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蓬莱三國演義—夙夜廻流列伝—  作者: 狗柳 狼
第一幕 永訣の深淵
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第五章 虞淵使者 壹




 天幕は暁蕾シャオレイの五感を鈍らせた。手を伸ばそうとしても、本当に手がそこにあるのかわからない。何かに触れられたとしても、それが何なのか判断がつかない。


 だから暗闇は嫌なのだ。


「予想外というのは何度も僕らを振り回した。地帝は祭祀をなおざりにしても怒るどころか奥深くに潜ってしまうし、娘に使者の代理を任せても振り向きもしない。本物を使っても氣が整うだけだからどうしたものかと悩んでいるうちに、あんたが現れた」


 四年ではなかった。月娟ユエジュアンユェンが閉じ込められたのと同じだけ長く眠りについていた。彼女が健勝であれば彼は一人にはならずに済んだかもしれない。

 結局皆が泥で精神を支配されていたのだから、たらればを話しても仕方ないのだろうが。


 暁蕾は瞬きをしてみる。やはり何も見えない。


「陽の氣は運命的だったが、やはり陰の氣を翻弄してしまう厄介な星でしかなかったね。少し放っておいただけで生魄を連れ回し、邑人と交流したり術を使ったり、やりたい放題してくれちゃって」


 なぜ殺さない? 


「なぜって、使者の魂魄は鴟梟しきょうへの供物だ。その他の人間は鴟梟の崇拝者となり、大河の流れを生み出す礎となってくれることだろう。だからこそ苦労して生かしておいたというのに、皆流されてしまうとは、世は儚いな」


 暁蕾は忘れかけていた怒りを再び燃え上がらせる。

 許さない。


「あなたが招いたことなんだ。あなたが淵を閉じ込めたりなんかしなければ」

「しなければ?」

「地宵郷は沈まなかった! 地帝は民を守ってくれた。あなたが秩序を乱したから気流は淀んで、みんなおかしくなって、信仰が穢れて、天災を呼び寄せたんだ!」


 暁蕾は半ば発狂していた。何もない暗闇に閉ざされ、どれだけ暴れようとも手足の感覚はなく、それでいて意識だけは覚醒したまま、泥男の声や情景が勝手に頭に流れてくる。


 まるで魂を直に掴まれているような不快感。拒絶もできず酷く長い間粘性のある気持ちの悪いもが芯にまとわりついて這いずり回っていておかしくなりそうだ。いっそ狂ってしまった方が楽だった。


「あなたが淵を鞭で叩いたんだ! 父親の体を使って、何年も淵を傷つけたんだ!」


 掠れた笑い声が脳天から降ってくる。


「そんなことはない。あれはあいつがやったことだ。僕はせいぜいあいつが余計なことをしないよう内側から見ていただけ。体を操らなくともあいつは何をやるべきかわかっていた。物分かりがよくて大助かりだったな」


 そんなのは、脅しだ。


「お前のせいだ」

「だからそうなる運命だったんだって」

「お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ! お前が‼︎」

「──ああ! そうか」


 ざらりとした嫌な感触が内側の氣を撫でる。


()()か。あんたの核はここにあるんだ。どうりで入りきれないわけだ。強情が理性を繋ぎ止めることもあるということか」


 あんたは、と泥男は試すように氣をなぞる。


「故郷で役目を果たせなかった。いや、見捨てたのか? ──自分は故郷を愛し愛されようと努力をしても、人々は見向きもせず冷ややかな視線を向けてくる。女に生まれ、加えて小柄な背丈に皆が口を揃えて言うんだ。使者はその身には重すぎる。先代を超えることは愚か修行も完遂できまいと」


 暁蕾は耳を塞ぎたかった。だがその意志は生まれるだけで実態にならず空に消える。


「あんたは健気だったんだな。修行を終えて人々に霊符を配り、困った時には必ず助け、誰よりも多く幽鬼を祓って。自分が役に立つのを証明しようとした。さぞ苦労したことだろう。使者というのも楽ではないな。だが数百年ぶりかの使者をどう崇め奉るべきか、人間たちは理解できなかったようだね。こことまったく一緒じゃあないか」


 暁蕾の呼吸が震える。


「愚かな民にあんたは失望したんだ。散々蔑ろにしておきながら儀礼では都合よくあんたを利用し、強くあれ逞しくあれと理想を押し付けられた。天災が起こり人々が死に絶えたのも当然の結果だと思っていたんだろう? 本当は憎たらしかったはずだ」


 違う。


「天啓がなかったのもあんたがあえて受け取らなかったからじゃないのか? 天帝の怒りであるという大義名分があれば人々を断罪できる。それでも人々は懲りずにあんたを責めた! 己の愚かさに気づきもせずに! なんて盲目な人たちなんだ。天を見つめすぎて過ちすら省みないとは」


 そしてあんたは、その罪人たちに突き落とされた。


「あぁあ、あ」


 暁の氣が泥とない交ぜになる。


「あぁあああアぁああ! アアアあ! あああアああァあ‼︎」


 ──お前が! お前の存在が天帝の怒りに触れたのだ!

 ──恐れ多くもなり損ないの使者が天の霊符を授かるなど!

 ──これはお前の罰なのだ。お前の罪が我々の楽園を壊した!

 ──償え!

 ──償え……‼︎


 揺れている。まだ地面は揺れている。

 崩壊する。何もかもが崩れてなくなっていく。

 砂塵が喉を裂く。

 人々の泣き声。赤子の嘆き。今にも死にそうな顔をして足の裏を真っ赤に染め、民が迫る。壇を上って来る。


 これは鼓動か、それとも地揺れか。


「あたしが!」


 あたしが、いけなかったの?


 天から落下する時の永遠に続くかのような浮遊感。

 無力感と似たそれが頭から足先へと駆け抜ける。

 あの時からずっと、暁蕾は怒っていた。


「『無為滅却』」


 外から光が差す。たった一点の光の中に、影が渦巻いて泥を掻き乱す。

 しかしすぐに力をなくして消えてしまう。だがその光に向けて、暁蕾は霊符をかざした。


「『有為万象』!」


 法輪が展開する。鮮烈な光の輪が暁蕾を潜り抜け、泥の殻を剥いた。

 暁蕾は後転して飛び退く。


「あたしはそんなことしない!」

「生魄の扱いに憤りを覚えたのも納得だ。使者はいつだって正しいと思えば天災にも理由を求めたがる」

「物事は因果で繋がってる」

「悲しいことに僕はその因果に加われやしない」


 泥は人の形を取り繕う。暁蕾は法輪を分解して輻を放った。泥が派手に散る。


「だけど! 叶うはずだった結果をあなたが奪った! どんな思いで積み重ねてきたかも知らないあなたが、勝手に捻じ曲げた。使者や家族や人々が得られた幸せを潰して、あなたは自ら元凶になった。そうでしょ⁉︎」


 暁蕾は人の不幸を願いはしなかった。

 平和に暮らしたかっただけなのだ。崩壊を願うなど天に誓ってあり得ない。そんなことをしなくても人はいつか死ぬ。

 憎むことも恨むこともあった。しかしそれは死んで欲しかったという意味ではない。

 切実に、認められようと努力した。その先に待っていたのが故郷との断絶だったのは、後に大きな遺恨となって暁蕾を蝕んだ。


「あるがままに生きられなかったのはあなたのせいだ!」


 水は屋根まで上がってきている。暁蕾は気持ち悪くなって泥を吐いた。ひゅうひゅうと細い息で氣を正そうとする。法輪は止まらず泥男を攻撃する。


「それが因果であるならなぜ過程にこだわる? 望んだ結果にならなければ否定し、元凶と仕立て上げて排除しようとする。あんたも民と一緒じゃないか」

「あなたは万物の円環から外れたもの。自分でそう言ったんでしょう」

 

 受け入れ難い現実に向き合う暇もなく。

 暁蕾は導かれるまま深淵に落ちた。


 不自然なことなど何もなく、ただ起こるべきことが起こっただけだ。

 だから誰が悪いということも何が起因ということもなく、天災は、たとえ使者であろうとも止められはしなかった。


 泥が輪を突っ切って暁蕾を取り巻く。


 暁蕾は符を握りしめた。

 天帝よ。

 定めを受け入れ、この身を気流の彼方へ捧げます。


「『萬陽寵招まんようちょうしょう』」


 光が、開眼した。


 中央から螺旋を描いて雲が広がり、燦然とした輝きが洞窟を真昼に変える。

 風が吹き荒れ、水が飛沫を上げる。

 暁蕾は三本の指を両手で前に重ねた。


 泥はひとまとまりになって逃げ回るが、螺旋の隙間は閉じようとしている。動く度に泥が散り、細かくなって水の中に溶けてしまう。光の熱が泥を焼いているようにも見えた。


 ──祓禳禱祷ふつじょうとうとう


 雲が渦を巻きながら収縮する。服の裾が暴れ、髪が乱れる。暁蕾は法輪の輪をかけて輻を差し、大きく回転させた。星が円となって連なり、内にある穢れを祓う。


 雲が花開く。


「暁蕾」


 流されそうになりながら淵が屋根を這い上がる。彼は息も絶え絶えで雫を垂らしながら歩く。


 光が消え、風も止み、ごうごうと荒ぶった波が屋根を乗り上げて二人を濡らす。


 暁蕾は喉に手を突っ込み、泥を吐いた。まだ胃や食道にこびりついているような気がして気分が悪かった。膝をついて口を洗っても吐き気が止まらない。目が霞む。頭も痛い。

 掻き出されたあの日の記憶が胸を焼いている。


「大丈夫か。なぁ、暁蕾」

 淵が背中に触れようとした。


「あたし、は」

 暁蕾は青い唇で深く吸い込む。


「希望が欲しかった。人を救いたかったから来たんじゃない。救われる可能性もあるんだって、あたしの力は軟弱じゃないって、信じたかっただけ。あたしが半端な使者だから救済できなかったなんて、死んでも、認めたくなかった」


 涙が水滴と混ざって落ちる。生温い塩気が口端から入った。

 暁蕾は怨嗟の呪いを浴びて故郷と別れた。使者としても道士としても差し支えない実力に自負を持ちながら、己の霊力を疑っていたのは、一つは霊符を使いこなせていない自覚があったからだ。


 もう一つに預言ができなかったことだ。悪夢よりも恐ろしい禍と糾弾が重なると、どうしても原因が自分にあるような気がしてならなかった。


 救おうとすれば救えた。自分にはその力があり、するべきことをしなかったのは、役目を怠ったからだ。だから皆自分を恨んでいるのだ、と。

 暁蕾は自身を責め苛み、夜な夜な鬼になった人々が魂魄を食らいに来るのではないかという妄想に怯えていた。


 暁蕾は急き立つまま逃げるように地宵郷へ走った。彼らの魂を鎮め、まだ救いはあるのだという確信を手に入れようと必死だった。


 そんな卑しい心積もりで救済など、使者のやることではない。


 淵は暁蕾の前で屈む。


「それでも……それでも、お前はここまで走って来たんだろ。その救いにかけて、地の果てまで来たんだろ」

「あたしには、止められなかった」


 淵は子どもに言って聞かせるような穏やかな口調で言う。

「お前が来てくれなければ、俺は預言を受け取らなかった。妖からみんなを守れたのも、お前がいなければどうにもならなかったんだぞ」


 淵はずっと指に挟んでいた霊符を見せる。行き交う蛍がその面を照らす。水を浴びても一切濡れず、この世のものとは思えない字が朱く書かれている。


「半分だけだけど、これもお前が実を結んだんだ」

 

 暁蕾は顔を上げる。泥の闇を祓ったのは、彼の霊符だったのだ。


「もう少しだったんだけどな。気づいたら向こうの出口付近に流れついていて、姉上に助けてもらってからここに戻ったんだ」

 目的を失った数匹の蝙蝠が近くで飛んでいる。


「でも、もう」


 屋敷は沈んでいる。邑人もどれだけ生き残っているのか。


「俺は地帝のところに行く。これで最後だ。師匠たちは待ってくれてる」


 突如、大波が立ち上がり二人を容赦なく飲み込んだ。

 水中に投げ出され、体を流水にもみくちゃにされ、一瞬で均衡を奪われる。どこを向いていて、どこへ流されるのか。そんな事を考える余地もなく、肺の空気が混乱に乗じて口から溢れていく。


 ずっとどこかを回っている感覚があった。なのに屋根や壁にぶつかる気配はない。

 波がいくらか落ち着くとようやく体が自由になる。暁蕾はその頃には不思議と苦しいとは思わなくなっていた。


 冷たいとも、暖かいとも言えない。元々体が冷えていたのか、水の流れはわかっても温度を感じない。


 意識は半分覚醒し、半分眠っているような具合である。溺れているというのに恐怖も焦りもなく、寧ろこの上なく穏やかな気分だった。水を飲んでしまったというのに、あれだけしつこかった吐き気が治まっている。泥は洗われ、全身から内臓まで生まれ変わったような心地になる。


 迎えが来たのだろうか。


 それはずっと深い所からの声だった。


『この青二才めが。の手をこれほど煩わせるとはとんだうらなり瓢箪だのう』





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