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九話 月下にただ福音鳴るがごとく

ちょっと遅れてしまいました。

 駆け寄って、振られた爪を避けながら一閃。猟師の攻撃を受け止めた手に一閃。ソリッテを囮に一閃。無数の斬撃が、紅ずきんによって放たれる。


 幾千の死線を越えて磨き抜かれた動きの全てが、聖人食らいを殺さんと迫る。


 戦闘経験で他の者に劣ろうとも、潜在的な力――すなわち、才能の類は紅ずきんの方が飛び抜けて高い。弱冠十二歳、最年少狩人にして、最強の狩人たちの中に名を連ねているのは伊達や酔狂ではない。


 動き回り、獣の全身を滅多切りにする紅ずきん。いくら微細な傷といえども、無数ともなれば痛みもある。しかも紅ずきんは、塞がっていない傷を狙って攻撃もしていた。


 ちくちくと鬱陶しい紅ずきんにしびれを切らした獣が腕を振るう度、猟師やソリッテのがそれを阻害し、そうでなくとも紅ずきんには当たらない。


 ひらりひらりと、まるで羽毛のごとく攻撃を避ける紅ずきん。僅かな予備動作を読んでいるのだから、あたるはずもない。紅ずきんにとって、それはあくびが出てしまう速度だ。


 体力は獣の方に分があるが、こまわりなら紅ずきんに勝てる者はいない。


 紅ずきんは、獣の攻撃をかわす度に口笛を吹き、中指をたて、散々に罵声を浴びせて挑発した。


「そらそらどうしたウスノロ、当てて見やがれってんだオラッ!」


 それらの意味は分からずとも、馬鹿にされていることぐらいは聖人食らいの獣にも分かった。


 しかし、流石に他の獣とは訳が違う。挑発とわかっているからこそ、それを無視して戦う。小回りが利き、ちょこまかと鬱陶しいだけの紅ずきんから標的を外し、動きの鈍い猟師とソリッテを重点的に攻撃し始める。


 ごうん、と風を唸らせて飛来した爪が、防御すべく構えられた猟師の仕掛け鉈に叩きつけられ、危うく猟師が転倒しそうになった。恐るべき力である。貫徹の獣などとは比べ物にもならない。


 それを隙と見たソリッテが、伸び切った腕へと石槌を振り下ろした。バカンッ! 破裂音と共に金属製の薬莢が排出され、石で出来ているその無骨なハンマーの速度が跳ね上がる。


 無数に存在する工房の派閥の中でも、火薬屋と呼ばれる物たちの作だ。火薬と撃鉄を石槌に用いる事で、その爆発力によって凄まじい攻撃力を生む事が出来るのだ。ただ、使用のたびにリロードが必要であったり、火薬の力に振り回されない為の筋力も要求する、マイナーな武器でもある。


 ソリッテの腕がぶれたかと思うと、瞬間、獣の腕が悲惨にへし折れる音が響く。急な加重に肉がつぶされ、骨が砕かれ、最終的には腕ごと引きちぎったのだ。


 静謐の獣は、片腕が無くなったという死にかねない激痛に一瞬硬直したが、しかしすぐに立て直してその場を離れた。バックステップだ。巨体が、軽く五メートルほど宙を舞った。


 しかし、その着地点周辺には、既に紅ずきんが立っている。


 獣の着地と同時、紅ずきんが飛び掛る。獣が振り払う隙さえ与えず、へし折れた腕の断面へと向かって福音の刃を突き刺した。刃がひらめき、傷口を抉って、再び鮮血が舞う。


 凄まじい咆哮を上げながら、獣が滅茶苦茶に体を振り回した。当然腕にしがみつくような形で刃を突き立てていた紅ずきんも吹き飛ばされる。


 その際、獣の肩が紅ずきんに当たって、衝撃と共に紅ずきんの飛ぶ軌道がずれ、路地近くまで転がされて行く。


 たが、転がって行く最中に、紅ずきんが腕で地面を突き飛ばすような形で、腕のみで跳躍。空中で体を捻って何とか体勢を立て直して着地した。しかし、肩が当たった時の衝撃がまだ残っていたらしく、その小さな体ががよろけた。


 それを好機と見たのか、獣は腕を治すより先に紅ずきんを殺そうと、突撃してこようとした。それを、紅ずきんは凪いだ心で見ながら、口をわずかに開いた。


「――いまだッ!」


 その合図とほぼ同時、弓が三度しなる音と、風を切る音が響く。反応する時間すら与えず、銀色に光る矢が三本、獣の体に突き刺さった。


 銀の矢が刺さった地点は、肉の焼けるような音と共に焼け爛れた。静謐なる獣は、その痛みに軽く唸ると、迅速な動きで三本の矢を引き抜き投げ捨てた。投げられた矢が石畳にあたり、跳ね転がった。


 そう、初めから前衛は囮であり、注意をそらしたすきに、シャナルの矢を当てる作戦であったのだ。


 硬い毛皮を有した獣に対して、通常攻撃は下策だ。だが、銀の武器であれば話は別である。銀を含有した物は、たやすく獣の毛皮を貫通し、肉を爛れさせることができるからだ。


 無論、銀であるから耐久性は低い。現に、一度の使用で銀の矢は(いびつ)に折れ曲がってしまっていた。だが、一撃与えるだけならそれで十分であった。


 紅ずきんは、獣が次なる矢を警戒している間に、猟師とソリッテの方へと離脱した。地面を蹴り、極低空を這う様にして跳んだ紅ずきんは、転進する事なく家屋の壁を駆け上り、屋根の端を掴んで飛び上がる。軽い体は、加速と物理法則によって、いともたやすく宙を舞う。


 そのまま屋根の上に着地した紅ずきんは、誰にも気付かれぬようにして己の腹部を確認した。


 服で隠されてこそいるが、その白い肌には重い打撲傷が刻まれている。先程の獣の肩は、見た目よりも重かったのである。激しい痛みから来る痺れに、足下が震えるのを隠して、紅ずきんは獣を見た。


 獣は、飛びかかってくる二人をいなしながら、屋根の上のシャナルと紅ずきんを見ていた。


 警戒すべき対象だと考えたのだろう、と紅ずきんは腹を抑えながら思う。


 下手をすれば、即座に飛びかかってくるような状況下であったが、紅ずきんはひどく落ち着いていた。獣の次の行動が、紅ずきんにはなんとなくわかっていたからだ。


 もし、自分が獣なら。そんな考えのもと導き出された答えは――。


「逃げるぞッ!」


 喉が張り裂けんばかりの叫びとともに、獣が走り出した。その先にはちょうど、紅ずきんが屋根の上に上った為に開いた包囲網の穴があった。


 即座にシャナルが矢を放つ物の、今度は獣が警戒していたのか回避され、一発も当たる事も無かった。


 逃がすまいと追いかける猟師とソリッテだが、彼らでは速度が足りない。静謐の獣は早く、逆に彼らは鈍重であるのだ。仕方のない事とも言えるが、この場においてそれは致命的だ。追いかけられるのが紅ずきんしか居ない状態で、少女は重い痛みと戦っていたのである。


 無理を押して屋根伝いに走り出した紅ずきんは、しかし攻撃に転じる事はできなかった。自己判断で、転じなかったのである。


 足の震えが止まらない現状、戦闘に入るには"祈りの雫"を打つ他ない。だが、それで一度止まってしまうと、獣に追いつけるかわからなかった。だからこそ、見失わない為に、追いかけるだけに留めているのだ。


 すると不意に、獣の足が止まった。そして引きちぎられた片腕をかばう様にして蹲る。おそらく、治癒しているのであろう。紅ずきんはその間に、祈りの雫を取り出しながら天へ向かって照明弾を打ち上げた。


 今が接近するチャンスだ。場所を見失っているものも、これで気付く。そう考えて紅ずきんが祈りの雫を自分の体に打ち込もうとした時、その手を押さえる者が居た。


「今はしなくてもいい。……遅れたが、私が来た」


 揺れる金髪、やや男っぽい口調、銃が無数に吊り下げられた狩装束――そして、特徴的なドックタグのネックレス。硝煙の臭いを漂わせ、片手で紅ずきんの手を止めながら、もう片手に持った銃で獣に照準を合わせているその女こそ、紅ずきんの師匠。


「シャンダンテ……師匠。本当に遅っせェなぁ、おい」

「だから、遅れたと、謝っているだろう?」

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