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輝がいた教室

作者: 湖城マコト

 前作、『キミとお別れ』の続編となります。

「今日は皆さんに、教育実習の先生を紹介します」


 クラスの担任教師である沢栗さわぐりの紹介で、隣に控えたグレーのスーツを着た教育実習生の女性が黒板へと名前を板書していく。


「皆さん初めまして。教育実習生の秋風あきかぜヒカルと申します。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」


 ヒカルの一礼と共に、教室内には歓迎を表す拍手が巻き起こる。


「家の事情で転校してしまったけど、秋風先生は一年次の夏から秋にかけてこの学校のこの教室に在籍していてね。君達の先輩でもあるんだ」

「秋風先生はどこの席に座っていたんですか?」


 部活動で日焼けした快活そうな印象の女子生徒が興味津々に質問した。


「私が座っていたのは窓側から二列目の前から三番目。今は――見里みさとさんが座っている席ですね」


 勉強熱心なヒカルはすでに生徒の名簿を把握している。昔自分が座っていた席を現在利用しているのは、見里香奈枝みさとかなえという女子生徒だ。

 ヒカルが当時の席を語ったことで数人の生徒の視線がその席――見里香奈枝の方へと向けられる。

 恥ずかしがりなのだろうか? 香奈枝はあたふたしてそのまま俯いてしまった。

 大げさすぎるようにも思える香奈枝の動揺っぷりと、かつて自分がいた思い出の席の存在に意識を奪われそうになったが、今は教育実習中であり他の生徒達の目もある。あまり香奈枝の方ばかりを注視するわけにはいかない。

 気持ちを落ち着かせるように一度目を閉じ、ヒカルはしっかりと前を見据えた。

 



「お疲れさま、秋風先生。どうだったかね、初日の感想は」


 放課後の職員室で、初日の実習内容を終えたヒカルを沢栗がねぎらうう。


「覚えることはたくさんありますが、念願だった教師への一歩です。そう思うと全てが楽しくて」

「そうかい。前向きなのはいいことだね」


 沢栗は急須からお茶を注ぎ、ヒカルへと手渡した。


「ありがとうございます」


 自分の分も湯呑に注ぎながら、当時のことを思い返すように沢栗が切り出した。


「秋風君、少し雰囲気が変わったね」


 呼び名が先生から君へと変わっていた。教育時実習生に対してではなく、元教え子に対しての言葉なのだろう。


「こう言ったら失礼だけど、在籍していた当時は大人しくて無口な生徒という印象だったからね」

「確かに、当時の私はそういう生徒だったと思います」 


 それは誰の目から見ても明らかだっただろうとヒカルは思う。すぐに転校してしまうことを理由にクラスメイト達と関わることをあえて避けていたのだから。


「あれから何年も経つし、成長したと言えばそれまでだけど。君を変える決定的な出来事があったりしたのかな?」

「ありましたよ。この学校で」


 同じ響きの名前を持つ友人を思い出し、ヒカルは微笑んだ。


「おっと。今日の日程は終わったのについ引き留めてしまったね。申し訳ない」

「いえ、お気になさらないでください」


 太陽が沈み始め、間もなく夜を迎えようかという時間帯。この夕暮れ時こそが当時の自分にとって最も楽しい時間帯だったことをヒカルは思い出す。


「沢栗先生。帰る前に教室を覗いていってもよろしいですか? 少し思い出に浸りたい気分でして」

「構わないよ」

「ありがとうございます」


 帰り支度を済ませ、ヒカルは帰り際に教室へと寄ることに決めた。


ひかる、いるのかい?」


 教室の中や周辺に誰もいないことを確認し、ヒカルはかつて共にかけがえのない時間を過ごした親友の名を呼んだ。

 放課後にだけその姿を現す幽霊。別れの日にようやく本当の名前を教えてくれたキミ。

 ヒカルが教育実習先にこの学校を選んだのは、もう一度輝に会いたかったからでもあった。


「隠れてないで出ておいでよ。ボクだよヒカルだよ」


 ヒカルは素の一人称であるボクを口にする。20歳を超え、人前でその一人称を使う機会は無くなったが、親しい友人の前ではついボクと言ってしまう。

 ヒカルは気だるげに返事をしてくれる輝の姿を期待したが、姿はおろか声すらも聞こえない。


「もう、ボクには見えないってことなのかい?」


 可能性は考えていた。自分の目に輝が見えていたのは、あの時期にたまたま起こった奇跡のようなものだったのではないかと。

 それでも、きっと自分は特別で、大人になってもまた輝と会うことが出来る。そんな淡い期待を胸に、ヒカルは今日この教室を訪れていた。


「もう一度、会いたいよ。輝……」


 窓側から二列目、前から三番目の席をヒカルは撫でた。




 教育実習開始から3日目の昼休み。


「沢栗先生。見里さんって、どういう生徒さんなんですか?」


 見里香奈枝は昼食を取る時や昼休み中もいつも一人で過ごしており、誰かと一緒に過ごしている様子が無いことにヒカルは気が付いていた。


「彼女は人見知りが激しくてね。周囲と上手くコミュニケーションが取れないでいるんだよ。幸いイジメのようなことは起こっていないんだけど、周りの子達も彼女とどう接していいのか悩んでいるようでね。その結果、見里君は孤立してしまっている」

「そんなことがあったんですか」


 ヒカルは、何とかしてあげたいという気持ちになるが、自分は直にいなくなってしまう教育実習生にすぎない。中途半場な気遣いは、逆に彼女に迷惑をかけてしまうことになるかもしれない。


(こんな時、輝がいたらな……)


 今になって思えば、輝はよき相談相手だったとヒカルは思う。

 彼は人と関わることを避けてきた自分のような人間を前向きにしてくれた。彼のおかげこうして教師という夢に進めているのだから。


「輝、いるかい?」


 放課後。ヒカルはまた教室を訪れていた。もしいるのなら、香奈枝のことを相談してみたい。

 昨日は業務が立て込み教室に寄れなかったので、今日こそは輝が姿を現すのではと期待するが、


「いないか」


 自分に見えなくなってしまっただけで輝はそこにいるのか。あるいは輝とお別れしてから何らかの理由で成仏して存在そのものが消えてしまったのか。ヒカルには判断する術すら無い。




 結局、輝とは会えぬままヒカルは教育実習の最終日を迎えた。


「今回教育実習で学んだことを活かし、立派な教師を目指し前へと進んで行きたいです。短い間でしたが、本当にありがとうございました」


 その日の実習内容を終えた後、全校集会の場でヒカルは全校生徒の前で別れの挨拶をした。

 ヒカルはその人柄で生徒達からも人気を集めていたので、ヒカルの挨拶を聞き、名残惜しさから涙を浮かべている生徒も何人もいた。


 放課後。夕闇の静寂が支配する校内で、ヒカルはいつもの教室を訪れていた。

 会える会えないは関係ない。教育実習も今日で最後なので、どうしてもここに顔を出したかった。


「輝、無事に教育実習を終えたよ。今のボクがあるのは君のおかげでもある。ありがとう」


 見えないだけで、輝はいつもの席に座っているのだと信じて感謝の言葉をヒカルは述べる。


「帰るね」


 残心を覚えながら、ヒカルは教室を後にした。

 

「あ、あの、秋風先生」


 職員玄関で靴を履き替えていたヒカルを一人の女子生徒が呼び止めた。

 声をかけてきたのは、人と話すのが苦手だという見里香奈枝であった。


「見里さん。見送りに来てくれたの?」

「は、はい。それと、これは私の試験でもあるんです」


 緊張しているのか、香奈枝は目が少し泳いでいる。


「試験?」


 言葉の意味は分からなかったが、香奈枝の真剣さはヒカルにも伝わって来た。


「これを、受け取ってください」


 勇気を振り絞って香奈枝が差し出したのは、一枚の手紙だった。


「ありがとう」


 お別れの言葉をうまく口に出来ないから文章にまとめてくれたのかなと思い、ヒカルは快くそれを受け取った。


「そ、それでは、失礼します!」


 緊張感がピークに達していたらしく、手紙を渡すと香奈枝は足早に立ち去って行った。


「廊下を走っちゃ駄目だよ」


 優しい声音のヒカルの注意を聞き、振り返った香奈枝はぺこりとお辞儀をした。


 駐車場に止めていた愛車に乗り込むと、ヒカルは先程香奈枝から受け取った手紙を開いた。

 大人しい彼女が頑張って書いてくれた手紙にヒカルは目を通すが、そこに書かれていた文章を読み、その頬を涙が伝った。

 

 手紙は、香奈枝の前置きから始まった。


 ヒカル先生。この手紙は、先生と直接話すことが出来ない私の友達、輝君の言葉を私が代筆したものです。


『ヒカル、本当は直接お前と話しがしたかったんだけど、どうやらあの頃みたいにはいかないみたいだな。

 教育実習初日の放課後、お前が教室を訪ねて来てくれた時は凄く嬉しかったよ。俺はちゃんといつもの席にいるって伝えたかったんだけど、あの時にはそれを伝える術も無くてさ。悲しませてごめんな』


「良かった。ちゃんといたんだね。輝」

 

『あれから数年が経ったけど、綺麗になったな。スーツ姿も出来る女って感じでかっこよかった。あの時よりも大人になったお前を見て、何だか自分のことのように嬉しかったよ。でも、俺の前だとボクって言うところは変わってないんだな。それを見て、やっぱりヒカルはヒカルなんだって思った。

 

 俺の近況についても少し語っておくよ。この手紙を読んでいるということはもう察しがついていると思うけど、香奈枝には俺のことが見えている。引っ込み思案でお前以上に厄介な奴だけど、優しくていい子なんだぜ。

 香奈枝自身も、もっと周りと話したいと思っていてな。今は俺が話し相手になってやって、人と話す練習中といったところだ。まあ、ヒカルを前向きにさせた実績のある俺が一肌脱げばちょろいもんよ。そう遠からず、香奈枝も周りと打ち解け合えるようになる。

 実はこの手紙をヒカルに届けさせるのも、俺が香奈枝に与えた試験みたいなものでな。ちゃんと面と向かってヒカルにこの手紙を渡してこいって言ってやった』


「試験って、そういう意味だったんだね」


 香奈枝の言葉の意味を理解すると同時に輝らしいなとも思い、ヒカルは優しく微笑んだ。


 ヒカルは手紙をさらに読み進めていく。

 一緒に過ごした学生時代の放課後のことや、ヒカルが転校し香奈枝が入学するまでの間にも、輝の姿が見えた生徒が一人いたこと。沢栗がやらかした新たな失敗。色々な話が、香奈枝の筆跡と輝らしい言葉使いで進んでいく。


 夢中で読み進めていると、手紙の文章も残り数行だけとなった。


『直接言葉で伝えられなかったのは残念だけど、手紙という形に残るものでお前にメッセージを伝えられて、逆に良かったのかもしれないな。

 

 最後に激励の言葉を遅らせてもらう。


 ヒカル、お前はきっと良い教師になる。俺が保証するんだから間違いない。


 ヒカルの親友の輝より』


「ずるいな輝は。そんなことを言われたら、嬉し泣きしちゃうじゃないか」


 ヒカルは涙声になってしまったが、表情はとても穏やかだった。

 親友が保証してくれたのだ。絶対に良い教師にならないと。


 帰る前に、ヒカルはいつもの教室の窓を見上げた。

 あの日、輝と交わした言葉を思い出し、復唱する。


「またね、輝」

『またな、ヒカル』


 声が、重なったような気がした。


 


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