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まどろんだ失せ物

作者: 藤宮彩貴
掲載日:2012/04/10

 だいぶ、昼間の明るい時間が短くなってきた。

秋が深まっている。

 沖田(おきた)総司(そうじ)は長く伸びている自分の影に目を落とした。

 影は夕陽から逃げようと躍起になっている。本来の自分は感傷的ではないけれど、なんとなく寂しさを覚える秋の夕暮れ。

ああ、ここで一句詠めたら気分が盛り上がるのになあ。風流なことばなんて、ぜーんぜん、出てこない。

 ここは人々の思惑が交錯する、京。都のやや東を、南北に流れる鴨川の土手、四条と五条の間、松原橋付近。かの牛若丸(源義経)と弁慶が出会った場所だという伝説も残っている。目の前には東山の峰々。目線を川向こうに下ろせば、花街宮川町のつやめいた紅い灯りが、総司を誘うようにきらめく。

 浅黄色のだんだら羽織は肩から軽くかけただけだから、ひらひらと風に舞い、時折、袖が翻る。

 なんとなく屯所に帰りたくないという気持ちに引きずられて、半刻(一時間)ぐらいここに座って川の流れを眺めていた。

「よし、いいかげん帰るか」

 総司の帰る場所までは、背中に伸びる道を、ずいっと西へとまっすぐ進むだけだ。

 都の外れの、壬生(みぶ)村に位置する新選組の屯所には、今年二十歳になったばかりの沖田総司を、いつまでも子ども扱いする人たちが待っている。隊の中では跳び抜けて歳下なことは認める。その事実は動かない。

 けれど、納得いかないこともあった。 

 帰りが少し遅くなっただけで、あれこれ詮索したり、風が強く吹いただけで厚着させようとしたり。ちょっと体が弱い性質(たち)だからって、まったく。周囲が過保護すぎるから、わたしが変われないんだ。正直、鬱陶しいんだよ。総司は鼻息を荒くした。

 だが、帰る場はあそこしかないのも事実。千年の都・京から、生まれ故郷の江戸は、遠い遠い空の下。歩いて、ざっと半月かかる道のりだ。

「さて、と」

 気合を入れ直して、ようやく総司は立ち上がる。

 と、いつの間にか隣に小さい影があった。

「ぼん。そろそろ暗くなるから、もうお帰んなさい」

 大きな目をした、男の子。遠慮なく、総司をじっと睨むように見ている。埃っぽくてばさばさのおかっぱ頭、十ぐらいだろうか。少年と呼ぶにはまだ早い、そんな印象を受けた。

 あちこちが破れたままの、くすんだ色の着物。草履も下駄も履いていない、裸足。笑顔の総司がしゃがんで男の子の顔を覗き込むと、ふいっ、とあからさまに視線を逸らした。

「おうちはどこ。送ってあげようか」

 男の子は答えない。子どもには好かれる自信、あるのに。かわいくないな。総司は内心むっとしたが、辺りは夕暮れに包まれてゆく。

「ほら、立って……っつ!」

 強引に総司は男の子の手を引っ張ったが、爪が異様に鋭く伸びており、総司は引っ掻かれる形になった。右の手首に浮かぶ数本の筋状の傷からは、うっすらと血がにじむ。不逞浪士との激しい斬り合いでも、今までに一度も怪我をしたことがなかった総司だが、子どもが相手だとばかりに、つい油断していた。たいした傷ではないが、血を見ると胸がむかむかする。

「ぼん、ちゃうで。『クロ』や。十四」

初めて子どもが喋った。男の子にしても、いやに甲高い声の持ち主だ。

「クロ、十四?」

 肩にかかるぐらいの真っ黒の髪に、まっすぐで真っ黒の目。クロ、似合いすぎる名前だが、子どもの名前にしては不吉な気もする。それに、十四って。十ぐらいのはずだ。いくらなんでも、さば読みすぎだろう。総司は苦笑した。

「そうや。クロや」

 クロは得意そうに鼻息を荒くした。

 この見た目で、十四のわけがない。せいいっぱいの虚勢か。まだまだ子どもっぽいな、総司は目を細めた。子ども扱いを嫌がる年頃なのかもしれない。

「では、クロ。改めて、おうちへ帰りましょうか。京の夜は物騒ですから」

 総司たち新選組は、町の警固……巡察を強化しているが、幕府に反抗している長州系の浪士たちの、不穏な動きは止まらない。ましてや先日、京の真ん中で戦闘が起きて、町の半分が火災で焼け落ちてしまったばかり。町の人々はこの火事を『どんど焼け』と呼んだ。灰だらけの町には、夜盗や人攫いが後を絶たない。

「家なんか、あらへん」

「ない? 火事で焼けたのかい?」

「どんど焼けのどさくさに紛れて、逃げてきた」

「逃げた?」

「そうや。奉公先をな。逃げへんどしたら、焼き殺されてたところや、ふう」

 見れば、クロの左腕には痛々しい火傷の跡があった。着物も焼け焦げたままだ。なにも持たずにとにかく逃げたのだろう。しばらく風呂にも入っていない様子。

 あの大きな火災から半月ほど経っている。

「行くあてがないなら、仕方ない。わたしのところへおいで」

「おっさんの?」

 うわ。お、おっさん、だって。

 総司は生まれて初めて、おっさん……おじさんと呼ばれたことに意気をくじかれたが、ここでひるむわけにいかない。おとなの寛大さを見せるべきところだ。京の町に住む、子どもの安全を守るのも、大切な仕事のひとつ。

「よく見て。おじさんじゃない、お兄さんだろう。わたしは、新選組の沖田総司」

「は? しんせんぐみ? おきた?」

「え、新選組を知らない?」

 きょとんとしたクロは、子うさぎのよう。

 広いようで狭い京、今では『人斬り集団』とも蔑まれる新選組を知らない者はいないと思っていたが。どうりで、目立つ新選組の羽織を着ていても怖がらなかったはずだ。総司は調子が狂った。

「ああ、知らん。おきた、うちに構わんといて。やかましいわ。ここで寝るからええの」

「ここって」

 一番星のまたたきはじめた川べり。ここで寝るというのか。それに、夜は冷え込みも強くなってきている。

(ぬく)いお蒲団で寝とうなったら、猫なで声で、そのへんを歩いとる誰かを引っかければよろし。酒を飲ませて潰して、財布の中身だけ貰うで」

 子どもらしくないことを言うものだ。総司は眉を寄せた。いや、こうまでしないと生きられない境遇を憐れむべきか。

「いいから、ついて来なさい。今日は、お兄さんが泊めてあげる。むさ苦しいけれど、食事も出るし、この河原よりは数段ましさ」

 総司はクロの軽い体を、背におぶった。



「いややー、風呂はいややー。おきた、やめてーっ! 水、キライ!」

 当然だが、屯所には働き盛りの若い男しかいない。幼い子どもを連れて帰った総司は屯所中の注目を浴びたが、それどころではない。まず、クロを綺麗に洗わなければ、部屋に入れてもらえそうにない。それほどまでに、クロは汗で汚れて灰で煤けて汚かった。総司は風呂に直行しつつ、口うるさい土方(ひじかた)副長の顔を思い浮かべた。

 けれど、クロは顔を真っ赤にして風呂を断固拒否。さすがの総司も頭にきて、ぼろの着物のまま、ざばんと湯を頭からかけてやった。袖を紐でからげているものの、総司の着物にもかなり派手に湯が飛んだが、お構いなし。

「どうだ。こうすれば、もう洗うしかないだろう。まったく、頑固なんだから。土方さん級だね」

 頭から雫をたらしながら、クロはあっけに取られていた。

「あっつい、おきた……」

「なに、それほど熱くないさ。よし、じゃあその着物を……」

 言いかけて、総司はびくっとした。着物の下のふくよかな白い肌、クロは女の子だった。

「うわーーーーっ、ごごご、ごめん! 自分で洗えるよね、着替えと手拭い、ここに置いてあるからっ、あとはよろしく!」

 あわてて総司は風呂場から出た。いくら十ぐらいでも、女の子は女の子。総司自身の着物も、水が絞れそうなほどに濡れていたが、それどころではない。

「おい、なに大騒ぎしてんだ、総司。汚いものを抱えて帰ってきたと思ったら、悲鳴なんか上げて。剣術の指南役のくせに、みっともねえぞ」

 廊下の奥から、美しく整った眉を吊り上げて、すり足で歩いてきたのは副長の土方歳三だった。ぱちんと叩かれそうになったから、それを総司はひょいとかわした。いつもの悪い癖だ、土方はすぐに手を出す。口やかましくて、総司を過保護に扱いたがる筆頭。

「土方さん。あの、鴨川で見つけた子どもなんですが、奉公先が先の火事で焼けてしまったようで、あの子、ひとりきりなんです。外も暗いし、今晩だけですから。お願いしますお願いします、見逃してくださいっ」

「……鴨川? 子ども? 奉公先? 今晩だけ? 俺は、お前がなにを言っているのか、さっぱり分からねえが」

 ということにしておいて、土方は知らん顔を決め込んでくれるらしい。珍しく寛大な土方に、総司は『ありがとうございます』と何度も頭を下げた。

いつになくしおらしい総司を、土方は怪訝そうに眺めては、ため息をついた。

 

 あわてて近所の家から借りてきた、子ども用の浴衣を着たクロ。さっぱりと洗えば光る珠だったらしい、愛らしい顔立ちをしている。頬がぷくぷくで、やや青みがかった目が澄んでいる。紅を差したような赤い唇。小さな顎。まっすぐな黒髪。ことば遣いは悪いものの、外見はいい。おとなしく座っていれば、人形のよう。

 確かに、クロ自身はひとことも、男だとは言ってなかった。総司は自分の早合点を反省した。

 いつもは広間で食事をとるが、今夜はふたりぶん、こっそりと自分の部屋に運んだ。黙って夕餉を食べるクロの姿を、総司はにこにこと見つめている。

「鬱陶しいで、おきた。見るな。そないに見たらあかん」

「はいはい」

「おきたも食べよし」

「はいはい」

「いやらしい男や。さては、少女趣味かいな」

 そう言われながらも、目が離せない。子どもは無垢で、ほんとうにかわいい。

「さっきは、ほんとうにごめんよ。男の子だと思い込んでいたから」

「またその話か。もうええから、早く食べよし」

 味噌汁もご飯もクロには熱すぎるようで、しきりにふうふう息を吹きかけているから、食事がなかなか進まない。自分もかなりの猫舌だけれど、これはさらに上を行く。

「魚が好きなの?」

「ああ、魚な。人間は嫌いや。魚はええ。魚は喋らんし、じろじろ見てこないし、美味い」

 クロの論理は明快だった。

「じゃあ、わたしの分も食べなさい」

「ええんか? おきたの分がなくなるで」

「わたしは、肉や魚が苦手なんです」

「ふーん。ほな、遠慮なく」

 クロは総司の皿の上の魚に、箸をぐさりと刺して、頭からがつがつといぎたなく食べた。総司は目を瞠ったが、伸ばした左腕から火傷の跡が垣間見えて、注意をする気が失せた。

「粗食やったな。せやけどまあ、我慢してやる。そや、おきた。滋養のあるもの、ちょい食べよし」

 食べ終えると、クロは『ごちそうさま』も言わずに、ごろんと畳の上に赤子のように丸くなって、すぐに寝た。疲れていたのかもしれない。

 総司は敷いた蒲団にそっと移動させてやると、クロは寝返りを打った。窓から差し込む月明かりにクロの頬が照らされ、白く光っていた。



 近くで、誰かの気配がした。

 総司は闇の中に、立っていた。

 断片的に蘇る記憶。

 総司は刃向かって来る敵を斬っては捨て、返り血を浴びても進み続ける。部屋の真奥からは『やあ!』『とう!』と、脂の乗った近藤(こんどう)局長の気合いが聞こえてくる。奥の守りは鉄壁だ。ならば、わたしも頑張らなくては。せめて、援軍が池田屋に到着するまでは、ひとりも逃がすものか。

 ああ。わたしは、池田屋にいるのか。

 新選組最大の激闘となった、あの夜。

 六月五日の深夜。

 総司の頬を伝う、返り血のぬるい感覚に気をとられた刹那、闇に潜む敵に背後をとられたようだった。

 しまった。後ろか? まさか。壁に背を向けていたはずなのに、いつの間に回り込まれたんだ。

 ごくりと息を飲む。

 どっちだ、左か、右か。


 総司は、がばりと身を起こした。



「……また、あの日の夢、か」

 もちろん池田屋では、敵に後ろを取られなかったが、総司の中ではいつも、あの夜の出来事は悪夢となって繰り返し再生される。

 総司は蒲団に折り目正しく寝ていたが、額に冷や汗を浮かべていた。

 淡い月明かりが、部屋を包んでいる。 

 隣には、クロがすやすやと眠っていた。ぽかんと口を開いて、手足を蒲団からはみ出して。

 ほほ笑んだ総司はそっと、クロの小さな手を握って、また眠りに入る。

 今度は朝まで起きなかった。

 夢にうなされなかった眠りは、久しぶりだった。



 その翌日。

 朝稽古に行こうと廊下に出たところで、総司は急に非番になった。

「総司、お前今日は休め。疲れているんだろ、そうだよな。ここ最近、働きづめだった、な。俺も忙しかったから、気がつかなくて悪かった。局長には俺が言っておく。よし、部屋で休養。間違っても、町に出たりするな。つまらない輩に出くわして、斬り合いになったりしたら休養にならないからな」

 土方はなにかを恐れているように、薄気味悪いほどやさしく総司を諭した。なにか食べたいものはないか、欲しいものはないかとしつこく訊ねられたから、これは丁重に断った。

 くるりと部屋に逆戻りの総司。

「非番だって、クロ」

 クロは腕組みをして、小生意気そうな態度で壁に寄りかかって立っていた。

「ひじかたは、心配性やな。男前のくせに」

「クロ、見ていたのか?」

「ああ。襖の隙間からな。ああいう男と結婚すると、うるさく嫉妬されそうやな。おぞまし。ひじかたは、女にモテはりそうやけど、絶対長続きせんな」

 (よわい)十(推測)にして、クロは世の中を達観していた。そんなに苦労したのか。やっぱり不憫でならない。

縁側で、総司はクロを膝の上に座らせて、長く伸びた爪を切ってやった。

 ぱちん、ぱちん。

「飛ばせ。爪、もっと遠くまで飛ばせ。おきた」

 切った爪が、中庭に落ちるのを喜ぶクロ。

 おとなしくしていれば、どこにでもいそうな十歳の少女。おかっぱの黒髪がゆらゆら揺れている。真っ黒な瞳が陽に当たると、つやつやと光って青っぽくさえ見えた。

 鮮やかな色をした命が、総司の目の前にある。

 隊命とはいえ、日々奪い続けている命に、こんなにも生き生きとした種類のものが存在するとは。総司は手に冷や汗をかいていた。

「クロは、どこで奉公に上がっていたの?」

「忘れた」

「生まれは」

「覚えておらへん。生まれてすぐ、売られたさかいな」

 しんみりした感じはカケラもない。クロは生まれ育ちを気にかけている風もなく、むしろ明るくあっけらかんとしていた。

 総司も早くに親を亡くし、ちょうどクロと同じ歳のころに、局長の道場に預けられた。家計が苦しかったから、実家を体よく追い出されたのだった。ふたりの姉は『済まない済まない』と泣いていたが、沖田の家を残すためには、これしか方法がなかった。

 近藤局長は行き場のないわたしを黙って受け入れてくれた。あの人への恩は、この先どんなに働いてもすべては返せないだろう。だから、わたしは近藤さんの行く手を阻む者を斬るのだ。

 このままクロを引き取ってやりたいが、ここは新選組の屯所。女の子がいる場所ではない。それに、子ども好きとはいえ、二十にして十ほどの父親とは……正直、きつい。今なら隊から支給されている月々の給金がある。江戸の姉上に任せようか。いや、どこの子とも分からない子どもを育てるなんて、そんな。

 とりえは剣術しかない総司、こういう頭を使うことはやはり土方に相談するよりないと思い直した。また厄介ごとを持ち込んだのかと、怒られそうだけど。

「そうだ、字は書けるかい。そろばんは」

 新しい勤め先を探すにも、少しはできたほうがいい。クロは、騙され……ない性質だと思うが、買い物に行ってお釣りを誤魔化されたりしないとは限らない。

「じ? 字ってなんだ、美味いか?」

「自分の名前は書けたほうがいいだろう。あと、簡単な字を読めるように」

 総司は紙を引っ張り出して、硯に墨を磨った。大きな字で『クロ』と書いてみせてやる。クロはくんくんと新しい墨の匂いを嗅いでいたが、首を傾げて突き出された紙をじっと見ていた。

「それで『クロ』と読むんか」

「うん。でも、女の子にクロってのはちょっとなあ。犬みたいだし。クロっていうのは、あだ名だろう? ほんとうの名前はあるのかい?」

「いや。クロとしか呼ばれたこと、あらへん」

「クロかあ。よく言い得たものだけど、もうちょっと、気の利いた……そうだ。わたしが名前を付けてあげよう」

「おきたが?」

「うん。クロ、暗い、夜。明るい、月。暗い夜を照らす月」

 昨晩の月明かりを総司は思い出した。澄み切った、清々しい月明かり。玲瓏な月の光。やや鋭い光。

「月。冴え渡る月。()(つき)なんてどうだろう」

 まるで詩才のない頭で捻り出した名前を、紙に書いてみる。

『さつき 冴月』

「たいそう過ぎて、あかん。うち、そないにキラキラしい名前、恥ずかしくてかないまへん」

 クロは耳まで真っ赤にして否定した。

女の子っぽい反応、普通にできるじゃないか。総司は嬉しくなった。

「いいのいいの。かわいいよ、クロは」

 自分で言っておきながら、総司は吹き出しそうになった。これじゃ、女性を口説いている土方さんと一緒だ。総司は手で口を押さえて、こみ上げてくる笑いをこらえた。

 クロは、冴月という名前を前向きにとらえようとしている。

「わかった。冴月な。おきた、ええ人やな。やさしい人間も、おるんやな」

 どきりとした。

 やさしい。やさしい? わたしが?

「冴月、わたしは都一の剣客です。いや、新選組の人斬りですよ。この手で、何人殺したかわからない。やさしいというのは、ふさわしくない」

「おきたは、やさしいで。どこぞの者とも知れん汚い童に、手を伸ばしてくれはった」

冴月が総司の頭を撫でる。

「いえ、隊務だから……」

 やさしいなんて、京に来てから初めて言われたことば。総司は新選組随一の、腕前。正直、斬り倒した人の数は、両手の指の本数ではとても数えきれない。

 情けも慈悲も容赦もなく、無感動に斬ることを覚えてしまった自分を、冴月はやさしいと表現してくれた。残酷な一面を冴月には見せていないとはいえ、やさしいと言われただけで、単純にも総司の心はふっと浮かび上がった。

「子ども相手に、なーんて腑抜けた顔、しとるんや、おきた? おきたは、都一の剣客はんだろ? もしかして、都随一はただの自称か?」

「なんだとっ」

 総司は冴月に、ひらがなを教えたりして、この日は暮れた。

 もう少し屯所に留めて、世間のことを覚えたら、土方さんに協力してもらって、わたしが冴月に合った奉公先を見つけてやろう。新選組の沖田が後見人ならば、ひどい仕打ちはされないだろうから。うん、たまには新選組の肩書きを使ってやろう。



 ……。

 ……。

「いけない、寝過ぎたか」

 昨日は一日休みだったから調子に乗って、思わず稽古までさぼってしまったが、今日はそういうわけにはいかない。

 池田屋で名を馳せて以降、隊士はだらけている。知名度は上がったし、町の人たちも新選組の探索には、ずいぶんと協力的になった。それをいいことに、隊士はたるんでいるのだ。

 まずは自分に喝、そして隊士にも喝を入れなおさなければ。

「ん?」

 隣に寝ていたはずの蒲団に、冴月がいない。

「冴月、冴月」

 総司は這って襖を開け、廊下を点検した。

「いくら寝相が悪いたって、部屋の外までは出ないよな、普通」

 うーん、あの子はちょっと普通じゃないけれど。

「なんだ、これ」

 総司の枕元に、腕の中にすっぽり入るぐらいの大きさをした、黒猫の置物がある。目に青っぽい硝子玉を埋め込んだ、木彫りの置物だ。なるほど、冴月のいたずらか。

 冴月を本格的に探さねばならない。男の子の着物を着てはいるが、見た目はかわいらしい。妙な気を起こす隊士がいないとは限らない。総司は急いで着替えて、屯所内を渡り歩いた。

ひんやりとした板張りの廊下が、足裏を刺激するたびにだんだんと状況が飲み込めてきて、眠気も吹っ飛び、焦りが生まれた。

「冴月、どこ」

 屯所の向かいに建つ壬生寺まで足を伸ばして覗いたが、冴月の姿は見つからなかった。

 いったん部屋に戻るが、あるのは敷きっぱなしの冷たい蒲団が二組。それに変な置物。どうなっているのか。

「冴月ィ」

 朝焼けに光る空を見上げながら、総司はつぶやいた。稽古のはじまる時間も迫っている。

 と。そうだ。

 まさか、屯所が気に入らなくて、鴨川に帰ってしまったのだろうか。

 早く、行ってみるしかない。

 玄関で草履を履き直していると、誰かの気配がした。こんな朝早くからかくれんぼか、今度こそ冴月だろう、なんて子どもっぽいやつなんだ、と総司は笑顔で振り返った。

「冴、……なんだ。土方さんか」

 大げさなまでにがっかりする総司を尻目に、土方の機嫌はすこぶる悪く、思わず声を大にして総司を叱りつける。

「なんだって、朝からちょこまか徘徊しやがって、うるさいな。どこへ行くつもりだ」

「鴨川です。朝稽古の時間までには戻りますから」

「は?」

「ですから、失せものを探しに、鴨川まで。松原橋のあたりを、ちょっとさらって」

「曲者?」

「やだなあ、失せものですよ。うせもの」

「お前、そんなに疲れているなら、思い切って湯治でもしてこい。有馬でも、白浜でもいいぜ。久々に、お前の明るい顔つきを見たと思ったら、あんな汚い猫の置物を大切そうに抱き締めやがって、気味が悪いぜ。お前には、こんなところで脱落してもらっては困るからな」

 吐き捨てるように、土方は言った。

 驚いたのは総司だった。

 ……猫の、置物?

「わたしが持っていたのは、置物だった? まさか」

「ああ。いいか、隊士の前でうろたえるな。悲鳴を上げたり、置物に話かけたり、まったく。今のお前は、三流道場の塾頭じゃない、新選組の筆頭剣士なんだ。毅然としろ。都に名を馳せている、沖田総司。この名を聞けば、誰しも戦慄する。敬愛する局長のためには、この道を粛々と進むしかないんだぜ」

 まるで自分に言い聞かせるように、ことばを噛み締めながら土方は話した。

「土方さんも、『新選組の副長』という重い枷をつけて?」

「……昔の莫迦騒ぎは楽しかったが、後戻りはできねえよ。生きるためには、駆け抜けるしかねえところまで、もう来ている。お前も、俺も。さて、もうひと眠りするか。俺は昨夜も遅くまで残務があったからな。隊士の稽古は任せたぜ。いつも以上にびしびしと、厳しくやってくれよ。途中で音を上げるような隊士は要らねえ」

 腕を組んだまま、土方は廊下を去っていった。揺らぐことのない、男の背中だった。

 土方さんはすごい。常に、自分の数歩先を見ている。総司は素直に感動した。

 総司は土方の境地まで達観できないでいる。

 草履を履きかけた総司だったが、それをもとに直して、俯きながら部屋に戻った。

 飾り気のない、がらんとした総司の自室。

黒猫の置物が転がっている。

 クロ、いや冴月の幻を見ていたのだろうか。

「きみは、冴月なのかい」

 置物は答えないが、左腕に焼け焦げた跡がある。青みがかった双眼も、よく見ればなんとなく冴月のものに似ている。

 ああ、冴月なのか。うん、そうだね。

「冴月なんだね、冴月。ありがとう。わたしのところに来てくれて、ほんとうにありがとう」

 総司はこの置物を大切に飾り、毎朝拝んだ。

 以降、新選組の沖田総司は強さにいっそうの磨きをかけたものの、無益な殺生は絶対にしなかったという。


「失せもの、見つけた」                                 了


読了ありがとうございました。


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