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十二話 黒き獣の牙

 獣が――聖人食らいの獣が死ぬ瞬間は、珍しい光景を見ることが出来る。


 シャンダンテの銃弾が脳髄を崩壊させ、サワタリの持った刃が心臓を抉り取る。硬い皮といえど、何度となく無数に同箇所を狙われ続ければ、狩人武器に貫けない程ではない。


 とうとうその目から命と殺意の灯火が消え、ただ物言わぬ死肉と成り果てた獣の遺骸は、死と同時に燃え始めた。極々自然な様子で、発火を始めたのだ。


 真っ赤な炎が心臓を中心に獣の体中をなめるように伸びていく。ゆっくりとその体を覆うようにして、広がってゆく。火種すらないのに、その炎は確かにそこにあるようだった。


 聖人食らいの獣は、死に絶えた時、その身の内――心臓を中心にして燃えてゆく。この炎は、水をかけても、獣を真っ二つにしても、止まることは無い。そもそも、明確な炎ですらないという話だ。獣のみを焼き払う炎だ。


 燃える。燃える。夜の街中で、煌々と燐光を放ちながら、獣が燃え盛る。


 誰とも知れぬ聖人を食らいて、空間を知る術を得た獣は、しかし六人の狩人によって葬られる事となった。パチリと音を伴って舞った火の粉を見ながら、紅ずきんは、聖人を死出の旅へ送り出す時のようだ、とふと思った。


 村や町の民は、基本は火葬だ。それは一重に、獣の存在によるものである。人を食らった獣は、大なり小なり人の持つ知識を、そして知恵を得る。思考能力を持った獣も、ただの人にとっては脅威だ。


 それを防ぐには、遺体を灰になるまで焼くしかない。


 聖人はその中でも、特に丁重に葬られる。無論、生前の徳に報いるという点もあるが、獣に食われ無い様にする為、というのが大きい。複数人の狩人と、何十名という神官によって送り出される光景を、紅ずきんは一度だけ見たことがあった。


「……俺は初めて見たんだが……。不思議なもの、だな」


 火にまかれ、ゆっくりと灰となり、風に吹かれて行く獣の残骸を見ながら、猟師が呟いた。


 白き灰と化した獣は、もはや何も語りはしない。静かに風に吹かれて、形を失って消えて行くばかりである。ただ、狩人達はじっと、それを見ていた。




 パチパチと火がはじけて、とうとうつま先が燃え尽きた。


 残ったのは、一握の灰と、いくらかの骨の欠片だけだ。紅ずきんは、不意に歩き出すと、無地のラベルの貼られた瓶の中へとその灰を放り込んだ。


 聖人食らいの獣の屍骸――否、"遺灰"は、いくらかの利用価値がある。例えば、狩人武器に使う金属に練りこむ事で、強度を上げたり。灰の中から骨の欠片などをとり出して、そのまま武器の素材として流用したりなどがある、と紅ずきんは聞いている。


 少なくとも、回収して工房に出しておけば、あの熱狂的なまでの技術屋たちなら何かに使ってくれるだろう、という気軽な考えであった。




 紅ずきんはふと、顔を上げた。灰の入った瓶にコルクで蓋をしながら、何か嫌な予感を感じ取った。いや、嗅ぎ取った、というべきか。くんくん、と鼻を鳴らして、その臭いをたどると、本当に微細な臭いだが、紅ずきんの鋭敏な鼻はそれを確かに捉えた。


「――ッグ!?」


 と同時、思い切り顔をしかめて鼻を押さえた。


 全ての体液を吹き出して死んだ死体と言えばいいのか、とにかく不快感を催すような全てをつめ込んだ、そんな臭いが少女の鼻を突き刺してきたのである。


 鼻腔の中であらぶるその凄まじい臭いを、涙目ながらも何とか耐えた紅ずきんは、その発生源を探るべく視線をめぐらせた。


 屋内にその気配は無い。屋外も同じく。空を見上げるが、跳んでいる姿も無い。そもそも、臭いそのものが異質かつ強烈過ぎて、紅ずきんには方向すらわからなかった。


 しかし、何か恐ろしいものが近くに居る。紅ずきんの、決して外れない勘がそう告げている。本能に従って、紅ずきんは臭いに近い方へと歩いた。


「……? 紅ずきん、どうした?」


 猟師が不意に問いかけられ、紅ずきんは一瞬そちらを向いた。


「分からねぇ。……無性に気持ちわりい臭いがする。やべえのが居るぞ」


 そう言って紅ずきんは猟師の横を通り過ぎ、瓶に上手く灰が入れられないのか四苦八苦していたソリッテを飛び越えて、臭いの方向へと向かう。


 一歩進むたびに、強烈な臭いが紅ずきんの鼻をへし折らんと迫る。繊細な鼻は、凄まじく敏感で、今にも曲がりそうなほど異臭を感じている。だが、顔一つ顰めるだけで少女はその臭いの根元へと近づくべく歩き続けた。


 路地の一角に辿り着いた紅ずきんは、その壁へと手を突いた。少女程度の力ではびくともしないその壁は、一見してただの壁に見えた。しかし、彼女の鼻は、強烈な臭いがそこで途絶えているのを確かに捉えている。紅ずきんは壁に沿うように歩き出した。


 かつ、かつ、かつ。少女に合わせてやや小さめに(あつら)えられたブーツが石畳の道を打つ音がする。


 壁におかしな点は無い。ふと差した大きな影を抜けて、紅ずきんは壁に手を当てたまま歩き続ける。


「……くそ、臭いが独特すぎて何も分からん……」


 紅ずきんは、自分のずきんの中へと手を突っ込んで、その中の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。彼女にしか感じられない微細な臭いだが、彼女にとっては強すぎる臭いだ。


 遮断は可能だが、調節は出来ない。紅ずきんは自分の鼻を信用して、壁の付近を探し回る。そのうち、灰の採取を終えた他の狩人も紅ずきんの方へとゆっくり追ってきた。


 それらを気にすらかけず、紅ずきんは壁を探り続けた。


 何かがおかしい。紅ずきんはそれを確かに感じていた。何がおかしい? 壁を叩き、押し、ただひたすらに調べる。やわらかい感触も無い。ただ、激しい違和感だけがそこにある。


 うーん、と唸りながら、紅ずきんが三歩ほど後ろに下がった。


「なんだぁ? この、違和感……ん?」


 不意に、紅ずきんはその奇妙な光景に気付く事になる。


 紅ずきんがちょうど立っている、影の部分。どうも、そこに違和感を覚えていたらしいと、紅ずきんはようやく気がついた。夜も随分更けて、夜明けまで後何時間という時間帯になる。


 しかし、その影だけは異様に深かった。黒く黒く、まるで夜を凝縮したかのようにそこだけが酷く暗かったのである。何度も往復して、ようやく分かった。


 何故だろう、と紅ずきんは空を見上げた。月明かりが奇跡的にまったく差さない場所なのか、と思ったからだ。しかし、紅ずきんの視界には月しか映らなかった。


 そう、()()()()()()()()()のである。


 紅ずきんが立っている筈のその場所、深い影の差す場所。その影を形作るはずの、建造物――煙突など――の姿が、一切映らなかった。それはすなわち、紅ずきんの立っている影は、本来存在しないものだということだ。


 紅ずきんの中の本能が、鋭く彼女へ訴えかけた。


 ――"逃げろ"と。


 咄嗟に影から逃れるように跳んだ彼女をあざ笑うかのようにして、影から巨大な口が現れた。狼のように、鼻の長い(あぎと)が、まるで水面から飛び出す魚のごとく、影から飛び出してきたのだ。


 自分の身長より何倍も大きいその顎は、正に紅ずきんを食らわんとして迫る。それすらも蹴り飛ばして、紅ずきんは何度も跳躍した。こんなところで食われてなるものかと、必死に跳ぶ。


 しかし、無慈悲に閉じられる口が、紅ずきんの行く手を阻んでゆく。ゆっくりと紅ずきんの視界に映る月明かりが薄くなって、とうとう口が完全に閉じられた時、完全に消滅した。


 最後まで足掻(あが)くように跳んだ少女の姿は、右腕の肘から先だけを残して黒き獣の中へと消えた。


「紅ずきん!」


 紅ずきんは、こちらへと手を伸ばしていた猟師の悲痛な叫びを聞きながら、ゆっくりとまどろみの中へ落ちていった。何時か聞いたオルゴールの音が、少女の耳の中で反響していた。




 黒き獣が――笑っていた。

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