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目が覚めてため息が出た。いつもの日常に戻ってしまった…彼女に出会う前と同じ、退屈な退屈な時間。
車やドライブ自体は好きだからまだ良かったものの、生徒との会話が彼女以上に盛り上がったりすることがない。
彼女も大学が始まってしまって、いよいよ本格的に会えなくなった。春休みの間は俺の家に来ていたが、学年も上がり、留学も視野に入れて勉強するらしく、しばらくそう簡単に会えなさそうだ。
「内村くん」
仕事に向かおうとする俺を校長が呼び止めた。優しい笑顔の辺り、呼び出されての説教ではないみたいだ。
「はい」
「確か7時限以降に教習入ってなかったよな」
「はい…6時限も入ってないですが」
「ではだね」
校長がすっと指差した。その先にあるのは段ボールだった。
「あの中に入ってるティッシュを15時から二時間ほど、三國大で配って来て欲しいんだよ」
正直面倒臭い。大好きな車から離れて、正社員なのにティッシュ配りなんて…。
だが彼女に会えるチャンスはある。もしかしたら、大学ではまた違う顔で過ごしているのかもしれない。
高ぶる気持ちを抑えて笑顔で答えた。
「わかりました」
先輩の指導員とティッシュを配ること一時間、俺のやる気だけが減っていく一方で、ティッシュはいっこうに減らない。
彼女にメールする暇もなかったが、時間を作ってでもメールしておけば良かったと後悔した。大学の入り口にいるとはいえ、この広い大学で、授業時間も知らない彼女とばったり会えるなんて不可能に等しい。
「古野ドライビングスクールでーす」
世間は冷たい。完全無視で素通りしていく学生がほとんどだ。
誰も受け取ってくれないティッシュを握り締めて、大学の中の方を振り返った。授業が終わったのか、生徒の波が押し寄せる。
そしてその中に姿を認める。春らしいフェミニンなコートをなびかせて、ゆっくり近づいてくる女性。
視力が悪いために細めていた目を徐々に開けた。笑顔で手を振ってくるのは他の誰でもない、彼女だった。
「薫…!」
「こんにちは」
彼女に会えると期待していただけに、この出会いはすごく嬉しい。自然と笑みがこぼれてくる俺に、彼女が笑顔を向けた。暖かい陽射しを浴びた彼女の姿が眩しい。
「久しぶりだね!元気?」
「おかげさまで」
「あ、そうだ。ホラ、これ持って帰ってよ」
持っていたティッシュを全部渡した。彼女が苦笑している。
「俺ずっと配ってんだけどさ、全然減らないんだよね。手伝ってよ」
「は?いやいや、私今からバイトですよ」
まだ5分も経っていない。なのにもういなくなってしまうのか。
「嘘ばっかり」
「いや、前電話で話したでしょ」
彼女が笑った。動くたびにゆれる髪の毛から良い香りがする。
「じゃあ今日電話するから」
「バイト終わるの10時なんで、帰ってそのまま寝ちゃったらすみません」
大学の敷地に入らないように彼女に近づく。
「次会えるの、いつになるかな」
彼女は少し首を傾けてうーん、と言った。
「ゴールデンウィークは絶対どこか行きましょうね。
それ以前に会える日があればまた連絡します」
そう言って彼女はバイトへと向かった。