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タイム〜路地裏のタイムトラベル〜

作者: 貝月 恵芙
掲載日:2025/09/27

エピローグ


「今回はいつものおせっかいを我慢したんだ

ね。マヤ。」

その澄んだ横顔にお似合いな鈴の音色のような声で、彼は隣で窓の外から通りを眺める彼女に話かけていた。

「いつものってなによ。しかもおせっかいって言った?

 私はいつも依頼主のことを思って、考えてささやかな手助けをしているんじゃない。

 それがあってからこそ依頼が成功してるんでしょ。」

通りに目を向けたまま頬杖をついて彼の発言に反論する彼女。

「それに今回はちょっと変わってたし。」

そうつぶやくと形のいい唇に薄い笑みを浮かべた。窓の外を数名の人がちらほらと通り過ぎていく。その人々が目の前を横切っていくのをただ見つめているだけのように感じられるが、その顔に浮かんでいる笑みからも彼女の頭の中では別の何かが再生されているのは明らかだった。

「なんか・・・。楽しかったよね。あの時は。

 ユウだってそう思ったでしょ?」

先ほどから彼女に向かってキツイ言葉を浴びせている彼は少し考えるような表情を見せてから口を開いた。

「あんまり依頼のことについて感情移入はしないつもりなんだけと、面白いかそうでないかって言われたら、面白かったとは思うけどね。」

「面白いかどうかなんて聞いてないけど。 ユウだってなかなかな言い方するよね。

私は楽しかったって言っただけ。」

「うるさいな。揚げ足をとるのやめてくれないかな?

 聞かれたから答えただけだよ。」

二人はそんなふうにお互いの言い分を主張し、言い合いをしているが

その姿はどこか満足そうで楽しそうに見えた。


第一章 路地裏の秘密


人は過去への後悔を繰り返しながら前へ進んでゆくことで人生を作り上げていく。

過去に戻ることはできないことをわかっているからこそ後悔し、

その先の人生ではより満足のできる今を過ごしたいと願う。

もしも過去に戻ることができたとして後悔への未来を選ぶ前に戻れるとして

果たして人はどのような選択をするのだろうか?


後悔の中にはすぐに忘れることができる後悔と

その先何十年と忘れることができない後悔の二つが存在していて。

その人の人生の様々な場面でその後悔の記憶はフラッシュバックされる。


はず・・・


だって私がそうだから。


特別な不満があるわけではもちろんない。

学生の頃から何に対してもソツなくこなすことが出来た。やるべき課題、依頼されたお願い事、周囲との人間関係など全てに対して取り立てて苦しいと感じたことはなかった。それなりに出来てしまうから周りからの評価も決して悪くはなく。高校時代には生徒会長を任されたこともあった。

人当たりの良い性格から常に自分の周りには誰かがいる。だから友達関係で悩むこともなかった。

成績はというとこれまたそこそこ出来ていた。日々の課題を淡々とやっていれば成績順位は半分よりも後半になることはなくて特に苦労することもなく高校三年間は過ぎていった。

大学受験も推薦入試で早々に決まりとにかく無難な学生生活だった。

特にがんばらなくてもそれなりに出来てしまう人生。でも、だからこそ自分の限界を感じるほどギリギリの努力をしたことはなかった。人生をかけて夢中になったものはなかった。

そればかりか自分の心の中には何かが欠けていてそれが埋まらない限りこのままそれなりの人生が続くことになると漠然と感じてもいた。

もっともその欠けているものが何なのかは当時も今もわからないが。


社会人になり会社に属するようになってもこの感覚は変わらなかった。

働くことが嫌いというよりはどんなに金銭的な余裕があったとしても自分は働くことをやめないだろうなと思うくらいに働くことは好きだと思う。今の仕事が果たして自分の生涯の仕事になるのかどうかはさておき、今の仕事は周りから見たら人気のある職業で羨ましいと思われることもあるのかもしれない。自分がこの仕事を選ぶことは普通だったら絶対になかった。大学のゼミの先輩が先にこの仕事を選び、私にもぴったりだと思うと紹介してくれたのだ。就活の頃になってもこれといって選びたい職業もなかった私は先輩を頼って神戸の空港でグランドスタッフとして働くことになったのだ。昔から英語は好きで成績もよかったことが先輩が私を誘ってくれた理由なのだろう。

千葉県出身の私は就職をきっかけに一人暮らしを始めた。夜が遅く、朝も早いから空港まで三十分程の場所を選んだ。仕事はなかなかハードで初めのうちは早朝勤務も辛く遅刻も数回経験してしまった。やはり学生時代までの頃とは違って少しは努力して仕事にも責任感を持たなければいけないと思い行動に移していくうちに、時間の経過もあるだろうが仕事にも慣れて職場での人間関係もスムーズに流れていくようになった。女性がほどんどの職場ではあるが案外みんなが仲良くプライベートで一緒にいることも多かった。シフト制での勤務となるとお休みの日が同じ同僚と自然とより仲良くなっていくもので一緒に時間を過ごす人も決まってくるのが一年半くらい経った頃。

そして仕事に余裕が出てくると次に欲しくなるのはプライベートの充実で。恋人との時間が欲しくなるそうで。

だから私は今ここにいる・・・?


「・・・さん。」

「泉さん?どうかした?」

ふと自分がどこにいるのかを再確認して私は我に返った。

「あ。ごめんなさい。」

目の前には今日初めて会った男性。確か名前は・・・前田さんだったかな。彼と話をしている途中に意識が自分がここにいる理由を探す旅に出ていた。そして危なくもまたあの記憶まで呼び覚ましてしまいそうだった。

「大丈夫?なんかぼーっとしてたけど。  仕事終わりなのかな?」

話を聞いてませんでしたとは言えない。なんの話だったのか見当もつかないけれどそんなこと言えるはずもないし。

「大丈夫です。仕事終わりなのはそうですが大丈夫ですよ。」

と大丈夫を繰り返す、ぼんやりとした返事を返していた。

「そっかそれでさ。俺こういうとこ来るの初めてなんだよね。友達にどうしてもって言われて。なんか変に誤解されてもあれだから言うんだけどさ。」

誤解とは?

よくわからない前田の言葉に曖昧な笑みを返したのだったが。

「泉さんて空港で働いてるんでしょ?かっこいいよね。空港で働く女性って。俺そういう系の人がタイプなんだよね。」

そういう系とは?

やはりこの人の言っていることはよくわからない。私の仕事はいったい何系なんだろう。


ここは最近できたばかりで有名なホテルの四十五階にあるイタリアンレストラン。大型のバーカウンターもあって結婚式や色々なイベントで使用されているそうだ。少し暗めの店内と落ち着いたウッドテイストのテーブルとイス。店内の半分がガラス張りだということもありそこから見える夜景が素晴らしいというのも頷ける。出来立ての人気スポット。

今日はここで婚活パーティーなるものが催されているのだ。今目の前にいる前田とはここに来て早々に声をかけられた。

ここに来る前に少し参加者の情報を聞いていたのだが、男性は独身で高収入な者だけなのだそう。婚活パーティーで独身かそうでないかの情報は必要なのだろうか?結婚したいからここに来るのであってそうでないのならはなから参加しないのでは。色々とよくわからないと感じながらその話を聞き会場までやって来た。もちろん私が自分からそんなところに来るはずもなく会社の同僚で一番仲の良い鈴音のお願いで一緒にやって来たのだった。


及川鈴音とは同期入社で入社式に知り合った。

それから半年くらいは特に親しくもならずにいたけれど同じポジションになることが増え彼女と何度か仕事に慣れる方法をアドバイスし合ったり、二人とも名前がSの頭文字なのでSSコンビと呼ばれるようになったり、そしてなんといっても休みの周期が同じであることが二人をより友達へと近づけていった。住んでいる場所も近く早番の仕事終わりにはお互いの家で女子会をするようにもなっていた。

鈴音の性格はいたってシンプル。はっきりとしているのだ。女子特有と言われるべたべたした感じは一切なくてさっぱりとした話し方や言いたいことはきっぱりと告げるというスタンス。私は女子!というようなタイプの子よりも鈴音のようなさばさばした女子が昔から好きだった。自分の性格もどちらかというとそっちで言いたいことを言い合える関係が理想だった。やりたいことはやる!やりたくないことはやらない!その判断が早い人間はそういう者同士でいたほうが楽なのだ。そうでない人間に対してこれをやってしまうと冷たい人、怖い人なんて印象がついてしまいなんとも付き合いにくくなってしまう。もちろん全てにおいてこのやる!やらない!主義を発揮できるわけではないことはわかっているし、その中でお互いに譲り合っていく分別もある。お互いに波長が合わないとただただ険悪なムードしか生まない。鈴音とはこの波長がまさにお互いにぴったりと合ったのだと思う。そういう関係を見つけるのはけっこう難しいのだ。だからこそこんなにも早く仲良くなれたのだと思う。

そんな鈴音からこの婚活パーティーに誘われたのが三日前。

「砂羅って彼氏いたっけ?」

突然お昼の休憩の時にこう切り出したのだ。

「なに?突然。」

「いや。そういえば聞いたことなかったなって思って。いるの?」

「いないよ。よく家来てるんだからわかるでしょ。」

「だよね。」

「それだけ?」

「んー。実はさ。土曜日に婚活パーティーがあってね。行こうか迷ってるんだけど。一緒に行かないかなと思って。」

「婚活パーティー?そういえば鈴音も今彼氏いないんだったね。」

「そう。なんかさ、仕事もそろそろ慣れてきたじゃない?タイミング的にもいいかなって思って。」

「鈴音結婚したいの?」

「そういうわけではないけどね。有紗先輩がこの前行ってきたらしくて楽しかったんだって。この前できたばっかりのホテルの上でやってて雰囲気もすごくよかったんだって。」

「私そういうの行ったことないな。あんまり興味もないけど。」

「だよね。やめとく?」

どうしようか。

今特に彼氏が欲しいと感じていたわけではなかった。でも鈴音の言うように最近は仕事にも慣れてきて余裕が出来ていたから何か変化があってもいいのかもしれないと感じたのも本音だ。

「暇だし行ってみようかな。」

気が付くとそう返事をしていた。

「ほんと?じゃあ行っちゃう?砂羅が一緒なら楽しそうだし。」

「そう?なんにもわかってない人だけどね。私。」

「いいよ。一緒に行ってどんなのか見てみようよ。何かいい出会いがあるかもしれないしね。」

といった具合に話が進み私たちは人気ホテルで行われる婚活パーティーに参加したとい流れ。その鈴音といえば到着してすぐにモデルのようなルックスのイケメンをロックオン。すぐさま声をかけに行くという積極的行動に出ていった。お互いに話したい人がいた場合の別行動はオッケーだと約束を交わしたのだから文句は言えないがそれにしても早かった。

一人で過ごす時間が長くなりそうだなと考えていた矢先に私は前田に声をかけられたのだった。

「泉さんて名前はなんて言うの?」

前田が再び声をかけてきた。

「砂羅です。」

私はあまり会話が進まない程度に返答を返していたが前田にはあまり私の雰囲気が伝わっていない様子でどんどんと話しかけてくる。

「砂羅さんか。可愛い名前。やっぱり名は体を表すだね。」

「そうですか?どうも。」

「休みの日って何してるの?映画とか好き?よかったら今度一緒に行かない?」

止まらないな。この人。こんな会話をかれこれ一時間以上続けていた。ことあるごとに次の約束を取り付けようと話を振ってくるのだ。私にその気がないことは十分すぎるくらい伝わっているはずなのに。

「映画はあまり見ないですね。」

うそだ。映画は大好き。一人で映画館へもよく行くし。でも。

そっけないくらいに短い返事をしてみてもあまり効果はないようで「そうなの?趣味とかないの?俺さ、ほんとタイプなんだよね。砂羅ちゃん。スタイルも顔も。とりあえず今度ご飯でも行こうよ。二人で。」

砂羅チャンテ・・・。

いきなり呼び捨てなのね。許可したつもりもないのだけれど。ホント嫌だな。この人。そろそろ限界が近いと感じていた時

「彼氏とかいなんでしょ?だったらいいじゃん。」

と強引に私の腕をつかんできた。

「ちょっともういいかげん・・・」

前田のしつこさにつかまれた腕を振りほどき少し突き飛ばそうとして両手を伸ばしたその時

「砂羅!ごめんね一人にしちゃって!」

突然モデル級の男性と過ごしているはずの鈴音が私たちの間に入り込んできた。

「すず・・・」

「私たち門限があるのでもう帰らないといけないんです。お話しの途中みたいですが時間がやばいのでこれで失礼しますね。」

と前田の反応を見ることもせずに私の手を引き会場を後にした。

「鈴音。もういいの?さっきの人とはどうなったの?」

私は何も言わずにずんずんとエレベーターホールまで進む鈴音に声をかけた。

「なんかさ。最初はカッコいいしいいなって思ってたんだけどね。話してるうちになんだか自分の話ばっかするしつまらなくなってきちゃって。他の人も同じ感じ。年齢もけっこう上だしさ。私にはまだ早いって感じみたい。」

要するにつまらなくなったということか。私も鈴音にさっきのいきさつを話し終えると何だかおかしくなってきてエレベーターが来るまで二人で笑いあった。自分たちにはこういう場所は向いていなかったのだ。

それに・・・。


ホテルを出て鈴音と仕切り直してお気に入りのカフェで夕ご飯を食べた帰り道。

「間違ってたらごめんね。」

またも鈴音は唐突にそう切り出した。

「なに?」

「砂羅ってさ。もしかして忘れられない人とかいるの?」

「え?」

「なんかね。ずっと感じてたんだけど。砂羅って明るいし面白いしそういう面が表にあってあんまりわからないんだけど。」

鈴音がどう伝えたらいいのかを考えていることがすごく伝わってきた。

「時々すっごく遠くにいる気がすることがある。」

前を見ながら鈴音はそう言ってさらに続けた。

「たまにだよ。でもなんか考え事してるんだろうなって。それがたぶん・・・悲しい考え事なんだろうなって思えてね。」

そう言うと立ち止まってから私を見つめて微笑んだ。

「なんか悩んでるんだったら話してね。」

「鈴音。」

「無理強いするつもりはないよ!ただ、もし言いたいことがあったらいつでも聞くよってはなし。」

それ以上鈴音はこの話を続けるつもりはないといった様子で歩みを再開した。そこからは私が何も言えずにいることもあって全く違う他愛もない話をして別れた。

鈴音の感覚の鋭さには驚いた。これまで築いてきた人間関係で私の心の奥の思いに気が付いた人はいなかった。少なからずいた恋人でさえも。

そう。

いるのだ。

私には忘れられない人がいる。


私が育ったのは同じくらいの年代の家族がたくさん住んでいるファミリータイプの賃貸マンション。そこの一階に生まれた時から住んでいた。私は一人っ子で小学校に上がるまでは少し遠い幼稚園に通っていたこともありマンションで一緒に遊ぶ子供はいなかった。小学校に上がるのと同時にマンションの向かいの部屋に引っ越してきた家族がいた。

私の住むマンションは長方形の建物でその真ん中は天井のない吹き抜けでその吹き抜け広場を取り囲むようにして部屋が並んでいるタイプだった。真ん中には特に何もないコンクリートの広場があるだけでその空間を挟んだ向かい側にその家族は引っ越してきたのだった。家族構成はうちと同じ。ただ私と同じ年齢の子供は男の子だった。小さい頃から特に人見知りもしない性格だったのは相手も同じで引っ越しの挨拶の日に私たちは出会った。

「初めまして。向かいに引っ越してきた立花です。」

そう挨拶をしてくれた人はとても笑顔が素敵な人だった。

私の母は他人への受け入れ態勢が抜群によくて、いい人を見抜く天才でもあった。その母がお向かいの立花さんを一目見て気に入ったらしいのだ。確かにあんなに綺麗に楽しそうに笑う人は滅多にいないと私も感じた。そしてその隣に立っていたのもこれまた笑顔の可愛い男の子。それが立花隼人だった。

「こんにちは。立花隼人です。よろしくお願いします。」

あの時の元気な声と人懐っこい笑顔は今でも忘れない。この日から私たちはほとんど毎日一緒に過ごすようになっていった。


隼人は三才から空手を習っていてこっちに引っ越してきてからも週に二回近くの道場に通っていた。運動神経のよかった隼人はすぐに頭角を現し練習を重ねるたびに上達していった。小学校に上がるとマンションには同じ学校の同級生がたくさんいるのでみんなと遊ぶこともあったが多くの時間を隼人と過ごすようになっていた。私たちが集まるのはいつもお互いの家の間のコンクリート広場。高学年になると隼人は空手と並行してサッカーを始めた。広場は小学生のサッカーコートにちょうどよくて隼人はよく練習をしていた。私はというと、特に習い事もしていなかったのと母の影響で小さい頃から図書館っ子だったので読書をすることが生活の一部のようになっていた。だからサッカーをする隼人を見ながら学校で借りてきた本を読んでいることが多かった。

「砂羅はさー。サッカーしないの?」

隼人はことあるごとに私をサッカーに誘う。

「しないよ。やり方わからないし。見てるほうが楽しい。」

「そうなのかー。じゃあずっと僕がサッカーやってるの見てたらいいね。」

「うん。」

「でもさー。本読んでたら見えないじゃん。」

「ほんとだ。」

そんな他愛もない会話をしながら過ごす時間はとても楽しいものだった。


中学生になるとこれまでほどは一緒にいることは少なくなった。

これまでの小学校時代とは違って中学からは制服がある。制服はそれまで曖昧だった男の子と女の子の境界線をくっきりと浮き彫りにさせる。それはお互いに異性であることをこれまでよりも意識せざるを得ない感情を芽生えさせもする。だからといって私たちの関係性が変わるわけではないけれど、お互いに同性の友達も増えて自然とそれまでとは同じようにはいかなくなっていったのだ。隼人はサッカー部に入り忙しくなっていた。

私は特にやりたい部活があったわけではないが何かしらの部活には属さないといけないという学校のルールがあったため図書部という少し変わってはいるが好きなだけ本が読めるという部活に入部。ひたすらに活字を追い求める日々が始まった。


それでも隼人と部活のない日には広場でともに過ごした。

サッカーをする隼人は小学生の頃と変わらないけれど、中学生になるとたまに私と一緒に本を読みたがることもあった。そんなときには広場はピクニックスペースに変わる。シートを広げて私の選んであげた本を隼人が私の隣で読む。お互いに話す言葉は少なくても、これまで一緒に時間を共有してきた中で自然と出来上がった信頼の空気みたいなものが二人を包む。

手を伸ばせば隼人の存在に触れることができる。その安心感を一番近くで感じることのできる空間。この空間と時間は私にとって最も落ち着くものでどんなことよりも大切だと感じていた。

隼人は幼い頃から空手をしているくせに線の細い体つきでスラッとした長身、さらに整った顔立ちで女子生徒からの人気は学年内トップだった。誰とでもすぐに打ち解けられる性格がさらに同性からも異性からも愛される要素となって同じ学年で隼人を知らない人はいないほどだった。

「隼人君てほんとに優しいよね。」

「他の男の子とは違って嫌なこと言わないもんね。」

「サッカーも上手だし、頭もいいし。全部カッコいい。」

そんな会話を一日に何度聞いたことか。私は自分から目立った行動をとる方ではなかったけれど隼人とよく一緒に帰っていたことで不本意ながら有名になってしまった。

「あの人彼女かな?」

「よく一緒に帰ってるもんね。」

そんな風に言われることも少なくはなかった。

隼人とはクラスが離れてしまったがよく私のクラスにやってきては私に話しかけていた。それも誤解につながる理由だったのだろう。

「砂羅。今日うち母さんいないんだけどさ。」

「じゃあうち来る?お母さん今日はカレーだって言ってた。」

「ほんと?行く行く!美沙さんのカレーうまいんだよな。じゃあ今日一緒に帰ろうな。部活終わったら門でな。」

なんて会話を聞かされたらそれはそう解釈してしまうのも頷けるというものだ。私が見る側でもそう思う。でもそれを二人とも特に訂正しようとは思わなかった。私と隼人は確かに他の男女の友達よりも仲が良くてお互いを大切に感じてはいるけれど、それを超えるものはお互いになかったと思う。


あの事件が起こるまでは。


私の属する図書部は取り立てて忙しい部活ではない。運動部のように大会があるわけでもなく発表の場があるとするならば文化祭の時に限られる。

そんな部活ではあるが本好きの私にとっては静かな場所で心行くまで読書ができることはありがたくて時間を忘れて夢中になってしまうことも多かった。そんな時はたいがい最終の下校時刻ぎりぎりになってしまい運動部と帰宅時間が重なる。隼人を待っているというわけでは特にないのだけれど私を見つけたときは必ず部活の仲間とではなく私と一緒に帰ってくれる。同じマンションだからというわけではなくてそうするのが当たり前なのだというように。


その日は運悪く。

本当に運が悪く下校時刻を過ぎての帰宅でも隼人に会うことはなかった。季節は秋から冬になる頃で暗くなるのも早かった。もうすぐマンションのエントランスだという時突然、目の前に知らない男の人が立ちふさがった。

「砂羅ちゃん?」

「どちらさまですか?」

「砂羅ちゃんだよね。今日はひとりなの?いつもいるやつと一緒じゃないんだ。」

勝手に一人で話を進めるこの男の人の勢いに気味が悪くなりその場を離れようとすると

「ちょっと待ってよ。俺さ前から君のことかわいいなって思っててさ。今から遊びに行かない?」

なんて馴れ馴れしいのだろうか。とんでもない申し出に早々にその場を立ち去ろうとした。

「いいです。もう帰るところなので。」

「いいじゃない。ちょっとだけだしさ。」

さらに近寄ってくると手を肩に乗せ顔を近づけてくる。

「やめて!離してください!」

拒絶の反応を見せると途端に

「なんだよ!ちょっとくらい付き合ったっていいじゃねーか。少しくらいかわいい顔してるからって思いあがってんじゃねーぞ。」

そう言って肩に置いた手に力をいれて強引に引き寄せようとしたその時

「なにやってるんだよ!お前!」

聞き慣れた声。

そう思った次の瞬間には男の人の手を払いのけ私を自分の背中に隠してくれた隼人がいた。

「あんた誰?」

そう言った隼人は今まで見たことのないような表情と声で男の人を威嚇した。

「砂羅に何してたんだよ。」

男の人は隼人の剣幕に押され何も言わずにその場を立ち去って行った。

「大丈夫か?砂羅。」

振り向いた隼人は私の知っているいつもの雰囲気を取り戻していた。

「あ・・・うん。平気。ありがとう隼人。」

「お前!こんな遅い時間まで学校で何やってたんだよ。お前の部活こんなに遅くまでやることないんだろ?」

またもやすごい剣幕の隼人が飛び出してきて私は圧倒されながら

「う・・・うん。そうなんだけど。本読んでたら気が付いたらこんな時間で・・・。」

「気をつけろよ。変なやつ多いんだからな。」

「あの人私の名前知ってたの・・・。なんでだろ。」

私のその言葉を聞くと

「まじかよ。じゃあお前だってわかって近づいてきたってことなのか。知ってるやつじゃないんだよな。」

「全然知らない人だった。たぶん大学生なんじゃないかな。」

「また来るかもしれないな。とにかく!お前ももうこんな遅くに帰ってくるのやめろよな。」

そんなことわかっているけれども・・・。隼人の勢いに押されて頷くしかなかった。


そんなことよりも驚いたことがある。私はこの時に気が付いてしまったのだ。あの男の人に触れられた時に感じた感情に。隼人以外の男の人にあんなに近くで触れられたのは初めてだったけれど心の底から嫌だった。気持ちが悪かった。学校では必要以上に自分の近くに男の子がいることはあまりない。そもそも私は隼人と恋人同士だと言われているもんでほとんど男の子と触れ合うことがなかったから気が付かなかったのだ。こんなにも隼人以外の男の人に触れてほしくないと感じるなんて。この気持ちを知ってしまった時から私にとって隼人はもうただの幼馴染の男の子ではなくなってしまった。

隼人に対して恋愛感情を抱いてしまった。

あれからあの男の人が私の前に現れることはなかった。あの後すぐに隼人が私の両親に何があったのかを報告。そのまま警察に連絡がいった。特に危害を加えられたわけではなかったので大事にはならなかったのだが警察もパトロールを実施してくれているのだろう。

あのときの隼人の剣幕があまりにも恐ろしかったというのも影響しているのではないかとひそかに思っている。そう感じるくらいに隼人の怒りは大きかった。

しかし私はそれどころではなかった。あの男の人がどうのこうのなんてあれ以来頭の隅にも浮かんでは来なかった。

なぜなら。


私の心は隼人でいっぱいだったから。

隼人に恋心を抱いてしまったから。


あれから少しの間、隼人は自分の部活よりも私と一緒に帰ることを優先してくれた。

隼人の態度は今までともちろん変わらない。

変わったのは私。何を話していてもこれまでとは違う感情がわいてくる。

隼人の横顔はこんなにも素敵だったのだろうか?

隼人の声はこれほどまでも私の耳に心地よく響いていたのだろうか?

隼人の体はいつの間にこんなにも逞しく男の人になっていたのだろうか?

帰り道で発見する隼人への新しい感情に私は戸惑ってばかりいた。そんな時間を私は一人大切に感じながら私たちは高校生になっていった。


私と隼人は同じ高校に通うことになった。高校でも隼人の人気はあっという間に広まっていった。一年生でサッカー部ではレギュラーメンバー入りを果たした時の初試合には隼人のファンだという女子生徒が学校中から押し寄せたほど。相変わらずの誰にでも優しい性格とますます磨きのかかっていく容姿でその人気は留まるところをしらない。それでも隼人には幼馴染の彼女がいるという中学からの噂はどこからともなく広まっていて目立って隼人に声をかける女子はいなかった。

私はそんな恵まれた環境に甘んじていた。隼人に恋心を抱いてからもその想いを口にすることはなかった。隼人の前では表向きはこれまでと同じ幼馴染を演じ、周りからくる隼人の彼女としての目線も受け止めていた。どんな形であれ隼人の一番近くというポジションに自分がいられることに安心していた。

そしてそれと同時に何もない自分が隼人にふさわしくないのではないかという大きな不安も抱えていた。

私は高校に入ってもこれまでと生活が変わることはなかった。高校では特に部活に入ることを求められることもなかったので帰宅部だった。勉強も運動もこれまで同様、特に無理をすることなくある程度の結果が得られるためにその程度で止まっていた。

特に何かに必死になることもない。自分が夢中になれることがあるわけでもない。

中身の空っぽな自分には何事にも一生懸命で努力を惜しまない隼人とは釣り合わない。その不安が私が隼人へ気持ちを伝える勇気を奪っていた。

そのまま高校生活は残り一か月というところまできていた。私たちの関係はこれまでのまま幼馴染同士。周りからは恋人同士。大学はとうとうばらばらになる予定だった。隼人はサッカーの推薦を受けて県内の大学へ。私は特に行きたい大学があったわけではないが県外の大学へすすむことになっていた。

この曖昧な関係ももうすぐ終わりをむかえる。このままでいいのかと自問するようになっていた。答えを出すのにためらっていた私はある日、聞いてしまったのだ。いや、厳密には聞きそうになってしまったというべきなのだが。

隼人はその日教室で高校最後の部活へ行くために準備をしていたようだった。私は担任に頼まれた資料作りをするために一度職員室に行き資料を持って教室に戻って来たところだった。教室へ入ろうとしたところで話声が聞こえた。

「隼人君って大学決まったんだよね。」

クラスの女子の声だった。

「そうだよ。決まった。なんで?」

隼人の声も聞こえた。

「いや・・・。私も同じ大学なんだ・・・よね。」

「なんだそうだったのかー。じゃあまたよろしくな。」

「うん。それでね・・・。」

女子生徒の声が止まった。何かを言い出したいようなそんな雰囲気を感じた。

「私ね。ずっと隼人君が好きだったの・・・。  」

やはり告白だった。

隼人はすぐに答えなかった。

「えっと・・・。」

こんな場面に出くわすなんて。聞きたくないという気持ちが大きかったが隼人の返事が気になるのもまた本音だった。私たちは表向きは恋人同士ということになっている。それは隼人だって知っていて何も言わない。

本当は隼人はどう思っているの?これは隼人の気持ちを知ることが出来るチャンスかもしれない。そう思うとその場から足が動かなかった。すると隼人が話し出すよりも先に女子生徒の声が聞こえた。

「砂羅が彼女だってことは知ってる。」

そう言った彼女の次の言葉が心に突き刺さった。

「でもほんとはそうじゃないんでしょ?付き合ってないってことみんな知ってる。」

「え。」

隼人の声が聞こえた。

「隼人君モテるからさ、砂羅が彼女だって言っとけば誰も告ったりしないからそうしてたんでしょ?

みんな言ってる。 

砂羅はなんでもサクッとできちゃうし綺麗だから周りの男子に好きな子多いけど隼人君とは・・・。なんか似合わない気がするんだよね。隼人君はさ。なんでも一生懸命がんばるタイプでしょ?」

足元が崩れ落ちたような感覚に襲われた。これまで私が彼女だと周りはそう思ってると本気で信じていた。それを受け入れているから隼人も特定の彼女を作らないしそれでいいと思っていると。それが二人の共通の秘密だと。

でもそれは嘘だと周りが知っていたなんて。私はどんな目でみんなから見られていたのだろう。そう思うと恥ずかしさと悔しさで消えてなくなりたくなった。それ以上二人の会話が耳に入る心の余裕は私にはなくなっていて気が付いたら一人、屋上へ続く階段を登り切っていた。

隼人はあの子になんて返事をしたのだろう。聞くのが恐ろしかった。どんな状況になっていたのか確かめることはもう私にはできなかった。


『隼人君とは似合わない気がする。』

自問自答していた答えを突き付けられた気がする。胸を張って好きだといえるものが何もない私。空っぽの私にはその時から自信すらなくなってしまったように思う。そのまま隼人に気持ちを伝えることすら出来ずに高校を卒業し県外へ出た私はあれから隼人がどんな生活を送っているのか全く知らない。それを知るのが怖くてずっと実家には帰っていない。あれからもう何年経ったのだろう・・・。

一番近くにいた存在は今や一番遠い存在になってしまったのだ。


あの時。

あの会話を最後まで聞いていればこんなにこの気持ちを引きずることはなかったのだろうか?

別の未来があったのだろうか?


そんな今更なんの意味もないことを考えながらふと気が付くと自分の家をとっくに通り過ぎてしまっていることに気が付いた。

「しまった・・・。つい考えちゃってたらこんなところまで来てた・・・。」

私の住んでいる町は昔から貿易が盛んな港町で異国情緒あふれる人気の観光地である。そのため私の住んでいるエリアもどこか外国の街並みを感じさせる雰囲気になっているのだ。レンガ作りの建物や異人館が点在する場所も近くて住み始めた頃はよく近所を散策したものだった。そんな異国の街並みが見られるエリアまで来てしまっていた。

「帰らなきゃ。」

そう呟いて戻ろうとしたその時、ふと一つの路地を目が捉えた。

細い路地であまり目立たないがなぜなのだろうとても気になった。時間もそこまで遅いわけではなく暗くなってもいない、それに周りに人の気配もする。少し寄り道しても危険なことがあるわけでもないだろう。

「なんでこんなに気になるんだろう?」

そう言って私はその路地に近づいた。

路地の両サイドはレストランと民家。レストランは人気のイタリアンレストランで私も一度訪れたことがあった。

その時には気が付かなかったくらいの路地。

そこへ一歩足を踏み入れた途端それまで聞こえていた周りの音が遮断され突然静寂が訪れた。少し怖い気がしたがこれほどまでも気になる理由が知りたくて奥へと進んでいった。二十歩ほど歩いただろうか。時間にしてほんの数分。すぐに突き当りが見えてきた。

正面の突き当りには海外で見られるような壁から水が流れ落ちている小さな噴水が設置されていた。大理石のような石で作られたそれはイタリアの飲料用の噴水フォンタネッラのような様相だった。水はライオンを象った彫刻の口元から流れ落ちていた。噴水の中央上部にはライトが灯っていて暖かなオレンジでその一角を照らしていた。噴水の壁の左右にはアーケードの通りが続いていた。

「こんなところがあったんだ。こんな突き当りから続くアーケードってどこにつながってるんだろ。ちょっと不思議なところ。でもなんでだろう?見ていると落ち着く感じがする。」

小さな振動を感じてライトが揺れると照らされている水もかすかに揺らめきながら流れ落ちる。

その光景をじっと眺めていると突然


ぐにゃり


流れ落ちる水がこれまでとは違った揺らめきを見せた。と感じた瞬間に目に入るすべての景色が同じように歪んで見えた。

「なに・・・?」

そのまま視界は真っ暗になった。


第2話 過去への扉


「ん・・・。」

肌寒さを感じて私は目を覚ました。

「なんだったの。さっきの。」

小さな路地の奥で噴水の水を眺めていたら突然めまいを感じた。そこまでは記憶にあった。はずなのに。

「なんで・・・。なんで私こんなところにいるの・・・。」

次に目を覚ました私の目に飛び込んできたのは千葉の実家のマンション。小さい頃からいつも遊んでいた中央の広場だった。私はそこに広げたブランケットの上で目を覚ましたのだった。

「うちのマンション?どうなってるの。それにこの服・・・。制服?高校の?」

いったい私の身になにが起こっているというのだろう。目が覚めたと思ったら高校の頃の制服を着て実家のマンションに立っている。さっきまでいたのは遠く離れた私が一人暮らしをしている町。

「これ夢なの? 

でも全部本物みたいに感じる。」

もう何年も帰っていない実家。それほどに時間が経っているはずなのにこの場所も匂いも感じる空気も全部が昨日のことのように肌に感じられた。

右側には私の家。

そして、左側には・・・。


「砂羅!お前またこんな寒いのにここで本読んでたのか?」

背中越しに聞こえた声に心が震えた。


「うそでしょ・・・。」

そう小さく呟いて振り返る。

そこにはあの日のままの隼人がいた。

いったい何頭身なんだと言わせるほどのスタイルと小さな顔。整った顔が私に微笑みかけていた。私の記憶の中にあるままの隼人がこちらに向かって歩いてきていた。

「はや・・・と。」

そう口に出すのがやっとだった。震える両手で制服のスカートをつかむ。そのスカートの感触さえとても懐かしいのに隼人は何事もなかったかのように私に歩み寄り話しかけてくる。

「もう暗いし家戻ったら?俺明日で部活終わりだからなんか名残惜しくってさー。今まで残ってた。明日は一緒に帰るか?部活終わりで一緒に帰るのももう最後だしな。って。

 砂羅?どうした?なんか固まってるけど。またなんかあったのか?}

目の前に隼人がいる。

あの日から私は隼人から逃げるような態度しかとれなくなってほとんどまともに話もしなかった。それが原因でお互いになんだか気まずくなってしまった。でも今はそんなことはなかったかのようだ。

「おい!砂羅!どうしたんだよ?」

目の前で大きな声をあげられてやっと我に返った。

「え・・・。あ。なんでもないよ。大丈夫。」

そしてふとこのシチュエーションに見覚えを感じた。

そうだ。

あの出来事が起こる前の日だ。こうやって部活最後の隼人と一緒に帰る約束をしたんだった。実際にはそれが実現することはなかったのだけれど。


私はいま過去にタイムスリップしている?


そんなあり得ないことを考えながら隼人には曖昧な返事をして家へ戻った。

家の中も当時のまま。私の部屋もなにも変わらないまま。

「おかえりー。砂羅ちゃんごはん食べる?お風呂も沸いてるけどー。」

そう呼びかける母の声も全く変わらない。

シンプルな家具で整えられていた私の部屋。白と青と水色。私の好きな色その三色が基調とされた部屋。半信半疑のまま夕食を済ませ、お風呂に入り自分の部屋に戻って来た。どうやら私だけが現在の記憶も持ちながらここにいるようだ。父も母も高校時代のままの姿で存在していた。あの頃のまま明るい声で話しかけてくる母を見て最近は連絡すらできていないことを思い出し少しだけ申し訳ない気持ちになった。この時間を取り巻く全てのものが高校時代のあの頃のままのものだった。


自分の部屋へ戻るとベッドに寝転がり混乱した頭を整理することにした。

「私は確かあの不思議な感じのする路地に入って噴水を見つけたのよね。で、その噴水を見ていたら目の前がぐるぐる回ったみたいになって次に目を開けたらここにいて高校の時の制服で立ってた。」

そして隼人がいた。

「なんにも変わってなかったな。あの頃のままだった・・・。懐かしいよ。」

さっきは驚きすぎてろくに話もしないまま別れてしまった。

「ここは過去の世界ってことなのかな。さっきした会話は昔にしたことがあるものだった。ということは過去が繰り返されているってことなのかな。」

もしもこのままこの部屋で眠りについて翌朝をむかえられたならあの出来事が繰り返されることになる。そうなれば私はどうするのだろう。

あの日のことをずっと後悔していた。

恐れないで隼人と女子生徒の会話を最後まで聞けばよかったと考えたことは数えきれないくらいある。そんな後悔をしながら生きている自分が嫌いだった。後ろ向きな心を抱えていることが不安でどうしようもなかった。

「もしも・・・もしも明日をもう一度むかえられたら私はちゃんとあの続きを聞くべきなんだよね。もしかしてそのために過去に戻って来たの?」

いったい何が起こっているのか考えても考えても答えはわからないけれど、もしもあの日を取り戻せるのなら迷うことはなにもない。

「これは過去の後悔を変えられるチャンスかもしれないんだ。」

そう感じながら私は懐かしい匂いに包まれながら眠りについた。


翌日、目が覚めたのは高校生の私の部屋だった。

「昨日のこと夢じゃなかったのね。この日がもう一度やってくるなんて信じられないけど。」

今日は隼人は部活が最後の日。朝練にも参加しているので登校が一緒になることはなかった。もう何年も前のはずなのに昨日のことのように自然と足が学校へと進む。

あの頃。

隼人とともに過ごす日々は自分の気持ちを伝えられずにいたことで苦しいこともあったけれど毎日を充実させていたことが今ならわかる。好きな人に囲まれて過ごす学生時代は一生に一度だけ。当時は逃げ出したいことも多かったように思うけれどそういう経験をして初めて大人になってからそのことも懐かしむことができるようになる。

なにも経験しないことが一番後になって虚しく悲しいことだと思うし、そう自分に言い聞かせてきた部分もあった。そうすることが唯一過去への後悔をプラスと捉えられるから。けれど過去に戻るなんて奇跡が現実に起こってしまった今ではその考えは役に立たないのかもしれないが。


数年ぶりの学校で授業を受けているなんて。周りの友達も先生も記憶の中のままそこに存在している。私だけがこの先の未来の記憶を持っているなんてことをこの中の誰が想像できるだろうか。考えると考えるほど不思議な体験をしているんだと実感する。

退屈だったはずの授業もこんな状況だと楽しく感じてしまう。

今日のこの一日は普通ではなく特別なんだと考えながら午前の授業を終え、お昼ご飯を懐かしい友達と中庭で食べ午後の授業も平和に何事もなく過ぎていった。


とうとう放課後がやってくる。

三年生はこの日が部活の最終日だという生徒も多くなんだかみんながそわそわしながらそれぞれの部活へと向かっている。

記憶がだんだんと呼び覚まされていく。担任の教師が私を呼ぶ。

「泉。ちょっと頼まれてくれるか。お前部活もなかったよな?資料作り手伝ってくれ。」

その言葉は何かの合図のように私には聞こえた。少し震える声で返事をした私は職員室へ向かった。先生の話もほとんど耳に入っていなかった。資料の作り方を説明していたのだろうがそんなことは今の私の心に一ミリも入ってこなかった。

当然だ。

これから私は人生最大の後悔をやり直せるかもしれないのだ。その重大さに足がすくみそうになる。

資料を抱えて職員室を出ると私はゆっくりと歩き出した。職員室は一階で私たちの教室は三階にある。廊下を進み階段を一歩一歩ゆっくりと踏みしめながら登る。私の記憶にあるあの日の会話を繰り返し思い出し足元を見つめながら本当にゆっくりと歩いていった。

あの日の続きを数年の時を経て手にしようとしている。ゆっくりと進んでいても一階、二階と体は前に進んでいる。どんなにペースを落としていても歩むことをやめなければその先へ確実に進んでいく。

そしてその歩みと同時に私の心もこの先へ、知らなかった過去の未来へ進みたいとそう感じていることに気が付いた。あの日のように逃げることはもうできないのだと感じた。

三階に到着し自分の教室はもう目の前にある。あと数歩進めばその先が見える。そうしてやっと教室の前にたどり着いた。

扉を開こうと手を伸ばした時あの会話が聞こえてきた。


「隼人君って大学決まったんだよね。」

そう。始まりはこうだった。


「私ね・・・。ずっと隼人君が好きだったの・・・。」

すぐに隼人の声はしない。そして

「えっと・・・。」


「でもほんとはそうじゃないんでしょ?付き合ってないってことみんな知ってる。」

「え。」

隼人の声が聞こえた。

「隼人君モテるからさ、砂羅が彼女だって言っとけば誰も告ったりしないからそうしてたんでしょ?みんな言ってる。

砂羅はなんでもサクッとできちゃうし綺麗だから周りの男子に好きな子多いけど隼人君とは・・・。なんか似合わない気がするんだよね。隼人君はさ。なんでも一生懸命がんばるタイプでしょ?」

まるで隼人に言葉を出させないように彼女は言葉を重ね続ける。そして私が逃げ出す直前の言葉が聞こえた。

「今度は逃げない。絶対に逃げちゃダメ。」

小さく口にして私はその場に静かに佇んでいた。


新しい記憶が今から上書きされるのだ。


初めは沈黙のままだった。そして隼人の声が聞こえた。

「そう。そうなんだ。みんな知ってるか・・・。確かに俺と砂羅は恋人同士ではないよ。」

心臓がぎゅっとなった。思えば初めて隼人の口から私たちの関係性を聞いた気がする。曖昧なままにしてしまったせいだ。

「そうだよね。隼人君今まで全然彼女だって言わなかったし。そういうことでしょ?」

「そういうことって?」

隼人が尋ねる。

「だから、別に砂羅のことはなんとも思ってないってことでしょ?」

そうだよ。と隼人は答えるのだろう。それが怖くて自分からは隼人に気持ちを伝えることが出来ないままだったのだ。

「恋人じゃないからなんとも思ってないなんてわけじゃない。」

きっぱりと隼人はそう言った。私は耳を疑った。隼人が答えると予想していた言葉が聞こえると思っていた。そう信じ切っていたのに聞こえてきた答えは全く違う言葉だった。

「君たちや周りにどんな風に見えているのかなんて知らないけど俺と砂羅はずっと一緒に育ってきたんだ。あいつが何を考えてるかなんてすぐにわかるし。俺と砂羅が似合わないって言ったけどそれが何?恋人同士って初めからお似合いじゃないといけないなんて誰が決めたの?目に見える一生懸命だけががんばってる証拠だなんて誰が決めた?見た目だけでわかったようなふりをしてるほうが間違ってる。そんなんじゃ本当に大切なものを見失う。」

好きだという言葉があったわけではない。明確な言葉は何もなかった。それでも隼人の思いがこんなにもダイレクトに心に響いてくるなんて。私のことを誰よりもわかってくれていて認めてくれていたのはやはり隼人だった。

涙で前が見えなくなった。今すぐ飛び出して隼人に私の気持ちを伝えたいのに止まらない涙でそれができなかった。


そうして涙で滲んだ視界が突然ゆがんでいった。あの時と同じだ。あの噴水でぐにゃりとゆがんだ空間がまた現れた。戻ってしまう。本能的にそう悟った。

待って!まだ・・・。あと少しだけ。隼人に私の気持ちを伝えたいのに。

周りの景色と隼人と彼女の話声が急速に小さくなってく。最後の瞬間、隼人が何かを呟く声が聞こえたような気がした。

「こんどこそは伝え・・ら・・た・・。」

「待って!なに?聞こえない!聞こえないよ隼人!」

そう叫んで差し出した手に冷たい水の感触が伝わって来た。


目を開けるとそこには暗闇に浮かび上がった噴水があった。私の右手はその噴水の中にあって流れ落ちる水を受け止めていた。

「戻って来たの?」

あたりを見回してみたが時間はあまり経っていないようだった。よく耳を澄ませてみると表通りの車の音や通りを歩く人の足音が聞こえていた。

「そんな。隼人に言えなかった・・・。私の気持ちまた伝えられなかった。」

私が逃げ出した過去にあんな続きがあったなんて。混乱する頭と心のざわめきが収まらないまま不思議な噴水の路地を後にした。そこからどうやって家までたどり着いたのかほとんど覚えていなかった。あり得ない体験に動揺したことはもちろん大きかったけれど隼人の心を知ることが出来たことへの戸惑いのほうがさらに大きく影響していたことは明白だった。その日の夜は上書きされた記憶に混乱させられたまま目を閉じた。


第3話 変えられる未来


あの不思議な体験から一週間が過ぎていた。

過去に戻り自分が後悔し続けていたことを取り戻すなんて夢でも出来すぎている展開だと今でも思う。あれは本当に過去に私が逃げ出した後の続きだったのだろうか。私がそうであればいいと感じたことを見ただけだったのではないだろうか。それを確かめる方法は一つしかない。隼人に直接聞くしかその手段はない。

「だからって・・・。」

もう何年も連絡すら取っていないし今更どうやって聞き出せばいいのかなんてわからない。途方もない度胸と恥ずかしさうぇお想像するだけでため息しかでない。そんな問答を繰り返しながら一週間を過ごしていた。

「今更どんな顔して会いに行けばいいのよ。それにもう隼人だって私のことなんて忘れて

るだろうし。」


今日は水曜日。空港といっても地方の空港なので離発着便の数はそれほど多くはない。特に平日の昼過ぎの時間帯になると一時間に一・二本の到着便があるだけだ。私の職場である空港のインフォメーションはこの時間は言ってしまえば暇なのだ。それでも観光地としては有名な場所にある空港なので観光スポットを尋ねられるケースは多い。ルート案内や食べ物やレストランの紹介、ホテルの案内とそれなりに範囲の広い知識が必要になる。私も他県からの移住者だからはじめは何もわからなかったが最近では聞かれたことにはほとんどすぐに答えられるようになっていた。

「お気をつけていってらっしゃいませ。」

観光の案内を済ませてアクセス方法を伝えた後そう言って頭を下げた。再び頭を戻して顔をあげると、ふと視線が一人の男性に惹きつけられた。到着便が着いたために到着口からはたくさんの人が流れ出てきているのにどうしてだろう。その人から目が離せない。

すらっとした背の高い体に紺色のスーツを綺麗に着こなしている。黒髪で少し長めの前髪が歩くたびに揺れている。身長のわりに小さな顔は少しうつむいていて携帯をのぞき込んでいた。立ち止まり画面を見つめて何かを考えているようだった。すると突然顔をあげてきょろきょろと周りを見回し始めた。

そして・・・

私のいる案内所のほうを向いたその顔を見て私は息をのんだ。

「はや・・・と・・・。うそでしょ・・・。」

隼人も私に気が付いたようで凍りついたようにこちらを見つめたまま動かなかった。そのまま永遠とも思えるほどだったがおそらく数秒だったはず。私たちはお互いに見つめ合っていた。が、意を決したように隼人がこちらに向かって歩き出した。私から視線を外してこちらに向かってくる。私の手に汗が滲む。けれど私の瞳は隼人からそらすことはできなかった。私のいるところまであと数歩しかない。心臓が破れそうなほど音を立てている。

こんなところで再会するなんて。こんなタイミングで再会するなんて。

でも私の目の前にやって来たのは紛れもなく隼人その人だった。

「砂羅・・・。」

隼人の口から私の名前がこぼれ出る。懐かしい感覚が全身を襲う。

「砂羅だよね。」

私はすぐに答えられなかった。固まったままただ隼人を見つめることしかできなかった。

「砂羅?」

そしてもう一度そう呼ばれてやっと金縛りが解けたように息をはいた。

「隼人なの?」

「やっぱり。砂羅だ。久しぶりだね。ここで働いてたんだ。砂羅のお母さんからは空港で働いてるって聞いてたけど。元気だった?」

そう言って笑うその笑顔は高校生の時と変わらない。かわいらしさがまだ残っていたあの頃よりも落ち着いた雰囲気が備わっていてそれだけでぐっと大人っぽく見えた。つい一週間前に高校生の隼人を見ているから余計にそう感じたのかもしれない。私は精一杯落ち着きを装って答える。

「うん。元気だよ。隼人ほんと久しぶりだね。こんなところでなにしてるの?」

「今日は仕事の出張で来たんだ。これから行くところがよくわからなくてインフォメーションで聞こうと思って探してたら砂羅がいた。びっくりしたよ。」

そう言って少し困ったようにはにかんだ。

「私もすごくびっくりしちゃった。夢かと思ったよ。で、どこに行くの?」

私は仕事モードに切り替えてそう尋ねた。

「あ、えっと。ここなんだけど。」

そう言って見せられた場所はサッカー関連の関係者がよく使う貸し会議室の入った建物だった。備えつけてある地図を使ってアクセス方法を伝え隼人に聞いてみた。

「隼人ってサッカー続けてるの? 

ここってそういう関係の人がよく使ってる場所だよね。」

「そっか。さすがだね。うん。サッカーに関する仕事がしたいって大学の時に考えてサッカー選手のマネージメントとかしてる会社に就職したんだ。」

「そうだったんだね。私てっきりサッカー選手になったのかと思った。」

「そこまでの才能は俺にはないよ。

でも好きことには変わりないから今の仕事楽しいよ。」

「隼人らしいね。」

そう言って会話が途切れた。これ以上なんの話をしたらいいのかわからなかった。本当はもっと聞きたいことがあるのだけれど。

「じゃあ・・・仕事がんばってね。 道はもう大丈夫?」

そんなセリフしか出せない自分に心底落胆しながら隼人を見た。その言葉が届いていないのか隼人は私をじっと見つめて動かない。

「あの・・・。隼人?」

「え!ごめん。うん。道はわかった。ありがとう。」

また沈黙が二人の間を流れた。その沈黙を破ったのは隼人だった。

「砂羅・・・。今日仕事何時までなの?どこかで時間つくれないかな?」

思ってもいない申し出に驚いたが

「今日は夕方には終わるけど・・・。隼人は時間作れるの?」

「うん。大丈夫。せっかく会えたんだしごはんでも食べようよ。その・・・。話したいこともあるし・・・。」

小さくなるその声に最後のほうは聞き取れなかったが隼人から誘ってもらえた嬉しさで気にはならなかった。

「ありがとう。嬉しい。」

「よかった。じゃあ連絡先教えて。終わったらむかえに来るからさ。」

そういうさりげない優しさは相変わらずでそんな隼人をまた見ることができただけで幸せだと感じた。そしてお互いに連絡先を交換して隼人は目的地へ向かっていった。

それから勤務終了までがいつもの倍以上に感じられた。やっと仕事が終わり逸る気持ちを必死に抑えながら携帯を見るとすでに隼人から連絡が来ていた。仕事が早く終わったからすでに空港にいるという。


隼人との数年ぶりの再会。空港のエントランスから外に出ると、すこし時間も夜に近づき肌寒くなっていたからか先ほどのスーツの上にコートを着た隼人が立っていた。濃いグリーンのロングコート。背の高い彼にとてもよく似合っていた。

「おまたせ・・・。隼人。待ったでしょ?ごめんね。」

まだまだやはりぎこちない、どことなく他人行儀な話し方になってしまう。隼人の目を見ることもなんだか恥ずかしくてできない。そんな私の心を知ってか知らずか昔と少しも変わらない話し方と雰囲気で隼人は返事をしてくれた。

「大丈夫、待ってないよ。 俺の仕事が終わったのもついさっきだったし、ここに着いて少ししたら砂羅が来てくれたから。」

顔を見なくてもわかる。

微笑んで私を見つめる隼人の笑顔。それがすぐにわかる優しい声で私に話かけてくれる。

「そう。よかった。

 ごはんどこで食べようか?私の知ってるお店でいい?」

「うん。そうしてもらえるとありがたいな。

 さすがにこの短時間で知らない町のいいお店は見つけられなかった。

 砂羅はいつもどんな店に行くの?」

「そうだなぁ。その時の気分でもよく変わるんだけど。イタリアンはよく行くかな。」

「そっか。俺もイタリアン好きだよ。

 なんかピザ食べたくなってきたよ。そんな話してたら。」

笑いながらそんなことを言う隼人の顔をようやくちゃんと見ることが出来た。どんな食べ物が好きなのかなんてあの頃は確かめたことがなかった。そんな必要がないくらいにいつも近くにいてお互いを知っていた。でも今はそうではない。好きな食べ物さえも知らない。そんなあの頃との違いをありありとを感じ、隼人が隣にいるのに距離を感じてしまっていた。一瞬の沈黙で何かを悟ったのか隼人は立ち止まりさらに優しく私に問いかける。

「じゃあ沙羅が好きなイタリアンのレストランに行こう!どこかおすすめの店ってあるの?」

そう聞かれてすぐに思い出したのはあの不思議な体験をした路地の入口にあるイタリア 

ンレストランだった。あの体験をした日以来あの場所には近づいていない。特に意識的にそうしていたわけではないのだが再び訪れる理由が特に見当たらなかったからだ。それでもあの場所が気にならないはずもなく、毎日のように脳裏によぎってはいた。

本当はもう一度あの場所に行きたいと感じていた。

ちゃんとした理由が出来たではないか。イタリアンレストランを探していて、もちろん味も補償できるお店。

しかも一緒にいるのが他の誰でもない、あの場所で体験した不思議な出来事の相手である隼人なのだ。

これはなにか運命めいたものをどうしても感じてしまう。だから隼人と行きたい。

「一度行っただけだけどピザが美味しいと思ったお店があるんだ。そこでもいい?」

「もちろん!沙羅が行きたいところがいいよ。ピザ美味しいならなおさらじゃん。」

ここからあの場所までは十五分程歩くことになる。そのたった十五分がどうなるものかと少し心配になりながら歩き出したのだが、不自然な沈黙が続くこともなく気軽に隼人は私に話しかけてきてくれた。

「砂羅ってなんで空港で働いてるの?飛行機好きだったっけ?」

「なんで?そうだなぁ。

大学では英語勉強してたし、先輩に誘われて受けてみたんだよね。そしたら合格できちゃって。

 飛行機・・・はそんなに好きでもなかったんだけど今は好きだと思う。」

「思う?」

「んー。なんて言うのかな。

 初めはね、飛行機見てもただの交通手段の一つとしか感じてなくて。

 でも空港って場所にはいろんな人がくるの。

 もちろん飛行機に乗るために来る人がほとんどでその人たちは私たちとはあんまり関わることはないのね。

でも空港にいろんな思いを抱えてやってくる人も中にはいて。空港で働いてるとそんな人たちって見たらわかるんだ。

あぁ。あの人はなにか辛い思いがあってここに来ているんだなって。そんな中の一人のお客様と話したことがあったの。なにか抱えきれないことがあって頭がうまく回っていない時に大きな翼で私たちをどこか違う場所に必ず運んでくれる飛行機って存在を見ていると心とか頭が少しスッキリするんだって。どんなに今が苦しくても日々は、時間は必ず前に進んでいて、ここではない場所に自分を運んでいく。

飛行機みたいにね。

日が変わって、月が変われば人の心も変化してく。今にみたいに苦しい思いはずっとは続かないってことを飛行機を見ていると感じられんだって。そんなことを聞いたらなんだかすごい場所で私って働いてるんじゃないかって感じ始めて。飛行機ってもしかしてただの移動手段だけじゃないのかなって。

私は飛行機を見てもそんな感情を持ったことがないからはっきりとはわからないけど、

でもそうやって人も気持ちを上向きにできる存在ってすごいなって感じ始めてて。

まだよくわかってないから思うって感じなんだ・・・。

あ!ごめんね。

なんか私すごく話しちゃった。長々とごめん。」

そう言って隼人を見ると、とても真剣な顔で前を見つめる彼がいた。

「隼人?どうかしたの?」

「いや。なんかすごいなって。

飛行機ってすごいなって。俺もそんなこと考えて飛行機見たことなかったよ。

それにどんなに今が苦しくても明日は違う気持ちになるかもしれないって。ほんとそうだよなって思って。でも人の気持ちってそうやって変化してしまうんだよなって。」

最後の言葉をさらに真剣な目をして言う隼人はどこか苦しそうに見えた。

たまらず私は小さく答えた。

「変わらない気持ちもあるよ。」

私の小さな本音は隼人には届かなかったようでそのまま数メートルお互いに話をしないままお店にたどり着いた。

「ここだよ。私が言ってたイタリアンのレストラン。」

「へー。さすがこの町にピッタリの雰囲気じゃん。入ろう。ピザ楽しみだな。」

さっきまでの張りつめた雰囲気は消えていつもの隼人が戻ってきていた。私はと言うとレストランよりもその隣の路地に気持ちが持っていかれそうになるのを抑えて隼人が開けてくれたお店の扉をくぐり店中へ足を踏み入れた。

本当は数年の月日が経っているのだがそんな離れた時間なんて少しも感じさせない程に一緒にした食事は楽しかった。さすがに人気のレストランで隼人が楽しみにしていたピザの味も申し分のないもので、他のメニューもまた同様だった。そんな美味しい料理も手伝って二人の会話はとても弾んでいた。

「地元のみんな元気にしてる?」

「みんな変わらないよ。沙羅も今度帰っておいでよ。みんなで飲もう。」

「沙羅のお母さん最近前よりも増して料理に力入れてるみたいでさ。みんなカフェでも始める気なんじゃないかって噂してるんだ。俺の母さんも教えてもらったりたまにしてる。」

「そうなの?全然知らなかったよ。お母さんよっぽど好きなんだ。料理。」


「最近は仕事を始めたときよりも余裕が出来てきて楽しくなってきてるの。私には合わないと思ってたんだけどなんとかやっていけそう。」

「わかるよ。俺も今仕事はね。すごく楽しいんだ。

 これからどんどんもっとたくさんのことを勉強していきたいと思ってる。」


そんな風にお互いの近況を伝えあい共通の知り合いや両親のことについても話をした。私の両親のことを隼人のほうが詳しく知っていることが分かったときには少し情けなくなったけれど。

隼人との再会から思いもよらなかった食事へとあっという間に時間が流れ帰り道。

私はまだあの時のことを何も聞けずにいた。本当はすぐにでも聞きたかった。でも懐かしさと出会えたことの嬉しさから気まずくなることがどうしても嫌で今の今まで聞けずにいる。確かめなければならないこともわかっているのに。

二人で港の夜景を見ながら歩いていた。お互い言葉がないまま歩みを進めている。すると少し前を歩く隼人が沈黙を破った。

「今日はほんと楽しかった。砂羅と会えるなんて思ってもいなかったから驚いたけど。なんか昔に戻ったみたいだったな。」

私は昔に戻ったみたいという隼人の言葉に一人胸を高鳴らせていた。

「うん。驚いた。ほんとに。」

そう答えて私は心を決めた。

「あの・・・ね。隼人。」

「ん?」

隼人が振り返る。

「私・・・。聞きたいことがあったの。ずっと昔から・・・。」

「聞きたいこと?昔から?」

「そう。高校の最後の部活の日のこと。」

隼人は少しの間なんのことなのか考えている様子だったがすぐに私がなにを言いたいのかを察したようだった。

「聞いてた?」

隼人は私から少し目線をはずしてそう言った。

「うん・・・。」

ごく最近になってその言葉を聞いたのだとは言い出せなかったがそう答えた。

「そうだったのか。あの後さ。砂羅なんか俺によそよそしくなっていったから聞いてたのかなとは思ってたんだよね。」

「私あの時何も言えなくて。ただ逃げてたの・・・。」


そう答えると突然涙があふれてきた。本当は言いたいことがあったのに・・・。

あの時。

本当の高校生の時にあのセリフを隼人から聞けていたらもっと違った未来があったのではないか。不思議な体験をしたあの日からずっとそう考えていた。あの言葉が導く先を。別の未来を否が応でも想像してしまっていた。だからこそ、今ここで隼人と再会できたことは奇跡だとしか言いようがなくて、こんなチャンスが自分に巡ってくるなんて思っていなかったから。

そんな気持ちが心を覆い尽くしていて自然と涙があふれてしまった。

「どうしたんだよ。なんで泣いてるんだ?逃げたって・・・どういう・・・。」

「私・・・。ずっと隼人のことが好きだった。」

気が付いたら何年も行き場のなかった思いがこぼれ出ていた。本当に伝えたい言葉が私からあふれていた。

「好き?俺を。ほんとに?」

隼人は不意をつかれたように立ち尽くしていた。

「ずっと言いたかった。でも私は隼人に届かないと思ってたから。」

いろんなことに本気になったことがない自分は隼人にふさわしくないと思っていたから。

「またそれ。」

「え?」

「釣り合わないとか、届かないとか誰が決めんの?なんか前にもこんなこと言ったことあるな。」

そう言って隼人が少し笑った。

「俺さ。砂羅に避けられてるって思ってからお前は俺のことなんてなんとも思ってないんだって思ってた。幼馴染以外の感情はないんだなって。」

「そんな!どうしてっ。」

「だって。あんなこと言ったのにその後なんにも言ってくれないしそれよか避けられるし。当たり前じゃね?そう感じても。」

「それ・・・は。」

そうだよ。その通りだと思うよ。私は最近その言葉を知ったけれど、隼人はきっと高校のあの時に聞いたと思っているのだから当然だ。

「ごめんね・・・。私・・・。ほんとに自分が空っぽの人間だと思ってて自分に自信がなかったの。大切だったのに。隼人のこと。」

「それ今でも変わらないの?」

隼人の瞳が私を捉えて離さない。素直に今なら言える気がした。

「いま・・・も変わってない。隼人は私の大切な人なの・・・。」

そう言って私が顔を上げるとあの頃と変わらない優しい瞳で隼人が私を見つめていた。

「俺も変わらないんだよ。砂羅への気持ち。だから今日砂羅と偶然に会えたことほんとに嬉しかったんだ。」

「え・・・?」

「俺とずっと一緒に生きてほしいんだよこれから。ずっと砂羅にそばにいてほしい。今日はそれが言いたくて誘ったんだ。」

「ほんとに?」

「当たり前だろ。じゃなきゃ言わないよこんなこと。」

ずっとほしかった言葉。でも心の中には相変わらず不安がある。

「でも・・・私。あの頃と変わらず何もないの。熱を込めてやれることが何も。そんな私でもいいの?」

優しい瞳が私を見つめて言葉をつなぐ。

「そんなの関係ないんだよ。砂羅っていう存在が俺にとっては大切なの。何もないなんて言うなよ。」

そう言うと一歩づつ私のもとへ歩み寄る。隼人の両手がまるでガラス細工に触るように優しく丁寧に私をその胸の中に包み込んだ。涙に震える私を抱きしめそっとささやいた。

「初めて会った時からずっと、俺は砂羅しか見てなかった。好きだ。」

どんなにその言葉が欲しかったのだろう。そして、その言葉を聞いた瞬間に私は気が付いてしまった。

何もないと思っていた。ずっと。何かに本気で夢中になれたことなんてなかった。ずっとそう思っていた。でもずっと私は隼人に本気だったのだ。私は夢中で隼人に恋をしていた。

自分一人では絶対に気が付けなかった。私の空っぽの心は隼人とともにいることで満たされるということが初めてわかった。


自分では埋められないものがあるのなら誰かに埋めてもらえばいい。

そんな簡単なことに今まで気づかずにいた。

人と人はお互いに自分にはない部分を補い合うここができる。だからこそ誰かと一緒にいたいと感じてしまうのだろう。

私にとってそれは他の誰でもない隼人だということなのだ。

「私もずっと・・・ず・・・っと隼人が好きだった。」

泣きながらそう伝える私の声は小さくて隼人に届いたのかどうかわからなかった。

でも私を抱きしめるその腕の力が少し強くなったことを感じて、私の思いは通じたのだと確信した。

「私の心・・・。空っぽだとずっと思ってた・・・。でも今わかったよ。隼人といるとすごく温かいってこと。」

「空っぽなんて言うなよ。もしそうだとしてもそんなの俺が全部いろんなものでいっぱいにするから。」

そう言って微笑む隼人は私の知っているどんな彼よりも優しい眼差しで私を見つめていた。


あの不思議な体験はいったい何だったのだろう。現実たっだのか、それとも私の心の奥にあった隼人への気持ちが見せた幻だったのだろうか。

今でもふと考えることがある。

でもあの場所に再び行こうとはなぜかもう思わなくなっていた。

もう過去を後悔することは今の自分には必要のないことだからなのだろう。きっと。

今はこれから起こる未来の自分たちにしか興味がないからなのだろう。

未来を一緒に作っていける大切な人が今の私にはそばにいるから。


第4話 そして彼はあの場所へ


天気の良い昼下がり。彼はひとり何度か訪れたことのある場所へ向かっていた。この町には月に一度、仕事でやってきていた。初めて訪れてから半年ほど経った頃だっただろうか。仕事でのプロジェクトに一緒に参加し出会った友人から不思議な話を聞いた。この町にはある噂があるという。元々港町だったこの町は異国情緒にあふれた所がたくさんある。その中でも昔からあるアーケード街は一歩その通りに入ると海外へ来たような錯覚におちいる。アーケードの中には様々な店が立ち並んでいてそれぞれがその景観を損なうことなく軒を連ねている。そんな店の一つに過去を取り戻すことが出来る店があるのだそうだ。

店の名前はタイム。

町の雑踏から切り離されたそのアーケードの中にひっそりとその店は存在していて、運よく見つけることができれば望みが叶うというのだ。

運よくというと。簡単にそのタイムは見つからないのだ。本当に心から過去への後悔を抱えている人にしかその店にたどり着けない。

その噂を聞いたとき、初めはもちろん嘘だと思った。そんな小説みたいな話があるはずがない。でも数時間、数日と時間が経っていくにつれてもしも本当だったら?と思うようになっていった。本当にそんな店があるとしたら。この数年間の胸のつかえがとれるかもしれない。一度そう考えてしまったらもう居ても立っても居られなかった。次の仕事の空き時間には噂のアーケードを探し出しその入り口に立っていた。半信半疑のまま足を踏み出しタイムを探した。数軒の店を過ぎた時、それまで同じ色合いの扉が続いていたのにそれまでとはなぜだか印象が違うと感じる扉を見つけた。足を止めてドアの上を見上げるとタイムと書かれた看板が目に飛び込んできた。本当にあったのだ。オープンのプレートがドアノブに下がっている。その場で数分立ち止まっていたが意を決してそのドアノブを掴み手前に引き寄せた。


                 ★★★


「あれ!隼人じゃない!」

扉を開けたとたんに飛び込んできた華やかな声。以前初めてこの扉を開いた時も同じようにすぐに声をかけてきてくれた。緊張した心にふと沸いたオアシスのようなに感じたのを思い出した。そしてその後はすぐに。

「ちょっとマヤ。そんな大きな声でいきなり。誰だかもわからないのに。やめろって言ってるじゃないか。」

オアシスのような存在の彼女が座っているカウンターの中にあるキッチンではこれまた初めて訪れたあの日と同じようにユウが形の良い眉をひそめてたしなめる。

「だって隼人じゃない。知らない人じゃないわ。私には隼人が来たってことくらい予想できてるんだから。」

「またそんな予言できるみたいなこと。たまたまだろ。 隼人さん。いらっしゃいませ。」

「マヤにユウ久しぶりだね。マヤはいつも元気そうだ。」

二人のやり取りもまだ二回しか目にしていないはずなのになんだか懐かしくて見ていて心がほっとする。

前に来た時もそうだった。ここにいるとなぜだか不思議な感覚にとらわれる。まるで何度もここに来たことがあるような感覚。自分の居場所はここであると言われているような、なんとも安心のする気持ちになる。二人の雰囲気がそうさせるのだろうか。それともこの店には目には見えない力があるというのだろうか。

「隼人ここに座って。待ってたのよ。どうだった?沙羅さんとちゃんとお話しできたの?今回は私なんにもできなかったし見られなかったんだもの。

どうなったのか気になって気になって!」

「マヤ。落ち着いてよ。そんなに一気に聞きまくっちゃなんにも話せないじゃないか。

 ごめんね。隼人さん。」

「だって!ほんとに気になっていたんだもの。でもごめんね隼人。確かに焦って問い詰めちゃった。」

そう言ってマヤは上目使いで見上げてしおらしくしているがその瞳は好奇心で満ち満ちていて、早く話を聞きたいと心の声が聞こえるようだ。

「大丈夫だよユウ。マヤもありがとう。そんなにも心配してくれてたなんて嬉しいよ。砂羅とはちゃんと話ができたよ。」

そこまで言って二人を見ると今度はユウの瞳までが話の続きを欲していた。

「結論から言うと。

 砂羅とはこれから一緒に人生を作っていけたらと思っていける仲になりました。」

わかりにくかったのだろう。マヤの顔はきょとんという言葉が一番似合う表情になっていた。あえてわかりにくいセリフで言ってみたのだ。

マヤのその顔が見たくて。なんて言ったら殴られるのだろうか。でも、それくらい今の気持ちは温かさで溢れていて陽気になっていた。そしてそれくらいこの空間にいる彼らのことを信頼し、好きだと感じているのだ。

話をするのはたった二回目だというのに。

「え?それって・・・。これから一緒にってことは。うまくいったのね!

沙羅ちゃんと気持ちが通じ合ったっていうことなのね!」

言葉の意味を理解できたマヤの嬉しそうな声が店中に響き渡る。そして襲ってくるハグの嵐。

「よかった!本当によかった!隼人と沙羅ちゃんが幸せに戻れて本当によかった!」

心底安心したように少し涙ぐんで喜んでくれるマヤを見てこの二人に依頼をして心からよかったと思えた。この店に初めて足を踏み入れたあの日ここにいる二人マヤとユウにある依頼をしたのだ。


「自分の幼馴染を過去に戻してほしい」と。


第5話 誰のための幸せ


過去に戻って昔を取り戻すことができる。

そう聞いて一番最初に頭に浮かんだのは幼馴染の沙羅のことだった。彼女に初めて出会ったのは小学校にあがる頃のこと。引っ越し先のマンションの向かいが彼女の家だった。母と一緒に挨拶に向かった玄関先で出迎えてくれたのが沙羅だった。知らない人が自分の家を訪ねて来たことにおどろいていたのだろう。大きな瞳をさらに大きく見開いて見知らぬ二人を交互に見ていた。その大きな瞳がとても印象に残っていて今でも忘れられないほど。思えばきっと、あれが沙羅に恋をした瞬間だったのだろう。それから同じ学校に進む二人は他の同級生の中でも特に仲良くなった。家が向かいでほとんど毎日顔を合わせていたこともあっただろうが、それ以上に沙羅への自分でも気が付いていない恋心がそうさせていたのだろうと思う。そんな気持ちを彼女に抱いているということはもちろん本人には告げたことはなかった。いつか伝えたいと思っていてもあの頃の自分が素直になるのはとても難しいこと。そのままいつかいつかという気持ちは高校を卒業する直前まで閉じ込めたままだった。あの頃の沙羅は美しく成長していて周りの男友達にもとても人気があった。そんな周りの環境が気持ちを伝えるタイミングを奪ってもいた。そのうえこの頃になるとなんだかわからないが沙羅は少し遠くなった気がしていた。目に見えて避けられている。昔みたいに一緒にいることはほとんどなくなってしまった。

原因はわかっていた。

あの放課後。

それは高校生活最後の部活の日で練習に向かう準備をしていた時。一人の女子生徒に告白された。彼女からそんなそぶりは一度も感じたことがなかったから驚いた。驚いてしまったから上手く話すことができなかった。そんなぎこちない二人の会話を沙羅は聞いていたのだ。教室のドアの前で。そう気が付いた時には心臓が止まりそうだった。手も足も感覚が全てなくなってそれでも頭だけはフル回転していた。申し訳ないが目の前の女子生徒のことはどうでもよくなっていた。ところがこんな大事な場面で大きなミスを犯した。取り戻せないミスを。沙羅への感情を隠したのだった。その瞬間にドアの前にいた沙羅の影が消えた。その場を立ち去ってしまったのだとわかった。今でもずっと後悔していた。どうしてあの時すぐに追いかけなかった?追いかけて本当の気持ちを沙羅にぶつけなかった?あの頃の自分にはできなかった。理由はどうあれそれだけは事実。それに・・・。

そのあとに続く沙羅への批判めいたセリフに対して腹がたった。それも事実。自分が知っている沙羅とは違う印象で彼女を悪く言う。そんなセリフは許せなかった。だから。

そんな過去を引きずって引きずってこれまで生きてきた。沙羅は別の県の大学へ進学してしまいそれきり会うことはなかった。実家にもほとんど帰っていないようだった。きっと別の場所で知らない人と幸せにしているのだろうと、忘れようとしていた。

就職して、仕事で頻繁に有名な観光地のある町に来るようになった。そこで見つけてしまった。

その地の空港で彼女を。少し大人っぽくなってはいるが昔の面影はまだまだ残っていた。その少し大人びた表情で空港の案内所で仕事をこなす沙羅を見つけてしまったのだ。

彼女の母から空港で働くことになったとは聞いていたがまさか出会うことができるなんて。。すぐに声をかけたかった。でもどんな顔をして沙羅に会えばいいのかわからなかった。気まずいままの別れは願い続けたはずの再会までもを阻む。結局声をかけられないまま時間が過ぎていった。何度となく空港を利用しても遠くから沙羅を見るだけ。そんなもどかしい一方通行の再会を繰り返していたある日。あの噂を聞くのだった。いったいどんな運命なのだろうと感じた。沙羅にもう一度会えた上に過去を取り戻せる場所?そんな都合のいい話があるのだろうか。なにか大掛かりな詐欺にあっているのだろうかとまで考えた。それでも本当に運命が味方してくれているのなら?そう思うと足は勝手にその場所に向かっていたのだった。

「でもね。どうして自分が戻って沙羅さんに自分の気持ちを伝える方法じゃだめなの?そうだったら自分で過去を取り戻すことが早くできたはずでしょ?」

依頼をしたときマヤに言われた。自分以外の人を過去に戻してほしいと言った人間は他にいないと。みんな自分の過去を変えたくてここへやってくるのだと。

過去に戻れるのは一日だけ。時間にして二十四時間だけなのだ。その短い時間をいかに利用して過去を取り戻すことができるかどうかは自分の行動に全てかかっている。どれだけの行動力でもって新しい未来を手に入れるのかを皆考えに考えて行動するのだと。そうマヤから聞かされても決心は変わらなかった。過去を取り戻せると聞いて一番に頭によぎった瞬間から沙羅に戻ってほしいと強く思った。過去に戻って沙羅の意志で行動して自分の言葉を聞いてほしいとそう思ったのだ。沙羅は頭が良い。きっと過去に戻ってすぐにどういう状況なのかこれから何が起こるのかを理解できるはず。そのうえで彼女に判断してほしい。

過去のあの日を見てみたいと感じて欲しいと思った。この関係を変えられるのならそれは沙羅の気持ちに沿ったものであってほしいと感じた。変化を望まないのならそれまで。自分も前に進むことが出来ると思ったのだ。

「自分の気持ちはわかってる。どうしたいのかも。もちろん自分が過去に戻って行動するほうが効果的なのは明白だよ。でもそれじゃあ自分の気持ちだけを優先してしまう。人の気持ちは一方通行では意味がないんだ。

 お互いが心の底から同じ気持ちで向き合えていることがわからなきゃ意味がない。過去を変えるなんて奇跡を起こしても独りよがりじゃだめなんだよ。」

素直な気持ちを吐き出すとマヤは驚いたような顔をしていた。

「どうかした?なんか変なこと言ったかな。」

機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろうかと心配になっていると少し考えるようなそぶりを見せた後、マヤはまっすぐにこちらを見つめて微笑んだ。

「すごいね。隼人は。感動しちゃった。 自分のことばっかり考えるんじゃなくて相

手の気持ちを大切にして行動できるなんて。誰にでもできることじゃない!

ステキだよ!」

それまでの顔からは全く想像できなかったことを言われて今度はこちらが驚いた顔を晒してしまった。でもほっとした。

「本当に信じられない人。

 これまでここへ来た人を悪く言うつもりはないけど皆自分のことで精いっぱいだったんだ。

まぁ、あたり前のことだと思うけど。誰だって過去へ戻ってやり直せるなんてことが自分に起こったら自分のことだけを考えて行動するのは当然だよ。

それなのにそのチャンスを相手に委ねることができるなんて。僕には信じられないな。」

なんとなく意味深な顔をしたユウからは至極当然なことを言われてしまい、今更ながら自分はおかしいのかと思いそうになったが彼の表情からは軽蔑しているような様子はうかがえず、その瞳は優しくこちらに向けられていたのを見ると自分の判断は間違ってはいないと信じられるような気がした。

「ありがとう。

 だからお願いします。どうかこの願いを叶えてほしいんだ。どんな結果になったとしてもきっと前に進めるはずだから。」

というようなやり取りの末、マヤとユウにこの依頼を請け負ってもらえることになり、沙羅を過去に戻すことが出来たのだ。

沙羅が過去に戻った時にどう感じて、どう行動したのかはわからない。マヤとユウも直接本人の了承を得る方法を取らないと過去に戻っている人の過去には入れないのだという。

沙羅に声をかけたのは彼女が過去に戻ったはずである日を数日過ぎた頃。仕事でいつものように空港を利用した時に意を決して案内所を訪れた。少し離れたところから彼女のいる場所を見つめると沙羅もこちらに気が付いた。あの驚いた顔。初めて会った時と同じ見開かれた大きな瞳。それまでピークに達していた緊張の糸は沙羅のその顔を見た途端、不思議と感じなくなった。変わりに襲ってきたものは何とも言えない懐かしさと気恥ずかしさ。これから何が起こるのだろうというワクワクした高揚感だった。さすがに照れくさすぎて沙羅の前にたどり着くまでに目線を合すことはできなかったけれど。

久しぶりの再会というにはふさわしい当たり障りのない会話を交わし、用意しておいた質問にも答えをもらってしまいこの場を立ち去らなくてはいけないとなると自然と沙羅を誘っていた。このままではもちろん別れることなんてできない。ちゃんと答えを聞かなければ。そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、誘いに対する沙羅の返事には安心することができた。その後、仕事に向かい時間が過ぎるのを待ちに待っていたけれど正直ぜんぜん真剣に取り組めなかった。夜のことを考えると思考は上の空だった。夜になり待ち合わせ場所に現れた沙羅はなかなかこちらを見てくれなかった。きっとどうしたらいいのかわからなかったのだろう。同じ気持ちだった。でもそんなドギマギした沙羅を見ているとなんだか微笑ましくなって落ち着くことができた。二人でお店へ向かう途中では少し近況を話すことができた。でも沙羅のある言葉が心に突き刺さった。

『日が変わって月が替われば人の心は変わる』

沙羅は過去に戻って過去の自分たちを見てきたはず。これは期待してのことだけど、それまで沙羅の知らなかったその先の過去まで見てきてくれているはず。その沙羅から心が変わるのは当然だと言われてしまった。どうしても深読みしてしまう。そう言った沙羅の心はどこにあるのだろう。聞きたくてどうしようもなかったけれど勇気がでなかった。沙羅の気持ちを聞くことはその後もなかなかできなかった。沙羅が連れてきてくれたのはタイムがあるアーケード近くのイタリアンレストランだった。それもまたなにかの暗示だろうかとも思えた。いろんなことが交差して、めぐり合わせて今のこの瞬間を作り上げているような気がしていた。食事はとても美味しくてお互いの話をするうちにあっという間に時間が過ぎていった。

楽しすぎた。

だから壊したくなかった。

そんな思いからレストランを出ても言わなくてはいけないことが口から出てこなかった。なんて臆病なんだろう。こんなにも周りに背中を押してもらっているのに、目の前にいる愛する人にまだその想いを告げられずにいる。

体は大人になってはいるけれど中身は後悔を作り上げたあの高校生の自分となにも変わっていない。今度もまた自分でも把握できていないような薄っぺらいプライドが邪魔をするのだ。そんな不甲斐ない自分を恨みながらもう駄目だと思った時、沙羅が自分の心を打ち明けてくれたのだ。高校最後の部活の日の放課後に起きた出来事。その結末を聞いたことを。どうしても言いたいことがあったのだと涙を流して伝えてくれた。その沙羅からの告白を聞いても初めてのことのようにリアクションをしたのは、絶対に過去に戻っていたことを自分が知っていると沙羅に知られないためだった。

これも最初から決めていたこと。沙羅を過去に戻して、それから先がどうなっていくとしてもこの真実だけは言うつもりはなかった。沙羅が自分で過去に戻ってした経験をどんな形であろうと汚したくなかった。きっと彼女の中では特別な記憶としてこれからも存在していくはずだから。

だから何も知らないふりをして、ずるいとは思ったけれど沙羅の言葉を聞いていた。それでも沙羅の口から自分のことが好きだと言ってもらえたときには震えるほど嬉しかった。

こんなにも誰かを愛おしいと感じたことは今までなかった。抱きしめた沙羅の小さな体を感じながら、これから何があっても彼女を離さないと決めた。


結末を話し終えると視線をマヤに戻した。どんな顔をしているのか気になったのだ。この人生で一番幸せな瞬間を用意してくれたのは他の誰でもないマヤとそしてユウなのだ。その二人を満足させられた結果だったろうかと気になった。

マヤの顔は伏せられていた。表情がわからずマヤの気持ちが読めなかった。それから数秒を待ってみたけれどマヤの姿勢は変わらない。困り果ててユウを見ると、いつの間にかそこにユウの姿はなくなっていた。カウンターの中にいたはずの彼はいつ移動したのだろう。

さらに困ってしまい再びマヤに視線を戻してその名を呼んだ。

「マヤ?あの・・・どうしたのかな。俺の話どうだったかな?」

そう問いかけてマヤに近づこうとしたその時突然マヤが顔を持ち上げた。彼女は泣いていた。ただその顔は笑顔に満ち溢れていた。

「ありがとう隼人。ありがとう。私こんな気持ちになったの生まれて初めてで。

なんでだかわからないんだけど隼人と沙羅さんの二人の気持ちが同じだったんだってわかって泣けてきたの。隼人の沙羅さんへの思いがすごく真剣で優しいのを初めてあった時から感じてたからかな。こんなにも嬉しいって思えたのは初めてだよ。」

そう言って今度は声を上げて泣き出した。

そう。沙羅とはずっと同じ気持ちだったのだ。

気持ちを伝えあったあと二人で確認したのだ。

初めて会ったあの時からお互いが惹かれあっていたことを。マヤの言葉と涙を見て改めてその事実をかみしめた。

「なに?マヤ泣いてるの?そんなに大きな声で。迷惑じゃないか。

 それくらいにしときなよ。」

なんとも冷静にユウが声をかける。カウンターの奥からなにかを手にして戻ってきていた。

「なによユウ。こんな素敵な話、涙なしで聞けるわけないじゃない。ユウには心がないのかしら。」

「涙を流さなくたってちゃんと感動くらいできるよ。マヤみたいに大げさじゃないだけさ。」

マヤの嫌味もさらっと交わしてユウはこちらに向かって歩いてくる。

「隼人さん。よかったですね。

 お話しとても素敵でした。僕もこんなによかったと感じるなんてちょっと考えてもいなかったんです。ほんとに。 ありがとうございました。もう一度来てくれて。

 それと・・・これ。」

そう言って差し出した彼の手には二つのキーホルダーが乗っていた。手のひらにちょど収まるサイズでステンドグラスでできていた。描かれていたのは砂時計だった。

「どうしたのこれ?

 俺がもらってもいいの?」

急に差し出されたことに驚いてそう尋ねた。

「はい。

 ここはカフェの営業がほとんどなんですけど、ステンドグラス雑貨も販売しているんです。いつも過去へのタイムトラベルが成功してここに戻ってきてくれた人に差し上げているんです。今回は沙羅さんの分もと思って二つ用意しました。

 よかったらもらってください。」

「ありがとう。ユウが作ったの?これ。」

手に取ってよく見るととても繊細なデザインで作成するのにとても時間がかかりそうだ。ガラスの色も二つとも違っていてとても手が込んでいて綺麗だった。

「ユウの得意分野なのよ。手先が器用なの。

 他にもいろんなもの作ってるのよ。

 けっこう有名でこれ目当てに来る人も多いくらい。外の看板もユウが作ったの。」

そう言えば、タイムという看板はステンドグラスでできていた。店の扉にとてもよく似合っていた。

「そうなんだ。

 あれ。これ目当てって。ここって願いが届かないとたどり着けない店なんじゃないの?」

噂では誰でもが行き着けるわけではないと聞いた。ステンドグラスを目当てにこの店を探し出すことは出来ないのではないのだろうか?

「それはね。そうなんだけど。カフェと雑貨店に来てくれる人には普通に見つけられるの。なんかちょっと複雑で私たちもよくわかってないんだけど、タイムの看板の色が違うの。タイムトラベルを望む人にはタイムの看板は青でそれ以外の目的でお店を探している人にはタイムの看板は黄色になるんだ。」

なるほど、だからカフェとしての内装に店内がなっているのかとその時初めて合点がいった。何もかもが非現実すぎていてもうなんでも信じてしまう自分が少し怖かったが、今目にしていることは紛れもない事実なので仕方がない。これは現実に起きていることなのだ。それに

自分の人生がこれまでと全く変わってしまったのもまた事実であった。

「なんだか不思議なことばかり最近起こってるからなんでもすんなりと理解できちゃうよ。マヤもユウもいつも日常的に不思議が起こって大変じゃないの?」

素朴な疑問が出てきた。きっと依頼人は後を絶たないだろう。何しろ過去に戻って人生をやり直せるチャンスを手にできる店なのだ。誰だってこの話を聞けばここへ足をむけるはず。

「そうでもないんだよ。隼人。

 ここはね本当に心の底から取り戻したい過去を抱えている人しか青いタイムにはたどり着けないようになっているんだ。」

それまでの人懐こい微笑みが急に消え、これまで見たことのないような真剣な表情のマヤが姿を現した。

「生半可な気持ちでは絶対に見つけられない。そんな人にはここはただのカフェと雑貨店でしかないんだ。不思議でしょ。」

言葉の最後にはもういつものマヤが戻ってきていたが、その分この話の真実味と気持ちの大きさの重要さが伝わった気がした。

「だからわかるでしょ?

 それだけ隼人の沙羅さんへの気持ちは本物だったんだって証明されたってこと。

ほんと不思議だよね。

世の中ってステキな不思議に溢れているんだよ。」

そう言って笑うマヤはとても美しく見えた。

その清らかな心でこれまで何人もの迷える人たちの心の闇を洗い流してきたのだろう。

改めて心からここへ、青いタイムへ来られて本当に幸せだと感じた。

「俺はほんとに幸運だったんだね。

 君たちと出会えてよかった。

 本当にありがとう。じゃあもう行かなきゃ。マヤもユウも元気でね。」

名残惜しい気持ちがないわけではない。もっとここで懐かしい気持ちに浸っていたいと感じる。でも心のどこかでそれは叶わないことはわかっていた。どんなに苦しくても、どんなに楽しくてもその時間は止まってはくれない。必ず新しい時間を運んでくるのだ。タイムと名付けられたこの店の中は時を止めるのではなく、先へと繋げるためにあるのだ。

それに、外の世界にはこれから一緒に幸せな時を刻む人が待っている。

ドアノブに手をかけて目の前にある小窓を見つめた。すりガラスの小窓からは外に掛けられている青いタイムの看板からの青い色が太陽の光を受けて室内に注ぎ込んでいる。

これからは青がきっとラッキーカラーになるな。なんてことを考えながら扉を開いた。

最後にもう一度店内にいるマヤとユウを振り返る。

たった二回の出会いでしかなかった。それでも二人の笑顔はこれから先何年経っても忘れることはない。

店内の照明が点いていないことに今気が付いた。店の奥にいるユウの顔はもう見えなくなっていた。彼の声はもう聞けないのかと思うと無性にさみしくなった。そして薄暗い店内で最後にマヤはこう言ってくれた。

「幸せになってね。隼人。

私、ここへ来て過去へ戻った人たちにはみんなに幸せになってほしいっていつも思ってるの。でもいつも以上に隼人には幸せになってほしいって素直に思うよ。

沙羅さんと一緒に幸せになってね。

心から祈っているよ。」

おそらくこれが最後になるであろうマヤからの温かい言葉をしっかりと受け止めて、前を向きドアノブを回して外へ出た。アーケードの天井はガラスでできていて天気の良い日差しが通りいっぱいに降り注いでいる。

もうすぐこの町にも春が来る。

そんな予感を感じさせる陽気を肌で感じながら、これまでこの地に来ていて観光らしい場所を訪れていないことにふと気が付いた。沙羅はどうだろう。今度二人で一緒に行こうと誘ってみようか。これからそうやって二人で同じものを見たり、感じたりしてこれまでの空白を埋めることができるのだと思うと心まで温かな陽気に包まれていくような気がした。

そんなことを考えながら静かなアーケードをぬけてあのイタリアンレストランの前を通り過ぎた頃、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「隼人!

 お待たせ。ごめんね。仕事がちょっと長引いちゃって。早番だったから引き継ぎがあって。」

「お疲れ沙羅。大丈夫だよ。

 お腹すいてない?時間的にちょっと中途半端かもしれないけど早めに食べる?

そのイタリアンのレストランで。あっそうだこれ。」

さっきユウにもらったあのステンドグラスのキーホルダーことを思い出し、沙羅の前に差し出した。

「どうしたのこれ?すごく綺麗。私に?」

「大切な友達からもらったんだ。手作りなんだって。すごいよね。

 とっちがいい?一つは沙羅に持っていてもらいたいんだよね。」

ユウからもらったキーホルダーは二色。

緑と青だった。自然の美しさを表しているような色調がどちらも際立っている。

「いいの?

 私こんな綺麗なステンドグラス初めて見たよ。

そうだなぁ・・・。

私はこっちの色のほうが好きだからこっち!こっちをもらうね。いいかな?」

そう言って沙羅は左手にのせられていたキーホルダーを選んだ。初めて彼女に恋をしたあの時のような大きな瞳を輝かせて。


ほらね。

俺のラッキーカラーはやっぱり青になった。




                エピローグ 


そこは人の通りはあまりない、少し奥まった場所。港町の観光地で異国情緒の溢れるこの町に似合いのモザイク模様が施された大理石の床、アールヌーヴォーを思わせるアイアンの装飾と彫刻が高い天井を彩っている。アーケードの入り口から一歩足を踏み入れるとそこではまるで異国のどこかに迷い込んだような錯覚に陥る。通りの左右には様々な店が立ち並んでいる。アーケードの景観を損ねることのないようになのだろうか、店の入り口のドアとショーウインドーは同じ作りになっている。それが別世界のような感覚をさらに高めているようだ。どの店も昔から変わらずその場所にあるようで老舗の風格を滲みだしている。

その店の中に噂の店があるらしい。

過去の出来事に後悔を抱えて生きている人にその過去に戻ってもう一度やり直すチャンスをくれる店。過去へのタイムトラベルを実現してくれる店があるという。

その店の店主は二人の男女。彼らは店に導かれた依頼人からの相談事をなんでも解決してくれる。タイムという名のその店にはしかし、そう簡単にはたどり着くことはできない。過去に戻りたいという願いが強い者だけがその扉を見つけることができるのだ。

もしも扉の前に立つことができたなら。


「ねぇユウ。

 なんだか最近はあんまり人が来ないと思わない?静かだよねこの通りも。」

「誰も来ないことはこの店にとってはいいことなんじゃないの?」

カウンターの端に腰を下ろして店のショーウインドーから外を眺めながらマヤが呟く。

女性にしては高めの身長にすらりと伸びた手足。その体に対しても小さいと感じてしまう程に小さい顔にはくっきりとした目に形の良い唇が並ぶ。まるでハーフのような顔つきは誰が見ても美しいと感じるだろう。髪は肩下くらいの位置で栗色がよく似合っている。そしてマヤの言葉に冷静に回答している男性はユウ。マヤよりも少しちいさな背たけではあるがまだまだ成長期のように見える。きっとすぐにマヤを追い越してしまうのだろう。それでもその身長を除いても彼もまた手足の長いすらりとした容姿。そしてその顔はマヤとは対照的にスッキリと爽やかな印象を与える。切れ長の瞳は少し冷たく見えるかもしれない。高い鼻と薄い小さな唇がその瞳にとてもマッチしていて美しいという形容詞がぴったり当てはまる、そんな顔を作り上げている。黒い髪は短くショートで清潔感が際立っている。

店に来た人間はみんなこの二人のファンになる。それは二人が完璧な容姿を持っているというのももちろんあるのだろうが、その人となりが素晴らしいのだ。優しさあふれる包容力と居心地の良さを作りあげる二人の独特な空間が人を惹きつけるのだ。でもそれはタイムの別の顔。カフェの店員としてだが。

「お客さんカフェの方はたくさん来てくれるけどさ。逆戻りにはないよね。」

「だからいいことでしょ。それは。

 過去に捕らわれている人がいないってことなんだから。」

「そうなんだけどね。こうも誰も来ないとなんだか待ち遠しいと思っちゃう。」

「不謹慎だな。そんな考えで依頼人から話を聞いてるからすぐに口出ししたくなるんだろ。いつも。」

「口出しじゃないもん。せっかく過去に戻れるんだから皆にうまくいってほしいって思うから手を差し伸べてしまうってだけ。」

「それはいいけどさ。

 もっと後先を考えてから行動してよね。尻ぬぐいさせられるのはいつも僕なんだから。」

「しょうがないじゃない。体が先に動いちゃうんだもん。それにユウの方が後輩なんだから、先輩である私を優先するのは当然でしょ。」

突然、先輩という言葉を繰り出しえばるマヤ。

そんなマヤを冷たい視線でユウが見つめる。

「先輩って。たった数日じゃないか。無鉄砲なだけでしょ。」

いつものことだと言わんばかりのため息をついてユウは話を切り上げようとした。しかしふと思い出したようにマヤに問いかける。

「そういえば。今回はいつものおせっかいを我慢したんだね。マヤ」

鈴の音色のような声ですこし意地悪そうな顔でユウは隣で窓の外から通りを眺めるマヤに話かけた。

「いつものってなによ。しかもおせっかいって言った?さっきも言ったけど私はいつも依頼主のことを思って、考えてささやかな手助けをしているんじゃない。

 それがあってからこそ依頼が成功してるんでしょ。」

通りに目を向けたまま頬杖をついてユウの発言に反論するマヤ。

「それに今回はちょっと変わってたし。」

「依頼人本人が過去に行かなかったってだけでしょ。しれっと嘘ついてたけど依頼人じゃなくても一緒に過去に戻れるのに。」

不思議そうにそう聞くユウに今度はマヤが意地悪顔を仕掛ける番だった。

「そうだよ。でもさ、なんか隼人の話を聞いてたら誰も邪魔したらいけないんじゃないかって感じたんだよね。

それに・・・。」

「それに?」

「素直にどうなるのかが気になった。」

いたずらっ子のように小さく舌をだして笑うマヤ。

「なにその顔。」

そう言うユウの顔にも少し微笑みが咲いていた

「なんか・・・。楽しかったよね。あの時は。ユウだってそう思ったでしょ?」

「あんまり依頼のことについて感情移入はしないつもりなんだけと、面白いかそうでないかって言われたら、面白かったとは思うけど。」

「面白いかどうかなんて聞いてないけど。ユウだってなかなかな言い方するよね。

私は楽しかったって言っただけ。」

「うるさいな。揚げ足をとるのやめてくれない?聞かれたから答えただけだよ。」

照れ隠しの返答にマヤは満足げにうなずいた。

「素直じゃないなぁ。でもわかってるけどね。ユウも珍しく隼人気に入ってたでしょ。手作りのあれもあげちゃって。ホント珍しいことだったから私感動しちゃった。」

「もういいってば。

 僕だって素直によかったと思えたからあのキーホルダーをあげたんだよ。」

言い合う二人はやはりどことなく嬉しそうで楽しそうに見えた。 

幸せな結末を迎えた依頼人をお互いに想像し満足している証拠だろう。

そんな二人の背中越しにあるドアに人影が現れたのはそのすぐ後のこと。

気配を感じてユウが振りむく。

「マヤ。誰か来たよ。青い看板。ほらドアが開くよ。」

ユウが今にも開くであろうドアを見つめて言った。

マヤもユウの見る視線の先で回転し始めたドアノブを見てその瞳に輝きを宿す。

「ユウ。了解!じゃあそれでは、大切な人や何かのために迷える誰かを今回もお助けしましょうか。不思議な噴水で過去へお連れいたしましょう。」


流れ落ちる水は時に人を思いもよらない場所へ連れていく。

過去を忘れられずにさまよう心があそこへあなたを導いてくれる。

そこでは何があなたを待っているんだろう。

どんな過去を流れる水はあなたに見せてくれるのだろうか。

それはどんな未来につながっているのだろうか。

どんなに苦しい過去を背負っていても未来をあきらめられない、誰かとつながっていたいと願う気持ちがもしかしたらあなたに不思議な体験を用意しているのかもしれない。

次はもしかしたら・・・?

未来を変えるためのタイムトラベルが今幕を開ける。











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