第8話:辺境からの野菜テロと料理長ボロス
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
3月29日。
年度末という名の「戦場」は、いよいよ最終局面を迎えようとしている。
窓の外では、満開を過ぎたヒザクラが、名残惜しそうに薄紅色の雪を降らせている。一方で、地面からは湿った土の匂いと、気の早い雑草の青い香りが立ち上り、季節が強引に「春」へと押し流されていくのを感じる。
ギルドの受付カウンターに座る私の耳には、春風のささやきなど届かない。聞こえてくるのは、羽ペンの走る音、冒険者たちの荒い息遣い、そして――。
「――お届け物だ! リリアン・ヴェール嬢宛て、辺境のヴェール農園から、馬車3台分!」
石造りのホールに、聞き覚えのある野太い声が響き渡った。
私は手にしていた『ライセンス更新申請書』を危うく破りそうになった。アクアマリンのピアスに触れる指が、微かに震える。
「……ヴェール農園? 馬車、3台?」
嫌な予感しかしない。
私が窓口をエリスに預け、ギルドの正面玄関へ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
ギルドの入り口を塞ぐように並んだ3台の荷馬車。その荷台には、溢れんばかりの、泥のついた「ジャガイモ」が山積みにされていた。
そして御者台でニカッと笑っているのは、私の実家の隣に住んでいる幼馴染の父、ゴロ爺だった。
「よう、リリィ! 元気にしとるか。お袋さんから預かってきたぞ」
「……っ、ゴロさん! その呼び方はやめてくださいと言ったはずです! それになんですか、この量は!」
荷台のてっぺんには、母・ルネの筆跡でデカデカと書かれた看板が突き刺さっている。
『娘へ。春の植え替えで余ったから送るわ。しっかり食べて、ちゃんと働きなさい!』
周囲の冒険者たちが「おいおい、ジャガイモの山だぜ」「リリアンちゃんの実家、農家だったのか?」「リリィだってよ、可愛いじゃねえか」とニヤニヤしながらこちらを見ている。
私の脳内『冒険者カタログ』が、この事態を瞬時に分析する。
(事象:実母による未合意の物資搬入。問題点:ギルド正面玄関の占拠、および私的物品の公的空間への持ち込み。解決策:即時返送、または……)
「ゴロさん。これは受取拒否です。ギルド規約22条、『私的な荷物の保管および搬入の禁止』に基づき、ただちに持ち帰ってください」
「そう言われてもよ、リリィ。お袋さんから『娘がゴネたら、これを読ませろ』って預かってんだ」
渡された手紙を開くと、そこにはさらに戦慄の内容が記されていた。
『追伸:ギルドマスターのクリフォードさんには、去年の冬に内緒でカボチャを送って、貸しを作っておいたから大丈夫よ』
……あの、気弱なマスターめ。
私のこめかみに青筋が浮かぶ。年度末の激務で疲弊した脳に、母の過剰な愛という名の「テロ」が追い打ちをかける。
「規則は規則です。馬車1台分でも認められません。第一、こんな量のジャガイモ、どこに置くというのですか……!」
「――その荷、俺が買った」
背後から、地響きのような声がした。
振り返ると、そこには195センチの巨躯が、入り口の光を遮るように立っていた。
料理長ボロス。丸太のような腕を組み、裂けそうなコックコートを揺らして、彼はニヤリと笑った。
「ボ、ボロスさん? 『買った』とはどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だ、リリアン。これは『私的な荷物』じゃねえ。食堂『銀の匙』が正式に発注した、貴重な『軍用携帯食料の試作サンプル』だ。そうだろ、ゴロとか言ったか?」
ボロスが金貨の入った袋をゴロさんに放り投げる。ゴロさんは「ガハハ、話がわかるねえ!」と調子よく応じ、馬を動かし始めた。
「待ってください! そんなこじつけ、経理のベルナールさんが許すはずが……」
「あいつの口は、さっきマッシュポテトのパイで塞いできた。リリアン、お前は少し痩せすぎだ。3月の風に吹き飛ばされそうな顔をしてるぜ」
ボロスはジャガイモの袋を軽々と担ぎ上げると、私にだけ聞こえる低い声で言った。
「ルネさんからの手紙に書いてあったぞ。『あの子は忙しくなると、水と地図だけで生きようとするから困る』ってな。……食えん奴から死んでいく。それが戦場の鉄則だ」
私は何も言い返せなかった。
母のパワフルな愛情と、この巨漢料理長の強引な優しさ。
冷徹な事務処理で武装したはずの私の心が、泥臭いジャガイモの匂いに、少しずつ侵食されていく。
◇◆◇◆◇
【視点:ボロス・ヴァルゴス】
厨房は戦場だ。
だが、今日はいつにも増して激しい火力が求められている。
「おい、ミア! サーシャ! 手を休めるな! 今日は全メニューにジャガイモをぶち込むぞ!」
「はーい! でも料理長、いくらなんでも『ポテトサラダ入りエール』は無茶苦茶ですよぉ!」
「バカ言え、食物繊維だ! 冒険者は便秘になりやすいんだよ!」
俺は鼻歌まじりに、巨大な鍋でジャガイモを茹で上げる。
リリアンの野郎、さっきは「カロリー計算が狂います」なんて抜かしてやがったが、あいつの顔色は真っ白だ。年度末の数字の羅列に、魂まで削られてやがる。
あいつの母親、ルネさんから届いた手紙には、娘への心配がこれでもかと詰め込まれていた。
『リリアンは昔から、自分の限界を書類で隠す子なんです。どうか、無理やりにでも食べさせてやってください』
その言葉通り、俺は特製の『山盛りポテトグラタン・辺境風』を仕上げた。
隠し味は、マルサの婆さんからもらった滋養強壮のハーブ。それから、リリアンの好物だと聞いた、少し癖のある春の岩塩だ。
夕刻、窓口業務を終えてフラフラと食堂に現れたリリアンの前に、俺はそれをドスンと置いた。
「ボロスさん……。私、今日はもうペンを持つ気力もありません」
「ペンは持たなくていい。スプーンを持て。これは業務命令だ。マスターのクリフォードも『リリアンの栄養補給は最優先事項』だと認めてる」
「……職権乱用です」
リリアンは不満げにアクアマリンのピアスを撫でたが、グラタンから立ち上る香ばしいチーズとジャガイモの香りに、喉を鳴らしたのを俺は見逃さなかった。
一口、また一口と、あいつが熱いジャガイモを口に運ぶ。
最初は事務的に動いていた口元が、次第に緩んでいく。
「……美味しい。……けれど、多すぎます。明日の体重測定が恐怖です」
「ハッ、そんなもんは誤差だ。いいかリリアン、春ってのは芽吹きの季節だ。身体の中にエネルギーを蓄えねえで、何が新しい冒険だ」
あいつは「プロの受付嬢として、自己管理は基本です」なんて言いながらも、結局皿を空にした。
少しだけ赤みの差したあいつの頬を見て、俺は厨房で腕を組み、「ガハハ」と笑い声を上げた。
外では夜の帳が下り、桜が散った後の枝には、もう次の季節の蕾が準備されている。
あいつも同じだ。
この馬鹿げた量のジャガイモを食い切る頃には、あいつはまた、4月の嵐を真っ向から受け止める「鉄の女」に戻っているだろう。
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
胃袋が重い。
けれど、一日中こわばっていた肩の力が、不思議と抜けている。
私は誰もいなくなったカウンターに戻り、明日の「4月1日」の準備を始めた。
明日になれば、また新しい冒険者たちが、夢と無謀を抱えてこの扉を叩く。
彼らを導き、時には突き放し、その命を守るためにペンを執る。
鞄の中には、食べきれなかったジャガイモが1つ、紙袋に入れられて入っている。
今夜、ユージンに会ったら、彼にもお裾分けしよう。
「私の母からの、少し重すぎる挨拶よ」と言って。
私はアクアマリンのピアスを整え、誰もいないホールに、いつもの「鉄の微笑み」を浮かべた。
【リリアンのプロな流儀】
「栄養計算を無視した愛情は、時にプロの効率を妨げる。だが、その『計算外の熱量』を燃料に変えてこそ、終わらない戦場を駆け抜けることができるのだ」
(第8話:完)
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