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救いの手


 ——エリアーナは心の中で祈るように反芻した。


「そこまで言うのなら、こちらにも考えがあります。

 使用人たちを解雇する代わりに、エリアーナ。わたくしが不在の間に許可なく屋敷を改造した挙句、使用人たちをだましたあなたに、相応の『罰』を与えます——勿論、離縁などさせません」

 

(なんだって?! 嘘でしょっっ!! どうしよう、エリー。やばいじゃん……)


 見えないけれど、ポケットの中のうさぎが声をあげて項垂うなだれたのがわかる。


『離縁などさせません。』


 エリアーナにとって、それはまるで裁判にかけられた囚人が終身刑を言い渡されたのと同じだった。

 つい先ほどまで大きく膨らんでいた希望と意気込みは、針で突かれた風船のようにしぼんでしまう。



 ——覚悟はしていたけれど……。

 離縁したいだなんて、やっぱり簡単じゃなかった。



 ぎろりと睨め付けるロザンヌの鬼の形相がエリアーナの落胆に追い打ちをかける。離縁が許されないとすれば、想像できる結果は最悪なものになるだろう。


 ——生意気なこの嫁に、どんな酷い罰を与えてやろうか……!


 消沈してぺたんと床に膝をついてしまったエリアーナに、ロザンヌが突き刺すような眼差しを向けたとき。



「これは何の騒ぎですか、母上」



 凍りついた空気を貫くように、艶やかな青年の声が『宴の間』に響いた。

 いつからそこに立っていたのだろうか。腕を組み、開け放された双扉に背を預けた美丈夫がこちらを見つめている。

 

「アレクシス……!」

「騙すだとか、相応の『罰』だとか。《《私の妻》》はいったい何をして、あなたをそんなに怒らせたのですか」


 その場にいる者達が身じろぎもしないなか、アレクシスはホールを歩き、床に崩れ落ちたエリアーナを見下ろす位置に立った。

 青灰色の眼差しにじろりと睨まれ、怯んでしまう。

  

「見ればわかるでしょう? この惨状を! この娘のせいで無惨にも破壊された、哀れな屋敷を!」


 アレクシスは伏した眼差しをエリアーナに向け、表情のないまますっと手を差し伸べる。

 それが何を促すものなのか。すぐには理解ができずにいると、


「……ほら立って」


 声をかけられて初めて、自分に手を貸そうとしているのだと分かった。

 おそるおそる……ためらいがちに指先を伸ばせば、獲物を捕らえるような強引さで手のひらを掴まれ、腕ごと身体が引き上げられる。

 隣に立たされてからも、アレクシスの力強い指先はエリアーナの指先をぎゅ、と包んだままだ。


「哀れ……とは? 私はこの屋敷が無惨に破壊されたとは思いません。むしおりが抜けたようだ。埃に塗れ、何十年もそのままになっていた古臭いものが一掃されたのです。それに、嫌いじゃありませんよ、この感じ。色使いのセンスも悪くない」


 アレクシスは目を細め『宴の間』を見渡している。

 橙色の夕日は部屋にあるもの全てを橙色に輝かせ、涼やかな夕風はカーテンを揺らし、皆の頬を撫でた。



 ——この展開は、何……っ。



 戸惑いながら自分の指先を握る手を見つめてしまう。

 出逢った頃よりも大きく逞しくなったアレクシスの手は、男性らしく筋張っているが滑らかでとても綺麗だ。

 

 ——あたたかい。 

 重ねた手のひらから伝わる熱に戸惑い、エリアーナの胸が苦しくなる。



 エリアーナだって、適当に事を進めたわけではなかった。

 お金はかかってしまったけれど、著名なデザイナーに屋敷を見てもらい、装飾品や壁紙のイメージを念入りに打ち合わせた。

 細かなディテールにもこだわり、こうしてタッセルの一つ一つに飾り物を縫い付けている。


 由緒あるお屋敷を本当の意味で滅茶苦茶にするわけにはいかない。

 なにしろこの計画は、「離縁したい」という自己中心的なもの。離縁を勝ち取ったあとも、ここに住まう人たちが困るようなことがあってはならないのだ。



 ——美術品も業者の倉庫に運んでもらっただけですし、壁紙が気に入らなければお義母様ならすぐお戻しになるでしょう。でも……っ、お義母様の大切な薔薇の花瓶を割ってしまった。あれはもう元には戻らない。

 私はいったい、どんな『罰』を受けるの——。


 そんな不安と心配が顔に出てしまったのだろう。

 アレクシスはエリアーナをちらりと見遣ると、華奢な指先を握る手のひらにぐ、と力を込めた。

 まるでエリアーナを「大丈夫だ」と励ますみたいに。


「見たところ改装されたのは屋敷のごく一部ですが、妻には責任を持って全館を改装させます。母上、問題ありませんね?」


 まるで無能嫁を擁護したとも取れるアレクシスの言い分を聞いて、ロザンヌは唇を噛んだまま《《ほぞ》》を噛む。


「……あなたが、そう言うのなら。」

 胸の内は悔しさではち切れそうだが、実の息子だとはいえ小侯爵である彼に逆らうことはできない。


 ——もしかして旦那様は、私をかばってくれた……?


 顔を上げて見上げると、アレクシスの精悍な眼差しはしっかりと正面を見つめている。その先にあるのは悔しげに目を眇める義母の姿だ。


「改装の仕上がりはともかく。当主の許可も得ずに妻が勝手に行動したは確かです。母上が憤るのも無理はありません。私からの提案ですが、今回のことで妻が受けて然るべき『処罰』を、夫の私に預けてもらえませんか?」


 そう言ったアレクシスは——ロザンヌの返事も聞かずに、繋いだエリアーナの手を引いて『宴の間』を出たのだった。

 ロザンヌをはじめ周囲にいた者たちは驚いたろうが、もっと驚いているのはエリアーナだ。


「あのっ……旦那様、どこへ……?!」


 ——庇ってくれたと思ったけれど。

 『処罰を預かる』って、お義母様の代わりに、旦那様が私に罰を与えるってことよね……?


 理解が追いつかない胸の内側を、鼓動が激しく打ちつける。

 相変わらずエリアーナの手をすっぽりと包みこんでいるのは——熱をはらんだアレクシスの長い指先だ。


 銀糸の刺繍が施されたフロックコートの大きな背中は、振り返りもせずに廊下を歩いて行く。



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