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その夜、狙っていたかのようなタイミングで電話が掛かって来た。
一生懸命涙を拭いて携帯を手に取ると、そこにあったのは『谷原賢二』という名前だった。
「もしもし」
『…何か…あったんですか?』
泣いた後というのが伝わってしまったのか、谷原さんが心配そうに尋ねた。引いたはずの涙が何故だか止まらなくなって、喋る事が出来ない。
『香西さん、家教えてもらえますか?今から迎えに行くので』
「…っ、大丈…夫、です…」
『俺を信じて!』
少し強めの口調で谷原さんが言った。
今までなんとなく感じていた距離。それは年上の谷原さんが使う敬語と人称から来るものであって、もしかしたらそれは気を遣ってくれた結果なのかもしれない。
でも今は、谷原さんがそんな壁を取っ払って私に声を掛けてくれる。
『言ったでしょ、俺が香西さん好きだって。力になりたいと思うのは当然のことでしょ?それとも俺は、香西さんが辛いのを救ってやれないほどダメ男なの?』
「そんなこと…」
『じゃあ力にならせて?今から迎えに行くから、ちょっと待ってて』
そこには谷原さんの声を聞けてほっとしている自分がいた。
十数分後、谷原さんが家に着いた。インターホンが鳴ったので出ると、すごく心配した顔で谷原さんが立っていた。
「すみませんわざわざ」
彼が来た形跡を一切残してない部屋に招き入れ、にっこりと笑ってみせた。それでも若干腫れてしまった目を偽ることは出来ない。
谷原さんは悲しそうな顔をしたまま私をぎゅっと抱き締めた。
彼とは違う匂い、温もり、安らぎ。それに包まれた私は安心感を覚え、谷原さんの胸に手をそっと添えた。
「俺は…香西さんのために何も出来ないの?」
「そんなことないです。現に今、すごい落ち着いて来ましたもん」
少し離れて谷原さんを見上げた。ありがとうございます、と小声で言うと、谷原さんはそっと手を両肩に置いた。
「ホントに?」
「…はい」
目を細めて微笑んだ。
この言葉に嘘偽りはない。彼といた時と同じ…もしかしたらそれ以上に、居心地の良さを感じる。
私は一体、どうしたんだろう…。