十一話 無心の殺意とその刃
遅れて申し訳ありません。
「シャンダンテ、撃て! 神意砲だ!」
紅ずきんは思いつきを実行すべく叫んだ。
弟子の必死な叫び声に、シャンダンテは咄嗟に捨てていた神意砲を拾い上げると、空薬莢を排出して弾丸を再装填した。そもそもが一発で高火力をたたき出すだけの銃であるので、その弾丸は重く、リロードも不便なものとなる。
だが、それを手馴れた手つきで四秒でシャンダンテは済ませた。驚くべき速度である。
しかし、長銃を構えるまでは良かったものの、角度的な問題でシャンダンテのいる地面からでは獣が直接狙えない。屋根まで跳ぶには、神意砲の重量が問題であった。
そうして、自然、はじめに叫んだ紅ずきんの方へ視線が行く。今動けない紅ずきんは、ふらふらと立ち上がりながらも、再び叫んだ。
「構わず撃て――ッ!」
シャンダンテは、ほんの僅かに迷った。撃ってどうなるのか。徒労に終わるのではないのか。しかし、そんな考えは一瞬で断ち切られた。
自分の一番弟子が、必死に叫んでいるのだから。初めから、信じないという選択肢がない事に、すぐに気がついからだった。
引き金が引かれ、銃弾が高速で射出される。獣が居る家屋を打ち抜く形になった弾丸は、一般家屋の頑丈とはいえない壁を貫き、大穴を開ける。それは屋根すらも貫通したが、射線がそれて獣に当たる事は無かった。しかし、それで十分以上の働きをなした。
バキリ、と穴を開けられた梁が悲鳴をあげた。元から、獣の重量を支えるだけで精一杯であったのに、そこに銃弾が貫通したのだ。獣を支えきれなくなった屋根は崩壊を始めていた。
獣は屋根の崩壊に気付き、咄嗟に跳ぼうとしたが、くくられた鞭が一瞬動きを鈍らせた。その一瞬のうちに、屋根は完全に崩壊した。
ガラガラと音を立てて崩れる瓦礫に向かって、紅ずきんは力を振り絞って火炎瓶を投げつけた。獣の血を配合された高純度のアルコールは、火に当たって一気に炎上した。
木造の家屋が燃える、燃える。
無論、その中へと落ちていった静謐の獣を巻き込んで、である。建物という尽きぬ燃料を与えられた炎が、それこそ獣のごとく猛り狂う。聖人食らいの獣は抜け出そうともがいたが、僅かに伸ばした指先は猟師の鉈によって切り落とされた。
燃える家屋を背景に、獣の絶叫が響き渡った。
「油断するな! 広めに囲むぞ!」
猟師がそう叫ぶよりも少し早く、紅ずきんが地面に降りてきた。着地と同時にふらつくも、何とか不敵な顔を浮かべてみせる。笑って見せたのである。
腹への衝撃で、足に力が入らない。また、腹そのものの痛みも相当のものだ。下手をすれば、内蔵にもダメージが行っているかもしれない。たった一撃で満身創痍の状態であった。事実、紅ずきんは気を抜けば倒れかねないような状態に陥っている。
それでも一歩、一歩と前に進んで、包囲に加わった。
おそらく獣は、飛び出して真っ先に自分の方に来るだろう。一発耐えれば、後は他の狩人がどうとでもしてくれる。紅ずきんはそう考えて、じっと燃える家を見ていた。
「紅ずきん、お前……」
猟師が声を掛けるより先に、獣が絶叫と火を伴って飛び出してきた。家屋の残骸を蹴散らし、一直線に紅ずきんの方へと向かって。
身も小さく、先ほどのような敏捷性も損なわれているように見える紅ずきんは、なるほど包囲の穴を突くには最適といえる選択肢だ。
それに対して紅ずきんは、風に揺れる柳の様にして体をフラリと傾けた。そして――鋭く、跳躍。
横にではない。背後にでもない。少なくとも、避けるための跳躍ではない。それは、紛れも無く攻撃のための跳躍であった。地面を這う様にして跳んだ紅ずきんは、弾丸と見まがう速度で獣へと向かったのだ。
すなわち、前へ。
全員が驚愕の表情を浮かべる中、紅ずきんは半ば意識を放棄していた。痛みと脱力と焦りで纏まらない思考を、迷いなく切り捨てたのだ。ただ、獣を殺す。"夜"を終わらせる。その為だけに心を研ぎ澄ました。
結果、角の様に鋭く輝くその心が、自らをいとわない獣への跳躍を行わせたのである。
予想外の方向への跳躍に、獣は驚いた。死が恐ろしくはないのだろうか。人の言葉で表すのであれば、そんな感情が獣の中から溢れ出した。あまりに死に近きその跳躍に、感情無き獣が一瞬、怯む。
その一瞬の間に、紅ずきんは空中で体を捻って福音の刃をひるがえした。だが、振りかぶったそこには何もない。ただの虚空である。しかし、獣の頭部が、自ら当たりに行くようにしてその刃に切り裂かれた。
加速のついた物質は急には止まれない。獣が動く軌道に、どこまでも鋭き刃を立てて、自滅するような形で切り裂く為に紅ずきんはその刃を振ったのだ。目論見通り、紅ずきんの立てた刃は、獣自身がつけた加速によってその頭部の半ばまで食い込んだ。
しかも、それだけでは終わらない。
つんのめって行き場をなくした加速が、新たに加わった紅ずきんという錘によって上に跳ね上げられる。刃を握り締めたままの紅ずきんは、物理法則に従い、遠心力をもってして獣の頭部を強引に上に引っ張りあげたのである。
一瞬困惑したような狩人達だったが、少女が決死の覚悟で作り上げたその隙を逃すような事は無かった。放たれる銃弾、風を切って迫る刃、それらの全てが、静謐の獣に一斉に解き放たれた。
無防備にそれらの攻撃を受けた静謐の獣は、もはや体を再生させる事はできなかった。そもそも、先ほどの急速な復活で既に限界であったのだ。火傷や頭部の重症、そして全身に受けた傷を治すだけの余力は、獣にはもう無かった。
それでも、爪を振りかぶろうと、口を開き、喉笛を掻き切ろうともがく。その姿はもはや、狂気的といえる。それが、生きる為の行為ではない事が明白だからだ。
ただ、殺す為に。一人でも多くの命を刈り取る為に動いているのだ。生き物としてあまりに逸脱したその恐ろしさに、しかし狩人は怯まない。
紅ずきんは、力の入らない手に体重を掛けて、突き刺さった刃を押し続けている。停止しているが為に普段の鋭さのない福音の刃は、僅かにしか動かない。それでも、獣の脳髄をえぐろうと紅ずきんは必死に力を込めていたのである。
だが、不意にそれも終わる事になる。獣が身じろぎした拍子に、刃が抜けてしまったからだ。刃の柄に寄りかかる形で姿勢を維持していた紅ずきんは、支えを失って足を踏み外し、そのまま落下した。
猟師は落下方向の反対にいた為に、咄嗟に近くにいたシャナルがそれを受け止める。軽い体は、シャナルの腕の中へと落ちた。
「大丈夫か?」
「……ああ。すまん、ドジ踏んじまったみてぇだな」
何度か瞬きをした後、紅ずきんは目が覚めたかの様に返事をした。シャナルはほっとしながら、紅ずきんを地面に下ろした。
着地時は少しふらついたものの、紅ずきんは何でもないように体勢を立て直して福音の刃を拾い上げた。無骨な煌きが、再び少女の手に宿る。
「……獣は?」
「瀕死だ。今、猟師とソリッテで押さえ込んで、サワタリ、シャンダンテ両名が死ぬまで攻撃を加えている」
シャナルがそう言って、ちらりと目で獣の方を見た。つられて、紅ずきんもそちらを見た。
瀕死の白い毛皮の獣に、何発も銃弾を打ち込み、刃を突き刺している己の師匠たちが居る。脇には、全力を持って押さえつけているソリッテと猟師が居た。獣は、死にかけである程恐ろしい。油断をするわけにはいかなかった。
紅ずきんも、何か手伝おうと前に進みかけたが、その手をシャナルが掴んでとめた。
そもそも、先ほどの跳躍の時点で体は限界の筈だ。シャナルはその事が、なんとなく分かっていた。既に満身創痍であり、もはや何をするにも危険な状態であることが。
少し不満げな顔をしたが、紅ずきんは素直に引き下がった。実際、足はがくがくと震えていて、足元はおぼつかない状態であった。それを、気力で無理やり動かしていたのだから、当然ともいえる。
なら休むか。紅ずきんはそんな事を考えて、近くの壁にもたれかかった。疲れからか、眠気が差してきた少女は、静かな声で狩人の歌を歌い始めた。
現在体調不良が発生しておりまして、
今後も更新が伸びる事になると思われます。