第2話『お婆ちゃん! 私、夢があるの!』
中学に進学し、私はごく普通の女の子として学生生活を謳歌していた。
何も特別な事はなく、何ら異常な事もない学生生活を、だ。
しかし、一つの出会いが私の中に小さくても無視できない波紋を広げていた。
『僕と一緒に演劇をやらないか!?』
その人は学校でも変人と有名な先輩で、ボサボサ頭の黒縁眼鏡を掛けたイマイチパッとしない印象の男の人だった。
でも、彼の放った言葉は確かに私の胸の奥に届き、そして棘の様にジクジクと痛みを発している。
『君には才能がある! それは世界にだって羽ばたける才能だ!』
あぁ、苦しい。
あんなにもキラキラした目で、私の初めて見た夢を見つけないで欲しい。
お父さんとお母さんが誕生日に見せてくれたあの舞台の夢を。初めての憧れを、明るい場所に引きずり出さないで欲しい。
私はそんな夢よりも大事なものがあるのだから。
お婆ちゃんと、二人で暮らすこの生活が何よりも大事なのだから。
「雛。雛? 大丈夫かい?」
「ん? 大丈夫だよ」
「そうかい? 何か悩んでるみたいだったからね。何かあれば言ってね」
「うん! 分かってるよ!」
お婆ちゃんに笑顔で返事をしつつ、私は心に浮かび上がってきた夢という名の現実感の無いソレを、奥底に沈めた。
もう二度と浮かび上がってこない様に。
でも、一度陽の光を浴びてしまった夢は、事あるごとに何度も、何度も浮かび上がってくるのだ。
「星野君! 映画というのはね!」
「雛。私はね。お前が好きな様に、願う様に生きてくれる事が一番嬉しいんだよ」
何度も、何度も、何度も何度も何度も!
消しても、沈めても、無視しても、それは光の中から私を誘うのだ。
苦しさを覚えるほどに。
そんな日々が耐えられなくなって、私は日常から逃げ出すように、一つの教会へと逃げ込んだ。
その場所は小さな教会で、子供が一人と、シスターさんが一人居る場所だった。
何度か話した事はあるけれど、そこまで親しく話した事はない。
だから、この場所なら私は夢を向き合わず、本当の幸せを見つけられる筈だった。
でも、私は私自身の汚い欲望からは逃げ出す事が出来ないようだった。
「あら。いらっしゃい。星野雛さん」
「……シスターさん」
「何か悩みがあるみたいですね」
私の顔にはよっぽどデカデカとその悩みが書かれているらしい。
もはや慣れた顔で、そんな事は無いですよと返した。
いつもなら、シスターさんはそうですかと引いてくれる。でも、今日は少し違っていた。
「昔。私は一つの約束をしました」
「……シスターさん?」
「私の大切な人を護る為に、その対価として悩める少女の背中を押すようにと」
何の話だろう。
分からない。
でも、ちゃんと聞かないといけない様な気がした。
「その時は意味不明な対価だなと思ったけれど、あの子の命が助かるならと、頷きました。ですが、今この時になって、私は悩んでいます。その選択は正しかったのか、と!」
シスターさんは両手を掲げてやや大仰な仕草で天を仰いだ。
「雛さん」
「は、はい!」
「貴女の幸せは貴女が決める事です。他の誰にも貴女の願いを否定する事は出来ない」
「……」
「しかし、それと同じ様に、貴女のお婆様の幸せも、お婆様の物なんですよ。貴女がそれを決めてはいけません。貴女のお婆様は何と言っていましたか?」
「私が……好きな様に、願う様に生きて欲しいと」
「ではそれが貴女のお婆様の願いです。では聞きましょう。雛さん。貴女の夢は、なんですか?」
「私の、夢は……私の夢は、役者になって、お父さんとお母さんと一緒に見た時の様に、大勢の人に笑って欲しい。楽しんで欲しい。お婆ちゃんに、見て欲しい……私の夢を」
「雛さん。人生とは常に選択です。どのような選択をしても、後悔はしてしまう物です。ですが、後悔しない方法が一つだけあります」
「後悔しない、方法」
「それは自ら選択し、その決断に誇りを持つ事です。どの様な結末になったとしても、悔やむまいと勇気をもって決断する事です。そうすれば未来がどの様な結果になろうと、後悔せずに進むことが出来ますよ。己の道を」
「……分かりました。シスターさん。ありがとうございます!」
「いいえ。貴女の未来に幸多からんことを」
「失礼しますっ!!」
私はシスターさんの言葉を胸に抱きしめて、家に向かって全力で走った。
そして、家の扉を勢いよく開けて中に飛び込む。
「た、ただいまっ!」
「あら。今日も雛は元気ねぇ」
「お、お婆ちゃん! あの、ね!」
「はいはい。私は逃げませんから、ゆっくり話してね。はい。お水」
お婆ちゃんから受け取った水を一気飲みして、コップを床に置きながら私は床に正座した。
そして頭を下げながら、お婆ちゃんに自らの夢の話をする。
「お婆ちゃん! 私、夢があるの!」
「……」
「ずっと言えなかったけど、役者になって、舞台とか映画とかに出たい。それで、見た人を笑顔にして、楽しい気分になってもらいたいの! でも、でも、お婆ちゃんとずっと一緒にいたいっていうのも、同じくらい大切なの。だから、その……私、夢を追っても、良いのかなぁ。ごめん。本当は自分で決めないといけないのに、駄目なのに。私」
「雛。顔を上げて」
「お婆ちゃん……?」
「私はね。雛が笑っている姿が好きなの。楽しい事を、楽しいって言っていて、好きな事を好きだって言っている雛が好き。だからね。雛が夢を追って、前に進んでいくのなら、その姿を見るのがお婆ちゃん、他のどんな物よりも嬉しいわ。だからね。雛が夢を追うのに、お婆ちゃんが必要だって言うのなら、お婆ちゃんは病気なんかに負けないの。だってこんなに優しい孫が、お婆ちゃんと一緒に居たいって言ってくれるんだもの。雛がみんなから愛される役者さんになれるまで一緒に居るからね」
「お婆ちゃん……! お婆ちゃん!!」
「あらあら。泣き虫さんね。こんなんじゃ立派な役者さんになれませんよ」
「ごめっ、ごめんなさい。でも、今だけ、だから、今だけ」
私はお婆ちゃんに抱き着いて、泣いた。
こんなにも温かい人の家族で良かったと。
心の底からそう思ったのだ。
そして、翌日私は演劇部に向かい足を運んでいた。
扉を開き、堂々と言い放つ。
「はじめまして!! 星野雛といいます!! 演劇部に入部希望です!! よろしくお願いします!!」
「おぉ!! 遂に来たか! 星野君!」
「えぇ。今日からお願いします」
「こちらこそ。僕の名前は葉桜恵太。君と出会えた幸運に感謝しなくてはな! そして、君も僕という才能に出会えた事に感謝するだろう!!」
「はぁ、なるほど」
何だか先輩は少しだけ熱血なタイプの人らしく、いつまでも映画とは、という事を話していた。
しかし、挨拶をするのなら他の人にもしたいなと思い、周りを見たのだが、残念ながらどこにも誰も居ない。
おかしいなと思い先輩にそれを聞いたのだが、返ってきた答えは予想もしていないものだった。
「部員? 残念だが、僕と君だけだ」
「はぁー!!?」
「だが安心してくれたまえ。僕の才能と君の才能があれば、部員などすぐに集まるさ。大した問題じゃない」
「それ、本当に大した事のない問題ですか?」
「あぁ、勿論だ!」
「うーん。やっぱり選択間違えたかなぁ」
「何をいう! 君はすぐに感謝するぞ。僕という才能に出会えたことに!」
「そうですかねぇ」
「そうと決まればさっそく一本目の映画を撮ろうじゃないか! 台本は既に用意しているぞ。主役は君。よろしく頼むよ。星野君!」
「……しょうがないですねぇ。やってあげますよ! 葉桜先輩!」
「うむ。では演劇部! 始動だ!」
「おー!」
私は何だか思っていたのと違うなと思いつつも、これから始まる日々にワクワクとした気持ちを感じていた。
そして、目を閉じながら未来を想い……ふと一つの疑問が頭に浮かんだ。
「あれ? 演劇部なのに、映画を撮るんですか?」
「あぁ、その件か。なに。申請を間違えただけだ。気にしなくて良いぞ」
「……やっぱり失敗したかなぁ」
なんて、苦笑いをしながら呟くのだった。