三話 血に飢えし"つらぬき"の獣
「……どうなってんだよ、こりゃあ」
人の肉が焼ける時のそれと臓物、血の臭いが充満している様な気がして、紅ずきんは滅多にしない布のマスクを巻いた。それでも鼻にしみついたそれらに、不快気に顔をゆがめる。最初から布のマスクをしていた猟師からすらも、不快気な雰囲気をかもし出している。
とにかくと踏み出した矢先、紅ずきんの足にやわらかい感覚。誰かの臓物を踏みつけてしまったらしく、少女は狩人らしくない悲鳴を上げながら飛びのいた。
まだ柔らかであたたかいそれは、つい先ほど引きずり出された物のようだった。息を整えた少女と、それを見ていた猟師は、共にゆっくりと周囲を警戒する。
背中合わせに武器を取り出し、携えたまま、二人は歩き出す。狩人工房になら、誰かいるはず。お互いに無言のまま、同じ考えを持って走りだした。
狩人工房は、獣を狩る為に様々な技巧を組み込んだ武器を作る工房だ。刺すと瞬く間に血を吸い上げる刺突剣や、火薬の力で速度を増す攻撃用のつるはしなどが代表格にある。その性質上、全ての狩人と呼ばれる者達が、絶対に一度は集う場所が工房であるために、緊急時はここに集まるという暗黙の了解が存在していた。
途中、音もなく屋根から飛び掛って着た獣を袖の短剣で仕留めると、紅ずきんは猟師に問いかけた。
「猟師、何があったと思う?」
「さぁ。少なくとも、外壁内に獣が侵入してきた事は確かだ。ただの狩人食いじゃない。多分、聖人食いも混じっていやがるな」
狩人が狩る獣のほぼすべては明確な分類がなく、狩る者がそれぞれ判断して殺さなければならない。その中でも、判明している大分類が存在している。食べる物による区別である。
例えば、もっとも数が多く、人を食わない"食わぬ者"がいる。ただ、食わぬ者は、食肉目的ではない殺害を行うため、人間の殺傷数が多い存在でもある。
そしてもう一つの大分類として存在する"人食らい"の中に、先ほど猟師が言った、狩人食いと聖人食いがいる。どちらも特殊な獣であり、死亡する狩人の大半はこの獣らに殺されている。
狩人食いは、その名の通り、狩人を食らいし獣である。自らの同類を狩り殺してきたその狩人の記憶や力、経験を吸収し、逆手に取る、脅威の獣である。中には、狩人武器を扱う獣すら存在する程である。
また、狩人食いの獣は、食わぬ者や他の人食いを従えて、村を襲撃したりする事がある。それは計画的な襲撃であり、主に狩人が少ない村が襲われる事となる。
それの更に上位に位置するとされているのが、"聖人食らい"の獣である。聖人とは、つまり聖職者の事を指す。聖職者を食らった獣だ。
それらは、何が要因かは不明だが、不思議な力を持っている。火を噴いたり、自らを癒したりなど、超常の力を行使する謎の獣達である。
しかも聖人食らいは、他の獣を指揮するにとどまらず、町を襲うのである。以前大中央都市に大規模な聖人食らいの襲撃があった際、千を超える犠牲者を出したとの事である。しかもこれに、五十程の狩人も含まれている。
「規模がどの程度かは分からんが、下手をすれば悪夢だ」
「なるほどな。この分じゃ、狩人工房も無事かは分からないが……とにかく、行くしかねぇか」
鎧袖一触の様子で獣を狩る二人。有象無象の食わぬ者程度、熟練の狩人たる二人にとって大した敵ではない。ただ血と骸が無尽蔵に増えるばかりであった。しかし、何分数が多いため、時折止まって対応する必要があり、紅ずきんはその度に舌打ちした。
また、工房は中央付近に存在する為に距離があり、急がなければならない為、休む間もなく走り詰めである。それでも、まだ形が見えてこないほど、工房は遠かった。
「くそ、らちがあかん!」
猟師が大鉈を横なぎに振り回して叫ぶ。三体を両断した鉈が、更に踏み込んだ猟師が手首を返してもう一度振るう事で、もう二体の首も跳ね飛ばす。
凄まじい膂力で何匹も獣を吹き飛ばしながら、猟師はもう片手を持ち上げた。それを見ながら紅ずきんは獣の頭を蹴り飛ばして空中に飛び上がり、耳を塞いた。猟師の手には、巨大な灰色の筒があった。
小型の砲を歪に引き剥がし、手持ちにしたかのようなそれの引き金を、猟師の指が迷い無く引ききった。瞬間、撃鉄が上がり、砲のある一点に打ちつけられ、そして――炸裂。
凄まじい轟音と共に、十何発という数の弾丸が打ち放たれ、射線上にいた獣を完全に吹き飛ばしながら道の獣を一掃した。塞いでいてもなお、紅ずきんの耳に破裂せんばかりの音が聞こえたのは言うまでもない。
着地と同時に、開けた道を二人で駆ける。大きく開いた隙間を迅速に駆け抜けるのは紅ずきんだ。力が猟師に到底及ばない分、少女の技量は相当のものである。
凄まじい速度で駆け抜けながらも、早くも道を塞がんとする獣の喉笛を切り裂くのは見事なものである。中には、完全に首を断たれ、首のない獣も何体か存在する程だ。こと、迅速さが求められる仕事において、紅ずきんより上のものはそういない。
悠々とその後ろを走る猟師は、その大柄さと重装備によって、動きがそう早くない。この二人がタッグを組んでいるのは、なにも狩人として初めて会った同業者と言うだけではなかった。
「猟師、生きてるな!? 抜けるぞ!」
ようやく獣の大群を切り抜けた先、転がる様に工房前の大通りに飛び出した紅ずきん。
視界が開けた瞬間、少女は不自然な動作で横へと吹き飛ばされた。軽い彼女の体は藁の束のように軽々しく転がされ、石の壁に強烈に叩き付けられる。
距離がそこそこにあったため、転がっている間に減速し、骨折はなかった。しかし、あまりの衝撃に内臓へダメージが入ったのか、紅ずきんは体を丸めて血を吐いた。
猟師は驚きに一瞬硬直し、危うく紅ずきんの二の舞になるところであった。襲いきた拳を間一髪でかわすと、猟師は反転してその姿を捉えた
「……こんな時に限ってか。紅ずきん! 無事か!?」
「これが無事に見えるんなら……あんた、目、変えた方がいいぜ」
憎まれ口を吐かれながら、猟師は油断なく己の敵を見据えた。紅ずきんが生きているというだけで十分であった。それに、憎まれ口を叩けるだから、大丈夫だと言うことなのだろう、と猟師は感じたのである。
猟師の目の前に、口から、誰のとも知れぬ血を涎の様に垂らし、その目を爛々と輝かせる獣がいた。元は純粋に黒かったであろう毛皮は大量の血に塗れ、赤黒く染まっている。右腕の爪は鮮血に染まり、薄暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がっていた。
そして、二足歩行で立つ、歪な獣の左腕は。明らかに異質な金属質のそれ、狩人武器の様な物が取り込まれていた。
全体的に肥大化した左腕、その中指の根元から、無骨かつ、禍々しい巨大な金属の杭が突き出している。左腕全体と無理矢理の様な形に融合した、輝きを宿した鉄製の武器。火薬の力で杭を鋭く打ち出す、"ガン・パイル"と呼ばれる類の狩人武器である。
凄まじい筋力を必要とするその武器は、しかし、ただ二機しか存在しなかったはずである。そして、その内一機は現行で使用されており、猟師はその顔を知っていた。それを狩人食らいが装備している――答えは明確である。
「それは、"貫徹"……食われたのか、マッキー。……なんてザマだよ」
そう吐き捨てると、猟師は鉈を肩に構えて手持ち砲の撃鉄をガチャリと下ろした。何時でも発射できる態勢だ。
せめて、紅ずきんが起きるまでの時間は稼がなければ。鼓膜を殴りつけるような咆哮を叫び、血混じりの涎を撒き散らした獣に、猟師は勢い良く飛び掛った。