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あの日、一ヵ月ぶりに触れた彼女は心から俺の心を温かくしてくれた。もっとも、アレだけじゃ済まないのが正直な気持ちではあるが。
パワーも補充出来たと思いながら配車へと向かう。今日の6時限は江原ゆかりの担当だ。
「お願いします」
「はい、運転席どうぞ」
発車措置を終わらせて教習所から出ようとしている江原さんが、左右確認ついでに俺の方をちらっと見てきた。
「…何か今日機嫌が良いですね」
「ん?そう?」
「何か良いことでもあったんですか?」
話したい、彼女と再会出来た喜びを。話せる範囲で話をしてみた。
「昨日彼女とやっと会えてさ、まじ良かったー」
「そうなんですね…何してたんですか?」
「入院してた。事故に遭ったんだって」
「そうなんですか?私の後輩もですよ」
何でどいつもこいつも入院してんだ、と心配になりつつも話を続ける。
「でもマジ会えて良かった。携帯まだ手元に戻って来てないから連絡取りようなくてさ、知らされなかったら自然消滅してたのかもね」
江原さんが少し残念そうな顔をした。その理由なんて何となく想像がつく。
「とりあえずおかげさまで元通りって感じかな」
「良かったですね」
空元気としか取れない明るい声に申し訳なさを感じる。それに俺はこんな良い子に好かれるほど人間出来てない。
「江原さんもこんなのと違っていい男出来ると思うよ」
「そんな事ないですよ」
どれに対して否定の言葉を入れたのかわからないが、ここですっぱり諦めるものだと思っていた。
「あ、そうだ。この前言ってたお菓子、作って来ました」
「マジで?」
数時限前、江原さんが特技をお菓子作りだと言っていた。冗談で『作って来てよ』と言ったが…まさか本当に持って来てくれるとは。自分では作れないし、かといって買う気も起きないし、俺にとっては有り難い差し入れだ。
「じゃあ今日帰って早速いただくよ」
「感想教えてくださいね」
楽しげに江原さんが話す。何となく不意に彼女がチーズケーキを渡した時を思い出した。もっとも彼女はあまり感想を聞きたくなさそうだったが。
それに、実を言うと江原さんの教習回数は残り少ない。あと数回で卒業検定を受けるのだ。指名するんだろうけど、何やら暇がなさそうな感じだ。
しかしそれを狙っていたのか、間髪入れずに話し掛けて来た。
「っていうかアドレス教えてくださいよ」
ここまで来るといよいよ面倒臭い。とりあえず今俺の頭にあるのは失礼ながらどうやって断ろうか、ただそれだけだ。
「んー…また今度ね」
俺の場合は結果オーライだったから良かったものの、彼女に連絡先を聞いた時同じ事を思われていたとしたら、それはそれは悲しい事だ。
別に教えても大丈夫なんだろうが、状況が状況だけに教えたくない。
でも…携帯にまた一件女性のメモリが増えたら彼女は嫉妬してくれるだろうか?そんな浅はかな事を考えながら教習所へと戻った。