マジカル・エンカウント
魔法に憧れたことがある人は、私だけじゃないはずです
夢を見ている。
何もかもから逃げ出して、空を飛び回っている夢。
私はまだ、夢から醒めないでいる。
「ネムちゃん……、ネムちゃん?」
意識の遠くから、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ん……どうしたの、古家さん」
古家さんは、お父さんが雇っている家政婦さんだ。お母さんは、私がまだ小さい頃に死んでしまって、お父さんは仕事で忙しいから、私は昔から古家さんに面倒を見てもらっている。
「ネムちゃんがさっきからぼーっとしてたから、どうしたのかなって思って」
「あー……ちょっと眠たかっただけだよ。ありがと」
「そっか。ごはん、冷めないうちに食べてね」
机の上には、お米、焼き鮭、お味噌汁、卵焼き。いつも通りの朝ごはんが並んでいる。古家さんが作ってくれたものだ。
「いただきます」
おぼつかない意識で、箸を握る。まずは卵焼きを一口。ほどよい甘味。いつもと変わらない、心が落ち着く味だ。
しばらくして、古家さんが私の向かいに座った。
「学校はどう? 楽しい?」
私が中学校に入学してから、一週間と少しが過ぎた。遠くから引っ越してきて、小学校からの友達がいない状態から入学したから、古家さんも心配しているんだと思う。
「まあまあかな。友達もできたし」
「へえ。どんな子?」
「香織っていう子で、ずっと元気で、明るくて、面白い子なんだ」
「そっか……よかった、いい子そうで」
安心したのか、古家さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「好きな子は? いるの?」
「いないよ、そんなの」
「ほんとにー?」
「まだ入学したばっかりなんだよ? そんな簡単に男に惚れるほど、単純じゃないんだよ、私は」
「なーんだ、残念。――ところで、ネムちゃん」
急に声色を変えて古家さんが言う。どうせまた、いつものあれだ。
「魔法少女に」
「ならないよ」
「……まほ」
「ならない。いつも言ってるじゃん」
古家さんはいつも、私を魔法少女にさせようとする。理由は、私のお母さんがすごい魔法少女だったから。それだけだ。
お母さんは、エルという名前で、魔法少女として戦っていたらしい。【救済者】なんて大層な二つ名まで付けられて、大人気だったそうだ。
「古家さんたちはさ、『夜霧ネム』に魔法少女になってほしいんじゃなくて、『魔法少女エルの娘』を魔法少女にしたいだけでしょ? みんなが求めているのは『私』じゃない。だったら、私は魔法少女にならない。何回も言わせないでよ」
「そう言わずにさ。ネムちゃんならきっと、たくさんの人を助けて、ヒーローになれるよ」
「そういうのが気に食わないって言ってるの。私がヒーローになれる? 何か根拠があるの? どうせお母さんのことでしょ?」
「それは……そうだね。ごめん」
しょんぼりした様子で、古家さんが謝る。……少し言い過ぎたかな。
「ごちそうさま。ごはん、おいしかったよ」
椅子から立ち上がり、カバンを手に取る。制服にはもう着替えたし、持ち物の確認も済んでいる。準備万端だ。
「行ってきます!」
笑顔で、元気よく。
お母さんにも聞こえるように、言った。
古家さんにも言った通り、私は学校が好きなわけではないし、嫌いなわけでもない。
だけど唯一、胸を張って「好きだ」と言える時間がある。それは、放課後の下校中のことだ。
放課後はいつも、香織と二人で家に帰る。友達が多い香織ちゃんが、この時間だけは私を一番に優先してくれる。
私の、大切な時間だ。
今日も、学校の玄関の前で香織を待つ。ぼーっとしていたところに、後ろから――
「ネーーームちゃんっ!」
「きゃぁっ!?」
突然、お尻の辺りが涼しくなって――まさかこれは、スカートめくり!?
「やめてよ、香織!」
「ふむ。ピンクか」
「無視しないで!」
二人で話しながら、歩き始める。
「いやー、ごめんごめん。隠されたものは見たくなる性分でね」
「み、見ちゃだめだよ、女の子のパンツなんて……それに、こんな場所で……」
「そうだねー、他にも何人か見てたもんねー、ネムちゃんのこと」
「えっ?」
「需要あるよねー、だって学校一の美少女のパンツだもん」
「――ば、ばかっ!」
香織の肩を、軽く殴る。
「……香織には、見られても許せるけど……他の人は、やだ……」
「そっかー。じゃあ今度は、誰もいない場所でじっくりと――」
「そういう話じゃないよ!」
香織に見られても嫌じゃないというわけではない。許せるというだけだ。
「これは私の持論なんだけどね、ネムちゃん。女の子こそズボンを履くべきなんじゃないのかな?」
「どうして?」
「だってさー、スカートの中には、女の子が絶対に見られたくない、パンツというものがあるわけですよ」
「私は先程、悪意を持ってそれを露出させられましたけどね」
「その話は置いといて。私たちは、スカート一枚でパンツを守り抜かなければならないわけだよ。こんな、RPGの初期装備みたいなクソ防御力のプリーツスカートで! なんでこんなものを買わせるんだ! 教育委員会はエロおやじの集まりなのか!? ラッキースケベを狙うな!」
「……そういう香織も、スカート履いてるよね」
「私は大丈夫だよ。ほら、スパッツ履いてるし」
「ちょっ、見せなくていいから!」
スパッツを履いてまでスカートを履いているのに、女子はズボンを履くべきだと言っているのか……。やっぱり、香織は変な子だ。
—―そして、楽しい時間は終わり。
それは、唐突に起きた。
「あれ……?」
先に気付いたのは、香織だった。
「ここ、どこ?」
いつの間にか、私たちは、知らない場所にいた。
「え……っと、森? なんで?」
「いつもと同じ道だったはずなのに……」
話に夢中で、知らないうちに別の場所に来ていた……? パンツとスカートの話で? いや、そんな間抜けなこと、二人揃ってするはずがない。
前も後ろも、どこを向いても木が立ち並んでいるだけで、人や動物の気配が一切感じられない。なんだか、気味が悪い。
「……早く帰ろう」
「そ、そうだね……あ、ネムちゃん」
香織が不安そうに、私に言う。
「なんか、怖いからさ……手、繋いでもいい?」
「うん、いいよ」
私が手を差し出して、それを香織が握ろうとした――そのとき。
「え?」
「……え、」
香織の手が、私から離れていく……。
手どころか、身体ごと、私から――、いや、違う。
地面から、離れている。
香織が、宙に浮いていた。
「なっ、なにこれ!? どうしたの、香織!」
「わかんないよ! ねえ、誰!? 離して!」
離して、って……? 香織は、誰かに掴まれて、持ち上げられている?
でも、私には……。何も、見えない。
まさか……まさか、これが――!
「ま、待って、やだ……! やめて!」
宙に浮いたままの香織の身体は、次第にねじれていった。
骨が軋む音。悲鳴と共に、血液が溢れだす。雑巾を絞るみたいに。
「香織……!」
そして、ぼたり、と……下半身が落ちた。少し遅れて、上半身も落ちる。
「…………あ、……あ」
目を瞑りたくなるような、耳を塞ぎたくなるような、グロテスクな情景に、言葉が出ない。
「ネ……ネムちゃん……たすけ、て……!」
うつ伏せになった香織が、腕を使って、少しずつ、私に近づいてくる。腹からはみ出た内臓を引きずりながら、苦悶の表情を、涙で濡らしながら。
筆をキャンバスに滑らせるように、地面が、草が、赤く汚れていく。
痛いくらいに、鮮やかな赤色に。
もし……こんなとき、魔法が使えたら。
古家さんの言うことを聞いて、魔法少女になってたら。
香織のこと、助けられたかな。
「ごめん、香織――!」
後悔を、口に出した――そのとき。
それは、一瞬のことだった。
「【炸裂する槌撃】【バースト】」
緑色の人影が飛んできたかと思うと、何かが破裂するような、鋭い音がした。
たぶん、私よりも少し年上の女の子。緑色の、フリルがたくさんついた服を着ている。
魔法少女だ。
大きな金槌を持っていて、それを勢いよく、振り抜いている。
「丁度いいタイミングだったわね」
「え……あ……」
「あ、もう大丈夫よ。リアリズムは倒したから」
「ありがとう、ございます……」
やっぱり……、今のが、リアリズムか。
古家さんが言っていた。この世界には『リアリズム』という怪物がいる、と。魔法少女たちは毎日その怪物と戦って、世界の平和を守っている、と。
「でも、ごめんね、お友達のことは、間に合わなくて……」
「……お友達?」
何を言っているんだろう。
「私、ずっと一人でしたけど……?」
「……そっか。ならいいんだけど」
その人は、なぜか安心したような表情で言った。【炸裂する槌撃】
女の子が苦しんでいる姿が大好きです
これも、私だけじゃないはずです