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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第二部:四月・芽吹きと波乱の季節

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16/23

第15話:市場の密会、ユージンの眼鏡の奥

◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 4月の第3日曜日。


 ギルドの制服を脱ぎ、亜麻色の髪をほどいて柔らかなシフォンブラウスに身を包む。鏡の中の私は、どこからどう見ても「地図が好きなだけの、少し地味な事務員」だ。

 

 窓の外、春の陽光が石畳を温め、市場からは活気ある売り声が聞こえてくる。


 今日はユージンとの貴重な休日デート。1分1秒の無駄も許されない。私はアクアマリンのピアスを揺らし、愛用の革鞄を手に取った。


「お待たせ、リリアン。今日も素敵だね」


 噴水広場で待っていたユージンが、いつもの穏やかな微笑みで私を迎えてくれる。

 この瞬間、私の脳内にある『冒険者カタログ』は一時停止し、代わりに『ユージンとの幸福指数最大化プラン』が起動する。


「ううん、私も今来たところよ。さあ、行きましょう」


 私たちは手を繋ぎ、賑わう市場へと足を踏み入れた。

 焼きたてのパンの香り、色鮮やかな春野菜、そして人々の笑い声。平和そのものの風景。


 だが、その平穏は、私の「軍師としての本能」が告げる警告音によって一瞬で引き裂かれた。


(前方30メートル、八百屋の角――。あの巨大な質量と、騒々しい声。間違いない、料理長ボロスと解体見習いのトビー君だ!)


 私の身体が、思考より先に反応した。

 

(事象:同僚との予期せぬ遭遇。深刻度:特A。原因:ボロスの気まぐれな仕入れルート変更。解決策:……隠密行動による完全回避)


「リリアン? どうしたんだい、急に立ち止まって」


「あ、ユージン。……あっちの路地裏にあるアンティークショップ、昨日新しい地図が入ったって聞いたの。急ぎましょう!」


 私はユージンの手を引き、絶妙な角度で死角へ滑り込んだ。

 人混みの流れを読み、荷馬車の通過タイミングを遮蔽物として利用し、ボロスの視線が反対側の肉屋に向いた刹那に最短経路で路地へ。

 

 かつて魔王軍の斥候網を潜り抜けた時と同じ、ミリ単位の無駄もない歩法。

 息を切らすこともなく、私は「平和な恋人」の顔を維持したまま、追っ手を……ではなく、同僚を振り切った。


◇◆◇◆◇


【視点:ユージン・ラクロワ】


 リリアンに引かれるまま、私たちは迷路のような路地裏を抜けていた。

 

 彼女は「地図が見たい」と言ったけれど、今の彼女の動きは、単なる散歩のそれではない。

 人混みのわずかな隙間を縫うように歩き、角を曲がる時は必ず一度だけ視線を走らせる。その身のこなしは、驚くほど効率的で、無駄がない。

 

 まるで、目に見えない「敵の視線」をすべて把握しているかのような……。


「……ふぅ。ここなら大丈夫ね」

 

 辿り着いた静かなカフェのテラス席で、リリアンは小さく息を吐いた。

 彼女は「偶然見つけたお店だけど、素敵ね」と微笑んでいる。

 

 だが、私は気づいてしまった。


 先ほど市場を全速力で横切る際、彼女は一度も足元を見ていなかった。それなのに、凸凹でこぼこした石畳や飛び出した看板、急に駆け出してきた子供を、すべて「予見」していたかのように、流れるような動作で避けていたのだ。

 

 アンリが言っていた「うちの受付の化け物じみた有能さ」という言葉が、不意に脳裏をよぎる。

 

(まさか。リリアンはただの事務員だ。……でも、今の「隠密移動」は、熟練のスカウト(斥候)でもこれほど鮮やかにはできないだろうな)


 彼女は今、楽しそうにメニューを眺めている。

 そのアクアマリンの瞳に宿っているのは、冷徹な戦略ではなく、純粋な好奇心だ……そう信じたい。


「ユージン? 私の顔に、何かついてる?」


「……いや。リリアンは本当に、不思議な人だなと思ってね。地図が好きだからかな、道に迷わないどころか、一番いいルートを直感で選べるんだね」


 私はあえて深く追求せず、眼鏡の奥で微笑んだ。


 愛とは、知っていることを隠すこと。


 彼女が隠したがっている「何か」があるのなら、私はそれを暴くのではなく、彼女が「ただのリリアン」でいられる時間を、全力で守ってあげたいと思う。


「そうよ、ユージン。私はいつだって、あなたへの最短ルートを選んでいるつもりだわ」


 リリアンは少しだけ顔を赤らめて言った。

 その言葉に嘘はないのだろう。ただ、その「最短ルート」の選び方が、戦場を支配する軍師のそれであることには、気づかないふりをしておこう。


【リリアンのプロな流儀】


「プロのプライベートは聖域である。たとえ同僚であっても、その境界線を越えさせるわけにはいかない。愛する人の前で『平凡な自分』であり続けるためには、持てるスキルの全てを駆使して、日常という名の戦線を維持しなければならないのだ」


(第15話:完)


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