第7話 跳ねる者
桂馬は、跳ねることしかできない。
前にも横にも、真っ直ぐには進めない。だが、誰にも読めない軌道で跳躍する。それが桂馬の特性であり、誇りだった。
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シャッフル・シティ。
トランプ連邦の首都は、相変わらず煌びやかだった。
商人に扮した桂馬は、街の雑踏に紛れながら情報を集めていた。酒場で噂を拾い、市場で商人たちの会話を盗み聞く。地道な作業だが、桂馬の得意分野だった。
「帝国への武器輸送は、毎週火曜と金曜」
「スペード家が仕切ってる。利益の七割はあそこに流れるらしい」
「最近はダイヤ家も参入しようとしてるとか」
断片的な情報が、少しずつ集まっていく。
桂馬は安宿の一室で、それらを整理していた。
「帝国への供給量は、将棋国向けの三倍以上。攻城兵器の新型も帝国に優先的に流している」
予想以上だった。トランプ連邦は、明らかに帝国寄りだ。将棋国には最低限の武器を高値で売りつけ、帝国には大量の武器を安定供給している。
「これを持ち帰れば、王将も対策を立てられる」
だが、もう少し詳しい情報が欲しい。具体的な契約内容。輸送ルート。連邦内部の意思決定の仕組み。
「スペード家の屋敷に潜り込めれば...」
危険だが、やる価値はある。
桂馬は決意を固めた。
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その夜、桂馬はスペード家の屋敷に忍び込んだ。
跳ねるような動きで塀を越え、庭を横切り、建物の影に潜む。警備は厳重だが、桂馬の不規則な軌道は予測しにくい。
「書斎はどこだ...」
窓から中を覗く。廊下。部屋。使用人の姿。
二階の一角に、明かりの灯った部屋があった。
桂馬は壁を蹴り、梁に飛び移り、二階の窓に取り付いた。
窓の隙間から中を覗く。
「...!」
息を呑んだ。
あの道化がいた。ジョーカー。
旅装に身を包んでいる。背には荷物。机の上には地図が広げられている。
「北西の果て、か」
ジョーカーが呟いた。
「遠いねえ。まあ、急ぐ旅でもないか」
地図に何かを書き込んでいる。ルートを引いているようだ。
ジョーカーは地図を畳み、懐にしまった。そして部屋を出ていった。
桂馬は眉をひそめた。
北西の果て。旅装。明らかに長旅の準備だ。あの男は、どこへ行こうとしている。
「追うべきか...」
判断を迫られた。だが、直感が告げていた。この男を追うべきだと。
桂馬は音もなく窓から離れ、ジョーカーの後を追った。
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ジョーカーは屋敷の裏口から出て、街の外れへ向かった。
桂馬は距離を保ちながら追跡する。夜の闇に紛れ、建物の影から影へと跳ねるように移動する。
街を抜け、城門を通り、街道に出た。
ジョーカーは北西の方角へ歩き続ける。
「どこへ行く気だ...」
しばらく追跡を続けた後、桂馬は決断した。
このまま尾行を続けても、答えは出ない。直接問いただす。
「待て」
桂馬は姿を現した。
ジョーカーが足を止め、振り返った。
「おや」
驚いた様子はなかった。むしろ、面白そうに目を細めた。
「誰かと思えば。将棋国の人間か?尾行は上手かったよ。気づいたのはさっきだ」
「お前、何を企んでいる」
「企む?人聞きが悪いなあ」
ジョーカーは肩をすくめた。
「俺はただの道化だよ。夜の散歩を楽しんでるだけさ」
「嘘をつくな。旅装に荷物、北西への道。ただの散歩じゃないだろう」
「へえ、よく見てるな。優秀だ」
ジョーカーの目が、一瞬だけ鋭くなった。
「お前、名前は」
「桂馬だ」
「桂馬か。跳ねる駒だな。道理で動きが読みにくいわけだ」
ジョーカーは空を見上げた。
「なあ、桂馬。お前、戦場を見たことがあるか」
「何?」
「将棋国とチェス帝国の戦場。死体の山。血の海。憎しみ合う兵士たち」
桂馬は答えなかった。
「俺は見たよ。殺し合って、憎み合って、仇を取って、また殺して。終わりがない」
「それが戦争だ。だから俺たちは早く終わらせようとしている」
「終わる?」
ジョーカーは笑った。だが、目は笑っていなかった。
「終わらないさ。この戦争が終わっても、また別の戦争が始まる。永遠に続くんだよ、この茶番は」
「何が言いたい」
「この世界は腐ってるってことさ」
ジョーカーの目に、暗い光が宿った。
「将棋もチェスもトランプも、みんな同じだ。殺し合って、奪い合って、憎み合って。誰も幸せになんかなれない」
「だから何だ。それでも俺たちは——」
「俺は新しいカードを切るだけさ」
ジョーカーは桂馬の言葉を遮った。
「この腐った世界に、な」
「どういう意味だ」
「さあね」
ジョーカーは背を向けた。
「知りたければ、ついてくるか?まあ、お前には無理だろうがな」
「待て!」
桂馬が追おうとした瞬間——
「そこの者、動くな!」
怒号が響いた。
振り返ると、黒い装束の集団が街道を塞いでいた。スペードの紋章。暗殺部隊だ。
「侵入者を発見。排除する」
「くそっ...!」
桂馬は舌打ちした。屋敷への侵入が見つかっていたのか。
ジョーカーの方を見るが、もう姿はなかった。闘の中に消えている。
「逃がすな!囲め!」
暗殺者たちが迫ってくる。十人以上。まともに戦っては勝ち目がない。
「やるしかない...!」
桂馬は跳んだ。
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桂馬の動きは、常人には予測できない。
前でも横でもなく、斜め前方に跳躍。暗殺者の頭上を飛び越え、背後に着地する。
「なっ...!?」
「この動き...!」
暗殺者たちが動揺する。その隙に、桂馬は街道を駆け抜けた。
「追え!逃がすな!」
追手が迫る。桂馬は岩を蹴り、木の枝に飛び移った。跳ねる。跳ねる。跳ねる。不規則な軌道で、追手を撒こうとする。
だが、暗殺部隊は精鋭だった。
「あそこだ!」
「木の上!」
複数の方向から、矢が飛んでくる。桂馬は身を捻って躱すが、一本が肩を掠めた。
「くっ...!」
バランスを崩す。だが、すぐに体勢を立て直し、跳躍を続ける。
「しぶとい奴だ」
暗殺部隊のリーダーが舌打ちした。
「散開しろ。先回りして挟み撃ちにする」
部隊が二手に分かれた。
桂馬は森の中を跳ね続けた。だが、傷を負った体では、いつもの動きができない。徐々に追い詰められていく。
「くそ...!」
前方に、暗殺者の一団が現れた。先回りされた。
後ろからも追手が迫る。
挟み撃ち。
「終わりだ」
リーダーが剣を抜いた。
「大人しく死ね」
「断る」
桂馬は最後の力を振り絞った。
渾身の跳躍。暗殺者たちの頭上を飛び越える——
だが、リーダーはそれを読んでいた。
「甘い」
剣が閃いた。
桂馬の右脚を、深く斬り裂く。
「がああっ...!」
激痛が走る。着地に失敗し、地面に叩きつけられた。
「脚の腱を斬った。もう跳べまい」
リーダーが近づいてくる。
「トドメを刺してやる」
桂馬は地面に這いつくばりながら、必死に動こうとした。だが、右脚が動かない。血が流れ続けている。
「無駄だ」
リーダーが剣を振り上げた。
その時——
「おい、何の騒ぎだ!」
別の声が響いた。
松明の光が近づいてくる。トランプ連邦の正規軍だ。夜間の巡回部隊らしい。
「ちっ...」
リーダーが舌打ちした。
「撤退だ。正規軍に見られるとまずい」
「しかし——」
「あの傷では遠くへは行けん。どうせ死ぬ」
暗殺者たちが闇の中に消えていく。
桂馬は地面に倒れたまま、荒い息を吐いていた。
正規軍の声が近づいてくる。このまま見つかれば、スパイとして捕まる。
桂馬は最後の力を振り絞り、茂みの中に転がり込んだ。
「血の跡がある!」
「探せ!」
兵士たちの声。足音。松明の光。
桂馬は息を殺して、闇の中に潜んだ。
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どれくらい時間が経っただろう。
兵士たちの気配が遠ざかった頃、桂馬は茂みから這い出した。
右脚は、もう感覚がない。出血は止まりつつあるが、歩けるような状態ではなかった。
「くそ...」
だが、諦めるわけにはいかない。
ジョーカーの言葉。「新しいカードを切る」「この腐った世界に」。
何を企んでいるのか、具体的には分からない。だが、放っておけば大変なことになる。そう直感していた。
「伝えないと...将棋国に...」
桂馬は這うようにして、進み始めた。
一歩。また一歩。
跳ねることはできない。だが、進むことはできる。
「俺は...桂馬だ...」
呟いた。
「跳べなくなっても...前には...進める...」
夜明けの光が、東の空に差し始めていた。
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将棋国の国境に辿り着いたのは、三日後のことだった。
飢えと渇きと傷に苦しみながら、桂馬は這い続けた。何度も意識を失いかけ、何度も諦めかけた。
だが、止まらなかった。
「止まれ!何者だ!」
国境の関所で、将棋国の兵士に呼び止められた。
「桂馬...だ...。王将に...報告が...」
「桂馬殿!?偵察に出ていた...!?」
「医者を...いや、先に...王将に...」
そこで、意識が途切れた。
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目を覚ましたのは、王城の医務室だった。
「気がつかれましたか」
傍らに医師が立っていた。
「ここは...」
「王城の医務室です。五日間、眠っておられました」
「五日...」
桂馬は体を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。
「無理をなさらないでください。右脚の腱が切断されておりました。繋ぎ合わせましたが...」
医師は言いにくそうに続けた。
「以前のようには、動けなくなるかと」
桂馬は自分の右脚を見た。包帯がぐるぐると巻かれている。
跳べなくなる。桂馬が桂馬でなくなる。
「...王将は」
「お待ちです。お体が回復されたら、報告を聞きたいと」
「今すぐ会わせてくれ」
「しかし、お体が——」
「今すぐだ」
桂馬の目は、真剣だった。
「俺が持ち帰った情報には、それだけの価値がある」
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車椅子に乗せられ、桂馬は王将の執務室に向かった。
「桂馬、無理をするな」
王将が労わるように言った。
「お気遣いなく。報告があります」
桂馬は、トランプ連邦で掴んだ情報を全て報告した。
帝国への武器供給の規模。輸送ルート。連邦内部の勢力図。
そして——
「ジョーカーという男がいます」
「前にも報告のあった道化か」
「はい。あの男は、何か恐ろしいことを企んでいます」
桂馬は、ジョーカーとの会話を伝えた。
「あの男は言いました。『この世界は腐ってる』『俺は新しいカードを切るだけだ』と」
「新しいカード?」
「分かりません。ですが、北西の果てへ向かおうとしていました。何かがあるんだと思います」
王将は考え込んだ。
「北西の果て...。何があるというのだ」
「分かりません。ただ、放っておけば大変なことになる。そう直感しています」
「...」
「申し訳ありません。もっと詳しく探るべきでした。ですが、暗殺部隊に見つかり...」
「謝るな」
王将は首を振った。
「お前は命がけで情報を持ち帰った。それだけで十分だ」
「...ありがとうございます」
「今は休め。お前の情報は、必ず活かす」
桂馬は頭を下げた。
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その夜、桂馬は医務室のベッドで天井を見つめていた。
右脚は、もう元には戻らない。跳べなくなった桂馬は、もう桂馬ではないのかもしれない。
だが、不思議と後悔はなかった。
「情報は伝えた」
呟いた。
「俺の役目は、果たせた」
これからどうなるのか。ジョーカーは何をするのか。
分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「俺は、まだ戦える」
跳べなくなっても、戦う方法はある。
桂馬は目を閉じた。
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同じ頃、遥か北西の地で——
ジョーカーは、荒野を歩いていた。
色が薄れていく。空も、大地も、灰色になっていく。
「近いな」
ジョーカーは笑った。
「虚無の地。世界の果て」
足を進める。
その先に、何が待っているのか。
ジョーカーは知っていた。
「待ってろよ、反転の軍勢」
呟いた。
「俺が会いに行ってやる」




