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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第一部:三月・惜別の季節

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第5話:戦闘メイドの「春の大掃除」

◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 3月26日。年度末の締め切りまで残り1週間を切ったこの時期、ギルドにはもうひとつの「嵐」が吹き荒れる。

 例年、この日に設定されている「春の大掃除」だ。


 窓の外では、ヒザクラが散り始めた花びらを風に乗せて、窓の隙間から執拗に室内に送り込んできている。

 春の陽気は心地よいが、同時に冬の間に積もった埃や、乾燥した空気が運ぶ細かな砂が、ギルドの隅々にまで忍び寄っているのだ。


「――リリアン様。そこ、退いてください」


 冷徹な声と共に、私の足元を銀色のモップが凄まじい速度で通り過ぎた。

 戦闘メイド、ナネット・S・レアンドロス。28歳。

 漆黒のストレートヘアを揺らし、一切の無駄がない動きで床を磨き上げる彼女は、今日という日においてはギルドマスター以上の権力を持つ「戦場の支配者」となる。


「ナネットさん。その棚の書類はまだ整理中よ。勝手に廃棄リストに入れないで」


「期限の切れた羊皮紙は、可燃性の埃を呼ぶだけのゴミです。……あ、そこのバルカスさん。足跡がつきました。指を3本、詰めたいのですか?」


 入り口付近で立ち尽くしていた戦士のバルカスが、悲鳴を上げて飛び退いた。

 ナネットの手に握られたモップは、時折、鈍い銀光を放つ。あれが単なる掃除道具ではなく、特注の合金で作られた重兵装であることを知っている者は少ない。


 ギルド内は、ナネットの指揮の下、パニックに近い状態になっていた。

 解体所からはハンスさんとトビー君が運び出した巨大な魔獣の骨が並べられ、食堂ではボロス料理長が「掃除の邪魔だ!」とナネットに追い出され、外の広場で「春の炊き出し」を強制されている。


「リリアンさん、助けてください! ナネットさんが私の大事な『恋占いセット』を、不燃ゴミの山に……!」


 ウェイトレスのミアが泣きついてくるが、私は彼女を無視して、次々と運び出される備品のリストをチェックし続けた。

 

 ナネットの掃除は、単なる美化活動ではない。

 彼女は、このギルドに潜む「淀み」を物理的に排除しているのだ。

 それは不衛生な埃であったり、賞味期限の切れたポーションであったり、あるいは、冒険者たちが持ち込む「負の感情」の残り香であったりする。


 私は、ナネットがゴミの山へ放り込もうとした古い鉄の箱に目を留めた。

 錆びついたその箱には、2階の主任室にあるものと同じ、クラウディア主任の古い紋章が刻まれていた。


「ナネットさん。それはゴミじゃないわ。……主任に届けておきなさい」


 ナネットは手を止め、無機質な瞳で私を見た。

 彼女は一瞬だけ、その箱を検分するように見つめた後、小さく頷いた。


「……了解しました。リリアン様、あなたのポケット、昨日に比べて15グラムほど軽くなっていますね。無駄なものを処分したようで、何よりです」


 ドクン、と心臓が跳ねた。

 昨日の「手紙」の件だ。彼女は、私が規約違反をして遺族に手紙を届けたことを、ポケットの重さの変化だけで察知している。

 私はアクアマリンのピアスを1回撫で、平静を装った。


「掃除と同じよ。重すぎる荷物は、歩みを鈍らせるだけだから」


「……その通りです。リリアン様」


 ナネットはそう言うと、再び戦場――もとい、ホールの清掃へと戻っていった。


◇◆◇◆◇


【視点:ナネット・S・レアンドロス】


 掃除は戦闘である。

 敵は埃。敵はカビ。敵は秩序を乱す全ての汚れだ。

 

 私は、戦場ギルドホールの最前線でモップを振るう。

 この石造りの建物には、毎日何百人という人間が出入りする。彼らが持ち込む砂や泥、そして獣の血。それらを放置すれば、この場所はすぐに腐敗し、ギルドとしての機能を失うだろう。

 

 平和とは、誰かが守り、磨き続けなければ維持できない虚像だ。

 かつて私が身を置いていた血生臭い戦場に比べれば、この掃除という戦いは、なんと報われることだろう。磨けば磨くほど、世界は確実に輝きを取り戻す。


「……ナネット、少しは休憩しろ。ほら、ボロスが作った『桜鯛のつみれ汁』だ。外で食ってこい」


 ギルドマスターのクリフォード様が、書類の山から顔を出して震える声で仰った。

 私は彼を一瞥する。


「マスター。あなたの机の下に、3年前の菓子パンの包み紙が1枚、執念深く潜伏しています。それを殲滅するまで、私の戦闘は終わりません」


「ひっ、すみません!」


 マスターを追い出し、私はリリアン様から預かった小さな鉄の箱を手に取った。

 クラウディア主任の古い持ち物。

 中には、色褪せた1枚の写真と、小さな魔石の欠片が入っていた。

 写真は、若き日の主任とマスターだろうか。今よりもずっと尖った目をした主任が、不器用そうに笑っている。

 

 私はそれを主任室の机に置き、再び1階へ降りた。

 

 受付カウンターでは、リリアン様が再び「鉄の女」として冒険者を捌いている。

 彼女は、このギルドで最も「綺麗」な人だ。

 それは容姿のことではない。彼女の仕事の流儀に、一点の曇りもないことを私は知っている。

 

 昨日の夕方、彼女が市場でユージンという名の書士と接触していたことも、私は影から確認している。

 それはギルドの警備対象外の私事プライベートだが、彼女がその恋人との時間のために、驚異的な速度で事務処理を終わらせている姿は、一種の武芸に近い。

 

 リリアン様が、時折、地下のアンリと噂されているのは滑稽な話だ。

 彼女が本当に心を許している相手は、この不潔なギルドの中にはいない。

 だからこそ、彼女はここで誰よりも完璧でいられるのだろう。


「ナネットさん! トビーがまた解体所で大きな骨をひっくり返しました!」


 新人のエリスが叫んでいる。

 私はモップを構え直し、無表情のまま地を蹴った。

 

「――殲滅します」


 春の風が、開け放たれた扉から吹き込み、磨き上げられたばかりの床に桜の花びらを1枚置いた。

 それは今日という日の、唯一許される「汚れ」だった。


◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 夕刻。ギルド全体が、ナネットの手によって新築のような輝きを取り戻していた。

 空気中の埃は一掃され、石畳は滑りそうなほどに滑らかだ。

 

 外では「掃除お疲れ様会」として、ボロス料理長のつみれ汁が振る舞われ、冒険者たちが春の宵を楽しんでいる。

 私はカウンターの引き出しを整理し、自分だけの「大掃除」を終えた。

 

 ナネットが言った「15グラムの軽減」。

 それは昨日のカイルの手紙のことだ。

 彼女は私の秘密を知っている。けれど、彼女はそれを「汚れ」とは見なさなかった。

 

 プロの仕事場には、時に隠し事も必要だ。

 けれど、その隠し事が組織の腐敗に繋がらない限り、私たちは互いの聖域を守り続ける。

 それが、この個性豊かな職員たちが集まる「中規模都市支部」が、崩壊せずに機能し続けている理由なのかもしれない。


「リリアン様。裏口の清掃完了。……ユージン様が、いつもの場所で待機しています」


 ナネットが通り過ぎざま、誰にも聞こえない声で囁いた。

 私はアクアマリンのピアスを整え、完璧な微笑を浮かべる。


「ありがとう、ナネット。……さあ、明日のために、今日は早く帰りましょう」


 磨かれた床に、私の靴音が軽やかに響いた。


【リリアンのプロな流儀】


「完璧な秩序とは、一粒の埃も、一分の隠し事も、適切な場所に配置されている状態を指す。それができて初めて、窓口は明日を迎える準備が整うのだ」


(第5話:完)



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