「論理」とは何か?
【論理】ギリシア語の logos(言葉・理・関係)に由来する語。言葉と世界をつなぐ関係の秩序。
論理を構築する。
物事の法則的つながりを利用し、筋道を立て、論点をあぶり出す。思考の言語化。
論理的な人間に、感情論は通じない。
そもそも感情論は、論理とは呼べないためだ。
感情とは、思考による整理の前段階をいい、そこにロジックはまだ存在しない。
議論に、感情を持ち出す人間がいる。
ひとつの戦略としては正しいが、それは同時に論理の破綻をも意味する。詰めるべきは論理による圧力であり、感情は「とどめ」の一撃に使うのが正しい。
しかし、最初から感情を持ち出す人間がいる。
これは、議論そのものの放棄を意味する。
ロジカルな人間に対し、いきなり論理未満のものをぶつけ、悪態をつく。それで会話が成立すると考えている時点で、すでに会話のレイヤーが違う。
一貫性、同一性、排中律、再現可能性を持たない主張は、論理の見せかけに過ぎない。
不確かで、曖昧な流動性を持つ、感情の反射作用によって生み出されるアメーバ。それを論理として主張するのが、感情論であり、その時々の気分によって、その再現性も大きく変わって来る。
詩的なやりとりを求めるのならば、それでもかまわない。だが、それをこと論理として取り扱いたいのであれば、まずはその整合性を吟味してから、提示するのが最低限度のマナーである。
感情や情念は、思考の周辺の隈、外側にあるもので、それを剥き出しのまま、中心的議題に据えようとすること自体がナンセンスともいえる。
論理のふりをした、感情論には興味がない。
それなら、そのまま感情として、ぶつけてもらった方が、すっきりもする。




