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今自分が古野ドライビングに向かっているのが不思議だ…しかも自分の車で。5年前、まだ彼と付き合ってない頃はこんな事になるなんて想像も出来なかった。
話の流れとはいえ、彼を迎えに行って家に招くことになった。良い歳した大人二人なんだから一夜の過ち、なんて事は考えにくい。
それは置いといて。
どうしようという気持ちで頭がいっぱいになる。ご飯を食べるにしても何を話せば良いんだろう。この五年間、フランスでの仕事、それか谷原さん…。
一番最後は候補から外しておくとして、今さらこの五年間を話したところで『だから何?』となってしまえばもう終わりだ。フランスの話したってまず説明しといた方が良いことがありすぎて、本題に辿り着けそうもない。
だからといって、別の男の話をするのはかなりなマイナス要素になる。
別に谷原さんを嫌って思ってるわけでもないけど…。
そうこうしているうちに古野ドライビングに着いてしまった。そして予想に反して彼がもう駐車場で待っている。
逃げも隠れも出来ない私は、なすすべもなくまるで降参するかのように車から降りた。
「お疲れさまです」
彼は笑顔で手を挙げてくれた。
「ごめんね、今日とか無理言って」
「いえ、暇だったので」
今日はあえて谷原さんの話題は避けることにした。だから今日仕事を休んでしまったことも触れないでおこう。
車に乗り込んでしばらくして、彼がぽつりと呟いた。
「…運転上手くなったね」
「ん?まあ毎日運転してますからね」
教習生として車に乗っていたときと同じ、彼は前を向いたまま少し笑った。
「左折で脱輪した頃とは大違いだ」
「一回しかしたことないじゃないですか!」
彼が昔のように大爆笑した。私的には笑うところなんてないんだけど…。
彼は軽く息をついて、さっきとは違うトーンで話し始めた。
「それにしてもだいぶ変わったよなー…髪伸びたし茶髪になったね」
「…似合わないですか?」
「似合ってるよ。大人の女性って感じ」
『似合ってるよ』
そう言われただけなのに、胸のドキドキが止まらない。笑みが自然と零れてくる。
「ありがとうございます。ダークブラウン系ならまだ似合うかなって…この色選んで良かった」
赤信号になったと同時に彼の方を向くと、彼はぼんやりと前を向いていた。
「…聞いてます?」
「ごめん、何?」
彼はあっさり聞いてないことを認め、むしろ開き直っていた。さっきの嬉しかった気持ちはどこへやら、ついむくれてしまう。
「何でもないです…」
すると彼は何を思ったのか、私の左頬を軽く掴んだ。対向車の人に変な顔を見られまいと必死で振りほどく。
「むあー!な、にするんですか!運転中ですよ!」
彼は相変わらず大きな声で笑っている。
「はー…相変わらずウケるー…」
「何が」
「存在が」
「…他の女の人にもそんな事言ってるんですか?」
「言うわけないじゃん、薫だけだし」
「…何か前にも聞いた気がします…」
「それだけ俺が薫好きって事なんだからさ」
このくだりと最後の彼からの言葉は、私がまだ教習生の頃にもあった。あの時も、そして今も、彼の『好き』が意味するのは何なのかわからない。
変に期待したところで傷付くのは避けられない、と思いつつハンドブレーキをぐっと引いた。
「あ、家着きましたよ」
彼はありがとう、と言って車から下りた。