絶世の美女はコミュ障です。~無実の罪で断罪されたので二度目の人生は地味子になって喋りたい~
1
「ユリア・ガーランド! 貴様との婚約を破棄する!」
王立魔術学園は三年生による卒業パーティで賑わっていた。
和気藹々と生徒たちが歓談をしている中、第二王子エリアスの一声で、会場は一気に静まり返る。
皆の視線が、彼と、彼と対峙する一人の令嬢に注がれた。
……ユリア・ガーランドの元へと。
「ユリア・ガーランドって…確か、王子の婚約者だろ? でも全然人前に出てこないっていう…」
「初めて見た。うわあ…。すげえ、美人」
「絶世の美女って言われるのも納得だなあ…」
烏の濡れ羽色のような黒髪、白くて透き通った肌。大きな緑の瞳は、まるでエメラルドのようだった。彼女の雰囲気は光り輝いていて、エリアスの声で彼女を見た彼らだったが、次第に彼など眼中にないかのように、ユリアをぼんやりと見つめ続けていた。
まるで、魅了されたかのように。
当の彼女は、自分に向けられた視線など気にもとめていないかのように泰然としている……ように見えた。
しかし彼女の内心は違っていた。
(み、見ないでえええ! こっちを見ないでえええ! …駄目だ。心臓がバクバクいってる。頭も真っ白になってきた…。緊張して何を言い返したらいいかわからなくなっちゃった…)
脳内ではパニックに陥り、声のない悲鳴を上げていた。
ユリア・ガーランドは、人に見られると途端に声が出なくなる、コミュニケーション障害、通称コミュ障であったからだ。
※※※
ユリア・ガーランド公爵令嬢。
彼女は「絶世の美女」と呼ばれるほど、人を惹きつける容姿を持っていた。
彼女の姿を一目見た人々は魅了され、花に群がる蝶のようにユリアの周りに集まり出す。
集まった人々は彼女と言葉を交わしたいと声をかけるのだが、ユリアは緊張しやすい性格だった。見られると思うと緊張し、声が出なくなり喋れなくなる、口下手な少女だった。
だから上手く喋れない彼女をからかったり、失望したりして、それを恥じたユリアはますます喋れなくなる。そうしてユリアはコミュ障を深めていった。
※※※
「第二王子とはいえども一方的に婚約を破棄するのは横暴ではありませんか!? 何故です!? ユリア様が一体何をしたというのですか!」
ユリアの周囲にいた女子生徒の一人が声を上げた。
「何故君が返事をする? 僕はユリアに向かって言ったんだ。取り巻きは黙っていて貰おうか」
「ユリア様は呆れて反応が出来ないだけだから、私が代わりに言ったのです!」
コミュ障なユリアだったが、ユリアが口を開く前に、彼女を取り巻く人々がまるで彼女の心情を代弁するかのように声を上げる。
今回もそうだった。ユリアは別に呆れてはいないのだが、勝手にそう思われ勝手に代弁されていた。
はあ、と呆れたようなため息を吐き、エリアスは言い放った。
「ユリア・ガーランドは聖女アカリ殿を階段から突き飛ばした」
周囲が騒然とした。
聖女とは異世界から召喚され、女神に与えられた力でこの国の結界を守護し瘴気を払う…王族や貴族とは違った意味で、この国には無くてはならない存在だ。
そんな彼女はエリアスにかばわれるように、彼の背後に立って怯えるようにユリアを見つめている。
「ユリア様がそんなことするはずはありませんわ!」
「とぼけるな。取り巻きに命じ、聖女アカリ殿を階段から突き落としただろう。問いつめたら、簡単に白状したぞ」
「え…? イザベル…?」
エリアスがちらりと視線を向けた先に一人の女子生徒がいた。彼女を見てエリアスに食ってかかっていた生徒が呆然とした。イザベルと呼ばれた彼女は目を背けた。
イザベルもまたいつもユリアの周りにいた生徒たちの一人だ。
彼女は聖女アカリがエリアスと仲良くしているのが気に入らず、「ユリア様という婚約者がいるのに、あの女は馴れ馴れしいのですわ…!」と苛立ちを隠そうとしていなかった。
まさか、とユリアは思った。その苛立ちのままアカリを突き落とし、エリアスに問いつめられ我に返った彼女は、ユリアに命じられたのだと嘘をついたのだろうか。
「どうした。申し開きがあるなら言ってみろ」
エリアスがユリアを睨みつけながら言った。
「ユリア様がそんなことをご命じになるはずがないでしょう? ねえ、ユリア様!」
先ほど王子に反論した女子生徒がユリアに縋るような眼差しで、ユリアに弁明を求める。
彼女だけでは無い。ユリアの周囲にいる人間が、いや卒業パーティの会場にいる人間全てが、ユリアに注目する。
(違う…。私は聖女様を突き落としたりなんかしてない…。ちゃんと言わなきゃ…)
ユリアの思いとは裏腹に声が出なかった。扇子を持った手が震えている。扇子で隠れた口は何度も開いては閉じてを繰り返していた。
ただ、一言違うと言えばそれでいい。しかし彼女の声は出なかった。
「沈黙は自分の罪を認めるという意味で捉えるぞ」
何も言わないユリアに、エリアスは苛立ちを含んだ口調で言った。
(どうしよう…。どうしよう、どうしよう…!)
そして一体どれほど時間が流れたのか。ユリアにとっては永遠とも一瞬ともつかない時間が終わり、エリアスは声をあげた。
「お前の処分はすでに父上と相談して決めている。この国に欠かせない聖女を殺害しようとした罪で、ユリア・ガーランドを国外追放とする!」
そうしてユリアは何も言い返すことができないまま、無実の罪で断罪されたのだった。
2
「おはようございます。ユリア・ガーランド様」
魔術学園、一年生の自分の教室に入ろうとしたユリアは挨拶をされた。ユリアはごくりと唾を飲む。
ちゃんと挨拶を返そうと思ったが、声は何かにつっかえたように上手く紡がれなかった。
「…お、お、おは…」
「何? 聞こえませんわ?」
イザベルは耳元に手を当てる。その行為に彼女の周りにいた女子生徒がくすくすと笑った。
ユリアはメモ帳を取り出すとペンを走らせ『おはようございます、イザベル様』と書いて、相手に見せた。
イザベルは鼻で笑った。
「公爵令嬢ともあろうお方が喋るのが苦手だと思っていませんでしたわ、ごめんなさいね。次からは気を付けますわね」
イザベルは立ち去っていった。ユリアの心に小さな刺を残して。
※※※
ユリア・ガーランドは取り巻きに聖女殺害を命じた罪で国外追放を命じられた。
その後、慣れない異国の地で流行病にかかって彼女は死んだ。
…はずだったのだが、次にユリアが目を開けたとき、彼女は自分が生まれた屋敷の自室のベッドのなかにいた。子どもの時の姿で。
屋敷にはユリアが子どもの頃にいた使用人たちがいた。父と母の姿も若い。ユリアは自分が死ぬ間際に子どもの頃の夢を見ているのかと思ったが、何日も経っているのに夢は覚めなかった。
(……もしかして、夢ではなく時間が巻き戻っているのかしら)
ユリアはそう考えることにした。
だとしたら、ユリアは自分の末路は決まっている。自分の取り巻きが聖女を突き落とし、その罪をかぶって国外追放されるのだ。
(……このまま何もしないでいると、私はまた国外追放されてしまう…! そうだ、今度は地味に生きよう!)
ユリアはまず、自分の容姿を前回の人生と全く変えることにした。
烏の濡羽色と言われた長い黒髪は、二つの三つ編みにした。
エメラルドのような瞳は、分厚い眼鏡をかけることで隠した。
そして白い肌の上に化粧で、そばかすを描いた。
そしてユリアは「絶世の美女」ではなくただの「地味子」になった。
突然のユリアの変貌に父と母、使用人たちは嘆いたが、ユリアは地味に生きることを貫くことにした。
その地味な容姿のおかげで二度目の人生では、第二王子の婚約者に選ばれることはなかった。
魔術学園に通うことになっても、取り巻きができることは無かった。
以前の人生では何をしていなくても勝手に人が集まっていたが、「絶世の美女」を封印したら誰も寄ってこなくなった。
前回のイザベルはいつもユリアの近くにいたが、今回のイザベルは早々に離れている。地味子の自分には興味が無いのだろう。
王子の婚約者でもなければ、前回自分に無実の罪を着せたイザベルは自分の近くにいない。
ユリアは作戦の成功を感じていた。
しかし地味に生きる作戦は一つ問題があった。
たとえ「絶世の美女」と呼ばれた容姿を封印しようとも、前回の人生から引き継いだコミュ障は治っていないからである。
※※※
時刻は昼休み、ユリアは教室を離れ旧校舎の中庭にやってきた。
周囲には誰もおらず、ユリアは中庭の古ぼけたベンチに座り、本を開いた。そして書いてある文章を読み上げた。
「昔々あるところに、灰かぶりと呼ばれている女の子がいました…」
読みながらユリアは先ほどのことを思い返していた。
(挨拶されたのに、挨拶を返せなかった。イザベル様には失礼なことをしちゃったなあ…。やっぱり早くコミュ障を治さないと)
二度目の人生で彼女がもう一つ決意をしていることがあった。
それはコミュ障の克服である。
ユリアはエリアスから断罪され何も言い返せなかったことに反省していた。
もしあの場で何か言い返すことができていたら、自分は国外追放されなかったかもしれない。自分の冤罪を晴らすことができていたかもしれない。
いや、聖女を突き落としたというイザベルを止められたかもしれない。
そう思い、二度目の人生では、ちゃんと自分の言葉で話せるようになろうと思ったのだ。
そうしてユリアは喋れるようになるために練習をすることにした。
しかし、ただのコミュ障地味子には、練習相手になってくれる会話相手などいない。
まずは声を出すことが大事だと、ユリアは自分に言い聞かせ、誰もいない中庭に訪れて音読を始めることにしたのだ。
周囲に人がいないからか、ユリアは特につっかえることがなく音読をすることができた。
(…やっぱり、人がいると声が出なくなるんだ…)
ユリアは再確認する。人の目が無いこの場所なら、ユリアは問題なく声を出すことができる。しかし人がいるとダメなのだ。人に見られていると緊張して声が出なくなる。または先ほどのあいさつのように、声は聞こえないほどか細くなってしまう。
ユリアは脳裏に、前回の人生の卒業パーティのときを思い出した。
王子エリアスのこちらを睨むような眼差し。
聖女の怯えるような瞳。
周囲の人間のユリアの発言を待つ視線。視線。視線…。
自分を見つめる数多の視線を思い出したせいで、喉がきゅっと絞られたように声が出なくなった。
ユリアは本を閉じる。
(……今日は、この辺にしよう)
ベンチから立ち上がったときだった。
「おや、今日はもう終わりにするのかな」
ユリアの背後からやってきた人影を見て、彼女の喉は「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。
すらりとした長身、彫刻のように整った顔立ち、金色の髪は日の光に照らされてきらきらと輝いていて、青の瞳はユリアをまっすぐと見つめていた。
あのときの刺すような視線では無く、穏やかな眼差しで。
(……エリアス様…!)
前回の人生では婚約者だったが、今回は違う。学園内での同級生という立場だが、会ったことも会話したこともない。全くの初対面だ。
「君、いつも、昼休みにここに来て本の朗読の練習をしているだろう?」
話しかけられ、ユリアは混乱する。彼はうっすらと微笑んでいた。こんなエリアスは見たことがなかった。前回の人生で婚約者だった彼は、ユリアに笑みを見せることは無かった。ユリアとは距離を置き、ユリアは自分が嫌われているのを感じていたのだが…。
「僕も昼休みには旧校舎に来ているんだ。休みの時間ぐらいは一人になりたくてね。休んでいるといつも君の朗読が聞こえてきた。すまない、勝手に聞いていたりして」
ユリアの混乱など知らずに、エリアスはユリアに話しかけてくる。
「こんなところで朗読の練習をしているということは、君は図書委員なのかな?」
問われ、ユリアはハッとした。
(返事をしないと…!)
しかし口を開けても声は出てこない。逆に口の中は水分が飛んでカラカラになっていた。ユリアは自分が緊張しているのを感じた。
今の人生では自分はまだ断罪されていない。そうわかっているが、ユリアはあの時の恐怖を思い出し、全身が震えた。
「…大丈夫かい?」
いきなり体を震わせたユリアに、エリアスは心配そうな眼差しを向けた。
ユリアは声を出すのを諦め、メモ帳とペンを取り出した。ペンを持つ手も震えていた。それを抑え込みながら、何とかユリアは文字を書き、それをエリアスに見せた。
『人と会話するのが苦手なので、練習のために音読をしています』
「……なるほど」
メモを見たエリアスは納得してくれたようだった。
「しかし、音読では会話の練習にならないだろう。会話の練習というのは、やはり人と対面してこそ、だよ。……よかったら僕が練習相手になろうか?」
エリアスの提案に、ユリアは一瞬何を言っているのかわからず固まった。そして数秒後、ようやく頭に理解が追いついた。
(…エリアス様と会話の練習…!? ムリムリ! できるわけないよ…!)
二度目の人生では何もされていないとはいえ、前回の人生では自分を断罪した相手だ。そんな相手と練習とはいえお喋りなんて、できるわけがない。一体何を話せばいいのだろう。
ユリアは勢いよく首を横に振った。
「遠慮しないで。今まで君の朗読を聴かせてもらった礼だと思って欲しい」
穏やかな笑顔でエリアスが言った。しかしそう言われても、「ではお願いします」とはユリアは言えない。エリアスとお喋りなんてできない。ユリアはもう一度首を横に振った。勢いで二つの三つ編みも一緒になって揺れた。
すると、エリアスがぐいっと顔を近づけてきた。
「…この私がここまで言っているのに、どうして拒むんだ? 君は「はい」と言うか、黙って頷けばいいんだよ?」
笑顔を貼り付けているが、声音はぐっと低かった。ユリアの背中からどっと冷や汗が流れた。
(ひええ…。どうしてこんなに食い下がってくるの…!?)
ユリアは彼の気迫に負けた。ぎこちなく首を縦に振る。エリアスがにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、また明日。ここで会おうか」
彼はそう言うなり立ち去ってしまった。ユリアは力が抜けてベンチに座り込む。
(…どうして、こうなっちゃったの…!?)
ユリアは心の中で叫んでいた。
3
旧校舎の中庭で無理矢理約束を結ばされた翌日から、ユリアはエリアス相手に会話の練習をすることになった。
……と言っても、いきなり会話から始めるのではなく、今までユリアが行っていた音読をエリアスを前にして行うように言われた。
いつもは一人で行っていたから音読ぐらい簡単にできると思いきや、ユリアは一人だとすらすらと読めたはずなのにエリアスを前にすると何度もつっかえた。
「やはり君は人を前にすると緊張して声が出なくなるんだな」
エリアスはユリアの問題点に早々に気がついたようだった。
「人の目線を避けているから猫背になっている。そんな姿勢では出る声も出なくなってしまうよ。次はなるべく僕の目を見ながら、朗読してみようか。人の目を見るのが緊張するなら、僕のことはカボチャだと思って」
にこりと微笑みながら言われ、ユリアは首をぶんぶんと横に振った。相手は王子だ。カボチャだなんて思えるわけがない。
そんな思考を読んだかのようにエリアスは言った。
「君はきちんと話せるようにならないと、と思っているかもしれないけどね。人はあいさつとお礼をきちんと言えたら、それでいいんだよ。会話なんてものは天気の話でいいのさ」
そんなことでいいのだろうか、と訝しむユリアを置いて、エリアスは続けた。
「あと人の目を見てハキハキとした声で話せたらいい。自信がなくてもあるように見せた方が人に舐められずにすむよ」
彼は簡単なように言ったが、ユリアは難しいと思った。
しかし多くの人間と会話をしている第二王子エリアスが、「人をカボチャだと思えばいい」とか「天気の話でいい」と言うとは思わなかった。
少しだけ、肩の力が抜けたようだった。
しかしすぐに良くなるわけはなく、声はかぼそく、しどろもどろで自分でも何を言っているのかわからないほどひどかった。
それでもエリアスはユリアに対し、失望することなくユリアの練習に付き合ってくれた。
旧校舎の中庭で行われていた、二人だけの朗読会はしばらく続いた。
ユリアの拙い朗読を、エリアスは笑うわけでもなく、ただ聞いてくれた。そして少しづつだが、ユリアもエリアスに慣れてきた。
そんなある日、事件は起きたのだ。
※※※
その日の昼休み、いつも通り旧校舎の中庭に向かおうとしたユリアは、筆談用にペンとメモ帳を持っていこうとして、メモ帳が無いことに気がついた。
鞄の中を探してみたが見つからず、どこかに落としてしまったのかとユリアは焦った。
それでもエリアスを待たせてしまうのはまずいため、ユリアはメモ帳を持たずに旧校舎の中庭に訪れた。しばらく待って現れたエリアスはいつもなら一人で来るのに、背後に人を連れてきていた。
聖女アカリだった。
彼女はユリアをどこか怯えたような目で見ている。エリアスは真剣な顔つきで口を開いた。
「ユリア。昨日の放課後、聖女アカリ殿が階段から突き落とされたのは知っているか」
(え…? 突き落とされた…?)
嫌な予感がした。エリアスの固い表情も見たことがある。その予感を振り払うようにユリアは首を横に振った。そうか、と小さく呟いた後エリアスは言った。
「倒れていた彼女の近くにこれが落ちていた。これは君がいつも使っているメモ帳だろう?」
エリアスが見せたそれは、先ほどユリアが探したメモ帳だった。
(……どうして、それが倒れていた聖女様の近くに?)
「どうして倒れているアカリ殿の近くに君のメモ帳があったのだと思う?」
「そんなの決まっているでしょう、エリアス殿下。ユリア・ガーランドがアカリ様を突き落とした犯人だからですわ」
エリアスの背後からやってきたのは、イザベルだった。どうして彼女がここに、と思ったらエリアスが口を開いた。
「倒れているアカリ殿を見つけ、介抱してくれたのが彼女だったんだ。その彼女がこのメモ帳がアカリ殿の近くに落ちているのを発見した」
「アカリ様を突き落とし、逃げる途中で持っていたメモ帳を落としたのでしょう? そうでなくては彼女がいつも身につけているメモ帳があんなところにあるわけがありませんわ」
イザベルはそう言うと、口の端を持ち上げてにやりと笑った。
(……違う)
ユリアの背中からドッと冷や汗が吹き出した。
(私は聖女様を突き落としたりなんかしていない…)
カタカタと体が震える。ユリアは震えを止めようと腕を押さえたが、効果は無かった。
まるで今の状況は前回の人生の…あのときの断罪と同じようだ。
ユリアは目の前が真っ暗になった。今の自分はあのときと同じでは無い。人々を引き寄せる容姿は封印した。地味子になった。それなのに同じ状況になってしまうなんて…。
(……運命は変わらないのかしら…)
ユリアはがっくりとうなだれたとき、エリアスの声が降ってきた。
「沈黙は自分の罪を認めるという意味で捉えるぞ」
あのときと同じ言葉だった。しかし前の時のような突き刺すような鋭さは無かった。
ユリアは顔を上げる。エリアスがまっすぐに見つめていた。ユリアを犯人だと決めつけている目では無かった。むしろ、自分を信じてくれているような。
(…そうだ、まだあのときと同じじゃない。私がちゃんと否定すればいいんだ…!)
ユリアは背筋を伸ばした。エリアスの瞳を見つめ返す。心臓が早鐘のように鳴り響いたが、相手はカボチャだと思うようにした。そして息を吸い込んで、声を出した。
「…私はやっていません」
「なんですって?」
「私は聖女様を突き落としたりなんかしていません」
エリアスがふっと笑みを見せた。
「……だ、そうだよ。イザベル嬢」
「じゃあ、どうしてあなたのメモ帳が倒れている聖女様の近くに落ちているの! 説明しなさい!」
「知りません。私は聖女様を突き落としてはいないから、知りません」
「そんなこと言ったところで、あなたが犯人に決まっているでしょう!」
はっきりと言い切ったユリアに対して、イザベルは声を荒げた。
人に見られているというのに、今のユリアは今までに無いほど冷静だった。今までは人に見られているだけで焦って何も言えなくなっていたのに。
逆に、イザベルの方が慌てているように見えた。
「まあまあ、イザベル嬢、落ち着いて」
エリアスがイザベルをなだめた。
「メモ帳が落ちていただけでユリアが犯人だと決めつけるのは時期尚早だよ。このメモ帳を盗んだ犯人がユリアを犯人に見せかけるために、置いていったかもしれないからね」
「それは…」
「そう言えば、君はどうしてこのメモ帳がユリアのものだって知っていたんだい?」
「え…?」
イザベルが冷や水を浴びせられたかのように、ユリアに向かって声を荒げるのをやめた。
「このメモ帳、ユリアの名前は書いていないだろう? 中には筆談で書いた言葉が綴られているだけだ。どうしてユリアのメモ帳だとわかったのか、不思議に思っていたんだ」
「そ、それは…」
イザベルが目を泳がせた。言い淀み、言葉を探しているようにも見える。
「これから僕は目撃者を探そうと思うよ。放課後という人が少ない時間帯とは言え、アカリ殿が突き落とされたところを見ていた人はいるかもしれない。……僕は必ず犯人を見つけ出す。聖女アカリ殿はこの国に欠かせない存在。そんな彼女に害を与えた人物に正当な罰を与えるために」
エリアスの声音がぐっと低くなった。覚悟のこもった声だった。ユリアが断罪されたときに発していた声と同じ声音だった。
「な、なによ…! いつもは何も喋らないくせに自分を弁護する時だけは口を開くわけ!?」
かっとなったイザベルがユリアに掴みかかった。
あっと思う前に、眼鏡がずれて、地面に落ちた。
ユリアは別に視力を上げるために眼鏡をかけているわけではない。瞳を…顔を隠すために、かけているのだ。だから眼鏡が外れたところで視界は変わらない。
目の前のイザベルが、ぽかんとした顔をしていた。エリアスも聖女アカリも同じだ。皆、露わになったユリアの顔を見て目を丸くしている。
しばらく時間が経ったあと、イザベルの顔つきが変わった。目がとろんとして、顔つきがぼうとしている。いつのまにか頬が赤く染まっていた。
ユリアは慌てて落ちた眼鏡を拾い、かけ直した。しかしもう遅かった。イザベルはすでにユリアに魅了されていた。
「……ええ、わたくしが聖女様を突き落とし、ユリア様に罪をなすりつけようとしました…」
先ほどの荒々しさが消え、まるで夢見るようなぼんやりとした声でイザベルは罪を告白した。
4
その後、イザベルは全てを自白した。
魔術の実技科目で教室に誰もいない頃を見計らってユリアのメモ帳を盗むと、突き落とした聖女アカリの近くに置いたのだという。そうしてユリアが犯人だと見せかけた。
動機はユリアに対する嫉妬だと言った。
旧校舎でエリアスとの練習を偶然目にしたイザベルは『なんでユリア・ガーランドみたいな地味な子がエリアス様の近くにいるの!?』と腹が立てたのだという。
また彼女は異世界人が聖女になるのも気にくわなかった。だから突き落としてユリアを犯人にしたてあげ、懲らしめようとした、と語った。
「イザベル嬢は数ヶ月の停学処分になるよ。でも世間体を気にして親が退学させるんじゃないかな。彼女は地方貴族のご令嬢だから。……まあ、どちらにせよ君が気にするようなことじゃないからね」
あれから数日後、以前の時のように旧校舎の中庭に現れたエリアスが言った。
ユリアは何も返事が出来なかった。イザベルの行為のきっかけをきいて、どうしてエリアスが自分なんかと練習をしてくれるのか疑問に思った。
ユリアはメモ帳にその疑問を書いて、エリアスに見せる。
「……初めて君の音読を聴いたときから思っていたけど、君っていい声をしているよね」
初めて言われた褒め言葉だった。そもそも声を出していないのだから、言われるはずもないが。
彼が照れたように言った。
「だから、話をしたいと思ったんだ」
ふいにエリアスの手が伸びて、ユリアの眼鏡を奪った。
「昨日も見て驚いたけど、綺麗な顔をしていたんだね、君は」
エリアスが微笑む。しかしユリアの顔を見て、先日のイザベルのように魅了された様子ではなかった。
「今まで容姿を武器に僕に近づいてくる女性は多かったから美人な子が苦手になったけど…、君みたいに隠そうとする子は初めてだな」
そういえば、とユリアは気づいた。前回の人生でも彼は自分の容姿に惹かれていなかった。苦手だったのか、とユリアは理解した。
彼が自分を避けていた理由を今まで知らなかった。前回のエリアスとはあまり会話をしていなかった。彼に避けられていたのもあるが、ユリアもまた自分のコミュ障を理由に会話を避けていたから。
ユリアはエリアスと話をしてみたいと思った。彼は自分の容姿に惹かれない。だったら自然なままのエリアスと会話が出来ると思った。
しかし何を話したらいいかわからない。
そんなとき、彼のアドバイスを思い出した。
「……今日は、いい天気、ですね」
エリアスは一瞬驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「ああ。いい天気だ」
ユリアは会話が続いたことに、胸を弾ませた。
最後までお読みいただきありがとうございました!