-165-
「もしもし…」
手汗がひどい。初めて電話した時も、初めてドライブに行った時も、こんなんじゃなかったはずだ。
とりあえず『谷原』という単語は一切出さないつもりだ。いちいち奴のやってることを暴露するような余裕のない男にはなりたくない。
「あの、ごめん…最近間違い電話多くてさ、着信確認しないで出ちゃった」
それにしてもあんな決意なんてするんじゃなかったと後悔する。どう考えたってこの理由は不自然すぎる。無理に隠そうとするとこうなる事がよくわかった。
が、彼女はぼけっとしている…もとい、天然なせいか普通にそれを信用した。
『すみません、そんな時に急に電話しちゃって』
多分この電話の相手が彼女じゃなかったら、ひどい修羅場になっていたと思う。ヨリを戻す希望が潰えるくらいに。
「いや、ごめんね、こんな反応になっちゃって…で、どうした？」
『えっと…』
電話の向こうでけほ、と軽く咳払いする声が聞こえた。
『昨日はホントにごめんなさい。色々あって電話もメールも出来なくて…』
彼女の言葉で推測が確信に変わった。やっぱりアレは谷原の仕業だったのだ。
いちいち暴露するのもどうかと思うし、とりあえず俺も謝ることにした。
「いや、誘っといてこっちこそ連絡しないでごめん」
誘おうかどうしようか悩む。誘ったところで彼女に『何で今更』と思われてしまうのは避けられないだろう。今こうなるくらいなら、といつも出てくる後悔の念が込み上げて来る。
だが、予想外の言葉が俺の耳に届いた。
『あの…もし良かったら今度家に来ません？お詫びに夕食作ります』
「…マジ？」
胸の鼓動がうるさいくらいの音を上げる。一番近い休みは…明日だ。だが夕食とくれば別に仕事終わりでも大丈夫なはず。
「ちなみに今日は…？」
『うーん…出来れば今日は避けて欲しいです』
「忙しいの？」
『そうじゃないですけど…部屋掃除したいから』
えへ、と声が聞こえた。自然と笑みがこぼれてくる。
懐かしいこの感覚。時間が一気に昔に戻った気がする。
「良いよ別に、今更そんなの気にしないし。それに…」
彼女がまだ教習生だった頃見上げてた空を眺めた。なあ、今もこの空が澄んだ青に見えてるか…？
「お前が綺麗好きなの知ってるし」
電話の向こうでくすっと笑い声がした。
『わかりました…今日古野ドライビングに迎えに行きます』
予期せぬ出来事に、ただただ神様に感謝するしかない。
