振り返ってみて口をつぐむ。
彼は軽く息を吐いて話し掛けてきた。
『話変わるけどさ、今外にいる?』
「そんなことあるわけないじゃないですか。今日どれだけ寒いと思ってるんですか?」
外に出たら刺さるように寒い。子供と違って大人は風の子じゃないんだから…そう考えると、いよいよ年だなあと思ってしまう。
彼は電話の向こうで少し笑っていた。
『何だ、雪降ってるからまたどっかふらついてんのかと思った』
『私が外に出た時に限って雪が降るんです』
この話をしたのは何年前だろう?
彼と付き合っていたのも春から夏にかけてで、恋人として過ごす冬は実際初めてだ。教習生の頃の会話を今でも覚えててくれたことが、言葉では表せないほど嬉しかった。
『薫?』
「あ、いや…覚えててくれてたんだなって…」
嬉しさと恥ずかしさをごまかすようにえへへ、と笑った。彼の方からふっと笑った声が聞こえる。
『俺が今まで薫のこと忘れたことないって言ったの覚えてる?』
「…はあ」
『だから教習中の会話も含めて、ちゃんと全部覚えてる』
彼は無限大の愛を私にくれる。ずっとこんなに愛されてたんだと思うと、胸がいっぱいになる。そして、これからも…。
「ありがとうございます…」
『お前が外出ると雪ひどくなるんだから、風邪引かないように暖かくしろよ』
「…はい」
何だかいまさらながら照れくさい。理解してくれるのがこんなに嬉しいなんて、初めて思ったかもしれない。
そしてこの先高い壁が待ち構えている事を、私たちはまだ知らない。