第9話 歩の成り果て
歩兵は、一歩ずつしか進めない。
後ろには下がれない。横にも動けない。ただ前へ、一歩ずつ。
それが歩兵の宿命であり、誇りだった。
だが、敵陣の奥深くまで辿り着いた時——歩兵は「成る」ことができる。
「と金」へと。
金将と同じ力を持つ、最強の歩兵へと。
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王城の大広間に、将棋国の主要な駒たちが集まっていた。
王将が上座に座り、飛車、角行、金将、銀将、桂馬、香車、そして各隊の隊長たちが居並ぶ。
「皆、よく集まってくれた」
王将が口を開いた。
「今日は、反撃作戦について話す」
空気が引き締まった。
「これまで我々は、帝国の攻勢を凌ぐことに精一杯だった。だが、トランプ連邦からの武器も届き、態勢が整った。今こそ、押し返す時だ」
王将は地図を広げた。
「目標は、帝国軍が占領している中央平原の奪還。ここを取り戻せば、帝国の補給線を断つことができる」
「問題は、敵の陣形です」
角行が口を開いた。
「斥候の報告によると、帝国軍はキャスリングの構えを敷いています」
「キャスリング...」
飛車が眉をひそめた。
キャスリング。チェス帝国の伝統的な守りの陣形。キングを隅に移動させ、ルークで側面を固める。キングの前にはポーンが壁となって並び、鉄壁の守りを形成する。
「キングを本陣の隅に置き、ルークとポーンで幾重にも守りを固めている。正面から突破するのは困難です」
「ならば、どうする」
王将が問うた。
「我々も陣形で対抗します」
角行が地図を指した。
「穴熊の構えです」
穴熊。将棋国最強の守りの陣形。王将を隅に配置し、金銀で周囲を固める。守りながら攻める、将棋国の真髄。
「我が軍は穴熊の構えで守りを固めつつ、攻撃隊を敵陣に送り込みます」
角行は歩兵隊の隊長を見た。
「そして、歩兵隊に敵陣深くまで進んでもらいます」
「歩兵隊が鍵、ということか」
「はい。帝国軍のキャスリングは守りは堅いが、内側から崩れると脆い。敵陣の中で『と金』が暴れれば、陣形は瓦解します」
王将は頷いた。
「一歩千金、という言葉がある」
王将が言った。
「歩は最弱の駒だが、その一歩があるかないかで勝敗が決まることがある。終盤において、歩の価値は千金にも等しい。今回の戦い、まさにその言葉通りになるだろう」
王将は歩兵隊の隊長を見つめた。
「命がけの任務だ。だが、成功すれば、この戦争の流れを変えられる。やれるか」
隊長は背筋を伸ばした。
「我々は歩兵です。一歩ずつしか進めません。ですが——」
隊長は拳を握りしめた。
「その一歩を、千金の価値にしてみせます」
「頼んだぞ」
王将は全員を見渡した。
「明後日、夜明けと共に出撃する。各隊、準備を整えよ」
「「「応っ!」」」
大広間に、声が響き渡った。
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作戦会議の後、歩一は訓練場にいた。
剣を振る。振る。振る。
「歩一」
声をかけてきたのは、歩三だった。
「お前、会議の後からずっとここにいるな」
「ああ。落ち着かなくてな」
歩一は剣を下ろした。
「明後日、俺たちは敵陣を目指す。帝国のキャスリングを内側から崩すために」
「一歩千金、だったか」
歩三は隣に立った。
「俺たちの一歩が、千金の価値になる。王将はそう言った」
「ああ」
歩一は空を見上げた。
「正直、怖くないか?」
「...少しな」
「だよな。俺たちは最弱の駒だ。一歩ずつしか進めない。下がることもできない。そんな俺たちが、敵陣の奥まで行けるのか」
「行く」
歩一は言い切った。
「行くしかないだろ。俺たちにしかできないことだ」
「歩一...」
「飛車殿や角行殿は最初から強い。成ったらもっと強くなる。でも、俺たち歩兵は違う」
歩一は剣を握りしめた。
「一歩ずつしか進めない、最弱の駒だ。でも、成れば金将と同じになれる。一番弱い駒が、一番変われるんだ」
「一歩千金。俺たちの一歩には、それだけの価値がある。だから——」
「だから?」
「絶対に、成ってみせる」
歩三は少し黙って、それから笑った。
「お前らしいな」
「お前はどうなんだ、歩三」
「俺か?」
歩三は肩をすくめた。
「俺は、お前ほど大層な目標はないよ。ただ——」
「ただ?」
「生きて帰りたい。それだけだ」
歩三は空を見た。
「この戦争が終わったら、故郷に帰って畑を耕したい。平和に暮らしたい。そんな小さな夢だよ」
「小さくなんかないさ」
歩一は歩三の肩を叩いた。
「一緒に生きて帰ろう。そして、お前の畑を手伝ってやる」
「お前に農作業ができるのか?」
「一歩ずつ覚えるさ」
二人は笑い合った。
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同じ頃、帝国軍の陣営では——
「将棋国軍が動く、か」
ルーク隊長が報告を聞いていた。
「斥候の報告では、明後日の夜明けに攻撃を仕掛けてくるようです」
「数は」
「およそ五千。我が軍とほぼ同数です」
「ふん」
ルーク隊長は地図を見つめた。
「キャスリングの陣形は完成している。正面から来るなら、跳ね返してやる」
キャスリング。帝国軍の誇る守りの陣形。キングを隅に置き、ルークが側面を固める。キングの前にはポーンが三枚並び、鉄壁の防御を形成する。
「しかし、注意が必要です」
傍らのビショップ隊長が言った。
「キャスリングには弱点がある。バックランク——最後列が手薄になります。もし敵に突破されれば...」
「分かっている」
ルーク隊長は頷いた。
「だからこそ、突破させない。ポーン隊を前線に配置し、敵の歩兵を食い止める」
「ポーン隊、ですか」
「ああ。『ポーンはチェスの魂』という言葉がある」
ルーク隊長は窓の外を見た。
「ポーンの形がゲームの優劣を決める。我が軍のポーンが敵の歩兵を止めれば、キャスリングは崩れない」
「了解しました」
「全軍に伝えろ。明後日、将棋国軍を迎え撃つ。キャスリングの守りで、奴らを叩き潰す」
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出撃の朝。
将棋国軍は、夜明けと共に進軍を開始した。
総勢五千の軍勢。飛車隊を先頭に、角行隊、金将隊、銀将隊、桂馬隊、香車隊、そして歩兵隊が続く。
「全軍、前進!」
王将の号令が響き渡った。
中央平原に到着すると、帝国軍の陣地が見えた。
「あれがキャスリングの構えか...」
飛車が呟いた。
帝国軍の陣形は、まさに鉄壁だった。
キングが右隅に配置され、その隣にルークが並ぶ。キングの前にはポーンが三枚、壁のように立っている。さらに外側をナイト、ビショップ、クイーンが守っている。
「確かに、正面から崩すのは難しいな」
「だからこそ、作戦通りに行きます」
角行が言った。
「我々も穴熊の構えで守りを固めつつ、攻撃隊を送り込みます」
将棋国軍も陣形を整えた。
王将を後方の隅に配置し、金将と銀将が周囲を固める。穴熊の構え。守りながら攻める、将棋国の戦法。
「飛車殿、角行殿、突破をお願いします」
「ああ、任せろ」
「そして、歩兵隊」
角行は歩兵隊の方を見た。
「君たちが、この戦の鍵だ。必ず敵陣に辿り着いてくれ」
「了解しました」
歩兵隊の隊長が答えた。
「では——」
角行が剣を抜いた。
「全軍、攻撃開始!」
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「角行隊、回り込め!」
角行隊が斜めに駆け出した。
角行は斜めにしか動けない。だが、その斜めの軌道は、敵の予測を裏切る。
「敵の側面を叩く!キャスリングの弱点を突け!」
角行隊が帝国軍の左翼に突入した。
キャスリングの弱点。それはキングがいる反対側——クイーンサイドが手薄になることだ。
「ビショップ隊、迎撃せよ!」
帝国のビショップ隊が応戦する。ビショップも斜めに動く駒。同じ軌道を持つ者同士の戦い。
「ビショップか...。同じ斜めの使い手として、勝負だ!」
角行とビショップの剣が交錯する。斜めの軌道が入り乱れ、激しい戦いが繰り広げられる。
「今だ!飛車殿!」
「応!飛車隊、突撃!」
角行隊が敵の注意を引いている間に、飛車隊が正面から突入した。
飛車は縦横無尽に動ける駒。戦場を一直線に駆け抜け、敵陣に切り込む。
「キャスリングの壁を破る!」
飛車隊が帝国軍の前衛に激突した。
「ルーク隊、迎え撃て!」
帝国のルーク隊が応戦する。ルークも飛車と同じく、縦横に動ける駒だ。
「将棋国の飛車か!」
「帝国のルークか!」
飛車とルーク。同じく縦横に動く駒同士の激突。
「キャスリングの外壁は、俺たちが崩す!」
「そうはさせるか!キングを守り抜く!」
両者の剣が火花を散らす。
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「桂馬隊、援護せよ!」
桂馬隊が、独特の動きで戦場を駆けた。
桂馬は前方斜めに跳躍する駒。敵の頭上を飛び越え、背後に回り込める。
「跳躍!」
桂馬隊の兵士たちが、一斉に跳んだ。ルーク隊の頭上を飛び越え、背後に着地する。
「くそ、後ろからも来た!」
「ナイト隊、迎撃せよ!」
帝国のナイト隊が応戦する。ナイトもL字型に跳躍する駒。桂馬と似ているが、八方向に跳べる分、より自由度が高い。
「桂馬隊、気をつけろ!ナイトは俺たちより動きの幅が広い!」
「分かっている!」
桂馬隊とナイト隊が空中で交錯する。不規則な軌道同士のぶつかり合い。
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「香車隊、援護射撃!」
後方から、香車隊が矢を放った。
香車は前にしか進めない。だが、その直進は誰よりも鋭い。
矢の雨が、帝国軍のポーン隊に降り注ぐ。
「盾を構えろ!」
ポーン隊が防御態勢を取る。
その隙に——
「歩兵隊、前進!」
歩兵隊が動き出した。
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「全員、陣形を保て!一歩ずつ前進!」
歩兵隊の隊長が叫んだ。
歩兵たちは盾を構え、一歩ずつ前に進んだ。
「一歩!」
足が前に出る。
「一歩!」
また前に出る。
「一歩千金だ!俺たちの一歩には、千金の価値がある!」
隊長の声が響く。
歩兵の歩みは遅い。だが、確実だ。
「帝国のポーン隊が来るぞ!」
前方から、帝国軍のポーン隊が迫ってきた。
ポーンも一歩ずつしか進めない駒。だが、攻撃は斜め前方にしかできない。歩兵とは微妙に動きが違う。
「ポーンはチェスの魂!俺たちが敵の歩兵を止める!」
帝国のポーン隊長が叫んだ。
「散開!斜めからの攻撃に注意しろ!」
将棋国の歩兵たちは陣形を広げた。
両軍の最前線が、ぶつかった。
「うおおおっ!」
歩一は剣を振るった。目の前のポーン兵と刃を交える。
「将棋国の歩兵か!」
「ああ、そうだ!」
剣と剣がぶつかる。火花が散る。
ポーン兵が斜め前から斬りかかってくる。ポーンの攻撃は斜め方向だ。
歩一は横に躱し、正面から突いた。歩兵の攻撃は真っ直ぐ前。その違いを活かす。
「はあっ!」
剣が、ポーン兵の胸を貫いた。
歩一は剣を引き抜き、次の敵に向かった。
一歩前へ。また一歩前へ。
歩兵は、止まらない。
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「キャスリングの壁が崩れ始めた!」
飛車が叫んだ。
角行隊と飛車隊の攻撃で、帝国軍の外壁に隙間ができ始めていた。
「今だ!歩兵隊を送り込め!」
「歩兵隊、突入!」
歩兵隊が、崩れた隙間から敵陣に向かって突き進んだ。
「止めろ!歩兵を敵陣に入れるな!」
帝国軍の指揮官が叫んだ。
「ナイト隊、歩兵を叩け!キングのバックランクを守れ!」
ナイト隊の一部が、歩兵隊に向かってきた。
「くそ、ナイトが来る!」
桂馬と違い、ナイトは八方向に跳べる。歩兵にとっては天敵だ。
「陣形を崩すな!背中合わせで——」
だが、間に合わなかった。
ナイト兵が跳躍し、歩兵隊の中に着地した。
「がはっ!」
歩二が斬られた。
「歩二!」
「くそっ、後ろから...!」
「歩五、危ない!」
歩五も倒れた。
ナイトの攻撃で、歩兵隊が次々と倒れていく。
「桂馬隊、援護してくれ!」
「行く!」
桂馬隊がナイト隊を引き付けた。
「歩兵隊は前に進め!俺たちが時間を稼ぐ!」
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「あと少し...!」
歩一は息を切らしながら、前に進んだ。
キャスリングの内側に食い込んでいる。敵陣まで、もう僅かだ。
「歩一、いけるぞ!」
歩三が叫んだ。
「ああ、もう少しだ!」
だが、帝国軍も必死だった。
「歩兵を止めろ!キングのバックランクに入れるな!」
ポーン隊が、歩兵隊の前に立ちはだかった。
「邪魔だ!」
歩一が剣を振るう。ポーン兵が倒れる。
だが、すぐに次のポーン兵が現れる。
「くそ、きりがない...!」
「歩一、右から来る!」
歩三の声。
振り返ると、ポーン兵が斜め前から突っ込んできた。ポーンの攻撃は斜め前方。正面からではなく、斜めから。
「しまっ——」
避けきれない。
その時、歩三が割って入った。
「歩三!?」
歩三がポーン兵の剣を受け止めた。
「先に行け、歩一!」
「何を言って——」
「お前が成らなきゃ意味がないだろ!」
歩三が叫んだ。
「一歩千金だ!お前の一歩には、千金の価値がある!俺の一歩も、お前を送り届けるためにある!」
「歩三...!」
「だから、行け!俺はここで——」
その時、別のポーン兵が斜めから斬りかかった。
歩三の脇腹に、剣が突き刺さった。
「がはっ...!」
「歩三ーーーっ!」
歩三が崩れ落ちる。
歩一は駆け寄ろうとした。だが、歩三が手で制した。
「行け...歩一...。前に...進め...」
「嫌だ!お前を置いていけない!」
「俺の...一歩を...無駄にするな...」
歩三の目が、歩一を見つめた。
「俺の一歩は...お前の一歩の...ためにあった...」
「歩三...!」
「だから...お前が...成れ...」
血が溢れる。
「俺の分まで...千金の...価値に...」
手が、力なく落ちた。
「歩三...?歩三!?」
返事はなかった。
「歩三ーーーーっ!」
歩一の絶叫が、戦場に響き渡った。
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「歩一、立て!」
隊長の声が聞こえた。
「敵陣まであと一歩だ!歩三の死を無駄にするな!」
歩一は歯を食いしばった。
歩三の亡骸が、目の前にある。
「一歩千金...」
呟いた。
「俺の一歩は...千金の価値...」
涙が溢れた。
だが、歩一は立ち上がった。
「歩三...お前の一歩は、俺が引き継ぐ」
剣を握りしめた。
「俺が成る。お前の分まで、千金の価値にしてみせる」
歩一は走り出した。
敵陣に向かって。
最後の一歩を踏み出すために。
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「止めろ!あの歩兵を止めろ!」
帝国軍が叫ぶ。
だが、歩一は止まらなかった。
ポーン兵が斜めから斬りかかる。歩一は剣で弾き、前に進んだ。
「俺は止まらない!」
また一人、斬りかかってくる。歩一は躱し、斬り返した。
「俺は...前に進む!」
敵陣の境界線が、目の前にあった。
あと一歩。たった一歩で、成れる。
「一歩千金...!」
歩一は跳んだ。
最後の一歩を——
踏み出した。
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敵陣に、足を踏み入れた。
その瞬間——
体の奥から、熱いものが込み上げてきた。
「これは...!」
全身が光に包まれる。力が溢れてくる。今まで感じたことのない、圧倒的な力が。
「成った...!」
歩一は叫んだ。
「俺は...と金に成った...!」
光が収まった時、歩一の体は変わっていた。
鎧が金色に輝いている。剣が重くなった。いや、重くなったのではない。自分が強くなったのだ。
「これが...と金の力...!」
金将と同じ動きができる。前後左右、そして斜め前。六方向への移動と攻撃が可能になった。
「歩三...見てるか...」
呟いた。
「お前の一歩が、俺を成らせてくれた。千金の価値だ」
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「と金だ!将棋国の歩兵が成った!」
帝国軍に動揺が走った。
「キャスリングの内側にと金が...!バックランクが危ない!」
「止めろ!何としても止めろ!」
だが、もう遅かった。
「キャスリングは...内側から崩す!」
歩一の剣が閃いた。
金将の動き。六方向への攻撃。今までの歩兵とは、比べ物にならない威力。
「うおおおっ!」
敵を斬る。倒す。また斬る。また倒す。
キャスリングの内側で、と金が暴れ回る。キングを守るはずのポーンの壁が、内側から崩されていく。
「陣形が崩れる...!」
「キングを守れ!」
帝国軍が混乱し始めた。
鉄壁のキャスリングが、内側から瓦解していく。
「今だ!全軍、総攻撃!」
飛車の号令が響く。
将棋国軍が一斉に攻勢に出た。穴熊の守りを維持しながら、飛車隊が縦横にルーク隊を蹴散らし、角行隊が斜めにビショップ隊を突破する。
「押し込め!キャスリングは崩れた!勝利は目前だ!」
帝国軍の陣が、崩壊していく。
「退却だ!退却!」
帝国軍が後退を始めた。
「勝った...!」
将棋国軍から歓声が上がる。
歩一は、その場に立ち尽くしていた。
血に塗れた剣を握りしめ、荒い息を吐きながら。
「勝った...のか...」
呟いた。
だが、喜びはなかった。
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戦闘が終わった。
将棋国軍の勝利。キャスリングは崩れ、帝国軍は撤退。中央平原は奪還された。
歩一は、戦場を歩いていた。
歩三の遺体を探していた。
「歩三...」
見つけた。
戦場の片隅で、歩三は倒れていた。目を閉じ、穏やかな顔で。
「歩三...」
歩一は膝をついた。
「俺は成ったぞ。お前の一歩のおかげで」
返事はない。
「一歩千金、だったな。お前の一歩は、千金の価値だった」
涙が溢れた。
「でも...こんなの違う...」
歩一は歩三の手を握った。
冷たかった。
「お前は畑を耕したかったんだろ。平和に暮らしたかったんだろ」
声が震える。
「そんな小さな夢も叶えられないのか。こんな戦争のせいで」
歩一は泣いた。
「俺は成った。と金になった。強くなった。でも——」
「なんでこんなに虚しいんだよ...」
戦場の真ん中で、仲間の亡骸を抱いて、泣いた。
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「歩一」
声をかけてきたのは、飛車だった。
「飛車殿...」
「今日の戦い、見事だった。お前の成りが、キャスリングを崩した」
「...ありがとうございます」
歩一の声には、力がなかった。
飛車は歩一の隣に腰を下ろした。
「仲間を失ったな」
「...はい」
「辛いか」
「...はい」
沈黙が流れた。
「一歩千金、という言葉がある」
飛車が言った。
「歩の一歩には、千金の価値がある。お前は今日、それを証明した」
「...」
「だが、俺はこう思う」
飛車は歩一を見た。
「千金の価値があるのは、歩という駒じゃない。歩を操る者の覚悟だ」
「覚悟...」
「歩三は、お前を成らせるために命を懸けた。その覚悟に、千金の価値がある」
歩一は歩三の顔を見つめた。
「だから、お前は背負わなければならない」
飛車は立ち上がった。
「歩三の覚悟を。仲間の命を。それを背負って、生き続けろ」
「飛車殿...」
「それが、お前にできる弔いだ」
飛車は去っていった。
歩一は、歩三の亡骸を見つめ続けた。
「歩三...俺は生きるよ」
呟いた。
「お前の一歩を、俺が繋ぐ。千金の価値にしてみせる」
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同じ頃、帝国軍の陣営では——
「また敗北か」
クイーンは、報告を聞いて溜息をついた。
「キャスリングが崩されるとは...」
「クイーン様、出撃なされていれば...」
「勝ってどうする」
クイーンは窓の外を見た。
「『ポーンはチェスの魂』という言葉がある。今日、我が軍のポーンは多く散った。彼らの魂は、どこへ行くのだろう」
部下は答えられなかった。
「この戦争は、いつまで続くのだ」
クイーンは呟いた。
「もう、疲れた...」
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数日後、将棋国の王城に、奇妙な報告が届いた。
「辺境の村が、一夜にして消滅した?」
王将は眉をひそめた。
「はい。住民は全員行方不明。建物だけが残されていました」
「帝国の仕業か」
「分かりません。ただ...」
報告者は言いにくそうに続けた。
「村の跡地が、妙なことになっていまして」
「妙なこと?」
「地面が...白と黒の市松模様に変わっていたそうです」
王将は顔色を変えた。
「白と黒...」
桂馬の報告が頭をよぎった。ジョーカー。北西の果て。新しいカード。
「まさか...」
王将は立ち上がった。
「詳しく調べろ。すぐにだ」
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同じ頃、帝国にも同様の報告が届いていた。
「辺境の砦が消滅した?」
キングは眉をひそめた。
「将棋国の奇襲か」
「いえ、違うようです。生き残りの兵士が一人だけいまして...」
「何と言っている」
「『白と黒の化け物が来た』と。正気を失っておりまして、それ以上は...」
キングは窓の外を見た。
「白と黒の化け物...」
何かが起きている。
将棋国との戦争とは、別の何かが。




