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然様ならを告げる刻

作者: 千都

「さよなら、しましょ?」


女が嗤った。

幼い顔立ちをした彼女はその外見に反してその存在の80パーセント近くが毒で形成されているかのような女だった。

他人に害を与えることはあっても他人を救うことはなく、他人に愛されることが無い代わりに他人を傷つけることしか出来ない女だった。

そして、可愛げもなければ優しさもなく他人を労わるという言葉を知らないような彼女は、誰よりも己を知っている女でもあった。


「好いこと、なかったでしょ?だから、さよならしましょ?」


彼女と付き合って半年。確かに散々だった。

彼女と知り合って仲間が減った。彼女と付き合いだして友人が減った。彼女と距離を置いて仕事が増えた。彼女の部屋に居座るようになって嫌がらせを受けるようになった。

しかし、そのすべてが彼女とは無縁の場所で起こったことだった。

それよりも、自分が彼女を傷付けているのではないかと心配になるほどだった。

彼女は甘える、と云う言葉を知らないのではないかと思うような女だった。

誰よりも(それこそ歴代の彼女たち以上に)我儘を云う癖にそれが叶うことを望んでいるようには見えず、誰かからモノを与えられることを(それが食事を奢られることであっても)極端に嫌い、欲しいと思ったものは必ず自分の手で手に入れるし、自分のことはどんな些細なことでも自分でしようとする。


「いやだ、って云ったら?」


そんなことを云われると思っても居なかったのか、驚いたように僅かに見開いた目を少し細めて、それでも確りとした声で 困るわ、と云う。

その姿を哀しいと思うのは何故だろうか。

ゆらりと、ひやりと冷たい卯月の風が彼女の髪を靡かせ、それを煩わしそうに手で押さえた後、此方の眼を確りと見据えて同じ言葉を繰り返した。


「困るわ、とても」


ゆったりと瞬きをして、それでも逸らさずに眼を見据えたまま。

嗚呼、屹度彼女のこのヒトの眼を見て言葉を告げる強さに惹かれているのだと思った。

彼女と初めて言葉を交わした時も、そうだった。

唯の謝罪だと云うのに真っ直ぐに此方の目を見てすみませんでした、と云った後に綺麗な辞儀をしたのだ。その姿に惹かれた。

今どき、これほど綺麗に(或いは真っ直ぐに)謝罪する人間を他に知らなかったから。


「どうして困るのさ」


付き合ってほしいと告げても、嫌です、と断わりの言葉を告げる彼女に付き纏っていたのは此方で、言い寄られて押し通されて断わり切れなかったのは彼女だ。

確かに困る、と云う言葉は正しいのかもしれない。

だが、何故だろう。彼女の云う困るの理由が、普通のそれとは違う気がして苛々とした。


「私、貴方に負担しか掛けないもの」


きっぱりと告げられた言葉に苦笑が漏れた。

嗚呼矢張り、彼女は面白い。

だから、手放したくないのだと思う反面、彼女の云うことが余りにも正しくて困った。

彼女と関わりだしてからの日々は確かに沢山の問題を生んだ。

例えそこに彼女が関係なくとも、まるで彼女が引き寄せているかのように不祥事が降って湧いたし、彼女と距離を置けばそれまでの波乱が嘘のように引いた。

だが屹度、彼女が云っている負担はそんなことではないのだ。

彼女の云う負担の理由は、先日ナイフで襲われた彼女を守ったから、だ。

守って自身が怪我を負ったから、彼女はそれを怒っているのだ。

怒って哀しんで嘆いて苦しんで、まるで子供のように私の所為だ、と云うのだ。


「例えそれが私でなくとも、貴方は同じことをしたと思うけれど、」


まるで此方の考えを見透かしたように彼女は云った。

相変わらず真っ直ぐに此方の眼を見ていた。

相変わらず作ったように綺麗な嗤った貌で。

泣けばいいのに、と思った。

何時だってギリギリのところで涕なんて流さないんだから、こんな時ぐらい嗤わずに泣けばいいのに、とそんなこと出来ないだろうと知っていながら思った。

だって彼女は泣くことが弱みだと思っているから、人前では決して泣かない。

例え一人きりでも泣けないほど愚かで弱いのだ。


「それでも、困るの。私が、苦しいの。だから、さよならしましょ?」


これで三度目の、嘆願だった。

屹度此れで頷かなければ彼女は消える。

そう、直感した。

何時だってそう云っていたから、彼女は姿を消すだろう。

思い出が山と詰まったあの部屋を捨てられずに、しかしあの部屋に戻ることでも出来ずに、あの部屋を残したまま誰にも譲らずに、姿を消すのだ。


「分かった。だけど、」


その続きは云えなかった。

本当に嬉しそうに、だけどとても切なそうに、彼女が微笑ったから。


「ありがとう、」


そう云って、微笑った。

にっこりと、毒なんて何処にもないような、恋をする乙女のように華やかに。

嘘偽りは其処にはなくて、彼女は本心からその言葉を告げた。

鍵はあげる、と嬉しそうに告げて、彼女がその場を立ち去った。

さらり、と。彼女が大事に伸ばしていたご自慢の茶色い髪が冷たい風に揺れて。

カツリ、カツリと少しずつ小さくなっていくヒールの音が無性に切なかった。

今追いかければ、なんて想いは無意味だった。

追いかけたところで彼女を捉える事は出来ないのだ。

彼女の所為で傷ついたことや苦しんだことは山ほどあったけど、彼女のお陰で幸せだったことはそれ以上にあった。

だけど、彼女もまた同じだと思い込んでいたことが間違いだったのだともっと早くに気が付くべきだったのだ。

彼女の大半を構成しているであろう毒は、他人を傷付けながら自身をも苛み、彼女は死ぬまでその事実に苦しみ続けるのだ。





[ someone say "so long." with so baeutiful smile, but i feel so sad. ]


(貴女は涕なんて流さなかったけど、)(ミッドナイトブルーに消えた鮮烈なカーマインの雫)(俺はきっと忘れることはできない)

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