LINEと嘔吐癖
もう三日間、カーテンは開けていない。
昼なのか夜なのか、細い隙間から漏れる光の色だけが、かろうじて時間を主張している。布団の中で目を開けると、空気はぬるくて少し酸っぱい。昨日の夜、洗面所まで行けなかったんだっけ。
私は人付き合いができないわけではない。「できなくはない」という程度だった。
高校まではそれで足りた。教室という狭い水槽の中で、私はなんとか呼吸していた。不謹慎なことを言うが、コロナでの自宅待機は私にとって救いだった。あの「息継ぎ」がなければ、もっと早くに溺れていただろう。
しかし大学に入って、水は急に深くなった。自由という名前の海に放り出されて、泳ぎ方を知らないことがばれてしまった。試しに入った文化系サークルは、思いのほか根明が多く、一年もしないうちに、私は輪から飛び出ていた。目に見えない斥力に押されるようだった。
それからというもの、特に何かに所属することはなかった。自分でも薄々わかっていたのだ、私に「集団」というものは不向きなんだと。それでも高校の時みたいに、レールに乗って耐えていれば、何とかなると楽観していた。他力本願の馬鹿だった。
──ふと、枕元のスマートフォンが震える。反射的に画面を見ると、LINEの友だち欄に、見覚えのない名前が増えていた。トークを開くとこうあった。
「お久しぶりです! 就活のアンケート、よかったら協力してください!」
……ああ。
既視感のある明るさ。絵文字の丸み。
そういえば、こんなのもいたな。
私はトーク画面を開き、少しスワイプして、削除を押す。ログが消える瞬間、私は先週……いや、先々週だったか、トイレの吐瀉物から目を逸らしたことを思い出した。そこに何かがあったという事実ごと、なかったことにしたかった。
そのまま友だち欄から、ブロックを押そうとして指が止まる。そこには高校までに交換してきたアカウントが、ずらりと表示されていたのだ。彼らの九割九分は、その場限りの交換だった。
文化祭で撮った集合写真のアイコン。
制服姿のまま更新が止まっている人。
リクルートスーツに変わっている人。
私は、急に吐き気を覚えた。
この一人一人に自我がある。生活がある。朝起きて、顔を洗って、電車に乗って、誰かと話して、笑って、落ち込んで、明日を考えている。
私が布団の中で、独りよがりの絶望に沈んでいる最中。彼らは、人生の歯車を順調に回しているのかもしれない。そんな想像が気持ち悪かった。
世界は、もう少しシンプルであってほしかったんだ。RPGの主人公みたいに「私」がいて、私の周りにはNPCがいて、用意されたセリフだけを喋って、私の物語を進める存在であってほしかった。
でも違う。この友だち欄の全員が、それぞれの主人公だ。私はその群像の中の、名前も表示されないモブキャラクターかもしれない。
いや、違うな。モブですらない。
ログインしていないプレイヤーだ。
主人公になれないことよりも、なろうとすることすら、自分の気質上かなわないと知っている。事実か否かはどうでもいいが、呪いは確かに胸中にあるのだ。
胸がひりついて、私はスマートフォンを伏せる。吐き気が込み上げるが、トイレに行く気力はなくて、のそのそとゴミ箱を引き寄せる。
……何も出ない。胃は空っぽなのに、それでも身体は、何かを外へ出そうとする。
多分私は、他人の存在を消化できないんだろう。カーテンの向こうで、誰かの一日が始まっていることを。その事実を吐き戻そうとするけど、私は人間であるしかないから、何一つ吐けない。
……ぎゅっと目を閉じた。せめてこの部屋の中だけは、私しかいない世界であってほしいと願いながら。




