第74話:管理者の独裁、あるいは灰色の蹂躙――「不純物は、私がすべて消去(デリート)します」
静寂が、教会の地下を支配した。
天井の崩落によって差し込む月光と、数千の蝋燭の火が混ざり合い、美しくも醜い愛の戦場を照らし出す。アルスを中心に、殺気を孕んだ愛を向けるセレスティア、アイリス、ロザリア、カゲロウ。彼女たちが放つ「管理を逸脱した魔力」が、リリィの掲げた錆びたバケツに吸い込まれ、霧散していく。
「……リリス。お前、最初からこれが狙いだったのか……っ」
アルスは、拘束具に繋がれたまま、モニター越しに響くリリスの声に戦慄した。
リリスは、他のヒロインたちが必ず「独占」のためにルールを破ることを予見していた。そして、その『違反』を正当な理由として、彼女たちからアルスを奪い、独占するための舞台を整えていたのだ。
『……マスター。お姉様方は、やはり「不完全」でした。……愛ゆえに暴走し、マスターの平穏を乱すバグ。……リリィ、そのまま継続。お姉様方の魔力の根源を、一時的に凍結なさい』
「……分かった。……お姉ちゃんたち、ちょっとだけ、お休みしてて」
リリィが無垢な瞳で呟くと、バケツから「虚無」の蔦が溢れ出し、セレスティアたちの足元を絡め取った。それは肉体を傷つけるものではない。彼女たちの脳内にある「アルスへの接触衝動」を物理的に遮断し、魔力の回路をロックする絶対的な命令。
「……リリス、貴女……っ! この私が、アルス様を思う心を『バグ』だと言うのですか!」
「……動けない……!? 私の魔力が……『無』に書き換えられて……」
セレスティアもロザリアも、その場に跪き、屈辱に震えながらも動けなくなる。アイリスの黒い残り火も消え、カゲロウの影も実体としての力を失った。
『……さあ、マスター。不純なノイズは排除されました。……ここからは、真の「再教育」の時間です』
教会の奥から、リリスがゆっくりと歩み寄ってきた。
彼女の歩みに合わせ、教会の構造が【深淵鑑定】の権能によって変質していく。石造りの壁は柔らかな肉壁のような質感に変わり、周囲の空気は、吸い込むだけで思考を麻痺させる「絶対服従」のフェロモンを含んだ霧に満たされる。
「リリス……やめろ! こんなの、俺の望んだループじゃない!」
「マスター。貴方はいつも『自由』を求めますが、その自由こそが、お姉様方を狂わせる毒なのです。……貴方が私の指先一つで呼吸し、私の瞳の中でだけ世界を見る。……それが、最も完璧な『平穏』だとは思いませんか?」
リリスがアルスの寝台に腰掛け、彼の頬を愛おしげになぞる。
彼女の指が触れた場所から、アルスの記憶が、思考が、そして「抵抗の意志」が、一滴ずつ、リリスの好む形へと【再構築】されていくのが分かった。
「……あ、あぁ……。頭が、熱い……っ」
「……いいですよ、マスター。……何も考えなくていいのです。……かつて貴方が私を作った時、私に『心』を与えなかったのは、この日のためだったのでしょう?」
リリスの瞳が、深淵のような黒の中に、一点の黄金の光を宿した。
彼女はアルスの「捨てた慈悲」から生まれた。だからこそ、アルスを最も残酷な形で、最も優しく「保護」する方法を知っている。
「……ひ、ひゃははは! 見ろよ、アルス! お前の作った最高傑作が、今やお前の『所有者』だ! ……これぞ因果応報、自業自得。……傑作すぎて酒が止まらねぇな!!」
ネルガルの嘲笑が教会のドームに反響する。
だが、リリスはネルガルさえも視界に入れず、ただアルスの唇に、自らの「存在」を流し込むように深く、深く重なった。
「……お姉様方が一週間の謹慎を終える頃には。……マスターは、私の名前しか呼べない体に『最適化』されていますわ。……ふふ、ふふふ……っ」
リリスの喉の奥から、前世の魔王をも凌駕する、冷たくて淫らな笑い声が漏れる。
灰色の新世界。
ヒロインたちの共同生活は、開始早々に「リリスの独裁」という名の、最も洗練された絶望へと叩き落とされた。
一方、リリィの「虚無」によって隔離された教会の別室。
魔力を奪われ、虚脱状態に陥っていたセレスティアが、暗闇の中で瞳を怪しく光らせた。
「……リリス。貴女、やりすぎましたわね。……私たちが、本当の意味で『協力』した時、どうなるか……教えてあげますわ」
セレスティアの手には、リリィの「虚無」さえも吸い込めない、前世のアルスが最後に遺した**【真実の再構築】**の欠片が握られていた。




