六話 工房、集いしは六人の狩人
工房まで到着した二人は、足を止めて外観を確認した。狩人食らいの獣が侵入したのであれば、少なからず崩れていてもおかしくはない。
だが、周囲に血こそ付着しているものの、狩人工房そのものは一切の損傷が存在しない。どうやら、襲撃は凌げたらしかった。見慣れないバリケードも設置されており、いくつかの槍の様なものも生えているのが見える。
「……工房は無事みたいだな。紅ずきん、中に誰かいるか?」
「さぁ? 俺に耳には少なくとも、俺らの声ぐら――今衣ずれが聞こえた。中に三、いや、四人居るな」
紅ずきんが少し耳を立てて、そう口にした。類まれなる瞬発力だけでなく、紅ずきんは索敵能力――聴覚、視覚、味覚、嗅覚に至るまでが異様に発達している。
耳はうさぎの様に何もかもを聞き取り、目は猫の様に夜を見通すのだ。その上からだも小さく、音を出さないという動きにも熟達しており、斥候という点において紅ずきんの右に出るものは居ない。彼女の索敵に間違いはなかった。
「多分狩人だな。さっさと中行こうぜ」
「……あぁ、そうだな」
猟師が鷹匠のように手を横に伸ばすと、それに紅ずきんが飛び乗った。そして腕を蹴って更に跳躍、バリケードを飛び越えて工房側に入った。
猟師が上ろうとして、バリケードに重量がかかっている音を聞きながら、紅ずきんは工房の扉を押し開けた。重厚な黒壇製で両開きの扉を押し開けると、いくらかの視線を紅ずきんは感じた。警戒、好奇、確認。そんな類の視線だ。
「同業だよ。……用件は、わかってらァな?」
じろり、と小さな目が四人を一瞥した。内二名の名前を紅ずきんは知らなかったが、今はそんな事を言っている場合でもない。知っている方の二名に顔を向けると、男の方が先に口を開いた。
「紅ずきん殿か。という事は、猟師殿は外か?」
不思議な話し方と、東方訛りが特徴的な男である。全体的に薄い緑を基調とした服装で、その装備は猟師よりもずっと軽装だ。紅ずきんは自分が望む返答でなかった事に少しいらだったが、それを表に出さずそうだよ、と頷いた。
この東の果てから来た男――サワタリは、非常事態であろうとマイペースな節がある。紅ずきんは時おり、サワタリとの会話で面倒くさくなる事がある。
「おっと、すまない。……現状のことであろう? わかっている。まだ原因はわからないが――」
「多分聖人食らいだろう、とあたりをつけてたところだよ。それでどうするか、この四人で考えていたのさ」
サワタリの言葉を、隣の女が続けた。男の様な口調で喋った女は、赤黒いマントに鍔の広い帽子と、標準的――狩人としては――な格好をしている。両脇には銃が四本ほど置いてあり、銃使いと言うことが分かる。
ネックレスの様にかけられた五枚のドックタグは、内四枚が同郷の狩人の物であるという。フサイン、ヨルダ、アーグナー、エンル。全て、過去死した狩人の名である。そのうちの一つに彼女、シャンダンテのドックタグも含まれているのは、自分が死んだ時、誰かに引き継いでもらいたいからだと言う。
この二人は、紅ずきんへと武器の扱い方を教えた二人でもある。それぞれが刃と身のこなし、そして銃に関する専門家であるのだ。師弟関係と言うほどのものではないにしろ、今紅ずきんが生きているのは、サワタリとシャンダンテ、両名の手ほどきによるものと言っても過言ではない。
では残る二人は、と紅ずきんはそちらへと顔を向けた。灰色のローブに身を包み、銀色の金属弓を手入れしている細身の狩人が一人。そして、巨大な石槌を傍らに掛けた異形の狩人が一人。
細身の狩人の方は、紅ずきんも聞いた事があった。隠密に特化し、獣が気付かぬ内にその弓で撃ち抜く、"隠れ身の"シャナルだ。南の方で活発的に獣を狩っていたという噂だったが、おそらく召集で駆けつけてきたのだろう。
紅ずきんがシャナルへと一瞥をくれると、一旦弓の整備の手を止め、紅ずきんに軽く会釈した。
「シャナルだ。後方支援が主だが、近距離もできる。よろしく」
それだけ言うと、また視線を落として、シャナルは弓の整備を再開した。その弓も、おそらくは狩人武器なのだろう。よく見ると、持ち手部分が長く、この中途ほどに分離用の切れ目も入っていた。
次に紅ずきんは、異形の狩人へ視線をやった。見れば見るほど目を疑い、そして、目を背けたくなる様な異形てあった。
獣狩りが本格的に始まってからというもの、異形の者が狩人となることは少なくなかった。見世物としてみじめに一生を過ごすか、狩人として刹那の輝きを得るか。そんな選択肢のうち、後者を手に取るものが多かった。
その男は、頭蓋骨が奇形化しているのだろう。頭全体が不規則に隆起しており、ジャガイモの様な顔をしていると言っていい。その上で、左腕が奇妙に大きく、右腕は細く長い。
その姿は、狩人になる異形の者達を見て来た紅ずきんでさえ、目を背けたくなるようなものであった。
「それで、あんたは?」
意を決して話し掛けた紅ずきんであったが、異形からの返答はなかった。ただ、紅ずきんの方へと振り向いたので、聞こえていない訳ではなさそうだった。
「あぁ、こいつは話せないんだ。肺の病らしい」
不意にシャナルが口を出した。それを肯定するように、異形の狩人は緩慢に頷いた。そして、ポケットをごそごそと漁り、何かをずきんへ差し出す。メモ書きの様なものだ。
紅ずきんは、少し経ってから、差し出されたそれを受け取った。メモ書きには、ソリッテ、とだけ書かれていた。
「ソリッテ……お前の名前か?」
再び、ソリッテが緩慢に頷く。そうか、話せないのか、と紅ずきんは誰にとも無く呟いた。
それは無論、同情や、憐れみといったものから出た言葉ではない。指示の伝達や連絡、情報のやりとりが面倒くさそうだ、と思っただけだ。極論、戦力になりさえすれば紅ずきんにはどうでも良かったが、考慮すべきだろうとは感じていた。
すると、紅ずきんに向かって手が差し出された。ソリッテの左手だ。通常の物より二回りほど大きいそれは、無論紅ずきんの繊細で小さな腕よりもずっと大きい。
差し出された丸太のような腕は、すこし開かれ、握手を求めている事がわかった。さすがに、自らの手の何倍も大きい手と握り合うのは紅ずきんも少し躊躇したが、やがて差し出されたソリッテの手へ、自分の手を重ねた。
陶芸品でも扱うかのように優しく握られたそれは、どれだけの変貌を遂げていても、紛れも無く人間の温かみを持っていた。軽く紅ずきんも握り返すと、握手をやめ、四人全員へと向き直った。
「俺は紅ずきん。見ての通り、身軽さが売りだよ。体は丈夫じゃねえが、十分前衛をこなせる。よろしく」
そう言い切ったあたりで、紅ずきんが四人の円に入り、あぐらをかいて座った。自分の格好はまるで考慮していない様子だ。
と同時、工房の扉が再び開けられる。入り口すぐの広間にいる全員の視線が集まった先には、無論、猟師がいた。
紅ずきんは胡乱気な目で猟師を見た後、おせえ、と言った。
「遅くなったのは申し訳ないが、獣が来たんでな。ちと数が多かった。許せ」
そういって、猟師は五人の円に入ってあぐらをかいた。自己紹介がないのは、ここの全員と猟師が顔を合わせた事があるからだろう。紅ずきんは基本単独のため、あまり顔が広くなかった。
暫時、奇妙な沈黙の後。不意に、紅ずきんが問いかけた。
「工房の奴らは無事なんだよな?」
肯定を示すように、ソリッテが頷いた。それを見た紅ずきんは頷き返して、話しを続けた。
「そうか。……それじゃ、この六人で聖人食らいを何とかする方法を話し合おうか。そもそも、聖人食らいの姿を見た奴は?」
その問いに、今度は誰も答えなかった。
暗雲が立ち込めてきた様な気がして、紅ずきんは天を仰いだ。しかし、空は見えず、狩人工房の古めかしい天井が見えるばかりだった。