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あれはいつの話だっただろう。早く仕事が終わらないかとそわそわしていた時があった。
確かあれは…初めて電話した日だったっけな。
今日は彼女がわざわざ車で迎えに来てくれるらしいから楽しみでしょうがない。方向オンチかつ不器用な彼女は今どんな運転をしているんだろうか。
思えば5年前、彼女は俺の指名生徒だったにも関わらず、お世辞にも上手い運転とは言えなかった。
あれこれ考えてる俺の目の前に、一台の黒い車が止まった。運転席から出て来たのは待ちわびた彼女。何とも言えないような気持ちが広がる。
「お疲れさまです」
「ごめんね、今日とか無理言って」
「いえ、暇だったので」
彼女は合コンで見たのとは違う、優しい笑顔を見せてくれた。この笑顔が俺だけに向けられていると思うだけで、胸が温かくなる。
車に乗り込んだは良いが、彼女があまりにあっさりと運転するからぶっちゃけ楽しくない。俺の脳内では「車の会社に勤めてるのに運転下手なの?」的なことを言いたかった。
「…運転上手くなったね」
「ん?まあ毎日運転してますからね」
「左折で脱輪した頃とは大違いだ」
「一回しかしたことないじゃないですか!」
大声で笑ってしまった。
何も変わってない。変わったとすれば彼女の容姿と少女さが残っていないところだ。
「それにしてもだいぶ変わったよなー…髪伸びたし茶髪になったね」
「似合わないですか?」
ふっと笑って彼女の頭をぽんぽんと叩いた。
「似合ってるよ。大人の女性って感じ」
えへへ、と彼女が嬉しそうに笑った。前にも増してその仕草が可愛いと思う。
それと同時にふとこんなふうに谷原とも接してるのかと思うと、すごく胸が苦しかった。
「聞いてます?」
その言葉に我に返った。全くもって彼女の話を聞いてない。
「ごめん、何?」
「何でもないです」
大人びた彼女も拗ねるんだ。その一面を見たからにはいじらずにはいられないだろう。
彼女の左側の頬を軽く掴んだ。
「むあー!な、にするんですか!運転中ですよ!」
頑張って振り払った彼女が面白すぎる。そんなにムキにならなくても…。
「はー…相変わらずウケるー…」
「何が」
「存在が」
赤信号で停車したと同時に軽く睨まれた。もちろんその目線はあまりに無力だ。
「他の女の人にもそんな事言ってるんですか?」
「言うわけないじゃん、薫だけだし」
「…何か前にも聞いた気がします…」
「それだけ俺が薫好きって事なんだからさ」
確か5年前にも同じことを言った。あくまでも自然に。
何を言われるのか正直怖かったが、俺の言葉はあっさり流された。
「あ、家着きましたよ」
軽くため息を吐いて車から下りた。