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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第一部:三月・惜別の季節

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第10話:三月の終わりに、最敬礼を

◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 3月31日、16時。

 カレンダーの最後の一枚が、春風に捲られようとしている。

 ギルドホールは、文字通り「沸騰」していた。4月1日からの新年度を控え、新しい装備を自慢し合う者、遠征の契約を急ぐ者、そして故郷へ帰るための清算を行う者。人々のそわそわとした熱気が、石造りの壁に反射して、私のカウンターまで押し寄せてくる。


 今日は特別体制だ。通常4つの受付窓口に加え、特設の5番窓口が設置されている。

 そこには、普段は2階で采配を振るっているはずの主任、クラウディアさんが座っていた。


「――はい、次の方。あら、その傷なら冒険者保険の適用内よ。書類の3枚目にチェックを入れて。……はい、お次!」


 紅蓮の髪を揺らし、元・金級冒険者の覇気を漂わせながら、クラウディアさんは私以上の速度で書類を捌いていく。エリスも、そして今日が最後となるフィーナも、額に汗を浮かべながら必死にペンを動かしていた。

 5つの窓口がフル稼働する光景は、事務方にとっての「最前線」そのものだ。


「――はい、次の方。清算ですね。端数の5銅貨、次回の依頼保証金に充当しておきます」


 私は1秒も手を止めず、1枚の羊皮紙を処理した。

 この喧騒の中にいると、時折、自分という人間が消失していくような感覚に陥る。私はリリアン・ヴェールという女性ではなく、膨大なデータを処理し、冒険者の生殺与奪を数字で管理する「第一窓口の歯車」そのものになっている。


 それでいい。いや、それがいいのだ。

 「便利な装置」でいれば、誰かに心を土足で踏み荒らされることもない。かつて、私の熱意や知識がただの「資源」として搾取され、心が摩耗しきったあの頃に比べれば、この鉄の仮面はどれほど私を安らげてくれることか。


「……リリアンさん。今日で、私の研修も終わりです」


 隣の窓口で、地方研修生のフィーナが、鼻を真っ赤にして私を見つめていた。

 彼女は1ヶ月の研修期間を終え、明日には故郷の小さな分会へと戻る。


「挨拶なら、17時の鐘が鳴ってからにしなさい。今はまだ、あなたの前には3人の冒険者が並んでいます。彼らにとって、あなたの感傷など知ったことではありません。……手を動かして」


「ううっ、最後まで厳しい……。でも、ありがとうございました!」


 フィーナは涙を袖で拭い、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。

 私はその背中を横目に、自分のデスクの奥に隠した小さな箱を指先で確認した。


 研修を終えた彼女への、私なりの餞別だ。


 中身は、私が今着けているものと全く同じ、アクアマリンのピアス。

「備品管理のミスで余ったものです。捨てようと思いましたが、あなたの髪色には合うかもしれませんね」という、偽りのメモを添えて。


 お揃いの石を身に着けていれば、彼女がいつかまた壁にぶつかった時、この「戦場」で学んだプロの矜持を思い出してくれるだろうか。


(あと、1時間。この地獄を終えれば、私は再び、あの人の隣で『ただのリリアン』になれる)


 その期待が、私のペン先をさらに加速させた。


◇◆◇◆◇


【視点:ユージン・ラクロワ】


 夕暮れの街は、4月を待つ人々の喧騒で溢れていた。

 中央図書館での仕事を終えた私は、アンリとの待ち合わせ場所へ向かう途中、ふと足を止めた。

 視線の先には、街の象徴とも言える冒険者ギルドの重厚な建物がある。


 ちょうどその時、ギルドの正面玄関から1人の冒険者が吐き出されるように出てきた。扉の隙間から、カウンターの奥に座る「彼女」の横顔が、一瞬だけ見えた。


 亜麻色の髪。アクアマリンの瞳。そして、特徴的な左耳のピアス。

 外見的特徴を並べれば、それは私の恋人、リリアンに他ならない。


「……いや、まさか」


 私は自分の考えを即座に打ち消した。


 そこにいたのは、5つの窓口が並ぶ戦場の中心で、機械のような精密さで書類を捌き、冒険者を氷のような眼差しで射抜く「冷徹な執行官」だった。その立ち姿からは、慈悲も、迷いも、そして私が愛しているあの柔らかな温もりも、1ミリも感じられない。


 リリアンは、休日の朝、地図の上を歩く虫を逃がしてやるような優しい女性だ。

 あんな風に、剥き出しの戦場の一部として、感情を殺して笑うことなどできるはずがない。


(やはり、アンリの思い違いか。魂の質が違いすぎる……)


 私はそう結論づけ、視線を外した。

 明日からは4月だ。リリアンと、新しい季節の訪れを祝う計画を立てている。彼女が「職場のストレス」を口にすることはないけれど、せめて私の前では、あの穏やかな微笑みを絶やさずにいてほしいと願うばかりだ。


◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 17時。


 3月最後の鐘が鳴り響いた。


「研修終了です。フィーナさん、これはあなたの私物整理の中に紛れ込んでいたものです。二度と忘れ物をしないように」


 私は事務的に小さな箱をフィーナに渡し、彼女が箱を開けて「えっ、これ、リリアンさんの……!」と叫び出す前に席を立った。


 背後でフィーナが「リリアンさん、大好きですー!」と泣き喚いているのが聞こえたが、私は振り返らない。それが、去りゆく者への私の最敬礼だ。


 無人のカウンター。私は静かに深く一礼した。


 この1年間、この窓口で守り抜いた命と、処理した膨大な記録。


 それらを誇りに思いつつ、私は心の中で「鉄の仮面」の鍵を外した。





 17時5分。


 私は完璧な姿勢でギルドの扉を開け、夜の街へと踏み出した。

 アクアマリンのピアスが、新年度を祝う街の灯火を受けて、誇らしげに揺れている。


「お疲れ様、リリアン。今日も大変だったかい?」


 いつもの場所で待っていたユージンが、優しく微笑んで手を差し出した。

 私は彼の掌に自分の手を重ね、一人の「恋する女性」としての顔を、ようやく取り戻すことができた。


「ええ、少しだけ。……でも、もう大丈夫。3月は、これでおしまいですから」


 明日になれば、また新しい嵐が吹くだろう。

 けれど、この温もりがある限り、私はまたあの窓口に座ることができる。


【リリアンのプロな流儀】


「3月は別れの季節ではない。次に来る春の嵐に備え、自分という存在を完璧に整理するための期間である。そして、プロが最後に敬礼を捧げるのは、守り抜いた秩序と、自分を待つ大切な人の笑顔である」


(第10話:完)


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