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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第一部:三月・惜別の季節

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第6話:経理ベルナールの「定時退勤」追跡調査

◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 3月27日。年度末の最終決算まで残り数日。

 この時期のギルド事務局は、死の宣告を待つ囚人の独房のような、重苦しい静寂とピリピリとした緊張感に包まれる。


 その原因の9割は、私の斜め向かいのデスクに座る男にある。


「……リリアンさん。この第142号依頼の経費精算、ポーションの購入数が3本となっていますが、納品書の控えは2本です。残りの1本の行方は? 紛失ですか? 横領ですか? それとも、私の計算能力に対する挑戦ですか?」


 経理担当、ベルナール・シューマン。35歳。

 青白い肌に冷徹な三白眼。煤けた灰色のスーツを纏い、常にそろばんの玉を弾くような指の動きをしているこの男は、ギルドで最も「感情」を信じない人間だ。


「ベルナールさん。その1本は、冒険者が現場で破損したため、保険適用による現物支給に切り替えました。補足資料の3枚目、裏面の下部に記載してあります。ご確認ください」


 私が淡々と答えると、ベルナールは無言で羊皮紙をめくり、チッと舌打ちをした。

 彼にとって、私の提出する書類に不備がないことは、一種の「計算ミス」に等しい不快事象なのだ。


 窓の外では、春の夕暮れが街をオレンジ色に染め始めている。

 3月の終わり特有の、少し湿った、それでいて冷ややかな風がカーテンを揺らした。


 現在の時刻、16時55分。

 私は手際よくデスクの羊皮紙を揃え、万年筆のキャップを閉めた。


 ベルナールの視線が、私の動きを執拗に追っているのを感じる。

 彼は私の「定時退勤」を極めて不自然だと考えている。年度末のこの忙しい時期に、残業もせずに帰る職員など、彼の方程式には存在しないからだ。


「お疲れ様でした。定時ですので、失礼します」


 17時ちょうど。私は席を立った。

 ベルナールのそろばんを弾く音が、一瞬だけ止まった。


◇◆◇◆◇


【視点:ベルナール・シューマン】


 理解不能だ。

 リリアン・ヴェール。あのアクアマリンの瞳を持つ女は、このギルドの最大の「未解決変数」だ。


 彼女の仕事は完璧だ。1ゴールドの誤差もなく、提出期限を1秒も遅れない。

 しかし、だからこそ不自然なのだ。

 あのような完璧な事務処理をこなしながら、なぜ彼女は毎日、針が重なると同時に席を立てる?


 答えは2つに1つ。

 彼女が超人であるか。あるいは、定時後にギルドの利益を損なう「何か」に従事しているか。


 私は自らの美学に基づき、調査を開始することにした。

 幸い、経理担当として「不透明な行動」を精査する権限は(私の中では)存在している。


 私は彼女に気づかれないよう、数分の間隔を置いてギルドを出た。

 3月末の街は、春祭りの準備で浮ついている。あちこちの屋台から「山菜のフリット」の香ばしい匂いが漂ってくるが、私にとってはカロリーと銅貨の交換比率を確認する対象でしかない。


 リリアンは迷いのない足取りで、中央図書館へと向かった。

 ……図書館? 資料の隠蔽か?


 私は物陰から彼女を追った。

 館内は沈黙が支配している。彼女が向かったのは、古い地図や地誌が収められた閉架書庫に近い閲覧席だった。


 そこで彼女を待っていたのは、1人の男だった。

 眼鏡をかけた、穏やかそうな、しかしどこか知的な風貌の男。

 

 リリアンが、微笑んだ。

 ギルドで見せる「鉄の微笑」ではない。もっと柔らかい、春の陽だまりのような、計算外の熱量を含んだ笑み。


「お待たせ、ユージン。今日は良い資料が見つかったの」


 2人は親しげに1冊の古い本を広げ、声を潜めて語り合い始めた。

 私は物陰で手帳に記録する。

(17時22分。中央図書館にて、正体不明の男性と接触。親密度・高。会話内容は……地図の測量データ? 恋愛か、それとも密輸の打ち合わせか?)


 しばらく観察を続けたが、2人の行動は驚くほど健全だった。

 ただ、ひたすらに古い地図を眺め、時折、手が触れそうになるとリリアンが恥ずかしそうに顔を赤らめる。


 ……計算が合わない。

 あのような「生産性のない時間」のために、彼女はあの殺人的な業務量を定時までに終わらせていたというのか?

 

「ベルナールさん。そこで何を計算しているのですか?」


 背後から冷徹な声がした。

 心臓がそろばんの玉のように跳ねた。振り返ると、そこにはモップを持ったナネットが、無表情に立っていた。


「……ナ、ナネット。私はただ、街の人口流動を実測していただけで……」


「リリアン様のプライベートは、ギルドの経理監査対象外です。……掃除の邪魔ですので、消えてください。さもなくば、あなたの存在自体を『不明な支出』として処理します」


 ナネットの目が、暗殺者のそれと同じ光を宿した。

 私は本能的に理解した。この件を深追いするのは、私の生涯利益を著しく損なう行為だと。


◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 翌朝。私がデスクに座ると、ベルナールがいつも以上に険しい顔でそろばんを叩いていた。

 心なしか、私と目が合うたびに、彼の指先がわずかに震えている気がする。


「ベルナールさん。この資料、何か不備でも?」


「……いえ。不備はありません。完璧すぎて、逆に気味が悪いだけです」


 彼はそう吐き捨てると、狂ったような速度で計算に戻っていった。

 どうやら、昨夜の尾行には彼なりの収穫があったらしい。もっとも、ナネットさんが「適切に処理」してくれたおかげで、私の平穏は守られたようだが。


 窓の外では、春の嵐に耐えたヒザクラが、新年度を前に最後の花を誇らせている。

 

 仕事、趣味、そして愛する人との時間。

 これらを完璧なバランスで配分するためには、経理担当の計算式よりもずっと複雑な「情熱」が必要なのだ。

 それを理解できないベルナールさんに、私の定時退勤の謎を解く日は一生来ないだろう。


「リリアンさん、マフィンの予約、取れましたよ!」


 隣でエリスが嬉しそうに報告してくる。

 私はアクアマリンのピアスを1回撫で、冷徹な仮面を被り直した。


「エリスさん。その予約確認書、フォーマットが旧式のままよ。3分以内に修正しなさい。……仕事が残っているなら、マフィンはお預けよ」


「ひっ、はい!」


 今日という1日を、誰よりも美しく、効率的に終わらせる。

 それが、私の日常という名の「完璧な決算書」なのだ。


【リリアンのプロな流儀】


「完璧な事務処理には、完璧な休息が必要だ。そして、最高の休息とは、誰にも計算できない『大切な人との時間』を指すのである」


(第6話:完)


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