ねぎ、ネギ、葱!?(まほろばの鬼媛外伝)
この短編は、既に投稿されている本編作品の第二章の開始回の冒頭に記されている一文……
『色々とあったりなかったりという日々』
……の中の"とある一日"を描いたモノです。過度な期待は(ry
そして、この物語はフィクションです。実在する国家、組織、個人とは一切関係ございません。
―― この話は、東雲母娘が軍港でもある"佐世保"に腰を据えてから、およそ一ヶ月以上経過した頃の『小さな話』である ――
その日、東雲いづるは、娘である東雲美鶴、従者的存在の小蓮、美鶴の身辺警護役も兼ねている学生寮守衛の山県那苗、美鶴の学友で学生寮の部屋友でもある今川美紗音を連れて、市内の某所に来ていた。
そこは、山を切り開いた開拓地であり、今回そんな所に来た目的とは……
その開拓地に到着する数時間前……
『あ? 地元の農家の手伝いで葱の収穫作業とかを手伝ってこいだとぅ!?』
いづるのこの叫び声に対し、その話を振ってきた、いづるの育ての親的存在でもある"水梨伊鈴"は『こっちに帰ってきて、もう一ヶ月以上経っているんだ。そろそろアンタも何かをするべきじゃないかねぇ〜。』と、少し冷やかな視線を向けつつ、そう答えた。
そんな伊鈴にいづるは『いやいや、農作業そのものなら、伊鈴婆の畑の手伝いしてるじゃねぇかよ。それではダメなのか? 満足できないのか!?』と、更に喰らい付くのだが、伊鈴から返ってきた答えは……
『あたしとしてはそれには満足してるけどねぇ。ただ、今回は人伝手に頼まれた話なのさ。昨年までなら、あたしや他の面子で手伝っていたんだけど、アンタも知っての通り、あの三人は今、温泉地巡りで不在だからねぇ。そこでアンタの出番という訳さ。』
……というものであった。
この発言にいづるは唖然としつつ、内心『クソ、こんな時に他の婆さん達が居ないとか、この世界には神もクソもねぇのかよ!』と愚痴るのだが、そもそもいづるはその"神"を知っているだけに、この愚痴もある意味価値のない戯言であった。
この後、いづるは『灯火婆も、襟姆婆も、睦恵婆も、こんな時に居ねぇなんて最悪過ぎる。特に睦恵婆が居ないのが痛すぎる。あの婆さん達の中で農作業に精通してそうなのは元・土の鬼の王だった睦恵婆だけなんだよなぁ。ああ、頭が痛いぜ……』と心の中で嘆くのであった。
ちなみにこの三人の婆さんといづるが呼んでいる存在とは、先々代の火の鬼の王である"焔野灯火"、先々代の風の鬼の王である"風麻襟姆"、先々代の土の鬼の王である"土岐睦恵"のことを指す。
かつて、伊鈴を含めた四人は、鬼の王としてヤマト国を一度は恐怖のドン底に叩き落とし、そののち、懲らしめられた経験を持つ。
この内、睦恵婆こと土岐睦恵は、罪滅ぼしの一環としてヤマト国各地で農林関係の作業の手伝いをしていた――鬼の王だったという事は、色々あって伏せられている――のだが、それをやっている内になぜか病み付きになっていたらしく、いづるを預かり佐世保に腰を据えてからは、佐世保を含む周辺地区の農作業を手伝うようになっていた。
他の面々は、半ばそれに巻き込まれる形で参加していたが、色々心境の変化もあってか、それが当たり前となっていたという。
……さて、そんないづるは、一人で農作業の手伝いをする事に抵抗があったのか?
自身の関係者を半ば強制的に巻き込む事とした。その結果集まった……いや、集められたのが美鶴、小蓮、那苗、美紗音の四人であった。
美鶴と小蓮は『また"かーさま"の行動に巻き込まれるのですね。』だの『毎度の事ですけど、いづる様に頼まれては拒否権ありませんから……』と、半ば諦め気味であった。
那苗は、美鶴の護衛と小蓮の面倒を見ている関係上、付いて行かない訳にもいかず、美紗音に至っては美鶴の部屋友である上、小蓮も行くと聞いて、参加を名乗り出たという。
そして話は、開拓地の出入り口前に来た所に戻る。
いづる達が到着した時、そこには現地のネギ畑を管理する地元民が何人か集まってきていた。
その内の一人がいづる達の存在に気づいたらしく、すぐに近づいて来ながら声を掛けてきた……
『お〜い、そこのお嬢ちゃん達。もしかして伊鈴さんが言ってた嬢ちゃん達か?』
いかにも田舎の農夫と言える衣類を纏う男が話し掛けたため、いづるも『伊鈴婆の事を知ってるのかよ。……ああ、アンタが言った通り、水梨伊鈴の紹介でネギ抜きの加勢に来た東雲いづると愉快な仲間達だぜ。』と答えたのである。
もっとも、いづる以外の面々は、程度の差はあれども"愉快な仲間達"扱いを受けた事に抵抗感を覚えたのは語るまでも無いだろう。
その事を示すように、代表して那苗が『おい待て、その愉快な仲間達ってのは何だ? ある意味仲間の内には入るだろうが、愉快なってどういう事だ!?』と文句をつけてきた。
もっとも、そんな抗議もいづるにとっては馬耳東風。まるで初めからそんな発言が無かったかのように田舎の農夫と話を進めていた。
無視された事にプンスカ憤慨する那苗だったが、即座に美鶴から『那苗さん、すみません。相変わらずのかーさまの無礼の限り、娘として代わって御詫び申します。』と言いつつ頭を下げてきたので、これには那苗も頭を上げるように促すしかなかったという。
そして、促しついでに腹の中で『このバカ女、よりにもよってこの御嬢に頭を下げさせる様な事をしやがって。その内、報いを受ける時が来るぞ!』と思ったという。
それから一同は、農夫から作業内容を一通り聞き、周りの他の作業者達の所作を真似るように動くのであるが、そこはやはり素人集団。
葱畑特有の匂いが漂う中、伊鈴の手伝いをする事があるいづるはともかく、他の面々は悪戦苦闘を余儀なくされる……
『ああ、大変です。せっかくのネギが根元で千切れてしまいました……』
『クソ、戦場ならばともかく、こんなネギ如きに。だいたい何なんだ? ネギのクセに曲がってるとか、ネギの風上にも置けん!』
『ひゃっ! このネギ、大きくなりすぎて纏めて取れませぇ〜ん!』
『お、お嬢様、美紗音様、とりあえず冷静に。あと、那苗様、こちらに真っ直ぐなネギがありますので、こちらから抜き取るのはとうでしょうか?』
……この様な発言が次々と出てくる事となる。
その様子を見ていた農夫たちは彼女らに助言をしつつ、そこはかとなく生暖かい視線を彼女らに向けていた。
それはわかり易く言うならば、都会から帰省した孫を見るような、そんな視線であったという。
一方、ある意味経験者であるいづるはと言うと、複数のネギ株を纏めて鷲掴みにして、いとも容易く抜き取り、更に根っこに纏わりつく土団子をサクサク取り除いていた。
そして、そのネギ株をケース内に敷いている網の上へと次々と置いていっていた……
『あとで水洗いするからな。根っこは可能な限り揃えて入れるのが一番だぜ。昔、別の畑を睦恵婆と一緒に手伝った時なんて、適当に置き腐る奴が居たから、水洗いを経ても土が取れないどころか泥団子化していて後始末が大変だったし、雨の日なんか、泥沼田んぼ状態だったからこっちはヘトヘトになってたな。まあ、睦恵婆には無関係みたいな物だったが。まあ、なにはともあれ、苦労は買ってする物とはよく言ったモノだぜ。』
……こんな昔の事も含めて色々思い出した事をブツブツ独り言で述べつつ、次から次へとネギ株を抜き取って行く。
その様子を見ていた那苗や美紗音は、普段のいづるからは考えられないような発言が彼女の口から出てきている事に、大なり小なり驚いていたようであった。
(ついでに、睦恵婆って誰?という風にも思っていたが、この時はあまり気にも止めなかったという。睦恵婆が先々代の土の鬼の王だと聞き知るのは、しばらく後の事である。)
その二人に、小蓮から『お二人とも驚いてますね? 確かにいづる様の普段を知れば、あんな事を言う姿が信じられない事と思います。ですが、ああ見えていづる様って"凝り性"みたいなんですよね。あれもいづる様の顔の一つなんですよ。』と語られる。
その話を聞いた二人は『あのバカにも、そういうところがあったのかよ。人は見た目で判断できないとはこの事か?』だの『美鶴さんの母様、少し変わり者みたいなところがあると思ったのですけど、しっかりしてるところがあるんですね。普段、保健室でぐーたらして石田さんの母様と駄弁っている姿しか知らないので、新鮮に見えます。』だの言われる事となる。
だが、その声はいづるの耳に入っていたらしく……
『こいつら、何好き勝手な事を言ってやがるんだ? 兎ねぇさん、見た目は余計だぜ。そして水ねーちゃんの娘、ぐーたらは余計だっつーの!』
……と、聞こえない程度に愚痴り返すのだった。
その時、『ひゃっ!? ……と、取れた、何とか根っこから取れました。』という美鶴の声が聞こえてきた。
その声を聞き、彼女の方を見ると、確かに葱は取れていた。ただ、勢いが強すぎたためか?尻餅を付いていた。
そんな彼女の姿を見て、『あらあら、お嬢ちゃん大丈夫かい?』と言いつつ、女性の農夫が美鶴の手を取って助け上げたのは言うまでもなかった……
2時間ほどネギ抜きを行った所で、休憩となり、年少組(美鶴、美紗音、小蓮)は近くの日陰に移り農夫たちが持ち込んでいたお茶や塩飴、塩味の和菓子などを食していた。
一方、いづるや那苗は、まだまだネギ抜きを継続していた。余裕があるいづるは那苗に対し『おい兎ねぇさん、そろそろ休んだらどうよ? 幾ら過去に修羅場を潜って来た経験があっても、葱の収穫はそれとは勝手が違うぜ?』と述べ、暗に休む事を要求していた。
だが、そう言われて引き下がる那苗ではなかった。彼女は『は? お前なぁ〜。このくらいでヒーコラ言うほどまだあたしは腐っていないぞ?』と語り、その気遣いは無用と言わんばかりだった。
もっとも、その直後、那苗が軽くぎっくり腰を引き起こしてしまい、いづるに呼ばれてすっ飛んできた小蓮に連れられる形で日陰へと移動させられたが。
小蓮に介抱されながら日陰の下へと退場する那苗を見ながら『やれやれ、人間基準ならば、充分に年寄りなんだから無理すんなってことなんだよな、兎ねぇ……』と心の中で呟くいづるであった。
その後、作業を再開した一同は、農夫たちの取り分も含めて専用の網で40束余りのネギを収穫していた。
だが、今回のネギ畑全体で見れば、まだ一割程しか穫れておらず、残りはまた、別の日のお楽しみとなる。
収穫されたネギを見ていて、美紗音が『改めて見ると大きいし太いネギですよね〜。普段見るネギとは違う品種ですよね〜。』と感想を述べると、即座に小蓮の口から『美紗音様、この品種は上方の"九条ネギ"の亜種だと思われます。肥料の与え方や日照時間、土中水分の具合などで苗単位だと太い物と細い物、並の物と大きい物、小さい物と育ち方が変わるようです。』という説明がなされる。
その説明を聞き、美紗音の小蓮を見る目がキラキラした憧れを内包したものとなっていたのであるが、向けられている側の小蓮はそれには気づいてはいなかった。
小蓮の説明を耳年増バリに聞いていた那苗は、その話が本当なのだろうと思っていた。
というのも、今回の収穫時、一所から数本のネギが伸びてきていたのであるが、その数本全てが同じ大きさでも太さでもなかったのである。
近くの洗い場へと持ち込み、そこで水洗いをしつつ、根っこにこびり付く土を揉みほぐして取り除いていく中で、那苗はいづるに質問を吹っ掛けていた……
『おい、今回収穫したネギなんだが、太さとか大きさの違いとかで何かあるのか?』
その質問に、いづるは『ああ、勿論ある。程よい太さと長さのネギは"中ネギ"として纏められる。これが多ければ多いに越したことは無いんだが、兎ねぇさんも見知ってる通り、太すぎるヤツや、逆に細すぎるヤツなどが混ざってるだろ? そいつらは"細ネギ"とか"規格外"として纏められて出荷される。それとは別に、根っこが本体から千切れたヤツがあるが、そいつらは"カットネギ"として纏められる。』と説明している。
それで終わりかと思いきや、いづるは更に『水洗いが終わった奴を選別する過程で、枯れ気味の葉や、虫が食ったような葉、変色した葉などを取り除く過程で、太さや大きさが変わる場合、それに見合う枠に入れられる。またカットネギってやつは、根っこ部分を切って捨てる事でも成立する代物だから、わりと八百屋などで見かけることもあると思う。まあ、実際の所は自分の目で確かめてみる事だな。』と語り締めると、水洗いの手伝いのためにその場を離れた。
一方、これを聞かされた那苗は、とりあえず納得することとなるのだが、同時に『やたらと饒舌になってやがったなアイツ。まるで美紗音嬢が稲荷神の事を語る時や、小蓮が歴史上の人物の話をする時と似た雰囲気をプンプン撒き散らしてやがる。』と思っていた。
そんな事を知ってか知らずか、今度は美鶴が那苗の傍に来て、こんな話をするのだった……
『那苗さん、あまりかーさまのおっしゃる事を気にする必要は無いと思いますよ? アレは本当に凝り性と言えるものですし、最近聞いた話を当て嵌めるなら"ヲタク"と呼ばれるモノに近いと考えられます。または単に知ってる雑学を他人に話したくて仕方ない"幼子"みたいなモノです。』
……美鶴の口からこの様な話が飛び出し、那苗は呆れと内心笑いたくて仕方ない感情の流れが押し寄せてきた事を感じ取っていた。
それと同時に、水洗い中のいづるがくしゃみをしたあと、周囲をキョロキョロ見まわした末『……だ、誰か噂してねぇ〜だろうな?』と口走ったのを聞いてしまい、内心笑いたい感情を必死に抑える那苗であった。
それから暫く後、太陽が西に傾き出した頃、収穫作業は一段落を迎え、クタクタになった一同は別の日陰でゆっくり休んでいた。
一方でいづるはと言うと、"だるま鍬"と呼ばれる鍬の一つを片手に、ネギ畑の雨水を逃がすための溝掘りを行なっていた。
そんないづるの姿を遠巻きに見ながら、那苗は『アイツの体力は無尽蔵か? アレだけの事をやっておいて、更に別な作業までやってやがる。』と、呆れ気味に呟いていた。
片や美鶴たち三人は、既にクールダウン状態に入っており、いつでも帰宅出来る状態に移行しつつあった。
だが、そんな最中、畑の別の場所で言い争う声がその場の者全ての耳に入ってきた……
「だから! 俺の力じゃこの速度が限界だっての! まだ、この手の仕事を始めて日が浅いのに、何むちゃくちゃな要求してるんだよっ!!」
「うるさい、黙れ若造。日にちの浅い深いは関係ねぇんだよ!! 俺がやれと言ったらやれってんだ。それが嫌ならさっさと消えろ! オメェの力なんてその程度なんだからな!!」
「んだとぉ!! このジジイ、自分ができるからって、他人にも同じものを求めるんじゃねぇ!! 俺は俺だ! アンタじゃねぇっ!!」
……静かだった畑を切り裂くが如きその口喧嘩に、周りの者達が気付かぬ訳にもいかなかった。
勿論、それは休んでいた三人や那苗も同じであり、溝掘りをしていたいづるの耳にも聞こえていた。
その時、美鶴はいづるの溝掘りの手が止まっている事に気づいた。そして、小蓮にその事を小声で囁くように伝えた。
それを聞いた小蓮もすぐにいづるの方を見た。だが、その時には既にそこにはだるま鍬だけが残されており、いづるの姿は言い争う二人の男の内、老人の背後に移動していた……
『おい、ジジイ。あんまり無理難題を言うのは止めておけ。でないと、その報いを自分が受けることになるぞ?』
この、明らかに低いトーンの声を以て放たれた一言を聞いて、那苗と美紗音は驚く。
それは、今までのいづるの口から出たところを聞いた記憶が無いほどに低い、言うならば"獣の声のような"代物だったからである。
だが、美鶴と小蓮は知っている。こういう声の時のいづるは、間違いなく"内なる怒り"を湛えているという事を……
「お嬢様、とりあえずいづる様を止めた方が良いかと思いますが……」
「小蓮、無闇に止めに入っても駄目と思います。かーさまの腹の内の怒りを適度に出した時でないと。」
美鶴の発言に、小蓮も無言で頷き肯定の意を示す。
一方、そんな二人の会話を聞いていた那苗と美紗音は各々いづるに関して独自に考察していた。
那苗は『アイツがあんなに感情を剥き出しにするなんてな。よほど見過ごせない"何か"があるという事か。』と呟き、美紗音は『美鶴さんの母様が、あんなに怒るなんて……。あのお爺さんの言っていた事が許せなかったということなのでしょうか?』と述べつつ、暫く様子見を続ける事となる。
さて、いづるに背後を取られた老農夫、慌てておっちらおっちら歩いて間合いを取ると『なっ、なんなんだアンタは。アンタには関係ないだろうが。』と言ったものの、それで引き下がるようないづるではなかった。
彼女は『ジジイ、お前は自分ができるから、他人にも同質のものを求めているみたいだが、アンタが出来る人間なのは、所謂"一日の長"があるからだろう? だが、そこの若いのはアンタと同じ"一日の長"があるのか? ……あるのかと聞いている!!』と、更に語気を強めて睨みつけた。
この、いづるの強い圧を受けて、老農夫は背筋が冷たくなる物を感じたという。
なんとか反論を試みようとする老農夫だったが、更にいづるの口から『反応が遅いなジジイ。反論の一つ出すのに時間を掛けてる時点で、アンタの考えの浅さが透けて見えるぜ。』と述べ、更に続けて……
『アンタの屁理屈を他に置き換えるなら、そこの若い奴に"護国の鬼姫"が"アメリカのロッキー山脈を砂漠に変えてこい"と要求するようなモノだぜ。当然、そんな事はできるわけ無いんだが、アンタは若いのの内実とか能力とか度外視でイチャモン付けてる訳だ。何が気に入らないかアタシは知らないが、単に自分の思う様に動かないってだけで事実上の人格否定までやらかせば、若いのが如何に思うか……語るまでもないよな? 人生経験あるんだから、そのくらい予想できるだろ? もし、予想できないなら、アンタの人生経験なんて"その程度の価値しかない"って事だ。』
……と、相変わらずの獣の唸り声のような声色で語りしめた。
しかし、その視線は老農夫を睨みつけたままであり、もし彼が下手な事を述べようものならば、おそらくいづるは"鬼"の力を開放していた事だろう。
だが、そうならなかったのは、そんないづるの側に移動してきた存在があったがためであった。
それが誰かと言うと……
『そろそろその辺りで鉾を納めてはどうですか? そうでないと皆が困ってしまいますよ、かーさま。』
……その言葉が聞こえた為、声の方を見たいづるの目に入ったのは、白銀の髪と、鬼灯を宿したような瞳を持つ、よく知る少女であった。
その少女……美鶴は視線で母親を制すると、今度は老農夫の前に立ち、こう述べたという。
『お爺さん、まずは母の戯言を御詫び致します。その上で私の方から一言申します。貴方様は農夫なのでご存知かと思いますが、今日ならば"ネギ"は植えた時から"収穫できる姿"ですか? 違いますよね? 貴方様や多くの農家の方々が手塩に掛けて、色々と工夫をして、やっと成長して収穫ができる。そしてそれは人間にも当てはまると思います。先ほどの一連の話を聞く限り、育っていないネギを収穫しようとしているように思えてなりません。』
……ここまで話を進めた時、老農夫の顔色が冴えないモノになっていたという。
先ほどまでのいづるからの強い圧とは異なる"威"を、目の前の少女の言葉から無意識に感じ取っていたためだろう……というのは後日、那苗からこの時の事を聞いた当代の水の鬼の王である"水梨鈴鹿"の意見である。
そして、少女は冴えない顔色を浮かべたままの老人を"言うべき事は言い終えた"と言わんばかりに放置し、今度は若い農夫の前に行き、こう語り掛けた。
『今日、私も農作業を手伝い、その大変さを実感しました。私でさえこう思うのですから、より詳しいはずの貴方様の大変さは私の比では無いでしょう。ですので、貴方様は焦る必要はありません。あの老農夫の方は既に"完成"されているので、あれ以上伸びる事はありません。成長しきったネギですね。それに対して貴方様はまだまだコレから伸びていく"ネギの苗"です。繰り返しになりますが、コレからゆっくり伸びて完成を目指せば良いのです。』
……その、どことなく凛とした声と姿勢を見せる少女を前に、若い農夫はただ呆然としていた。
まるで"何かに包み込まれ、解けていく"ような感覚だったと、彼は後に仲間の農夫に語ったという。
その日の夕方、開拓地から今川家の神社へと向けて移動しながら、小蓮と那苗、美紗音はこんな会話をしていた。
「美鶴さんが動いた時は一体どうなるのか、ドキドキしてました。」
「ええ、確かに。お嬢様、黙っていづる様の下へと向かわれたので、こちらとしても止める間がありませんでしたよ。」
「おいおい、今回は何事もなかったから良いようなものの、美鶴嬢の身に何か起きたらどう責任取るつもりだった?」
「ううっ、すみません那苗様。近くにいづる様がいるという事でちょっと安心してしまいました。」
「やれやれ……しっかりしてくれよな。毎回あのバカ女が美鶴嬢の側にいるわけじゃないんだ。今日だって、あの老農夫が癇癪を起こしたらどうなっていたか。」
「……」
「な、那苗さん、あまり小蓮様を責めなくても良いのではないでしょうか? 仮にあのお爺さんが癇癪を起こしていたなら、那苗さんが真っ先に動いていたでしょう?」
「ん!? ま、まあ……な。守衛として、学生寮の寮生を守るのも役目だしな。」
……そう語る那苗だったが、その直後『美鶴嬢を守るのがあたしの元々の役目でもあるからな。それに関しては小蓮もだが、あのバカ女も心得ているはず。』と思う。
そしてその視線は、自分達より少し先を歩く、母親に対して少々説教気味に話し掛けていた少女へと向けられていたのであった……
後日、水梨邸に、収穫されたネギが山のように贈りつけられていた。
家主でもある伊鈴は『これでネギに関しては、暫く買わずに済むねぇ〜。』とホクホク顔であったが、いづるの方は『おい、なんでこんな沢山送りつけられるんだ!? さてはあのジジイ、嫌がらせ目的で送り付けてきたのかぁ!?』と思うのであった。
実際の所、若い農夫の方が御礼も兼ねて贈り出したというのが実情であった……という。
ー おわり ー
この物語はフィクションです。
そう、前書きに記したのですが、本作の一部の内容に関しては作者の実体験をネタとして使っています。
そういう意味では、一部だけとは言え"ノンフィクション"に近いのかもしれません。
その事を記して、本作を締めたいと思います。