七話 屋根駆ける狩人、薬の臭い
「おいおい、嘘だろ? このクソ忙しいって時に、まさか目標の捜索から始めるのかよ?」
紅ずきんが呆気に取られたように続けた。意味のない問いと分かっていても、言わずにはいられなかった。
聖人食らいは、その性質上、早急な討伐が必要になる。早期討伐できなければ、さらに多くの獣を従え、人間を食らい、街一つを完全に滅ぼして見せるのが聖人食らいの獣と言うものなのである。紅ずきんが呆気にとられても仕方がない。
「探しに行こうと言う話もでた。しかし、四人では探せる範囲も限りがあるだろう? だから、待とうと言う結論になったのさ」
紅ずきんへ、シャナルが言った。弓の整備が終わったのか、金属弓は背中に背負い直されていた。
それにしたって、と言おうとした紅ずきんは、しかし開けそうになった口を閉じた。確かに、もっともな理由であったから、文句の付けようがなかったのである。
どれだけ危険を冒して範囲を広げても、やはり四人で出来ることには限界がある。また、全員が散り散りに探索しすぎると、集合の合図を出す時間すら稼げない。そうなれば、一人の狩人を失うだけに終わり、まったくの徒労だ。
二人一組で動けば、最悪片方が死ぬまでの間に、合図は出す事が出来る。狩人とは残酷なもので、仲間が死のうとも、淡々と獣を狩らねばならない。
六人居れば、二人一組で動ける。無論、結果三組で動く以上、捜索の効率は落ちる。だが、確実性の方が重要であった。
「……これ以上後続を待つのは、危険であろう? なら、そろそろ行動を起こさねば」
サワタリが、二人を見かねた様に言う。事実、時間はそう無い。外を見れば、もう日が暮れ掛けていた。夜が来るのだ。
夜は、獣の時間だ。
足音が無く、唸り声も上げない。となれば、人は獣を視覚か嗅覚で感じ取るしかない。嗅覚を索敵に使えない人間が多い以上、視覚にほとんどを頼りきる事になる。
それが塞がれるとなると、人間に為すすべはない。精々が、松明やカンテラなどの灯りを持つ程度ししかできないのだ。
夜が明けるのを待つのが定石だが、今は時間が惜しかった。
それに、狩人が眠らない様に訓練されているのは、夜間の戦闘に対応するためだ。松明片手に戦う術も、無論習熟していた。無論、夜が深くなればなるほどに、獣が有利に、人が不利になる事は違いない。速やかに行動すべき時であった。
「そうだな。早く行かねば。私とサワタリは北へ行こう。あちらは職人区だ。人は少ないが、その分陣取っている可能性はある」
シャンダンテがそう言って立ち上がった。いつの間にかベルトには二挺の銃が下げられており、その両手にも、拳銃が握られている。
彼女専用の拳銃は、やや短く取り回しが良くなっている上、同時装弾数が三発となっている。紅ずきんの物はそれよりも少し長く、装弾数は散弾、単発で装弾数がそれぞれ一発、二発だ。
狩人が使う猟銃、フリントロック式ピストルやライフル――火打ち式の銃は、火薬などの関係上、元来より一発しか装弾できないものであった。しかし、狩人が必要になるにつれ。つまり、獣が増え始めてより、猟銃は徹底的に研究、開発、そして改造されてきた。
結果、複数の玉が装弾できるシャンダンテの銃の様な物がが出来た訳である。
改造すればその分、扱いも難しくなる。だが、銃を主体に戦う銃使いは、多かれ少なかれ装弾数に改造を加えているものであり、紅ずきんも改造銃を使っていた。
「ふむ。心得た。では、猟師殿と、紅ずきん殿は――」
「東を探す。あの辺には街壁の下に抜け穴があるから、侵入経路は多分あそこだ。入った時のままなら、あそこに聖人食らいが居てもおかしくない」
猟師がそう言って立ち上がる。紅ずきんは特に文句も無くその場に座ったまま、ソリッテとシャナルの方を見た。二人はペアではない。なんとなくの雰囲気で、紅ずきんはそれがわかった。
おそらくは、別の相棒が居るのか、さもなくば二人とも単独で狩りを行う狩人かのどちらかだろう。視線を向けられたソリッテ、シャナルが、顔を上げて紅ずきんを見た。
「シャナルとソリッテは南西側を頼む。連携は……まぁ、必要だと思ったら、適宜な」
単独狩りなのが、人付き合いが苦手なのか、もしくは戦い方の問題なのか。そのどちらでも紅ずきんにはかまわなかった。どちらにせよ、聖人食らいの獣には一人では適わないからだ。
「了解だ。……まぁ、足だけは引っ張らんさ」
そう言ってシャナルが立つと、ソリッテも巨体を揺らして立ち上がった。双方、異論も文句もないようだ、と紅ずきんは少しだけほっとした。今はスムーズに事を進めるべき場面だ。面倒ごとが無いに越した事は無かった。
「……それじゃ、そういうことで」
誰が言ったかもわからない、そんな曖昧な合図で、猟師と紅ずきん以外の四人の狩人は一斉に飛び出した。窓から、出入り口から、あるいはテラスから飛び出ていった者も居た。
窓から見える光景には、二つの影が屋根伝いに北へと走り去るのが見えた。シャンダンテのサワタリだろう。紅ずきんの耳には、遠く狩人の唄が聞こえた。
――狩人に眠る事は許されない。だから、狩人は唄うのさ。眠気覚ましに。唄いたくなくても。
ふとした拍子に銃使いである師匠、シャンダンテの言葉を思い出しながら、紅ずきんは猟師へと向き直って言った。
「よし、俺達も準備だけ整えてさっさと行こう」
紅ずきんと猟師は家屋の屋根をの上を走って行く。もう夜も深く、二人の腰にはカンテラが下げられている。
「今どのあたりだ?」
猟師が一つの家の屋根を大きく飛び越しながら聞いた。たまに飛び掛ってくる獣を切り払う程度なら、大半の狩人にとっては無人の野を行くが如し。足が止まることすらない。巨体を揺らして屋根を走る姿は、どことなく滑稽な物を感じさせる。
そもそも、狩人には心身ともに柔軟性と俊敏性が欠かせない。どれだけ重装備かつ、筋肉の塊である猟師でさえも、その訓練だけは行い、そして習熟している。
重さと勢いのせいか、猟師の踏み抜いた屋根のレンガがいくつか落ちて行く。とにかく時間が無い為、気にしている暇はないのだが。
紅ずきんは、三角形の屋根の頂点をたった今飛んだところだ。そして、別の屋根へと危なげなく着地する。レンガが崩れる気配もない。やはり、全体的に軽い紅ずきんは動きも研ぎ澄まされていた。
とはいっても、紅ずきんもそれなりの重量がある。全身に装備を持っているからだ。仕込み刃、隠し刃、手に持つ狩人武器、背中に背負った"とっておき"の長銃、そして太もものベルトにつけた短銃二挺。装備数は、全狩人でも一、二を争うほどだ。
それでも足音一つ立てず、レンガ一つ落とさないのは、純粋な彼女の技量によるものであろう。
「猟師、今どのくらいだ? ……妙な臭いがするな。多分、こっちにいる」
「東区三番って所だな。後二番分行けば端だろう」
ふーん。そんな適当な返事をしながら、紅ずきんは一匹、獣を切り捨てた。迷いなき剣筋である。
不意に紅ずきんは立ち止まった。猟師もつられて足を止め、その間に襲ってきた食わぬ者の何体かを叩き伏せた。依然として、紅ずきんは黙ったままだ。とは言っても、飛んできた獣を切り捨てながらたが。
「どうした?」
「……嫌な臭いがしやがる。血とか、炎じゃねぇ。獣でもないな。なんだぁ? このくっせえの……」
すんすん、と鼻を揺らす紅ずきん。猟師も真似をしてみるが、何も感じない。僅かな硝煙の臭いと、血の臭いがするばかりだ。五感の強化も狩人にとっては必修項目であるものの、紅ずきんに感覚で勝る者は居ない。猟師がその臭いを感知できなかったのも仕方ない事だった。
ハッとして、紅ずきんは顔を上げた。そして、猟師に向かって叫びながら、西へ駆け出した。と同時、打ち合わせどおりの信号弾が打ち上げられた。色は――赤。緊急事態発生の合図だった。
「薬だ! 野郎、薬をかぶって、臭いを消してやがる! あいつ、賢いんだ!」