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自分の家の台所でお粥を作っている。今思えば変な話で、何故か玄関で熱を出して倒れていた彼を谷原さんが運び、そして看病している。
遡ること数時間。
「嫌われる覚悟で話すよ、全部」
谷原さんはそう言ってリビングのソファーに座る。私は床に座ってマーフィーを抱いたまま谷原さんの目を見た。
「一ヵ月くらい前かな、内村さんにかなり嫉妬してさ、薫ちゃんの携帯にかかってきた番号に俺から電話したことがあって」
目をいつも以上にぱちぱちしてしまう。
「んん?」
「ほら、うちに泊まった時。あの時にね…勝手に携帯扱ったりして最低な男だと思ってるよ」
谷原さんはそう言って悲しそうに笑った。
つまりあの時、車に私の携帯を取りに行くと言ったのは嘘だったんだろう。確か彼からの着信もメールもなかったから。
別に谷原さんを責めるつもりはさらさらない。今更な話でもあるし、何より谷原さんが後悔しているから。
私は立ち上がって谷原さんのもとへ行き、頭をよしよしと撫でた。屈んでソファーに座る谷原さんと目線を合わせる。
「私は、たったそれだけのことで谷原さんを否定したりしません。谷原さんが仕事に対して真摯なのも、面白いことも、素敵なのも、それは変わらないことだから」
谷原さんが安心したような笑顔を見せ、そして私の両手を握った。
「俺が好きになったのが薫ちゃんで良かった」
「そんな…恐縮です」
「明日せっかくの休みでしょ?俺は明日展開だし、今日は名残惜しいけどうちまで送るよ」
そんな流れで帰宅したらコレ。
最初はかなり慌てていたけど、谷原さんの冷静な判断で何とか彼を部屋に寝かせることが出来た。私はとりあえず体が暖まるような物を作って、彼のことは谷原さんに任せた。
…谷原さんに『そんなに血相変えて助けようとするなんて、何か妬けるよね』と言われたのは伏せておこう。
色々考えながら土鍋を火にかけたその時、部屋の方から声がした。
「薫ちゃん、内村さん目覚めたよ」
「えー?」
「今日泊めてあげたほうが良いかもね…俺は嫌だけど」
「まあ病人ですし」
「マーフィーといい内村さんといい、良いとこ取られっぱなしなんだよね」
「え?」
よく意味がわからずに尋ね返すと、谷原さんがくすっと笑って髪を梳かすように頭を撫でた。
何だか恥ずかしくなってぱっと彼の方を見ると、ぽかんとしたような、でもどこか不機嫌そうな顔をしてこっちを見ていた。
ぱたぱたと歩み寄って顔を覗き込む。
「寒くないですか?」
「いや、別に…」
背中を向けようとした彼の額に手を当てて熱を測る。さっきほど熱くはないけど、それでもまだ完全には下がってないみたい。
熱のせいか彼の目が潤んでる気がする。ふっと笑って熱を測っていた手を離して、彼の髪を撫でた。
「熱、だいぶ引きましたね」
「あぁ…うん…」
「もう、びっくりしたんですよ。家に帰って来たら新一さんがドアの横で熱出して倒れてたんですもん…ね」
最初は救急車をすぐにでも呼ばないと、と言ってかなり取り乱してしまった。谷原さんが傍にいてくれて良かったと心から思う。
谷原さんは私の横に座って彼の目を真っすぐ見ていた。
「見た目以上に非力なくせに、あなたを一人で運ぼうとしたんですよ」
「だって…」
ここにいるということは、私に会いに来てくれたということ。そして、それがずっと想っていた彼だったのならなおさら…。
「でも入り口にいたのが不幸中の幸いで、すぐ部屋で暖を取れたから良かった」
すると彼は、手を自分の額に当てて一度軽く息を吐き、少しこちら側に首を傾けた。
「あのさ…電話した時ってどこにいたの?」
「ああ、谷原さんのお家に。飼い犬のマーフィーに襲われて大変だったんですよ」
今だに服に付いたマーフィーの毛が取れてない。ぱたぱたと毛を払おうとすると、谷原さんが子犬のような目を向けてきた。
「ごめんなさいねぇ、マーフィー一応メスだから許してあげて」
「メスなのにマーフィー…?」
「母がそれだけエディ・マーフィーが好きってことなんだよ」
「はぁ…」
何か理屈がよく分かんないけど、とりあえずメス犬に対して変な声を出してしまった自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、ぎゅっと目をつぶった。