第7話:新人の鏡、エリスの挫折
◇◆◇◆◇
【視点:エリス・クロフォード】
3月28日。年度末の締め切りまで残り3日。
窓の外では、ヒザクラの花びらが春の嵐に千切られ、雪のように地面を覆い尽くしている。
ギルドホールの中は、熱気と殺気で溢れかえっていた。
私は、隣の窓口で完璧に冒険者を捌き続けるリリアンさんの背中を、羨望の眼差しで見つめる。
無駄のない動き、冷徹なまでの正確さ。
彼女こそが、私の目指すべき「完璧な受付嬢」の完成形だ。
「規則は絶対。例外は秩序を乱す毒である」
私はリリアンさんの教え(と私が勝手に解釈しているもの)を胸に刻み、次の方を呼んだ。
「――はい、次の方。あ、お待ちなさい。あなたのライセンス、昨日の日付で有効期限が切れています。更新手続きが済むまで、新規の依頼受理は認められません」
私の前に立ったのは、泥だらけで息を切らした1人の若い冒険者だった。
「頼む、頼むよ! 妹が、山菜を採りに行って崖から落ちたんだ! 怪我をして動けない! 今すぐ救助パーティーを組みたいんだ。この依頼書を出させてくれ!」
彼は震える手で、走り書きの依頼書を差し出してきた。
私は一瞬、胸が痛んだ。けれど、私の手元のマニュアルには赤字でこう書かれている。
『期限切れのライセンス所持者による依頼発行は、一切受け付けないものとする』
「……申し訳ありませんが、規則です。まずは更新手続きを。そのためには、身分証明書の再提示と更新料10ゴールドが必要です」
「そんなことしてる暇はないんだ! 太陽が沈んだら、あそこは魔物の巣になる! 今すぐ出さないと……!」
「規則です。例外を認めれば、ギルドの運営は立ち行かなくなります」
私はリリアンさんのように、冷たく、毅然と言い放った。
はずだった。
けれど、冒険者の絶望に染まった瞳を見た瞬間、私の指先がわずかに震える。
「あんた……、鬼かよ。人が死ぬかもしれないって言ってるんだぞ!」
周囲の冒険者たちがざわつき、私に非難の視線を向ける。
私は正しいことをしている。規則を守っている。
それなのに、なぜこんなに息が苦しいのだろう。
「リリアンさんなら、きっとこうするはず……。リリアンさんなら……」
私が自分に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
「――エリスさん。そこまでよ」
氷のように透き通った声が、騒然とするホールに響き渡った。
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
エリスの窓口で起きていることは、私の『冒険者カタログ』の端にずっと引っかかっていた。
彼女は真面目すぎる。
その真面目さが、時に「規則」という名の刃となって、救えるはずの命を切り捨てようとしている。
私は自分の窓口を一時閉鎖し、エリスの隣に立った。
「エリスさん。この案件は私が引き継ぎます。あなたは裏で、ボロスさんが淹れた『春のヨモギ茶』でも飲んで、頭を冷やしてきなさい。……これは命令よ」
「……リ、リリアンさん。でも、規則が……」
エリスは泣きそうな顔で席を立った。
私は泥だらけの冒険者に向き直り、彼の依頼書を手に取る。
「カイルさん、でしたね。あなたのライセンスが切れているのは事実です。ですが、ギルド規約第14条第3項、『緊急事態における人道的特約』を適用します。この依頼はあなたの『個人依頼』ではなく、ギルドが一時的に肩代わりする『公共救助案件』として受理します」
「え……っ、じゃあ!」
「ただし、救助にかかる費用の15パーセントを、後日あなたのライセンス更新料に上乗せして徴収します。いいですね? サインを」
私は淀みなく書類を書き換え、受理印を力強く押した。
「ナネットさん! 救助パーティーの編成を。ハンスさんのところのトビー君を走らせて、待機中の銀級を3人捕まえて。5分以内に!」
「――了解。殲滅……ではなく、救助に向かわせます」
影のように現れたナネットが、凄まじい速度でホールの外へ消えていく。
冒険者は何度も私に頭を下げ、ナネットの後を追っていった。
ホールに再び静寂が戻る。
私はアクアマリンのピアスを1撫でし、バックヤードで項垂れているエリスの元へ向かった。
「……リリアンさん。申し訳ありませんでした。私、リリアンさんみたいに完璧に規則を守ろうとしたのに、結局……」
「エリスさん。私はいつ、あなたに『規則に殺されろ』と言ったかしら?」
私の言葉に、エリスが顔を上げる。
「規則は、私たちを守るための盾であり、冒険者を導くための道標よ。けれど、道標に縛られて足を止めたら、その先にある目的を見失う。私たちの真の目的は、事務処理を終わらせることではなく、ギルドの資産である冒険者の『生』を管理することよ」
私はかつての自分を思い出していた。
私も新人の頃、同じように規則を守りすぎて、1人の冒険者の腕を失わせたことがある。
その時の主任――今のクラウディア主任に、私はこっぴどく叱られたのだ。
「完璧であることと、硬直していることは違うわ。プロの受付嬢は、100ある規則の裏側に、101個目の『解決策』を常に隠し持っておくものよ」
窓の外、春の嵐が止み、雲の間から夕日が差し込んできた。
「さあ、いつまでも湿っぽくしないで。明日は3月29日、年度末の本当の地獄が始まるわ。ヨモギ茶を飲み干したら、窓口に戻りなさい。……あなたのペン捌き、期待しているわよ」
「……っ、はい! ありがとうございます、リリアンさん!」
エリスが袖で涙を拭い、力強く頷いた。
私は自分の窓口に戻り、残った書類の山を見据える。
今夜は少し、帰りが遅くなりそうだ。ユージンとの待ち合わせには間に合うだろうか。
鞄の中の「イチゴマフィン」が、少しだけ重くなった気がした。
【リリアンのプロな流儀】
「規則は盾であって、鎖ではない。正しく使いこなし、時にしなやかに曲げてこそ、プロの道具としての価値が生まれるのである」
(第7話:完)
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