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あえてゆっくり呼吸をする。そうでもしないとおかしくなりそうだ。
彼から電話が掛かって来た。今までだったら何でもないことなのに、今、この状況では心臓に悪い。
『あの…』
彼がためらいがちに言った。何を言われるのか考えるだけで変な汗が出て来る。
『ごめん…最近間違い電話多くてさ、着信確認しないで出ちゃった』
後で思い返せばそんなことあるもんか、と思うが、その時は不思議なことに大納得した。
「すみません、そんな時に急に電話しちゃって」
『いや、ごめんね、こんな反応になっちゃって…で、どうした?』
「え、っと…」
言葉に詰まる。言おうとしていた事は決まっていたのに、いざとなると頭が真っ白になってしまう。
「昨日は…ホントにごめんなさい。色々あって電話もメールも出来なくて…」
谷原さん家で過ごしていたことを知られたらどう思われるだろう。それをひた隠しにしようとするが、何とも言えない罪悪感に襲われた。
しかし彼はそれを全部受け入れてくれるかのように優しく声をかけてくれた。
『いや、誘っといてこっちこそ連絡しないでごめん』
今更誰にも彼を渡したくないという気持ちになる。もう手遅れかもしれないけど、でも…。
「あの…!」
口が勝手に動く。
「…もし良かったら今度家に来ません?お詫びに夕食作ります」
彼からの返事が怖い。
そう思ったが、意外に彼はあっさりと嬉しそうな声を上げてくれた。
『マジ?ちなみに今日は?』
「うーん…」
確かに嬉しい話ではあるが、やっぱり彼が来る以上万全な状態にしておきたい。別に汚いわけじゃないが何となく嫌だ。
「出来れば今日は避けて欲しいです」
『忙しいの?』
「そうじゃないですけど…部屋掃除したいから」
無言が続く。どんな返答をされるのか不安だったが、彼はふっと笑った。
『良いよ別に、今更そんなの気にしないし。それに…』
空に目を向けて続きの言葉を待った。ねえ、この青い空をあなたも眺めてるの…?
『お前が綺麗好きなの知ってるし』
彼が軽く息を吐いた後そう言った。褒められたみたいで嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまった。
「わかりました…今日古野ドライビングに迎えに行きます」
時計はまだ、1時を指していた。